戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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2008年11月13日(木) ■ |
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すきなんだって、云っちゃえよ、もう。 |
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こういう言い方をすると又若さ特有のとか言われてしまうんだろうなと思いつつ、そういう括りは大きらいなのですがそれについてのうちゃうちゃは後日改めて、親孝行ってどうなんだろうか。 生まれてきただけで最大のそれだと言いもするし、そもそも愛と言うのは見返りを求めないでこそそう呼ばれるのではないだろうか。とか言いつつも求めたら愛じゃない、なんて訳ではないとも思うし、そんな慈善事業やってらんねーとも思うのだけれど。 その条件を飲む事が出来る、或いは最大限現せるのが一般的には親子間なのじゃないかなと。としたらば、親孝行をしたいと思うのは勝手だがされて当然だの、周囲がして当然だの言い募るのは違う。んじゃないかな、と。 別に親孝行をしたくないが故の逃げ口上ってんでも無いですが、尊敬や敬愛や他好意に値しない人間にまで、関係性の都合上から施さなくてはならない、というのはちょっと違うんじゃないかなーと。
最近思っていたんですが、これちっとも日記じゃないですね。えやっと気づいたの? 日々自問自答しているような。実際の生活でも殆どそうなんですが、という事はその脳内をしたためているという点に於いては日記として扱ってもいいって事なのか? 一括更新があるにしてもよくもまぁ毎日毎日載せておく疑問があるなと、そこに疑問を懐いたが故の感想でした。やっぱり書いている事により自分の脳内が纏まるというひたすらに自己満足度の高いものですから、無理矢理日数にばらけさせているとか私の日記の更新を待っていてくれる人がいるの! なんてそれ何処のブラッディエックス被害者? な事は言いませんが。なんだそのいかれた義務は。 楽しい内は、何事もいいものです。
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