岸部・・・?
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ネットゲーム:連続50時間熱中、28歳男性過労死 韓国 【ソウル堀山明子】韓国・大邱市内のインターネット喫茶で今月初め、パソコンゲームを約50時間休まずに続けた男性(28)が店内で倒れ、3時間後に死亡したことが分かった。韓国有力紙「朝鮮日報」などが報じた。警察は、過労による心臓まひとみて調べている。
警察によると、男性は3日午後9時から5日午後10時半ごろまで、人気の戦略シミュレーションゲーム「スタークラフト」に熱中。店主が「控室で休んだら」と忠告しても、睡眠も食事もとらずに続けたという。男性はゲームに没頭して欠勤が続き、7月初めに勤務先を解雇されていた。
2005年8月10日 http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/game/gamenews/news/20050810org00m300064000c.html
たぶん、死んでもまだやっとる。
阿蘇の雄大な景色のなか行われたレイブに行ってきたわけですが。よくある夏フェス的なものの一つなのかもしれんけど、今回はキャンプメインで参加(料金がキャンプ代程度)。
8月5日〜9日までやっていて、日程表を見ると、6日の8時15分に「黙祷 HIROSHIMA」、9日の11時2分に「黙祷 NAGASAKI」とか書いてあって、そういうイベントなのかもしれなくて、来てる奴らは「ラブ&ピース」とか言いそうなヒッピーもたくさんいて、全身入れ墨(おしゃれ感覚で入れたタトゥーではない感じ)のただのトランス好きも大勢で、お前ら絶対黙祷しろよなと思った。
一晩中トランスが大音量でかかってて、皆が踊ってるうるさいとこに行った。クサの匂いプンプン。踊りながら前に進む女、クネクネしすぎの女など面白かった。基本的に前屈姿勢で踊る人が面白い。お前ら絶対黙祷しろよな。踊り疲れて、星がすげえ綺麗だったので寝転がって1時間くらい星を眺めた。流れ星30個くらい見て日の出見て寝た。起きたらまだバカみたいに音楽がかかり続けとる。また行って、みんなでサムキモイ踊りを研究して実践して(関節という関節を曲げて目をつぶってリズムに合わせて動く)飲んで食って昼寝。雨がひと降りして外に出たら虹が出た。雄大な景色で有名なところに寄って温泉入って帰宅。満喫。
月曜はジャンベセッションがあって、夜はEYヨがやるらしいので、一回帰って「月曜から仕事組」を置いて、寝て、無職の先輩とまた来ようって言ってたけど、お互いどこまで本気かわからんくて、自分でもわからんくて、ゆるいな。
2005年08月01日(月) |
今だにケイコの本名知らん。 |
僕はほんとにヘタレだと思いました。 先日、映画祭みたいなイベントにのこのこ出かけて行ったときのこと。映画が終わって帰ろうとしたときに、彼女が「監督に挨拶しに行くからついて来い」という。
監督に挨拶するまでの経緯はこうです。会場に、彼女の友達「ケイコ(仮名)」がいて、そのケイコの叔父が監督。で、そのケイコが監督に挨拶に行くから彼女も一緒に行こうということになったらしく。おれケイコさん知らんし自分ひとりで行けよと思った。彼女は「ちゃんと監督に挨拶してなんか喋ってよね、失礼なこと言うなよ」とか言った。じゃあとりあえずケイコを紹介しろ。ケイコとさえまだ挨拶もしてないのにその友達として監督に挨拶するのはケイコの手前気まずい。
そんなことお構いなしにケイコと彼女は進んで行って、監督の前まで来た。激しく緊張する…。ケイコの存在が気になる…。あわわ…と挨拶をした。したところ、監督はおれの顔を見て一瞬ハッとして、「君はカセリョウに似てるナァ…」って、カセリョウって誰だ!と思ったけどとりあえず「ありがとうございますよく言われます」と。数秒静止した後、「役者になる気ないの?」と言われ、取り乱した。取り乱した挙句、この会話に立ち会う人達、つまり、おれ、彼女、ケイコ、監督、そしてそれを見守るおっさん達の「和」に押され、「特にないですね」とおれ。ほんとはもっと悪ノリしたかったくせに。うそっぱちことなかれ主義め!
だいたい、普段他人と接することがなく、引き篭もりみたいなおれが、いきなりメジャー級の人物と会話するって段階でこうなることは容易に想像できる。過去の、自分の小物っぷりを露呈する思い出を次から次に思い出す。自分が活躍するスクリーンを、ことあるごとに想像して自分を慰めていきたいと思います。
2005年07月30日(土) |
へその掃除やってるかい |
去年、へその汚れに気付いてびっくりした。26にして気付いた。人に話したら掃除してた。みんなへその掃除していたんだそうだ。10年くらいずっと掃除していたんだそうだ。おれが知らないところで。まじショック!コソコソしやがって!
「へそをいじったらおなかが痛くなる」ってやつ、ずっと信じていたから触らなかったのに。おれにはそう思わせといて、それか。全く大人ってのは信用ならん。おなかは痛くならんのか。初めての掃除は緊張した。そしてまじでくさかった。
あれから1年。今日へそ見たら汚れていたから掃除した。気持ちよかった。
2005年07月17日(日) |
プロファイル 〜完全に掌握されとる〜 |
19かはたちのある一時期、先輩・友人とともに「イタダキ団」を結成し、夜な夜なその活動に勤しんでいた。イタダキ団の主な活動内容は、友人知人の家に押しかけ、「なんかいらんもんちょーだい」と言っては、所有者が少々嫌がっているものでも、メンバー全員による説得等、半ば強引にめぼしいものを戴くというもの。イタダキ団は、コードネーム:「タヌキ」を中心に、主にバイトの帰りおよびその後活動。タヌキ以外のメンバーは、日によってまちまちだったが、主にコードネーム:「コアラ」、「ピエロ」、そしておれ。夜中に数人で押しかけてきて家宅捜索、あちこちから「これもらっていい?」などという理不尽な申し入れに、親切で家にあげた本人はもう来んなと叫ぶことになる。
ターゲットは全員が知り合いの一人暮らしの男に絞られており、数が知れていたので、次どこ行く?って時に、メンバー同士、次はうちじゃないかという警戒心と同時に、そうはさせん!絶対にうちには入れん!という強い反発をうちに秘めていた。一度メンバー内に被害が及べば泥沼の内戦となることは明白なので、誰一人として決して口に出すことはなかった。そんな、イタダキ団。
その日のターゲットはバーヤン。バーヤンはその昔、電撃ネットワークのインストアライブにのこのこ出かけ、電撃ネットワークが目から牛乳を出しながら「悪魔退治」などと言って客席に入り、客の中から悪魔とおぼしき人物を探し出して退治していた際、その聖なる牛乳をかけられていた張本人だ。
その日のイタダキ団メンバーは前述の4名。コアラとバーヤンは同い年の親友だった。バーヤンの今の状況をコアラが電話で聞くと、家で一人でテレビを見てたということだったので、今から行っていいかというと絶対にダメだということだった。行っていい?ダメ。いい?ダメ。を数回繰り返したあと、電話を切って、バーヤンの住むマンションに向かった。
目的地付近に着いたとき、バーヤンを発見、コンビニに入っていった。ここから、リーダー・タヌキ(一番年上、当時23、4)のプロファイル能力が輝きを見せることとなる。
タヌキ「あいつ、コンビニで30分以上立ち読みするタイプと思うんよね。」
だとしたら、当分ヒマになる。しかし、どうしようか、との合間を挟むことなくタヌキは言った。
タヌキ「あいつ、コンビニとかは鍵かけんで出かけるタイプと思うんよね。」
勝手にあがり込んで帰りを待とう、ということになったが、秘密主義のバーヤンの部屋は、親友のコアラさえ知らなかった。とりあえずマンションの入り口まで行ってみると、そこには全戸数およそ5〜60軒分のポスト。しかし、タヌキは焦らない。
タヌキ「あいつ、郵便物を何ヶ月も溜め込むタイプと思うんよね。」
郵便物が溢れているポストは301と602の二つ。一つめの301へ向かった。ドアの横にバーヤン愛用のバイク、モンキーがあった。タヌキの言った通りドアに鍵はかかってなかった。メンバーは散らかった部屋の中を、帰ってきたら「これちょーだい」って言うためにざっと目を通していた。タヌキなどは、もうすでにこの部屋で見付けたバイク用のゴーグルを頭に巻いている。その時、一人が奇妙な声をあげた。
ピエロ「うわ!なんこれっ!」
若い女の裸が写ったポラロイドだった。気が付けば辺り一面に、女の各部位を写したポラロイドが20枚ぐらいあった。動揺を隠せないメンバー。続けてピンクローターが出てきた。みんな、湧き出る好奇心を抑えられず、ポラロイド見たり振動部を触らないよう気をつけながらピンクローター見たりポラロイド見たりした。ポラロイドには、当のピンクローターを活用している女の写真もあった。・・・・・バーヤン。
ピエロ「これ、家におったらやばくない?」
おれ「やばい。でも、さっきの電話と部屋の雰囲気でおれらが来たってバレバレ。」
タヌキ「ここは、親友のコアラに決めてもらおう。」
コアラ「・・・帰りましょう!」
帰り際、何故か全員一致で「ドアの前にバーヤンの愛車モンキーを立てかけ、ドアを開けにくいようにする」という謎の犯行声明を残すことになり、その小さな二輪をドアに立てかけた。よし、これでドアは開けにくいはずだ。おれがそう言ったとき、タヌキはまだゴーグルを頭に巻いていた。帰り道、なんともいえない空気が漂う車内に、バーヤンからコアラへ電話が。
バーヤン「コアラ達、うちに入った?」
コアラ「いや、行ってないよ。なんで?」
バーヤン「ほんとに?ほんとに来てない?・・・いや、ならいいよ。」
その後、小5くらいで友達に遊人の「校内写生」の存在を教えてもらって愕然とした。それまで読みふけっていたものはおっさん向けの「高度成長期エロ」ないし「シュールレアリズム」だとすると、校内写生は「ヤングエロ」ないし「レアリズム」。
校内写生の流れは中1まで続き、全巻そろえたところで母親にばれた。たんすの奥の方に隠しておいたやつが、帰って来ると本棚にきれいに並べてあったのです。その日はタイミング的に最悪な日で、ニュースステーションで有害図書の話題が取り上げられていた。久米宏が有害図書の有害性を語りながら、画面には今日見つかったおれの本が有害図書の典型例として並べられていた。あのとき家族全員で見ていたけど、単なる好奇の目でみる姉達と父と、そうじゃない母とおれとは別次元にいた。母の無言のプレッシャーを勝手に感じ取ったおれは、おれがサイヤ人だったら軽く近所の家ごと吹っ飛んだであろうほどの気のエネルギーで踏ん張った。しばらくの無言のあと、
母「なんか、こういうのバッカみたいやね!」
おれ「ごちそうさま・・・。さて・・・風呂でも入るか」
思えば久米宏はこの頃からろくなこと言ってねえ。
ヤングエロといえば、いつ頃だったか、ある先輩に教えてもらったものがあった。小2〜4年頃まで付き合っていた4コ上の近所の悪い先輩で、この人はまぎれもなく不良だったけど、学校主流の不良ではなく、もっと陰湿な感じのする不良だった。この人は近所のダイエー系列のアピロスで最新ゲームをパクっては中古ゲーム屋に売るというシノギをやっているせこい不良だった。この人に、まんこの落書きとその意味を教えてもらった。教えてもらった次の日、友達に教えて放課後の学校で黒板にでっかく書いて職員室に聞こえるように叫んだものだ。この不良には7〜8歳はなれた弟がいたが、よくおれに対して「お前みたいな弟が欲しいよ」と言っていた。後に、というか今から3〜4年前、この不良の弟はジャージの上下をさかさまに着用し、頭にパンツをかぶってコンビニに派手に登場したらしい。
この先輩に教えてもらったのが「Oh!透明人間」。面白かった。「Oh!透明人間」は現在「Oh!透明人間2」として連載されている模様。こないだレンタルコミックの最新刊のところで見た。
思春期を過ぎてからは、はたち前後の頃の早朝、突然、あのエロトピアのザラ紙などから放たれていた特有の非現実的な卑猥な感じを思い出し、「エロ漫画買わないかん!」って気になって焦って買いに行ったことがあった。朝6時くらいだったと思う。エロ漫画ぶら下げて帰っていると、これから就職の面接に行ってくるという先輩に出くわし、「こんな朝から何しよん?何買ったん?」と興味津々。「エロ雑誌です」とおれ。普段は何事に対してもゲラゲラと笑う、この陽気な山口訛りの先輩もどこかそっけない感じで「おお・・、そうか。」と神妙な顔つきをした気がする。
以降、2〜3年に一度、エロ漫画市場の変化リサーチをする程度に落ち着き、今に至る。めんどくさくなったので終わる。
今年の芥川賞・直木賞が決まったようだ。
これを期に、おれのエロ漫画史を編年体形式にて振り返ってみたい。
初めてエロ漫画に触れたのは、小2の秋、風邪をひいて学校を休んでいた時のこと。怖い夢を見て起きたので、不安げな声で母を呼びながら親の寝室へ。そこに親の姿はなく、ベッドの上に横たわる「エロトピア」。
おれ「ん?エロトピア…?どれどれ…」
十分に手ごたえを感じたおれは、小2ながら大人も唸るほどムラムラしながら自分の部屋に持ち帰って読みふけった。このとき、すでにオナニーを自ら考案。そのときのオナニーとは、どうしようもなく悶々としたちんこをエロいところにこすりつけるという野性的なものだった。
しばらく読んでいるうちに母親が帰ってくる音がしたので、焦ってカーテンの後ろに隠してタヌキ。母は熱にうなされる息子を心配し「ヨーグルト買ってきたよー、食べんね?」などと言いながら入ってきた。
母「今日は天気良いよーカーテン開けなさ・・・あらっ!!なんねこれ!!この本どうしたとね?!」
おれ、寝ぼけながら「んー?何それ知らんよ」
母「これはお父さんの本やけん読んだら怒られるよ」
おれ「ああ・・そう・・・でも知らんもん(さっきまでちんここすりつけててごめん)。」
まあ、熱で頭がボーっとしてたわけですよ。ともあれ熱を心配しにきた親は別の心配を抱えて部屋をあとにした。
エロ漫画熱が再発したのは小3、友達にエロトピアの話をしてうちに誘い、二人でふむふむ読みふけっていた頃。その友達がエロトピアを何故か「エロノス」と間違って記憶しており、学校で「おまえんちのエロノスがさー」などと話してきて、「お前間違ってるって」と言いつつその「エロノス」という響きが妙に卑猥で「エロの酢?エロの巣?・・・どっちでもいいけどなんてエロいんだ!」と興奮したものでした。
つづく
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