岸部・・・?
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アメリカのビジネス街のビルの屋上は日の丸の小さな旗を振る日系人で埋め尽くされた。彼らは皆、歓迎なのか義務なのか、ビルの間を通過する3台の黒い車を見送っている。
3台の車には旧日本軍の軍服を来た軍人がびっしり乗っており、彼らは歓迎ムードに気を良くしていた。我々はあなた方の代表として参りました、とでもいうような貫禄を見せつつ。3台は、日本国旗の掲げられた大きな建物の前に到着するや、次々と縦に並んで停まった。停まるとすぐに、先頭の車から武装した5人が降りて、イソイソと屋根付きの少し奥まったエントランスへと向かった。後続の2台からも続々と降りてきている。
それは、大統領が投げる始球式のように、万事が決まりきっていて、手はずが整った行事のはずだった。観客は、うまくいくことを、ただ見届けることさえすれば良いはずだった。
先頭車両から降りた5人は、屋根の下でアッという間に撃ち殺された。すばやく物陰から出てきて5人を捕らえることに成功した3人の男達は、銃を構えたまま、「撃たれたー!撃たれたー!下がれ下がれー!」と味方のフリをして叫び、後続部隊に現場を見せることなく退かせた。叫ぶその顔は半笑いだ。そのエントランスは横が垣根で囲われていて、正面以外からは見えないつくりになっている。観衆は5発の銃声を聞いても何が起こったか全く理解できなかったが、「撃たれた」の声と退く軍人を見てようやく恐怖し、叫びながら散らばって消えた。
3人の男は皆背が高く、黒い現代的なサバイバルスーツを纏ってはいるが、鍛え抜かれた体であることがわかる。緊張した様子もなく1人が合図をすると、合図を受けた1人は、片手で銃を構えた2人を残したまま建物の中に入っていった。
「卵から生まれる卵天皇」が孵化したというので、それを迎えに上がった軍人達は、予想していなかった状況に焦った。中にいるはずの卵天皇が心配で、上層部と連絡を取り始めた。
そんな夢を見た。
パイ毛が徐々に大人毛になってきてうろたえてきた。
遅い成長、むうん。
夏、汗ひとしきり、パイ毛、大人びる。
右の足の甲だけに隆々と生える毛、そういえば、ふとももの毛も右だけ濃い。
足のサイズは、左の方がでかい。
吉田さん曰く「食べ物の好き嫌いが変わるのは、守護霊が変わったら変わる」のだそうです。
周りの人皆がグルで自分一人ノセられてるんじゃないかと少し疑ってみたことがある。存在自体ノセられてるんじゃないかと。
存在自体はよく問うている。
だいたい皆二日酔いが微妙に続いてる時の昼飯は何食っているのだろうねえ。
だいたいが。
今日はオナニーしてから思い出したように半年〜1年くらい前に聞いたっきりだったOKコンピューターを出して2曲目を聞いていた。1日中ずっと2曲目。
私メモ ミラクルチョースケ
家の仏事で寺に行った時に和尚と一緒に読経した時に感じた悦。 そして、その日帰ってから電話でその様子を伝えようと再現した。 うそっぱちなお経を音だけで読み上げているうちに、電話中であることも忘れて恐らくやばい目つきになっていたであろう感じに悦っていて、それ以来気になるお経。
言葉の意味自体は、ずっしりと身に染みてその奥深さを妙に有り難がったりするものもあるが、どっちかというと、けっこうどうでも良い。
必要なのは、後ろの楽器と、あの真剣さと、ある程度の人数。
そんな「音としてのお経」ですが、竜安寺にて購入した般若心経テープによって、ようやく生活の一部となりました。
テープと一緒に入っていた紙に、お経を読む時の条件みたいのが書いてあったけど、それが推薦する態度とは真逆に寝転んで聞いた。すげーはまった。 お経を読む声の主が、一休さんの和尚さんの声に似てて「まさか!」と思った。
何度も聞いているうち、経のCDとか買いに行こうと思った。 そんな矢先、大音量お経を聞きつけた婆ちゃんが、こんな真夏日にそんなことしている孫に興味深く話し掛けてきたので説明していると、婆ちゃんも持ってるとのこと。盆に和尚が来た時に録音したやつらしい。ナイス婆。 経典もセットでゲット。うれP。
何日か経ったら飽きるかなあ、でもまたいつか再発すると思う。
それと今日久々にひとりでパフェ食い逃げした。
2003年08月05日(火) |
フジヤマ〜ハラキリ〜シンカンセン |
最近、新幹線が本当に速いことや、普通の人がさりげなく努力していることや、太陽がいかに丸いかということや、お金の価値などを再認識している。バラバラやけど。
高速道路を走り終わった後、車の前を見ると大量に虫がはねられて死んでたりしますが、新幹線の場合レベルアップするもので、ワイパーに死んだ鳥が引っ掛かっていました。
僕は最近部屋をきれいにしました。 それまではすごく散らかった、汚い部屋でした。
部屋をきれいにしたら、朝起きた時に、よし今日もがんばるぞという気になるし、物事が比較的素直に理路整然と考えることができるようになったので、健やかな精神は健やかな体に宿るという言葉を連想しました。
ところが、今日、整理整頓によってもたらされる精神的弊害に気付きました。 それは物が見つからない時です。
部屋が片付いていてきれいに整頓されていると、探し物をすることが許されないのです。 つまり、部屋が散らかっていると、探し物が見つからずとも、「まあ、どっかにある」と推測することで安心して放っておくことができるのですが、全てが整理されているということは、ないものはないのです。
「ここにないならない」の理論です。 これには焦りました。
結局、今日の探し物は、「まだ片付けきれてないゾーン」にあったので良かったです。 なんだそれ。
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