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2011年05月26日(木)

人のふり見て

我がふり直そう。

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先日とあるイベントにて。

メンバーの一部でちょっと話が盛り上がり、
名刺交換を相成ったのだ。

私と友人Aと、もう一人は初めましてさん。

初めましてさん、ご自宅に友人知人を招いて、
よく、ごはんを振舞われているそうだ。
素敵ですね、行ってみたい!と友人Aと話していたら、

そこに、別の人が、
友人Aも自分の知識経験をご自宅で教えていると相槌を打った。

それは、たまたま、初めましてさんが興味のあった内容。

初めましてさん大興奮で名刺を取り出し、
友人Aに、是非教室に行きたい、うちにも遊びに来てと猛アピール。

たまたま私の座っていた席が友人Aと初めましてさんの間だったので
余計そう感じたんだろうけど、

初め、私と友人Aが二人とも、
初めましてさん宅には行ってみたいと言っていたのに、
私には何もなし・・・?

なんかすごく蚊帳の外な感じだった。



いい年して恥ずかしいが、
いつの間にか、何かあると「他」のせいにしていることも多かった。
それが自分の責任であったとしても。

でも、最近、嫌なことや思い通りにならないことがあったとして、
自分も同じことを人にしているからこういうことになったのかなとか
自然に自省する思考に入り、
結果、やはり同じことを自分もしてるじゃないかと思い当たることも多かった。

それをおいても、
この日の蚊帳の外感はちょっとないなあと、思った。
自分の身に思い当たることも、探せなかった。

ああそっか、これは、こういう人にはなるなっていうことなのかな…。

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運命なんてない、って思う。
生まれたときから運命は決まってる、だなんて、嘘。

私が今夜更かししているのも運命?
生まれてすぐに亡くなってしまう子も運命?
虐待されてる子も?
図らずも事故に巻き込まれた人も?

そんな訳ない。
何かの事実があったときに、「運命だった」って諦めの言葉で納得せざるを得なかったり、
「運命だった!」て喜んだり、そういう「運命」の使い方はあるかもしれないけど、
すべての事実に対して、解釈は星の数ほどあって、
それを幸せと取るか、不幸と取るかはその人次第。

人のふり見て傷ついた、だけじゃなくて、
そこからあと一歩、何かを得る。

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「しあわせは じぶんのこころがきめる」相田みつを
「事実はひとつ、真実は人の数だけ」推理小説に出てきた一節

同じことを言ってるんだよね



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