れおは絵を描くのが大好き。 つい最近までクレヨンを無造作に紙上に走らせ、はっきり言って何を書いているのかわからないようなものを描いていたのが、ついひと月ほど前から「ノンタン絵描き歌」に合わせてノンタンを描き、自分でストーリーを決めて絵を描き私に解説してくれるようになり(船に乗ったれお、赤ちゃん、パパとママ。れおは海に向かってエサをまいているんだよ、とか)、電車の絵に線路の絵を糊で貼り付け「これなら電車はずっと走れるね」と言ってみたり、紙いっぱいに大きな木を描きそれを何枚も描いて並べて「森になったね」などの発想をしてみたり。 先日私が「新しい洋服が欲しいな」とつぶやいた時は「新しい洋服を着たママ」を描いてくれた。涙モノです。ちなみに、人物画を描く時はかならず洋服を着ていて(当たり前か)手と足の指がちゃんとあるのが彼の絵の特徴。
それにしても、子供の描く絵というのはすばらしいと思う。 親の欲目もあろうが、子供の感性と観察力のすばらしさには無限の可能性を感じる。 なので、子供が絵を描くときに、私はいっさいの口出しをしないようにしている。その方がより個性的ですばらしい絵が出来るのだ。
以前に、れおが紙に描かれた青い丸をみて「青い太陽」と言ったことがあったが、色彩感覚にしても子供はとっても可能性を持っていると思う。 れおは木を描く時に樹木を青、葉を赤などで描いていた。私個人的にはそんな絵こそすばらしいと思う。だって、樹木が茶色なんて誰が決めた?樹木をよく見てみたら青い部分だって存在しえる。先入観だけで見ているから茶色に見えるけれど本当は青い部分が大半なのかもしれない。 ・・・といいつつ、れおも最近になっていわゆるノーマル色の茶色と緑の木を描くようになったのだけれど。その木の絵をはじめて見た時には嬉しくもちょっと残念にも思った。
といった具合に、子供の絵にはいつも感心させられるのだ。 おかげで、いつまでたっても捨てられない、れおの落書きたち・・・。
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