アルの日記
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2001年11月14日(水) 普通の楽しみ

ふぅ〜・・・今日は一歩も外に出ていない。
いつもはコンビニ行ったり車で当てもなくそこら辺をさまよったりするのだが今日は何故か出ていない。
う〜ん・・・朝起きようとしても起きれなくなってるしどうしたものかな・・・。
まあでも明日は図書館にでも行こうかと思っている。

話は変わるが車に乗っている時間が好きだ。
好きな音楽を大音量で聴きながら景色が流れていくのが好きだったりする。
最近唯一俺のストレス解消法かもしれない。
どこかドライブにでも行きたいが彼女もいないしお金もないので行けなかったりする、涙。
あ〜あ〜、温泉行きてぇ〜〜〜。

この前、ランニングした後に近くの銭湯に独りで行った。
銭湯とはいってもサウナもついてるしちょっとした露天風呂もあるし薬湯もあるし数種類のジャグジーも付いていて銭湯と同じような値段なのだ!(たしか四百円くらいだったと思う。)
しかも軟水なのでお肌スベスベ、笑。

それにしても何で薬湯に入ると男の急所が痛くなるのだろう?
なんだかヒリヒリしてくるのだ!
よく観察していると他の人の表情を見てても「痛そう」な表情をしていたりする。
う〜ん・・・女性は痛くならないのだろうか?
しょーもないことだがふと疑問に思った。

今年は行けなそうだなぁ〜、温泉・・・。
理想を言えば彼女ができてドライブしながら山奥の温泉宿に泊まって貸切の露天風呂に一緒に入って酒を飲みながら美味いもんをたらふく食ったりしたいなぁ〜。
あ〜〜〜
あああ〜〜〜〜〜
あぁぁぁぁぁぁあああああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

そういう普通の楽しみが必要だ。

明日こそは早く起きねばならん。
そろそろ寝るとしよう。


2001年11月13日(火) 音楽話

友人のバンドが今月メジャーデビューする。
ずっとインディーで活動していたがとうとうメジャーに移るらしい。
ここ数年会っていないが、ネットサーフィンしていたら偶然彼らのHPを見つけてその情報を知った。

嬉しい。
確かに嬉しいんだけど正直言って半分悔しいという気持ちがある。
高校時代からずっと音楽仲間で一緒にバンド組んだりしたこともあった。
つい3、4年くらい前にもレコーディングするから手伝ってくれないかというオファーがあり、何回か一緒にスタジオに入った。
結局、ボツになったんだけど・・・。

彼らはずっと同じメンバー(三人とも知り合い)で地道に活動していたので数年前に久しぶりにライブ見に行ったら明らかに昔よりうまくなっていた。
音楽性は自分とは違うけど着々と成長している姿を見て俺は羨ましかった。

う〜ん・・・俺は一体何をやっているのだろう?
自分もずっと音楽をやっていた。
なかなか音楽性や気の合う人がいなかったので長い間一人で全てやっていた。
でも、歌だけはどうしようもないレベルなのでボーカルを募集してユニットとバンドを数年前に結成したりしていた。
とんとん拍子にとあるレコード会社のディレクターに気に入ってもらいメジャーからCDリリースの話を持ちかけられたこともあったが、精神的にかなり参ってしまっていて曲も創れなくなっていたし他のメンバーともうまくやっていけそうもなかったので脱退してしまったのだった。
それから聞いてはいるのだが全然音楽をやる精神状態ではなく今に至ってしまった。
でも今でも音楽やりたいと考えている。
メジャーでやりたいとは思わないがそのうち生活&精神状態が安定したら自主制作でCD出したりしたいなと思ったりしている。

独りで音楽を製作していると楽しいことは楽しいのだが自分とずっと向き合わなければならないのでかなり精神が疲労する。
時には危険なゾーンに入りこんだりしてしまうこともある。
でも、完成したときの喜びは凄く大きいし、自分の創った物を人に聞いてもらって感動したり、泣きそうになったりしてくれると言葉にならない自分の思いが100%伝わっていることにものすごく感動したりする。
あの感覚が今でも忘れられなかったりする。

う〜ん・・・彼ら売れるといいんだけどなぁ〜。
メジャーに行っても売れない限り生活は楽にならないかもしれないけど頑張ってほしい。

そう言えばもう一人の知り合いもアルバムを発表するらしい。
あの人はインディーでかなりマニアックなことをやっているが演奏は恐ろしいほど高度だ。
北欧から来日したアーティストのバックバンドも勤めたりしていた。
それも大成功だったらしい。
聞いたことはないのだが・・・。
彼らのやっていることは観念的過ぎるので自分には合わないが(かなり暗黒な雰囲気を醸し出している)同じ音楽を愛するものとして頑張って欲しいと思っている。

やっぱり自分は体で聞く、もしくは感覚に自然に入りこんでくるスピリチュアルな感じの音楽が好きなのだ。
リズムや気持ちのいい音が大好きなのだ。
最近はほとんど癒し系の物しか聞いていない。
自分で良い曲だけを詰め込んでCDを焼いて友達にあげたりしている。
嬉しいことにかなり好評みたいだ。
日本の物は無駄に音が入っていたりするので聞いていて疲れてしまったりする。
でもこの前友人に送ってもらったMariMari rhythmkiller machinegunはなかなか良かった。
ああいうのもっと聞きたいなぁ〜。

さてっと、明日からちゃんと朝起きる癖をつけないとならないのでそろそろ寝るかなっ。
って、もう2時半過ぎてたりする・・・涙。








2001年11月12日(月) 友人T

今日、家の電話の留守電に変な声が入っていた。
何か、助けを求めているようなうめき声が一分くらい続いているのだ。
日本語なのかどうかもわからない。
完全に舌が回っていないし一つの単語も聞き取れない。
まったく何を言っているのかわからないのだ。

十五秒くらい聞いたときにふと衝撃が走った。
「もしかしてTか・・・?」
一瞬聞こえた独特で微妙な息使いがTの顔を思い起こさせた。

Tとはしばらく会っていなかったが共通の知り合い(Tの親戚)から
原因不明でほとんど植物状態で入院していると聞いていた。
植物状態といっても脳死というわけではなく、ただ寝たきりでまったく動かないので点滴で栄養を送っているということだった。
言葉もほとんど発することがなく、ごくたまに一言二言意味のわからないことを言ったりするらしい。
その共通の知り合いが一度、御見舞いに行った時は一瞬Tの口元に笑みが浮かんだらしいがそれ以外は言葉も発することなくピクリとも動かなかったらしい。

「とうとうそこまで行ってしまったのか・・・」
かなりショックだったがそれが俺の正直な感想だった。
Tとは幼なじみで家も近かったのでちょくちょく彼の家に遊びに行っていた。
精神分裂病という診断を受けて初めて入院してから入退院を4、5回繰り返していたのだった。
初回以降は分裂病という診断ではなかったらしいが退院してきてもすぐに調子が悪くなってしまって息使いも常に荒く「薬が合わない、薬が合わない・・・」、それがTの口癖だった。

Tの部屋に入るとTはよくごみ箱を抱えていてそこに吐いていた。
吐き終わるとすぐにテーブルの上に置いてある飲みかけのビールをゴクゴク飲み、またすぐにごみ箱に吐く。
それをずっと繰り返していた。
入院前の2、3ヶ月は酒はやめれていたみたいだが、ひどいときは朝5時に起きた瞬間に酒を買いに行って飲んでいたらしい。

俺にはどうすることもできなかったがせめて話をして少しでもよくなってくれたらと思い、ちょくちょく遊びに行っていたのだ。
っていうかまあ自分も友人が少なく寂しかったので話相手が必要だったのだ。
調子の良いときはそうでもないが、調子の悪いときは話しかけても「あ〜」とか「う〜」というような返答しか帰ってこないし、正直に言って俺自身も精神に問題を抱えていたため何度も引き込まれそうになっていたのでたまに怖くなった。

「君といると不快だ。もう来ないでくれ」
っていうメールを突然Tが送ってきたのでびっくりしたが頭に来てそれ以降絶縁状態だった。
俺の態度や発言がTに不快を与えていたのか・・・確かに幼なじみで腐れ縁ということもあり、Tのためになるかもしれないと思いながら少々きついことも言ってしまっていたかもしれない。
そしてしばらくしてから共通の友人にTが植物状態だということを聞いたのだ。

今日留守電に入っていた声がTのものであるということがまだ確実にはわからないが、もしそうだとすると、植物状態からは抜け出すことができたのだろう。
あの「何か助けを求めているような」うめき声から判断すると俺に対してかなりの罪悪感を感じているのかもしれない。
御見舞いに行こうかと思うがまた同じ事の繰り返しにならなければ良いのだが・・・。
でも、ある意味行くところまで行ってしまったような気がするので後は上昇してくれるのを祈るのみ。
もっと行くとすれば死しかないのだから・・・。










2001年11月11日(日) 感謝

今日は久々にビデオを借りてきた。
週末だというのにまったくなんの予定もないからだ!涙。
う〜ん・・・いかん!いかん!いか〜ん!!!!!
このままじゃいかんのです、号泣。
ずっと篭りっぱなしだ。
彼女がいた頃はまだ救われていた。
思えば現実世界との唯一の接点だった。
よく俺みたいな男と4年間も付き合ってくれたよ・・・。
大変だっただろうなぁ〜・・・俺と付き合っていくのって・・・。
自分でもわかってるんだ、自分のどこが駄目なのかってね。
いっぱいありすぎて全部はわからないけどね。
自分の悪い所を変えたいと何度も思ったよ。
必死に考えて努力もしてきたつもりだ。
でも、人間はそんなに簡単には変われんのです。
結局はあるがままの自分を受け入れて生きていくしか自分には道がないのです。

最後の1年はあんまり会えなくてすまなかった。
でも俺にはああするしか方法はなかったんだよ。
たぶんわかってくれてたと思うけど・・・。
いろいろと傷つけてしまって悪かった。
まあでも・・・それはお互い様だね、笑。
今の自分があるのは君のおかげだよ。
俺を狂気の世界から救い出してくれたのも君だ。
本当に君はいい女だと思うよ。
特にその底の無いやさしさが好きだった。
だから早くいい男見つかると良いね。
正直言って想像すると感情掻き乱されるけど
それが俺の本心です。

やばい・・・本当に涙が出てきそうだ・・・。
別れてからもう五ヶ月。
自分は時間が止まったままだ。
「アルは過去に生きてる」
確かにそうだ・・・俺は過去に生きている。
君と出会ってからも出会う前も俺の中の時間は止まったままなんだ。
わかってるよ、よくわかってるんだ。
でも消費と生産だけをただ無機的に猛スピードで繰り返していくだけの社会が耐えられないんだよ。
感情までただ無機的に消費していかなければならない事に耐えられないんだ・・・。
わかってるよ、わかってる。
他の人には簡単にできることが俺にはできないってこともね。

う〜ん・・・・・結局、俺は今でも包み込んでくれるような母性愛を求めているのかもしれない。
やっぱり男はみんなそうなのだろうか?
よく、「おまえは俺が守る!」っていうセリフを聞くけど
あれは社会的に(経済的に)男が女を守るって事なのだろうか・・・?。
そんなセリフが言えればいいが俺にはその能力もない・・・今のところ社会不適応者だ。
なんだかんだ言って結局は男よりも女に守られてるっていう方が俺にとってはリアリティーが感じられる。
弱弱な男だ・・・・・でもこれがあるがままの自分。
だから受け入れるしかない。
受け入れた上でどうにかしようと思う。

最後に一言言わせて欲しい。
感謝・・・・・・そう、本当に感謝の一言に尽きる。
本当にありがとう。



2001年11月10日(土) ビール

ふぅ〜・・・酔った・・・。
今日はビールを飲んでいる。
ビールって言っても発泡酒なんだけど・・・。
なにも好き好んで発泡酒を飲んでいるわけではありません。
できればビールを飲みたい・・・しかし・・・・・・まあ要するに金を節約しているのだ!(←節約するなら飲まなければいいのだが飲まずにはいられない精神状態なのだ!)
ケチってケチって店にあった一番安い発泡酒を買ってみた。
その名も「粋生」。
失敗だった。クソまずい!
いくらなんでもこれはないだろう。
「サッポロか?アサヒかな?」
どこの会社か調べるために缶をよく見てみると書いてないのだ。
さらによく見てみると「原産地 香港」
はうっ!なるほど・・・香港で作ってるのか・・・安いわけだ・・・。
しかし香港のビールはこんなにまずいのだろうか?
ふと疑問に思った。

中国に行ったことがあるが、中国のビールも最低だった。
すごく味が薄いのだ。
青島ビールはまあ飲めるほうだったが他のビールは(三種類くらいしか飲んでないが)マズイことマズイこと。
まあマズイマズイ言いながらがぶがぶ飲んでたんだけど・・・。
ただ、値段がかなり安かった。
たしかニ、三十円で大瓶一本が買えるのだ。

ビールといえばやっぱりドイツのビールは美味しいんだろうけど隣国のチェコビールもかなり美味いらしい。
そして、忘れちゃいけないのがベルギービール。
友人がベルギービール専門の店で働いているのでたまに行くんだけどこれが美味い美味い。
ちょっと値段が高めなので最近はご無沙汰なのだが味が濃くて種類がかなり豊富なのだ!
ドクターペッパーみたいな味のするものまであったりする。
ワインみたいにコルクで栓がされているのもいい感じだし、アルコール度が高いので三杯くらい飲んだらかなり酔ってしまう。

あ〜あ〜・・・なんか書いてたら飲みたくなってきてしまった。
しかし今はそんな高級な物を飲める身分じゃないので「あの味」を想像しながら粋生を飲むとするかな・・・涙。
粋生はおいしいよぉ〜是非試してね。



2001年11月09日(金) 自己嫌悪

自己嫌悪・・・・・・そう、自己嫌悪だ。
自分は自己嫌悪が強い自虐的な人間だった。
今でもその気はあるけど昔ほどではなくなってきたと思う。
昔は自分を責めるあまり酒や薬で自分を破壊しようと思っていたのかもしれない。
しかしやっぱり極度の自己嫌悪は人を無力にしてしまうのだと思うのです。

今日は見逃してしまったが、木曜夜九時から村上龍原作の最後の家族というテレビドラマが放映されている。
現代の日本に生きるある家族を描いたドラマだが、さすが村上龍・・・内容が詰まっていてうまく現代の日本を描写していると思う。
先週か先々週、そのドラマを見ていて思ったことがある。引き篭もりの息子がキレて父親に対して暴力を振るってしまう。次の日、二階にある自分の部屋から降りてきて冷蔵庫からジュースを取り出し、飲みながら近くにいた母親に、かなり心配してソワソワしながら「父さん、大丈夫かなぁ」っと聞く。母親が大丈夫よと答えると息子は安心する。暴力を振るった後は必ず言うセリフだと母親は心の中でつぶやく。っていうシーンがあって、「あぁ〜〜〜わかるよぉ〜〜〜その気持ちぃ〜」っと独り言を言ってしまった。
自分でもどうにもならないある種の感情のエネルギーがちょっとした事で爆発してキレてしまい、その後どうしようもない自己嫌悪に襲われるのだ。
まったく自分の事を言われているようでドキッとしてしまった。
引き篭もりは自己嫌悪が強い人が多いように思う。
自己嫌悪が強すぎるからこそ、その原因になりうると思われることすべてから逃れるために、自分を何とか保つことができる世界に閉じこもる。
繊細で過敏でモラルも高く、人を傷つけるのを人一倍恐れる。
どうにか社会の中でうまくやっていこうと思っても自分ではどうにもならないのだ。
自分の場合はそういう感じだったと思う。っていうか今もちょっと引き篭もり的であるが。

思うんだけど、徹底的に逃げる時期ってあって良い思う。
そういう時期を経ていろいろと自分や社会を見つめ直す時間は必要だと思う。
しかし、社会の風当たりは厳しい。
今自分は無職なので仕事を探しているが、面接の時などに特にそう感じる。
履歴書の空白の所を突っ込まれても「引き篭もってました」とは言えない。
「悩んでました」とも言えない。
「哲学やってました」なんて言えるわけがない、笑。
一応、やりたい仕事があってそのための努力もしているが、会社側としては自分の会社の利益になる人を採用するので、そういう意味では自分の履歴は社会的にまったく信用がないから社の利益になるとは考え難いだろうと思う。おまけに対人恐怖的で目つきも悪かったりするので面接はきつい。
しかも運悪く人を傷つけるような発言を平気でするような面接官に当たったりする、涙。ああいう人格の人って多いんだろうなぁ〜。
う〜ん・・・もっと自分みたいな状況にある人達に対して理解を示して欲しいし、もっと精神的に気持ち良く生きれる社会になって欲しいと思う。
道を踏み外したことがない人が圧倒的多数なのでそういう人は自分は絶対的に正しいと信じきっていたりするので道を踏み外した人間のことがわからないのだろう。っていうか自分のことで精一杯なのかもしれない。
う〜ん・・・・・・どうにかせねば・・・。
まあでも「落ちてもまた次があるさ」っと考えて自分をあまり追い詰めないようにはしてる。
努力しても必ず報われるわけではないが努力ぐらいしかすることがないので一応している。

因みにそのドラマでは赤井秀和演ずる父親はこの大不況の中で何とか「会社の再建」のために頑張るサラリーマンで、家庭では「飯は必ず家族そろって食う」というポリシーを持って子供を育ててきた。会社の同僚と飲み屋で「会社のために今俺たちが頑張らねば」と熱く語っていて近くの席で飲んでいたサラリーマンに「今どきそんな古い事〜」と陰口を叩かれる。
う〜ん・・・なんかリアルで悲しくなったりするが、松浦亜弥が可愛かったりするので来週は見よっかな〜。

(そういえば父親(赤井秀和)が救急車で運ばれてからどうなったんだろう・・・松浦亜弥と元引き篭もりの宝石デザイナーの行方も気になったりする・・・。)







2001年11月08日(木) 薬、友人、自分

今日は友人Mから電話がかかってきた。
この前の日曜にも電話がかかってきて約一年ぶりに会った。
彼はこの一年間ずっとアジアに行っていたらしい。
具体的にいうと、タイ・マレーシア・インドネシア・ネパール・インドを旅してきたらしい。
呼び鈴が鳴って玄関のドアを開けると何とも怪しげな雰囲気を醸し出したMがニヤニヤしながら立っていた。
その後、俺の部屋でしばらく雑談した。

Mとはもう十数年の付き合いで久しぶりに会っても時間の経過によるギャップをまったく感じない。気心が知れている。
しかしそんなMと自分の関係はこの数年間、かなり冷えきったものだった。
原因はいろいろあるが、今考えると一番の理由はドラッグ仲間でもあったことだと思う。
今はもう何の好奇心も魅力も感じないが、数年前まで俺はドラッグの虜だった。あまり詳しくは語れないけど国内外でありとあらゆる物を嗜んでいた。
ずっと、音楽をやっていたので薬との相性は抜群だった。また、その手の音楽が大好きだった。薬によって聴く音楽も変える・・・そんなバリエーションを楽しんだりもしていた。
最初に言っておくけど自分はドラッグ反対論者ではありません。また、賛成論者でもないです。

始まりは、アメリカだった。
当時、自分はカリフォルニアに留学していた。今から考えると親の援助できているのに何て申し訳ないことをしていたのだろうと思うが当時は自分も若かった。それに、もともと対人恐怖的で神経が過敏だったので文化のギャップに苦しみ、いつのまにか引き篭もるようになり大好きな音楽と薬に明け暮れていた。
住んでいたアパートはサンフランシスコのほぼダウンタウンにあった。冬は少し寒いけど一年中気候も温暖で坂の多い良い町だった。
ただ、変態が多い、笑。
なにしろ、今はどうかわからないが人口70万人中15万人が同性愛者だ(←アメリカ素描、司馬遼太郎著で知った)。
外に出ると必ず女装したオカマやら目がやたらキラキラしたかっこいい男を目撃する。
しかしみんな陽気で明るい。ホームレスまで陽気だったりする。笑顔を向けると笑顔が返ってくるし、知らない人でも目が合うと挨拶を交わしたりもする。そういう点は凄く良かったと思う。日本人は自分も含めて目が死んでいる人が多いし、そういうのって周りの人の気分も暗くさせると思う(しかし自分は決して手放しのアメリカ好きではない)。
日本のように四季もないから気分のメリハリもなくなっておかしくなってしまっているのかなぁ〜とか初めは思っていたがそんなギャップもしばらくすると当たり前になってきてしまって刺激がなくなってくる。

脱線してしまった・・・あの頃の事で書きたいことがたくさんあるんだけどそれはまたいつか書くとして話を元に戻そう。
友人Mとのことだ。
結局、数年前自分は精神的に徐々におかしくなっていく過程でMと罵詈雑言の言い合いをしてしまったのだ。薬でぶっ飛んでしまっているので言ってはいけない事までブレーキをかけずに言ってしまっていた。今から考えてみると本当に友人や他の大切な物をたくさん失ってきてしまった。しかし、自分はこれを薬のせいだとは思っていない。結局、自分が、自分の心が弱かっただけなのだ。
友人Mとはある時期は悪友だったが今はうまくやっていけそうな気がする。お互い歳をとって成長したのかなぁとも思うが元々は親友だったし二人とも相手に対して申し訳ないことしてしまったと思っていたのだろう、口には出さないが・・・。
しかし数少ない友達が戻ってきてくれて嬉しい。
雑談した後、Mは昔中米を旅している時に買ったジャンべというアフリカの太鼓を持ってきていたので(Mはボリビアで十年間アフリカに居たというドイツ人にジャンべを習っていたらしい)一緒に河原に行って太鼓を叩いた。自分はボンゴを持っていった。お互いあんまりうまくはないが何か良いバイブレーションを醸し出しているように感じた。河原で散歩していたおじちゃん・おばちゃんが不思議そうに見ていた。う〜ん・・・やっぱり浮いていたのだろうか・・・。






2001年11月07日(水) 悩みと自分

う〜ん・・・悩みは尽きない・・・。
思えばここ十数年間ずっと悩み続けている。
しかも年齢を重ねるにつれてだんだん悩みは深くなり、複数の悩みが複雑に絡まりあって、そのうち何で悩んでいるのかその元の原因すらわからなくなってしまっている。
これだけずっと悩んでいるといつのまにか悩んでいる自分が本当の自分になってしまっていて悩みがない状態に陥ると逆に不安になってしまう。

よく、本を読んだりしていて、自伝のような感じで自分の歴史を冷静に振り返って自分の心の動きを正確に読み取り、何が問題でどうしたら良いかを考えて実行し、うまく問題を解決していったというような内容を見ると「凄いな」と思ってしまう。
人間、誰しも悩みはあってこの過程を繰り返していきながら成長していくんだろうなぁとも思うが、成長するということがどういうことでどういう意味を持っているのかもわかっていない自分が居たりもする。
まず、自分の心を冷静に読み取っているのが凄いなと思う。
自分はそれができないのだ。
ある事が起こったとして、自分の場合は自分の中の欲求や偏見、プライド、トラウマなどにより歪んで受け止めてしまったりすることが多い。
だからその後の過程、つまり問題を分析して解決策を考えてもうまくいかないのだ。
これを繰り返していくから悩みが泥沼化し、四面楚歌出口無しの状態に陥ってしまうのかなと思ったりもする。
でも、その本を書いている人も時間が経ったからこそ冷静に振り返ることができるのだろうなぁとも思う。実際、ある事件が起こっている時に自分が取り囲まれている状況を常に冷静に感知するなんて至難の技だし、そこまで感情を殺して生きていても面白くないだろうと自分では思ったりする。
だからこの日記では自分の過去を今、冷静に振り返って見たりするような内容もちょくちょく書いていけたらなぁ〜と思っています。

この前、小林よしのりの戦争論2が出ていて読んでみた。パート1も面白かったがこれも面白かった。
やっぱり自分が住んでいる国についても自分についても過去を否定するということは現在の自分をも否定することに繋がってきてしまうと思う。
自分自身は自分の過去を肯定して自分を許してあげようと努力したりしてみるがこれが結構難しい。
自分が良くても社会や会社やその他自分を取り巻く環境が許してくれなかったりする。
こう情報が氾濫してくると何が本当で何が嘘なのかがまったくわからなくなり、情報に押し潰されて精神病んでしまう状態になってしまうことも多いと思う。
自分もその中の一人で、これからどうすればより良く生きれるのかを頑張って模索していかなきゃと思う。
もういい歳だし・・・涙。

なんだか堅い内容でさらに長くなってしまったけど実はヘラヘラしててチャランポランだったりもするのでどうか大目に見てやってください(←自分を許そうとしている、笑)。AB型なもんで、笑。
さ〜て、寝るかなっと。


2001年11月06日(火) 初日記

はじめまして。アルと申します。つぶやきチャットでひたすらつぶやいているのもなんなので日記を書くことにしました。

う〜ん・・・基本的に日記というよりは独り言というかエッセイというか・・・どんな内容になるかは自分でもわからないのですが、その日自分に起こった事はもちろん、過去の体験談やふと感じたこと、考えたことなどをなるべく放送禁止用語を用いないように(笑)書いてみたいと思っています。

どうぞよろしくお願いします。


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