おぎそんの日記
おぎそん



 なれの果て

学校が苦手だった。
小学校の時の居心地の悪さ。
中学校の時の周囲を意識せざるをえないなんとも言えない嫌な感じ。
高校の時の無神経さ。

それなりにやり過ごしてきたつもりだったけど、なんとか適応していたけど、やっぱりなんだかなぁと思うことばっかりだったような気もする。

大学の時にそれは一回解決したように思えた。

しかしながら、一時期、どうしても学校に行く気がしなくてほぼ引きこもりの時期があった。
誰もが行っているのに自分がいけない、この情けない感じ。
学校になんか行かなくたって、もっと大事なことはあるって言い聞かせていたけど、ただただ自分の怠惰のような気もするし、自分が子どもっぽいと馬鹿にしていた彼らにできて、自分にできないなんて嫌で、でもかといって再び、何事もなかったかのように振舞うことなんてできなくて、弱みを見せることなんてできなくて。

自分ができる分野で見返してやろうと思っても、そんなものは何にもなくて。


結局、そんな時期からもう10年近くたってしまった。
あの時、きっと「見返してやる」と思った。
お前らにできないことを、してやるよ。
一緒の土俵なんかで勝負なんかしない。
俺は俺の土俵でやってやる。

なんの裏づけもなかった。
でも、走り出すきっかけになった。
いろんな人にであうきっかけになった。

いろんな人に逢って、影響を受けて、影響を与えて、ビリヤードの玉のようにどんどん突き動かされて、今ここに居る。

これからこれから。

まだ少し、気になるけど、以前に比べたら、人と比べることなんてたいした意味はないように感じている。
俺は俺だもん。
あんたはあんた。
それでなんか問題ある?

誰もが誰のようでないとやっと気づいたからだ。
何者になろうとがんばっちゃったこと。何かになれたかもしれないし、まだなれてないのかもしれない。
でも、これから。
急いだって、ゆっくりだって、大して変わりはないのかもしれないのだから、ならば人のペースになんか合わせなくてもいいや。
心からそう思う、

自分がやりたいこと、どうありたいかということを大切にしていきたいなぁと思う。
いろんな回り道をして、素直に思える。

不思議なもんだ。

こんな僕でもOKだと言ってくれる人もいるんだから。
10年前の自分が今の僕をみたら、なんて言うんだろうか。

「だっさー」かもしれないし「まだ、こんなところなの? 」かもしれない。

上野千鶴子だったかな、自分よりも10くらい上の先輩と仲良くなりなさいって言ったのは。自分のライフスタイルを考える、材料になるからって。
20の僕はきっと、30の僕をイケてないと思うだろうし、30の僕は20の僕をあまりにも「わかったようでいて、実はわかってない」と思うことだろう。
そして、その思いを互いに口に出そうとしながら、出さないんだろう。
それぞれの言うことを聞いているフリをしながら「でも、俺はアンタと違うもんね」なんて思っているに違いない。

それでいいんだけどね。

自分が通過しないとわからないことだからけ。わかったふりなんて、ちょっとつまらない。


後輩と食事をしながらそんなことを思った。

2009年07月01日(水)



 失敬だな、ちみは

てなわけで、ちょっくら遊びに行ってきました。
いやー、楽しかったです。

やっぱり息抜きって必要だがね。

しかし。
「おぎちゃんって太ったよね」
と知人に堂々と言われてへこんだのも事実。


しっ、失敬だな、ちみは。

もうちっと、遠慮とかせんか、こんちくしょう。


来月放映されるWOWOWの某番組に多分ちらっと映ってます。
意図せずに。

ままま、来月も遊ぶために、せっせと働きます。仕方ないから。

2009年06月29日(月)



 ABCD包囲網

時々、社会派のおぎそん。
えっと、今日取り上げますのは、臓器移植法絡みですけれども。

確か、中学のころに論文ネタとして知恵蔵を読んでいたのですけど(>今考えると、そんな中学生嫌だな・・・)、脳死について興味深い話題があったのですよ。

日本ではまぁ、皆様が肌で感じているように、「確かに、脳が機能せず、生かされいる状態なのかもしれないけど、肉体がそこにあるしなんか死んだって言われてもねー」ってのが主流だと思うんですよ。
いわんや、15年ほど前だったら、なおさらに。

で、その特集だか記事だかでとりあげられていたのが、脳死判定をさくっとして、移植もバンバンしちゃう(>語弊あるだろ)フランスのこと。
世論調査で、臓器移植法施行直後は「脳死どんどん判定しましょ」って割り切ってたらしいんですけど、10年ぐらい経ってから、再度調査したところ、「脳死を死として認めるにはちょっとなぁ・・・」という層が増えたんですって。いや、正確なところは知らないけど(覚えてないけど)、そんな感じ。

いろんなことをどんどん振り落として忘れているんですけど、いまだになんか覚えているのですけど。

日本で、これが通ったときにどうなるのかなーと思うのですけど。
植物状態と脳死は違うし、比べらんないけど、でもねー。

石持某「そして扉は閉ざされた」、田口ランディ「神様はいますか」をタイムリーに読んでたので(どっちもたまたま本棚から未読本を出して読んでただけなんだけど)いろいろと考えてしまいました。

おぎそん、(骨髄バンクの)ドナー登録もしてるし、ドナーカードも持っているんですけどねー。
なかなか難しい問題なんですが、どうも国会議員の方々で興味を絶対持ってないだろうなぁと思うような発言する人もいたり、なんだかなー。

お金も絡むし、移植したから全てがOKではないし(この辺は、新・ブラックジャックによろしく にもありましたね、そーいや)、なんともね。
ただ、人の思いってのがダイレクトに反映するにはもはや構造が大きくなりすぎて、一筋縄にはいかないんだな、と立ち尽くしちゃうのです。

感情って案外、大事なもので、あんまりすっぱとパーツだーの、機能だーのと割り切れなさをどうしても捨てきれないおぎそんです。
・・・一応、客観視を重視する理系出身なんですけどね。

2009年06月21日(日)



 いくわよ

1Q84 ってそう読めない? と文学部の後輩にメールしたら、ものすごい蔑みのメールが来ました。
・・・春樹を卒論にした奴にこんなこと言っちゃだめか。

しかしですね。

このマスコミの扇動ぶりはなんなのでしょう。
記事にすることがすでにパブリシティ。

新潮社さんがお金をかけなくても、ニュースに取り上げてくれるなんて、なんてやさしいことなのでしょう!
こんだけ煽ってりゃ、売れないほうがどうかしてますよ。
そのことにどのくらいの人が指摘するんでしょうか。

春樹はそれなりに読んでいるのですけど(>そういった意味で、あんなもの、とシニカルにとらえてはいないのです)、ここまでなると、なんというか、本来の彼の思いとは違う方向になってしまうのではないのかなぁと。
なんか、もったいないですよね。


じゃあ、そうじゃない、売れないけど良質な物語をつむいでいる、日常生活の中でサバイバルしながらも取り組んでいる作家さんはどうなるのでしょう。

文芸作品で、初版5000部も刷れば、たいしたものだと聞いたことがあります。
全国にどれだけの書店があることでしょうか。
5000部で、どれだけの人の目にふれることができるのでしょうか。

そんなことを思います。

どの物語だって、その真摯な思いを感じるために、そして自分が決して歩むことのなかった人生を味わうために、人は本を読むのでしょう。
安易な本もたくさんあります。

でも、売れた売れないという判断が介在してしまいます。

どれが、いいのかわからないと、とりあえず店頭にある、よく宣伝されているものに手を伸ばしてしまうのでしょう。
そのときに、本当にその人の人生に影響しうる、という覚悟がある物語をつむぐ人たちがどのくらいいるのでしょうか。

そこまで、責任もてないよ、なんていう方もいるでしょう。
でもね?

じゃあ、どこまでがあなたの責任なんだろう。
どこからがあなたの責任じゃないんだろう。

そう思ったら、言葉をつむぐということはとても、すごいことなんだけれども。

mixiだろうが、ブログだろうが、結局は責任というか覚悟なんですよね。
簡単に消しちゃえ、じゃないだろうし。


なんで、おぎそんはまだ読んでません。つーかー、先にカフカを読めって話ですよね。なんか、読む気になれないんですけど・・・。


まぁ、ブックオフにどうせあふれますから、そのころでいいかなぁなんて思ったりします。

2009年06月16日(火)



 銀座

知人の個展(グループ展)があるとのことで、仕事帰りに寄ってみました。

グループ展って知らなかった方を見るいい機会なので楽しみです。
今回も、気になる作家さんを発見。

行くと、たまたまワインがあけられていて、ずうずうしく(>その自覚はあるらしい)いただきながら、お話をうかがいました。
いやー、面白いなぁ。

来週も、個展を見に行く予定だし、楽しみがいろいろです。

2009年06月11日(木)



 まっすぐ

意外に思われるかもしれませんけど。
テニスを見るのが好きです。

女子テニス。

いやね、スコートを見る目的じゃないんですよ>必死の弁明

で、圧倒的に残っているのは、時代のせいもあるんでしょうかね、伊達公子(今は伊達クルム公子)選手なんです。

いろんな思いもあるし、彼女が現役復帰してがんばってるのをみると、すげーなと思うと同時に、あの歳になってもやれるのって、なんか歳を重ねることが楽しみにもなるのです。
いや、そんな大それたことを言うつもりはなく、ただただいい歳のとり方をした大人になりたいなぁと思うのですよ、素直に。

で、ニュースを見ていたらウィンブルドンに・・・とのこと。
いやー、楽しみだ。

本気でやってる人ってきれいだな、と思う。
その姿を照れずに直視できる自分でありたいと思う。
そんな生き方をしたいなと思う。

・・・いまだに高校野球を見るのは苦手なんですけど。

2009年06月10日(水)



 大人になれば

大人になるとね 言いたいことを全部言えなくなるんだ
思ったことの3分の1も言えればいいくらい

語りたいこと 伝えたいことはいっぱい

でも 言えないこともいっぱい

その狭間で いつも いつも 迷ってばかり


その中で折り合いをつけていくんだね

2009年06月09日(火)



 思い出をつくろう

始発を待つために階段を上る二人組みの女の子。
「これから思い出いっぱい作ろうね」

思い出はきっと作ろう、と思って作れなかったりする。
いつも心に残るのは本当にくだらない、ささやかなしぐさや匂い、感触であるような気がする。

写真を撮ったり撮られたりするのが苦手だ。
その場を切り取ることで、零れ落ちてしまうものがきっとある。
最初はそれをよすがに思い出すきっかけになることだろう。それは否定しない。でも、それはいつしか思い込みになる。
本当はどうだったのか、こうありたかったことにいつの間にか変わってしまう。それすら含めての「事実」なのだと思う。
でも、あいまいさも含めて、消えてしまうことも「事実」ならば。
手のひらから零れ落ちてしまうことすら、いとおしい思い。
忘れてしまおう、なんて意思ではない。忘れてしまうことすら引き受けるということだ。
忘れないから、思い出さない。
そうなんだ、いつだってその思いは”ここ”にある。

全くの他人である二人に、そんなささやかなことすら祈りたくなる。
そうであって欲しいと願う。
祈ることや願うことは、確かにとても弱いことではある。しかし、その存在を認めているからこそ、祈りや願いは今までなされてきた。
これはすごいことだ。
誰かを思うために、僕たちの想像力はあるのだから。

まだこれから思い出はいっぱい作れるよ。
だから気張らなくても大丈夫。
いつも、この階段をあがったことすら、思い出にある。
過去のことは等しく、そこにある。

2009年06月07日(日)



 今から

友人が来月上京するとのことで、少しずつ部屋の掃除をし始めました。
いやね、普段生活してるとどうしても、CDとか本とか片付けるきっかけがね・・・。

で、とりあえずCDと本をどうにかしなきゃと、棚に突っ込んでみましたが。
棚が足りません。
あと180センチタワーひとつくらい足りません。
えーと、今の住居ではひとつの部屋を完全な荷物部屋としているんですが、すでに180センチタワーが二つ鎮座しており、本来は食器棚なんだけど、本棚代わりにしても足りません。
これは、ダンボールのまま見なかったことにしておけばよかったかしら・・・。ちと後悔。

そんなわけで、最近はさすがに物を増やすだけじゃ生活できないと気づき>なにを今さら、やっと「絶対にこの先におぎそんの人生にとって一ミリたりとも影響を与えない」と確信できる本を売却し始めました。
所詮はブックオフで購入した100円本が大半なので、まぁ引き取ってもらうって感じでしょうか。
一瞬、オークションを考えなくもなかったのですが、その手間を考えたら、リサイクル文庫にまわすか、廃棄処分くらいしか選択はないですもんね。
いいの、これで。
あとは、友人に押し付けてみたり>自分が気づかずに2度購入したものとか

今月いっぱいかけて、衣替えもできるといいんだけど、果たしてどうなることやら。つーか、衣替えが一番の難敵だったりして。

いざとなったら、友人は野宿か、ベランダ(風通しがいいですよ? )か車(エコノミー症候群が心配)かネットカフェ難民してもらうかですけどね。

2009年06月04日(木)



 ぷれいばっく ぱぁと2

ちょっとまって。
いまのことば。

ぷれいばっく。
ぷれいばっく。


つーわけで(>全く関係ない)、行きつけのお店が閉店することになりました。
嗚呼、あの地域の治安というか雰囲気をより一層逸脱させるのに一役買ってたものね・・・。
しかし、さびしい。
閉まるまでに一回、襲撃かけなきゃ。

って、大阪まで行くのかぁ。

厳しい厳しいとは聞いていたんです。
お店行っても、おぎそんだけで、帰るまで誰も来なかったり。
まぁ、平日の夜はしょうがないよねー、とは言ってたんですけど(むしろ、平日専門みたいなおぎそん)。
どの商売も厳しいけど、自営業って大変ですよね。特に水商売は。

どうするのかな。
いったん休養でもして、英気を養って、またあの笑顔を見せてほしいなぁと思う。いろいろあるけど、だからこそ、笑っていられる場所を提供できるって、すごく夢のあることなんだと思うんだよね。

てなわけで、安く上げるために、日帰りでもいいかと思いつめる、このごろです。

2009年05月29日(金)
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