ドラえもん最終回については藤子不二雄本人が出したものや一部ファンが描いたものを含め色々といわれているみたいけれど、そのうちの一つを友達のサイトで紹介されて最近読みました。 マンガで読むドラえもん最終回
私はのび太が大嫌い。ドラえもんを見ているとのび太の声を聞くだけでムカつく。ヤツが「ドラえも〜ん」とか泣きながら目をバッテンにして走っている姿にはむしずが走る。弱い!弱すぎる!!そしてドラえもんに甘えてばかりいないでもっと自分で努力しろ!立ち向かえ!!
こののび太の甘ったれ根性、なぜこれほどに頭にくるかと思えば、自分もそうしたいと思う心がどこかにあるのかも知れない。で、それをなんのためらいもなく行い、そして100%かなえてくれるドラえもんという存在があるのび太にやっかみ?もあるのかなぁ。相手はマンガだけど。
そのバカでのろまで弱虫なのび太が、ドラえもんを失ってから変わってそして・・・、っていうのが、上記サイトの「最終回」なのだけれど。 (みなさんが上記サイトをご覧になった後と仮定してオチオープンでいきます) 失って初めて気付くという事はよくあることで気付いた後にどうするかというのが何より大事だと思うのだけれど、のび太の場合、ドラえもんを失った哀しみを原動力に変え、そしてドラえもんを再生させる・・なるほど、それほどにドラえもんを愛していたと。今まで受けてきた愛を今度は一身にドラえもんに注いでいくと。 そう思うと、のび太の依存は子が親に対するものに似ているかも。そして失った時に初めて心の底からありがたみや懐かしさや言い尽くせない思いがこみあげて・・次世代への愛へ変わるのかな。
田口ランディが「ドラえもんは母性」と描いていて、私的には母性はもっと強くしなやかであると思っているのであまりピンとこなかったのだけれど、のび太がドラえもんに依存する姿は子供が母親に甘えるそれと同じだと思えばそれも少しわかる気がする。
まぁ、たかがマンガなのですが、あなどるなかれ、気付きをもらったりすることもあるのです。 自分ははたして「ドラえもん」を再生させる事が出来るのだろうか・・とかね。
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