つれづれ草^^
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なんだか最近バタバタしていて、週末の競馬がじっくり見れてない。 今日は何のレースがあるか・・・くらいしか頭になく、 それでも一応メインレースだけは見たり、またビデオに撮って見たりはしている。 土曜日のレースも当日の3時過ぎになってようやく・・に新聞に目を通すと 阪神のメインレースにローマンエンパイアの名前を見つけて なんだか急にわくわくしてきた。 ローマンエンパイアは、私がエアシャカールに見惚れて競馬を好きになった年の翌年、2001年にデビューしたお馬。 まだ競馬を知り始めたばかりで、怒涛のように過ぎていった2000年。 その2年後のクラッシックレースは私にとって初めてのデビューから応援した馬が 出走する事になったクラッシックだった。 その応援していた馬が、ローマンエンパイアだった。
この時のクラッシックには、女傑エアグルーヴの半弟モノポライザー ダービーを勝ったタニノギムレット、そしてその後ダートに路線を変えて大活躍し、 ダートでは敵なしの王者だったアドマイヤドンなどがいて、 クラッシックは4強とも3強とも言われ、 間違いなくその中にいたのがローマンエンパイアだった。 デビューから3戦負けなしで挑んだ弥生賞は、相変わらずのちょっと出遅れ気味のスタートで後方から進み、 結果・・・超スローペースを逃げ切ったバランスオブゲームにわずか半馬身届かず2着。 それでも上がり33秒台の脚を披露し、負けて強しの印象を残した。 実際、翌日の新聞にも「力が違う」「一枚上」などとローマンの事を評していたのを覚えている。 あのスローペースであの位置取りで・・・よく2着も来たなぁ・・・強かったなぁ・・・と今でも思い出し、 思い出すと痺れるような感動がある。 デビューから3連勝、弥生賞でも潜在能力の高さを見せつけ、クラッシック第一弾「皐月賞」では 2番人気に推されていたのだけれど・・・・まさかまさかの・・・・14着順敗退。。。 出遅れもあったけれど、それにしても負けすぎだったので、「もしや故障したのでは?」と本当に心配した。 その後、左脚ハコウでダービーを回避、その後も骨折・蕁麻疹などで休養が続き、 ファンの前に姿を見せてくれたのは皐月賞の次の年、淀短距離Sだった。 復帰初戦を2着で飾り・・・勝ちこそはしなかったが本当に嬉しかった。 またこれからローマンのレースを見れる^^とわくわくしたのを覚えている。 その次のレースは京都記念。下の写真はその時のもの。 この日は現調教師の河内騎手の最後の重賞出走で、しかもアグネスフライトとのコンビという事で、 かなり盛り上がった。 雨の京都記念、一番人気に推されたローマンはまたしても13着と大負け。 私がローマンに会えたのは、この雨の京都記念が最後。 それ以来まだ会えていない。 その後は第一線からは遠のいた感じがあるが、地道に走り続けて・・・今がある。 デビュー当時のローマンらしい・・というか、ローマンエンパイアを印象付けた、あの追い込み・・・ そういう強烈なローマンは少々影を潜めているかもしれないが、 それでも・・・先日のレースでは「ローマンだぁ・・・・」とジンとくるような走りだった。 2着だったが、直線馬群の外に出し、そこから先に抜け出した勝ったマチカネメニモミヨ を追いかける姿に、思わず立ち上がって応援してしまった(笑)
ローマンのクラッシックを思い出すと、そのメンバーが豊富な事に感動する ・・・って、私だけか(^^;)笑 あっと驚かされたノーリーズンがいたし、前述の3頭モノポンにギムゴンにドン・・・ 忘れてると痛い目に合わされるファストタテヤマもいるし(笑) G2では力が違うバランス、王者シンボリクリスエス、テレグノシス、 メガスターダム、ヤマノブリザード・・・それに・・ローエングリンもいた。 そしてそして・・・忘れてはならないヒシミラクル! ああ・・なんて豊富なメンバーなんだ(笑) ・・って、感動しているのは私だけだけど・・・(笑) いい年だったなぁ・・・・面白い競馬の年だったなぁ・・・としみじみ思ってしまう。 デビューから応援していた馬がクラッシックに出て、その後も休養を挟んでなお今も頑張っている姿を見れて、 改めて・・・競馬って面白い。感動だなぁ・・・と一人味わっていた土曜日だった。 ローマンはやっぱりカッコよかった。 これからあとどれくらい、競争生活が残っているのか分からないが どうか・・・最後まで無事でいてほしい。 そしてどうか・・・次の道を勝ち取れるよう・・・活躍してほしい。 これからもローマンエンパイアを応援する。 頑張れ!ローマン!
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