2004年08月24日(火) 22才の登校拒否
あー。帰りたくないなー。というか作業したくない。一緒に何かをする事の楽しい面子ではない、雰囲気ではない。やる気のある人だけで勝手に進めて欲しい。人生最後の夏休みを無駄に奪われたくない。
私が本当に自分勝手な人間なら帰らなくて済むのにな、なんでそう育たなかったんだろう。小心者だからそこそこ参加します。でも残業はしません。来年残るから多少は知らなきゃいけないんだろうし。でもよく考えたら、来年引っ張る奴は今年から自主的に参加しているんじゃないだろうか。じゃあ、私はいらなくないか?
肩こりがひどい。この体勢は絶対こる。
2004年08月01日(日) ようやく気付いた
私は自分を否定することしかできず、肯定することを知らなかったから神経症になった。 神経症を持ち続けたままの生活に不都合を感じて、なにより苦しく感じたから、それを直す為に、自分を肯定できるよう変わろうと努力した。 何年か経って、ようやく私は自分を肯定できるようになった。 今の生活にほぼ満足して、自分の選択に責任を持って、自分自身を肯定するようになった。 だけど、私を助けるふりをして否定し続ける人が、私のすぐそばにずっといた。 それは私の母だった。 治療中から、まわりの人がそれとなく知らせてくれていたけれど、実感したのは今が初めてだった。 彼女は彼女が失敗したと感じているその人生に、私のそれを重ねて、私の選択と暮らしを否定する。 それは「親からの忠告」の形をとって私に服従をせまるものだ。 忠告は聞くけれど、私の選択は私のものだ。
2004年07月13日(火) 忘れるのは失礼ですか
ようやく恋人と別れることができた。とにかく別れたかったから「もう終わりにしたい、好きではない」とはっきり告げた。相変わらず「嫌だ、納得しない」(この恋人に対していつもも違和感を感じていたのだけれど、同意の上に成立する曖昧な関係は、片方が不同意の時点で不成立に変わるのだから、この言葉はとても的外れなのではないだろうか)と言ったけれど、私の意思が変わらないのを感じた途端に、私と私に関する時間を全て否定し始めた。好意的に解釈すれば見苦しい感情を恥を忘れて吐露するほど私に思い入れがあったのだろうけれど、どのみち別れるのだから悪態をつくところで意味が無いばかりか不愉快な思いをするだけなのに、それを経ることを選ぶ人は理性的ではないなと思った。前回の別れ話から恋人は感情を悪いほうに爆発させやすい人だという事と、一度その姿を晒したからか今回は躊躇無く思うがままをするのだなという事がわかっていたので、それで収まるなら楽な事後処理だと思ったけれど、やはりこちらも不愉快に感じることに違いないし、別れ際に相手の醜態を見なければならないのは辛い。恋人にしてみれば私の反応に手ごたえが無いのがなお更腹立たしいのかもしれないけれど、相手の寸劇につきあうほどの関心は無かった。
私の相手が悪いだけなのかもしれないけれど、今まで私から別れを切り出した人は皆、始めは「別れても友達でいられる」と言うのに、別れ際には逆上し、私を否定し、強がりを見せて自分のペースに持ち込もうとする。別れ際にかけひきごっこをされても見苦しい。私は付き合い初めから別れを想定していることを相手に告げて、先のようにならないかと必ず確認するのに、誰一人として本当のことを答えない。
私とて恋人に非を責めたいことはいくつかあるけれど、どちらかが一方的に悪いことはあり得ないので、非の責任は折半で良いし、だから責め合いなんていらないと思うのに、恋人は自分だけが傷つき、私に全て非があり、私は何も答えないから傷つかず、自分が責められる事項は無いと、一瞬でも感情に酔って忘れるのだろうか。だとしたら幻滅してしまう。幻滅する前に別れたいと思っても、皆、自らそれを招いていることに気づかないのだろうか。
物事の道理をわきまえた、もう少し多くのものを許せる人がいたらいいのに。
だけど天気は良いままで、彼氏とお弁当を持ってお昼を外で過ごし、午後は勉強して、晩はまた彼氏と過ごす、いつもと変わらない時間が流れ続けていて、別れはほんの半日前なのにもう忘れてしまいそうになるから、ここに記すことにした。(記したら気持ちの整理がついて、今度こそ忘れてしまいそうだけれど。)
やはり忘れるのは失礼ですか。
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