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2009年02月13日(金) 微量

ドラマ「トライアングル」を見ていて
何となく主人公の言葉に考えされられました。

「誰かの代わりの人生など歩めない、俺は俺の人生を生きる」

誰かに敷かれたレールの上を走ってきた私にとっては
少し羨ましく少し痛い言葉でした。
小学生の時に起こった殺人事件の真相を暴く事で
主人公は過去から解放されるんでしょうね。
止まってしまった過去の自分と誰かの代わりの人生を送る自分。
奥が深いです。

高校卒業ぐらいまではずっと誰かサンのせいにして
レールの上を走るどころか這ってきた私。
もう誰がどう見ても立ち上がる事の出来ない自分を
方向転換した方が良いと助言してくれる人は居ませんでした。
かと言って這い上がって走りぬくんだとエールを送る人も居ませんでした。
今だから言えるのは「諦めも肝心」
当時の私には諦める事が敗北を示す事だとしか思えなかった。

昔から頑固で一つの事を最後までやり通さないと気分が悪い
そんな真っ直ぐで時には自己中心的な性格が
後々災いになるとは思ってもみなかった。
いつのまにか優柔不断で中途半端。右に転べず左にも転べない。
そんな嫌な奴になってしまいました。
白黒つけたいのにつけられない。過ぎるのは時間だけ。
けれど過ぎていく時間は何も解決してくれなかった。
流れてばかりの自分の生活、そして自分自身が無駄で仕方なかった。
今も度々そう思う事はあります。

誰かの為にこうしてあげている。
誰かの為にこうして生きてあげる。
誰かがくれた恩を返す為にこれをしてあげている。
誰かがくれた恩を返す為に無理でも生きてあげている。

自分の人生が自分の中で動いている事を
身をもって実感出来たのは20を過ぎてからでした。
それでも最終的な結論は未だに出ていません。
恥ずかしい事に自分がどんな人間なのかすら理解出来ていない。

そして「過去」も清算出来ていない。

それが最大のジレンマです。






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璃亜子 |MAILHomePage

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