アルの日記
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2001年11月27日(火) コンプレックスの処理

突然だがコンプレックスを上手く処理できなかったために泥沼状態に陥ってしまったり精神的・神経的な病にまで発展してしまったという人は意外に多いのではないのでしょうか?
かく言う私自身もその中の一人でありました、涙。
今、振り返ってみると昔の私はコンプレックスの塊のような人間であったような気がしていて、さらにそれは甘やかされて育ったことによる根拠のないプライドの高さにより助長されていたように思うのです(深く追求していくと親・親戚、友人、教育、日本社会・文化などなど際限なく繋がっていってしまうのでここではあまり言及しないことします)。
誰でもコンプレックスはあるものだし、今でも私はその影響下にあるわけですが、何て言うんでしょう・・・コンプレックスに対するアプローチの仕方が変わってきたことによってかなりより良く生きれるようになってきたなぁ〜っていう感じがしているのです。
結論から言ってしまうと、コンプレックスはその人自身が真面目に向き合うべき課題であり、人生の目標みたいなものにもなり得るんじゃないかなぁ〜・・・って思ったりしています。

よく言われているように、陥りやすいものとして3つのコンプレックスの処理の仕方がありますよね。
他を引き下げる心理、自己卑下の心理、反動形成ですね。

他を引き下げる心理と言うのは例えばひがみのようなもので「あいつはモテるがルックスが良いだけで性格は災厄だぜ〜」とか言ったりして自分の本心である「くやしさ」(=コンプレックス)を満足させようとする心理ですね。
でもこれは例えば、たまに居酒屋で上司の悪口を同僚と言い合ったりして溜まったストレスを発散させたりするようなモデレートなレベルでなら問題ないと思うのですがやっぱり行き過ぎてしまうとまずいような気がするのです。

自己卑下の心理と言うのは自身をなくして自分を責めてしまうわけですね。「あ〜、私は駄目な人間だ〜、人が簡単にできることが自分にはできない〜」(←かつての私、笑)とか生まれてすいません状態や鬱状態になってしまったりしてしまうのですね。
極端な人というのはこの「引き下げの心理」と「自己卑下の心理」を病的に行き来したりしてしまう傾向があると思うのです(←これもかつての私、笑)。
うまくバランスを取ることができずに逆の極端を走り続けてしまうのですね。

そして反動形成。
たとえば本当は大嫌いなのに大好きな「ふり」をしてしまったりすることですね。
これは厄介でした、涙。
世間知らずで無知で井の中の蛙であったのにいっちょ前にプライドだけは高く、素直になれなかった私はこの処理をしてしまって大変な目に会いました。
人を欺いているつもりが結局は自分をも欺いてしまうということになってしまうのですね。
そう、行きつく先は分裂なのですね。
あ〜、つらかったぁ〜・・・・・・あんまり良い思い出ではないので詳しくは語れないのですが・・・・・やっぱり素直が一番ですね、笑。

う〜ん・・・たかがコンプレックス・・・されどコンプレックス・・・処理の仕方によってずいぶん人生って変わってきてしまうもんだなぁ〜・・・なんて考えちゃったりしています。
以上、ふと思ったことを書き綴ってみました。
チャオ〜!






2001年11月25日(日) 英語コンプレックス

あぁ〜・・・ショックだ・・・。
今日はかなり落ちこんでいる。
はぁ〜・・・もう駄目だ・・・気力がない・・・。
あぁー・・・あぁあ〜・・・うっうっうっ・・・涙。

はぁ〜・・・今日はTOEIC受けてきた。
英語にはかなりのコンプレックスがある。
そのコンプレックスの元を辿ると昔、アメリカ留学時代にケチョンケチョンのボコボコに完膚なきまで打ちのめされていたからだろう(やや遠い目)。
帰国後数年間、旅&友人との手紙のやり取り(←ごく稀)以外はまったく英語に触れることなく過ごしてきてしまったが最近はまた勉強を再開していたのだった。
それゆえ資格試験なんて受けたことがなかったが勉強を推進するバロメーターとしてちょくちょく受けるようになったのだが・・・今日のTOEICで撃沈してしまったみたいなのだ、涙。

ふぅ〜・・・でもけっして英語が苦手というわけではないと思う。
一応、前に受けたTOEICでもAランクだった。
しかし、前彼女もそうだったが自分の周りには英語ができる人が多いのだ。
それゆえずっと自分の駄目さに引け目を感じてきたのだった。
しかも勉強すればするほど自分の駄目さに改めて気付かされてしまう。
英語力なんてそんなにすぐUPするわけではない。
結局は地道にずっと勉強し続けるしかない。
それはわかっているのだが・・・はぁ〜・・・・・(←溜息)。

英語ができる友人達は口をそろえてTOEICは簡単だと言う。
彼ら(彼女ら)は実際、試験終了二十分前くらいにはもう問題を解き終わってしまい、ほぼ満点近いスコアを叩き出している。
確かに語彙力もそんなにいらないし、色々なレベルの人を対象にしているため、簡単な問題もたくさん含まれているとは思う。
しかし自分は決して20分も時間が余らない。
っていうか前回は多少余ったが今回は足りなくて全部は終わらなかったのだ。
全然集中できなくて試験中ふと違う事を考えてしまったりしていた。
それゆえ今、かなりのショックを受けているのです・・・。

う〜ん・・・最近日記書き始めたりして頭の中がずっと日本語モードになっていたからだろうか・・・でも一応昨日は日記を書かずにあえて英語漬けになっていたのに・・・。
あぁぁ〜・・・・・駄目だ・・・・・いい歳してたかが資格試験ごときにここまで落ちこんでしまうとは・・・・・泣。

ふぅ〜・・・まあいいさっ、今日だけ落ちこんでまた明日からまた新たな気持ちで頑張ろうっと。
しかし・・・・・はぁ〜・・・・・。
(↑さっきからずっと落ちこんでは自分を励ましてを繰り返している、笑。)












2001年11月24日(土) 不器用であるということ

ふぅ〜・・・食った・・・・・そして飲んだ。
あとは寝るだけか・・・と思ったが日記書いてなかったのを思い出してしまった。
書かねば。

今日も突然、友達から電話がかかってきて飲みに行った。
三ヶ月ぶりに会った友人であったがかなり楽しい時間を過ごせた。
なんか最近、友人ラッシュのようでちょっと孤独症だった俺には喜ばしい日々が続いている。
友達少ないなぁ〜って思ってたがそれは自分の思い込みだったみたい。
自分から連絡するということはほとんどなくなってしまったがちょくちょくメールや電話をかけてきてくれる人もいる。
う〜ん・・・結局、自分の内側にエネルギーを注ぎすぎて奥に奥に入りすぎていたのかな・・・そんで勝手な思い込みや妄想で切り捨ててしまっていたのかもしれない。

自分にはそういうところがある。
何か心の奥底でやりたいことを抱えているとそれを実現するために敢えて入ってくる情報を遮断してしまうのだ。
もともと神経が過敏にできているせいかあらゆる情報を拾ってしまうため、そのままではその「何かをやりたい」という衝動に従うことができないのだ。
っていうか遮断しなければその正体が何なのかさえもわからなかったりするのだ。
もともとあれこれたくさんのことを一遍にフレキシブルに遣り繰りすることができる性格ではないのである。

前の彼女と別れた原因も恐らくそのことが関係している。
あの時は「やりたい」というよりは「やらねば」って感じだったと思う。
そしてその心の声を実現させるために自分にハードなメニューを課していくようになって周りのことから離れていってしまったのだ。
う〜ん・・・相変わらず極端な人間だ・・・バランスとるのが難しいよ。
このプロセスは恐らく音楽やってたことが関係しているように思う。
つまり、普段は情報にさらされていて生活している→何か感じてそれがだんだん大きくなっていく→情報を遮断して余分な情報を削ぎ落としていき、感じた感覚を浮き彫りにしてそれを形にする。

う〜ん・・・俺ってエゴイストなのかなぁ〜・・・・・う〜ん・・・思いやりのない人間なのかなぁ〜・・・・・う〜ん・・・・・わからん・・・よくわからん。
あぁ〜・・・「あっち」の世界と「こっち」の世界を縦横無尽に行き来できるような器用さが欲しい、涙。

もう寝るっ!



2001年11月23日(金) ティーンの頃

ふぅ〜、今日はちょっと自分が10代だった頃のこと(かなり昔)を簡単に振り返ってみようと思う。
今の自分とはちょっと断絶しているような気がするんだけど、やっぱりルーツはあの頃にもあるはずなので整理する意味でちょっと書いてみようと思う。

まず、小学生時代。
う〜ん・・・・・あんまり覚えてないんだけど、小学校高学年の頃は・・・何て言うんだろう・・・まあ、かなり外交的でやんちゃな少年だったと思う。
クラスのリーダー的な存在でいたずらばかりしていた。
授業中は発表魔でよくわからんのに手を挙げてはくっだらないジョークばかり飛ばしていた。
でもちょっとシャイで赤面症だった。

そして中学生時代。
・・・思えば悩みはここら辺りから始まったように思う。
思春期に突入して自意識過剰になり、性格も内向的になっていった。
パソコンをゲットしてゲーマーになり、音楽にのめり込んでいったのもこの頃。
で、悩みというのは女性恐怖症。
いっちょまえにスケベ心は人一倍あったのだが自意識過剰であったので女の子を意識しすぎてうまく接することができなかった。
自意識過剰というのは他意識過剰でもあるのでとにかく意識し過ぎてしまうのだ。
原因は・・・まあ、母親に殺されていたというか過保護にされすぎていたというか・・・う〜ん・・・それもあったのかもしれないけどあんまりしっくりくる理由ではない。
ん〜・・・未だに理由はわからないっていうのが本当のところだ。
そしてその女性恐怖症には二十歳過ぎまで悩まされることになる。
でも、中学三年生の頃に何故か彼女ができた。
話したこともなかったんだけど突然、告白されて付き合うことになった。
う〜ん・・・何でだろう・・・・。
高校生の頃もそうなんだけど何故かクラスの女の子の中のリーダー的存在の子にどうも好感を持たれるみたい。
自分は女性恐怖症でシャイで赤面症なのだが、多分、そういう女の子って人一倍母性本能が強そうだからなんか駄目駄目で可愛い〜とでも思われたのだろうか・・・う〜ん・・・謎だ、笑。
その彼女とは高校に入ってからも付き合ってたんだけど結局は半年くらいで破局。
もちろん振られた、涙。
あたりまえだよ、だって女性恐怖症なんだから・・・・・。

余談だが、だいたい中学生くらいから友人達はH本やビデオを買っていて、もちろん俺もたまに買っていたのだが、よく行ってた古本屋で厳選(!?)した本をレジに持っていくと、店のオヤジがニヤリと笑って「・・・ほどほどになっ・・・」って毎回言われながらも売ってくれていた。(←あぁぁあああ〜、はずかし〜・・・しかし真実に目をそむけてはならんのだ!笑)

そして、高校時代。
学校はそんなには休まなかったのだが朝起きれんのでだいたい遅刻していって途中で抜け出して近くの溜まり場の店に入り浸ったりパチンコ行きまくってたりしていた、笑。
もちろんクラブ活動などやらずに音楽漬けだった。
そんなわけで勉強もできるわけはなく、赤点四天王の一人であった、涙。
友人も数人高校辞めちゃうし、あの高校行ってなかったらもっと良い人生を生きていたはずなのだが・・・・・まあでもそれも運命として潔く受け入れることにしよう。
そして相変わらず女性恐怖症に悩まされていたがまた三年の時に彼女できた。
あの時は友人が勝手に話を進めちゃっていてもう俺が告らなきゃならないような状況になってしまっていた。
勇気を出して初めての告白であった。
う〜ん・・・でも全然話したことなかったのに・・・・・。
彼女もやっぱりクラスの女の子のリーダー的タイプだった。
そして案の定、半年で破局。
あたりまえだよ、だって女性恐怖症なんだから・・・・・・。

ふぅ〜・・・急ぎ足で書いてしまったがだいたいこんな感じのティーンだったと思う。
これ以降の事はまたそのうち振り返って書きたいと思う。
さあ寝よっと。

※軽〜い感じで女性恐怖症と書いてしまったが、今までの人生の中で道を踏み外すきっかけとなった出来事はすべて女性関係であったので自分にとってはかなりの悩みだったのだ。この辺のことを書くのはかなり勇気がいるがそのうち書けたら書きたいと思う。自分のためにも。










2001年11月22日(木) 酔っ払いのたわごと

ふぃ〜〜〜・・・酔った酔った・・・。
いやぁ〜〜〜エネルギー充電!!!
今日は友人と飲んでた。
う〜ん・・・世の中上手くできてるもんだなぁ〜〜〜まったく。
昨日までエネルギー低下してたと思ったら今日は久々に会う友人が突然訪ねてきてくれた。
いやいやいや〜、やっぱり音楽や本や映画やペットや植物や旅行でも癒されるけど人間による癒しはそれらをはるかに凌駕している!
って実感した一日だった。
う〜ん・・・最近心を入れ替えて日頃の行いを改めていたからかなぁ〜〜〜・・・う〜ん・・・やっぱり神は俺をまだ見捨てていなかったぁ〜〜〜笑。

はうっ!!
いかんいかん!
ここで気を緩めてしまっては元の木阿弥だ。。。
明日からはより一層気を引き締めていかねばならん。
神は自ら助くる者を助くのだ!
人に優しく自分に厳しく・・・。
ただ精進あるのみ・・・。(頑張れ、自分!)

今日はお好み焼き屋に行った。
そこのお好み焼きは美味い上に焼肉も食える。
しかもそこのハラミ(塩)はメチャクチャ美味い。
しかも安いのだ!
自分としてはもんじゃの方が好きなのでお好み焼きはあまり食わないのだがそこのは美味いのでつい食ってしまう。

もんじゃ・・・もんじゃと言えば月島が有名だが最近は全然行ってないなぁ〜。
一時期は大きめの有料駐車場があったので良かったんだけどあそこも潰れちゃったみたいだし。
車止めるの苦労するんだよなぁ〜、あそこは。
まあ、都内はどこでもそうだけど・・・。
駐車料金も高過ぎだよ、まったく。(←じゃあ電車で行けよっ!!!)

今日会っていた友人は高校時代の親友。
う〜ん・・・今思うとあの頃の俺って友人多かったような気がする。
あんまり昔の事って覚えてないんだけどそうだったような気がする。
まあ、その大半は、ろくなことしない連中だったが・・・。
休み時間は教室でくわえタバコで賭けトランプやってたり、必ず朝は遅刻してさらに途中で学校抜け出して近くの溜まり場の店にたむろするかパチンコの新装開店に行ったり・・・。
う〜ん・・・そうそう、クラスの男15人くらいで学校休んで前日の夜からスロット屋に並んで全員大勝して飲みに行ったあとストリップ行ったり・・・笑。
ほのぼのとした平和な時代だったなぁ〜・・・。
でも俺、過去の記憶ってあんまりなかったりするんだよなぁ〜。
何でだろ・・・?
う〜ん・・・薬ってのもあるかもしれないし・・・あまりにも自分にとってトラウマチックな事が多かったので抑圧してしまったのかな・・・。

ちょっと明日の日記で振り返ってみようっと。
今日はもう寝なきゃ。
じゃっ!


















2001年11月21日(水) エネルギー低下

あ〜ぁ〜・・・しんどい・・・。
なんだかエネルギーがなくなってきている。
午前中に派遣会社から前聞いていた仕事のオファーの電話がかかってきたのだが気力がなくて出れなかった。
あんまり興味ない内容だったので断ろうかと思っていたのだがその断るためのエネルギーすらなかった。
なんだか居留守使ってしまって先方に申し訳ない。
でもやっぱりこの不況下でも妥協はしたくはないなぁ。
まあ、そんなこと言っている立場ではないのはわかっているんだけど・・・。
とりあえず対人関係的にあまり負担のない、できればごちゃごちゃした雰囲気でないところでないと性格上難しそうだし。
あ〜あ〜、どこかきれいな自然がある所ででっかい温泉着きのログハウスに住みたいなぁ〜・・・早朝はイワナ釣りに行って庭で有機野菜とか作ったりしてスタジオ兼オーディオルームも作って仕事場は書斎、みたいな・・・←ひそかな目標。

今日は一歩も外に出ていない。
起きた瞬間から疲れていたので少しネットやってから毎日こなしているメニューを休んで本読んだり音楽聴いていた。
う〜ん・・・やっぱり音楽は癒されるなぁ〜・・・。
今日、聞いていたのは主にブラジルのもの。
例えば、
Marisa Monte(マリーザ・モンチ)のAinda lembro(アインダ・レンブロ)
Itamara Koorax(イタマーラ・コーラックス)のMenina Flor(ミニ−ナ・フロール)
Arto Lindsay(アート・リンゼイ)のNobody in bed
パトリシア・マークスのショランド・ノ・カンポ
他いろいろ。

あとはフレンチボッサのディディエ・シュストラック。
そして今年のフジ・ロックにも来ていたと思うんだけどリッキ−・リー・ジョーンズの十年くらい前のアルバム「Pop Pop」。
このアルバムはいいねぇ〜・・・カバーばっかりなんだけどすっごいアルファー波が出てきちゃう。
気持ち良い。うとうとしてしまう。
他のアルバムも何枚か聴いたことあるんだけどこのアルバムがベストかな・・・っていうかこのアルバム以外良くなかった。
やっぱり新旧国籍関係なく良いものは良いのです。

そういえば昔大好きだったFree soulシリーズの橋本徹氏が編集してるカフェ・アプレミディも十枚くらい持っているけど全然聞いていない。
良い曲も結構入っているんだけど、なんていうかあの手の六十、七十年代の音って昔大好きだったから聞き過ぎてしまっていてなんだか飽きてしまったのかな・・・。
う〜ん・・・音楽話しだしたら止まらなくなる上にきりがなくなってしまうのでこの辺で止めておかねば・・・。
はぁ〜・・・なんかいいエネルギー溜める方法ないかな〜・・・。
まあとにかく明日のために寝なければ。





2001年11月19日(月) 思考停止

う〜ん・・・今日は停滞気味だ。
さっき読書中うとうとして眠ってしまった。
本読んでても全然ページが進まない。
文字を追っててもすぐ頭の中で違う事が浮かんでしまってあれこれ考え込んでしまう。
いかんいかんと思ってまた読み始めてもすぐにまた違う事が浮かんできて考え込む。
集中力が散漫になっていて意識が低下している。
頭がぜんぜん回らない。
仕事探しもここのところ停滞しているし・・・。
でも思考を停止してしまってはいかんので頑張って日記を書こうと思う。
支離滅裂でわけのわからない文章になってしまったらごめんなさい(To:読んでくださっている皆さん)。

思考を停止していた時期があった。
考えることを止めてしまえば楽になれるかもしれないと思った。
人に合わせてただ流されて流されて自分を消してしまえば楽になれるかもしれないと思っていたのだ。
周りの人すべてが羨ましかった。
みんな普通のことが普通にできるのに何で俺はできないんだろうって。
自分だけ何でこんな駄目人間なんだろうって思っていた。
親のせいにしたこともあった。
人のせいにしたこともあった。
社会のせいにしたこともあった。
日本のせいにしたこともあった。
でも、心の奥底で「なんか違うぞ、なんか違うぞ。」っていつも思っていた。
そう、やっぱりその心の声は正しいのだ。
前付き合っていた彼女に「アル(HN)はあともうちょっと、ほんのちょっと考え方を変えられたら楽になれるのに・・・。」って言われたこともあった。
しかし、自分の抱えている問題は人にはわかり難いのです。
いくら人から普通に見られていてもやっぱり自分は問題を抱えているのです。
そしてその抱えている問題に直面していかないかぎり状況は好転しないのです。

そう、やっぱり自分に課された課題から逃げちゃ駄目なのだ。
心の声に耳を傾けて、考え、実行していくという試行錯誤のプロセスを繰り返し行っていくしかないのです。
そして個性、独自性というのはその過程の中で生まれてくるものなのだと思うのです。
けっして自分の感覚(心の声)を離れて生まれてくるものではないと思うのです。
それゆえ少なくても自分は思考を停止してしまってはやっぱり駄目なのです。

フロイトもユングもそれぞれ神経症、分裂病という問題を抱えていてそれを治そうとして試行錯誤を重ねてそれぞれの理論を確立した。
僕は分裂症的だったのでユングの方に共感を覚えるんだけどやっぱり人それぞれの個性によって合う合わないの相性があると思う。
内観療法やら、森田療法、論理療法、来談者中心療法、箱庭療法、音楽療法、ゲシュタルト療法etc etc・・・カウンセリングの理論はいっぱいあってどれもある程度の効果は自分に与えてくれるけどやっぱりそれ以上は行かないのです。
一人一人の個性は枠を作ればくくることはできるかもしれないけど似ている人間同士でもやはりどこかが違うのです。
だから結局は僕はそれらを参考にしながらも自分で自分の治療法を確立するしかないのです。
他力本願だけではいけない。
だから僕はこれからもずっと心の奥深くに眠っている自分の声に耳を傾けて考えて、悩んで、試行錯誤を繰り返さなきゃならんのです。

う〜ん・・・まあでも結局はただ悩んでるのが好きなのかな・・・俺、笑。






2001年11月18日(日) 温泉の水と良い事

いか〜ん!
毎日欠かさず更新していたのに一日空いてしまったぁ〜〜〜。
う〜ん・・・まあでも忙しくて書けない時だってあるのだ!
俺は気にせん!気にせんぞぉ〜!極端はいかん!(←解説:完璧主義・キッチリズム・強迫観念に支配されていた昔の自分を思い出しながら格闘している、笑)

昨日は本屋に行った。
家の近所には中規模の本屋が5、6軒あるのだがそれでもやっぱり品数が少ないので大きい本屋にちょくちょく行く。
よく行くのが神田の三省堂(近くの楽器屋もついでに寄る)、日本橋の丸善(洋書の数が多いのだが売り場面積が小さくなってしまったようだ。あと、近くにある居酒屋のランチメニューであるマグロのヅケ丼定食がお気に入りだったりする。味もボリュームも値段(680円)もエクセレントだ。)、あとは川口の書泉。
昔、渋谷で働いていた頃はブック1stに寄ったりしていたが最近はめっきり行っていない。

で、昨日は車で川口の書泉に向かった。他の二件よりも多少家から近いのだ。
川口に着いてからデパートの商品券を持っていたのを思い出して予定を変更してそごうの中にある本屋で本を三冊買った。
車に戻って助手席の上に置き忘れていた携帯電話をみるとメッセージが一件入っていた。
「・・・温泉の水いらな〜い?・・・」
う〜ん・・・シンプルでストレートなメッセージは友人Mからだった。
Mは山の中で自然に囲まれて生活したいらしく、ここ1週間くらい場所探しに奔走していて長野に行っていたらしい。
そしてその夜会うことにした。

「温泉の水か〜・・・もしかしたら風呂桶一杯分持って帰ってきたのか?う〜ん・・・Mならやりかねん・・・。」
と思っていたのだが500ccのペットボトルに汲んだ飲める温泉の水だった。
何度か飲める温泉の水を飲んだことがあるがこのMが持って帰ってきた物にはかなりびっくりした。
何ていうかレモン水の味がして後味が少し渋くてしびれる感じ。
たまにそういう味のする温泉があるらしいのだが俺はその存在自体知らなかったので感動してしまった。
色は無色透明なのだが熱すると赤くなり、緑茶にほんの少し垂らすと緑茶が黒くなる。
何に効くのか忘れてしまったが、毎日少量しか飲んじゃいけないらしい。
しかも寝る前は駄目で朝飲むのが良いみたいだ。
今日もさっき飲んだのだが何か効いてる感じがする。
おいしい・・・・・がほんとに飲んで大丈夫なのか!?

そして旅の写真の現像が終わっていたのでMに見せてもらった。
Mはどこの国だかわからないが前々回くらいの旅で知り合った日本人の彼女と一緒に今回はアジアの国々を1年ほど回ってちょっと前に帰ってきたのだった。
写真とはいえMの彼女を見るのは初めてだったが・・・う〜ん・・・可愛い・・・Mの好きそうな繊細で純粋で性格の良さそうな感じがにじみ出ていた。
「ちくしょうめ〜」
俺はつぶやいた(←もちろん心の中で、笑)。
他の写真はまあ風景やら生き物やらバカやってる写真(ネパールの山で刈ったBudsガンガンのいかにも効きそうな大量のハッパやら色々な種類のマッシュやら)。
ん〜・・・・・相変わらずフリークだ・・・笑。
そういえばあの彼女の明らかにハッパで浄化されたような目や表情を俺は見逃さなかった・・・。

まあ、そんなことはどうでもいいとして、今回彼らは鉛筆をバックパック一杯に詰めて持って行き、各地の小学校などで配っていたらしい。
草の根的なところで良いことをしている人は結構多いのかもしれない。
けっして変な観念を持って押し付けがましくやってるのではなく旅の数ある目的の一つとして楽しんでやってるところがいいね、って思った。
そういえば俺も昔インドのカルカッタでボランティアをしようとしてサダル(←安宿街のある通り)から徒歩でマザーテレサの家に向かったことがあったのだが結局たどり着けずに終わってしまった。近かったはずなのに・・・。
う〜ん・・・俺は好奇心+自慢できそう、みたいな心が多少なりともあったのでこの世界を司る見えない何物かが俺がたどり着くのを阻止したのだろうか・・・笑?
はははっ、それはないか・・・。
結局、人間なんてそんなピュアできれいな生き物ではないのだ。
一人の人間の中に良心も悪意も混在するのが自然なことであり真実なのだ。
まあ、一部の聖人は別なのかもしれないが・・・。
要はバランスの問題。理性の問題。

思うんだけど自分が八方塞で苦しくてどうしようもなくなっている時はせめて自分の回りにいる人に自分ができることを考えてしてあげるっていうことはかなりの効果があるように感じる。
自分の内側にエネルギーを注ぐのではなくて外に向けてみることも必要なのだと思う。
Pay it forwardって映画があったけどあの中で誰か3人に自分ができることをしてあげてさらにその3人がそれぞれまた3人の人にできることをしてあげてどんどんその恩を回していくっていう、あれはやっぱり現実には無理なのかなぁ〜・・・。
最後ちょっと悲しかったし・・・。
う〜ん・・・・・結局、悪いことをしたら悪いことが何らかの形で帰ってくるし、良いことをしたらまたそれも良いことが何らかの形で帰ってくるっていう当たり前のことが実は凄い重要だなぁ〜ってつくづく思うんだけどその当たり前のことってほんとに難しいのかな・・・。
う〜ん・・・・・悩みは続く・・・・・笑。







2001年11月16日(金) 過去との連続性

ふぅ〜、今日は朝起きれた。
しかもそれからずっと起きている。
さらに夜にはランニングまでした。
一見完璧な一日のように思える。
がしかし・・・自分に課しているメニューがこなせていないのだ!
こんなんではいかん。もっと頑張らねば・・・。
まあでも前進はあったということでとりあえずは自分を褒めてあげることにしよう。
ということですでにビール三本目に突入している、笑。

十一月ももう半ばになってしまった・・・。
時が経つのは早いなぁ〜。
二十歳を過ぎてから時間の進み方はだんだんと早くなり二十五を超えるとまたさらに加速されていく・・・。
しかし、周りは順調に歳を取って行き、自分だけが取り残されているような感覚を覚える・・・・・・っていうような感覚は最近なくなってきた。
何でだろう・・・開き直ってしまったのだろうか・・・。
まああんまり人に会わないような生活をしているからかもしれない。
う〜ん・・・もっと焦らないとならないかもしれないがまあ焦ってしまったら逆に状況が悪化してしまいそうなのでしばらくはこのままのペースでいいかなっとも思ったりする。
こんな状況にいられる自分はやっぱり幸せなのかもしれない。

自分の価値観、そう、自分の価値観。
自分がいて家族がいて社会があって日本があって世界があって地球があって宇宙があって・・・そこまで範囲を広げるかどうかはともかく全体の中における自分を意識できるかどうかが大切なような気がする。
現代の日本は「個」と「公」が分離してしまっている(小林よしのり談・戦争論1&2←両方お勧めです)。
「個」が完全に孤立してしまうと現実感覚を失い狂ってしまって残忍な殺人者になってしまったり自殺してしまったりどうしようもない状況に陥ってしまったりする。
日本も個人主義化してるとは言え欧米のそれと日本のそれとはまったく別種のものなのです。
自分は明らかに日本人なのに何故か昔から日本人であることに誇りを持てなかったのです。
そんな人間にやれグローバルだぁ〜、インターナショナルだぁ〜・・・そんなことは無理なのです。
ナショナルからインターナショナル・・・これはやっぱり正しいと思う。
だから自分の国の文化を大切にすることは重要だと思う。
それは自分自身をも大切にするということに繋がってくるのだと思う。
過去との連続性・・・・・そう、自分も日本も過去と断絶してしまっている。
やっぱり失ってしまった何かを取り戻さなければこの国は本当に危ないと思う。
自分は現在ちっぽけで無力で四面楚歌出口なし泥沼状態なのだがずっとそういうことを考えてしまっている。
う〜ん・・・自分はどうやって社会と、日本と、世界と、地球と、宇宙と、繋がっていったらよいのだろう・・・・・。
う〜ん・・・悩みは尽きない・・・笑。













2001年11月15日(木) 心の声を聞く

う〜ん・・・今日も朝起きれなかった・・・。
と言ってもまぁ一回八時半に起きることは起きた。
でもベッドに入ったまま日課にしようとしている千葉テレビのBBCニュースを英語で見た後、ベッドから出る気力が沸かずそのまままた昼過ぎまで寝てしまった。

朝早く起きると普通はすがすがしいものなのだが自分は「人々が活動し出す音」を聞くのが嫌だったりする。
無職である自分に焦燥感と絶望感を与えるからだ。
しかしそんな感覚も歳を取るにつれ、無職歴を重ねるにつれてどんどん薄れてきているように感じる。
要するに現実逃避度が増しているのかな・・・。
う〜ん・・・このままの勢いで逝ってしまうと社会復帰ができるのかどうかが不安だ・・・。

独りでずっといると自分とずっと向き合わざるを得ないのでうまくバランスを取らない限り精神がおかしくなってきてしまう。
自分とずっと戦い続けても勝ってこない。
まあ、即身成仏できる人は別だろうけど・・・。
やっぱり社会の中での自分の居場所を持たないとずっと駄目なままのような気がしている。
その居場所を手に入れるのは自分のような精神に問題を抱えている人間には難しい。
しかしやらなければならん・・・早くアイデンティティを確立せねば・・・。

思うんだけどまだネットや携帯のメールがあって人と繋がれるだけ良いのではないかと思う。
もしネットや携帯がなかったら独りっきりで篭って悩んでいる人はどうなってしまうんだろう・・・?
自殺者の数ももっと増えてしまうのではないだろうか?
同じように悩んで頑張っている人がいるのを知るだけでも症状はいくらかは軽くなるはずだと思う。
ここにこうして日記を書かせてもらってるけどこのHPには自分自身かなり救われてきている。
他にも自分の様にこのHPに救われてきた人ってかなり多いんじゃないかな?
そういう意味でもぱぴさんは凄いと思う。
引き篭もり100万人といわれるこの時代にかなりの人々を救っているのだから。

いい歳してやっと自分には何ができて何ができないのかが少しずつわかってきたような気がしている。
まあ、「自分にできること」というのは圧倒的に少ないのだが・・・笑。
自分にどんな才能があるのか(またはないのか)というのは実際に何かをやってみて初めてわかることだと思うのでとりあえず駄目元でもいいからチャレンジを続けていけばそのうち自分の居場所もできてくるのかなぁ〜と思っている。
でも年齢制限や学歴制限があったりするのはきついな〜。

まあいいさっ、ポジティブにポジティブに・・・本来ネガティブな人間である自分にいつもそう言い聞かせている。
人間いつかは死ぬんだからそれを常に意識した上でこれからどういう価値観を持ってどうやって生きていったら良いのかを自分で選択していこうと思っている。
死を意識したほうが生が充実する・・・自分の中のかなり奥深いところに住んでいる何物かがそう言っているのだ。

明日こそは早く起きねばならんのでもう寝よう。


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