2005年04月25日(月) |
くたびれるダウナー母子 |
今朝の娘は強気だった。朝ごはんを食べているときから「ようちえんいかない」「ようちえんきらい」「おかーちゃんもいかない」「うかもいかない」「きょうはようちえんじゃない」と断言しまくり。
おとーさんも会社行ったでしょ。おとーさん会社、うかは幼稚園。言い聞かせても娘のへその位置は戻らない。そのあまりの迷いの無さに、こちらが揺さぶられる。休ませちゃ・・うわけにいかないよなあ。確かに風邪引きだけど、休むほどではなかろう?そんなカーサンの迷いが、娘に見透かされてるのかもしれないんだぞ。
娘が大好きなミッキーマウスのぬいぐるみを使った腹話術(いや、口をモロに動かしてる、ちっとも腹話術ではないな・・「うかちゃんボタン自分で出来るの?わーミッキーびっくりー」みたいな、馬鹿馬鹿しくも情けなくも娘コントロールに必須の技)で園服を着せ、どうにか幼稚園に行くことにはなったものの、門の手前でストライキ。カーサンの手をひっぱって、そりゃもう全身の力で、14キロ強の全体重をかけてひっぱって、「かえるーかえるー」と険しい目つきで主張する。
「うかはようちえんきらいだもん!」「じゃあ先生と相談してみよっか」などとお茶を濁しつつ、引きずるようにして教室の前まで連れていく。実際先生を目の前にしても「ようちえんきらい!」はますますエスカレート。他のお母さん方が「あらあら」と目を丸くしている。
レインコートを剥ぐように脱がせ(持ち帰ることになっている)、すがる娘の手をほどく。すかさず先生慣れた手つきで娘を膝に乗せ、「大丈夫ですよ」とカーサンに目配せ。よろしくお願いします。娘号泣。
ああ、土日挟んで気が抜けたのかなあ。風邪が治りきってないから、娘なりにしんどいのかなあ。先週先々週と調子よかったのに、3週目の月曜日は低調な滑り出しとなった。
しかし感情の起伏が激しいなあ>娘。カーサン自身があまりにぼーっとした子どもだったからか、あの激しさに共感できなくて申し訳ないような気持ちになる。娘の反応に距離を感じている自分を自覚してしまう。我ながら冷たいよなあ。
門を出て、カーサン役員のクラス代表を決めるじゃんけんで見事に負けて奇声を発したりしているうちに、娘は泣き止んで自分で上履きに履き替え、いつものおしたくに取り掛かっているのが見えた。
せっかく登園したんだ、楽しんでくれるといいんだけど>おとなの論理。
そう、今朝だけじゃないのだ。ここ数日、娘はいらついている。きいきいとなにやら主張する、それが正しくカーサンに伝わらない、更にきいきいと感情的になる。何言ってるのかもはやさっぱりわからない。翻訳の範囲を超えている。
カーサンの話もどこまで彼女に通じているのやら。言い聞かせるような言い方をすると「ハイ!」とヒステリックに投げやりな返事が返ってくる。なにかが暴れている、彼女の中で。3才でそんな目をするのか、とカーサン突き放した気分になることもある。
何が原因なんだろう。最近のカーサンのダウナー加減が娘に伝播したのか、それとも風邪で本調子じゃないからなのか、3週目にして園で外面を保つのに疲弊したのか。
・・・そっか、くたびれているのかね>気付くのが遅い。カーサンと一緒でダウナーなのか?それにしても激しいくたびれ方だねキミ。
あまりのきいきいぶりに「うっさいなー、返事もしたくなくなるわ」と正直うんざりでも、今はそれを娘にぶつけちゃいかん時期なのかな。こうして自分のダウナーぶりに任せて、ただ娘の嵐が過ぎるのを待っているけど、本当にそれでいいのかな。でも何言っても聞いちゃいないからな>娘。
なんていろいろ彼女が寝た後に考えても、実際は「ソウきいきい言いなさんな!」とつい声を荒げてしまっているんだけど。3才の娘のきいきいをうつされてどうするよ・・・35にもなってさ。
「うかもー、はやくー、さんじゅうごちゃいになりたーい」とかなんとか娘が言ってたが、そんないいもんじゃないぞ。大差ないんだから。
2005年04月24日(日) |
下手の考え休むに似たり |
ここ数日、どうあがいても悲嘆に暮れてしまう悪循環に沈み込んだ。風邪が治らないまま生理がきて、さらに娘が風邪を引いて大層ヤクザ化、夫が土曜日出勤というおいしい状況のおかげもあるが、よくよく考えてみれば幼稚園に通い始めて二週間が経ち、娘が園生活に慣れてきたのに比例して、カーサン人付き合いに多少気疲れしていたんだろう。あれやこれや重なった。
日曜日に復活できてよかった。カーサンの場合、時間がかかるけど、底まで落ちればあとは勝手に浮上してくる。渦中にいるときは、どこが底なのかわからない、今どのくらいの深さなのか判断できない、というのがネックだが、浮上してしまえば「喉元過ぎれば」ってやつだ。そんな手探り感も「思い出せ」と意識しなければ忘れてしまっている。
そうか、忘れてしまうから学習しないのか>ようやく気付く。上がり調子のときには記憶の揮発性が高く、下がってくると沈殿していた落ち葉までいちまいいちまい拾い上げ、表も裏もためつすがめつしているような気もするが。
そんな日もあるさ、なあ。
2005年04月19日(火) |
ハイチュウとかコーラグミとか |
幼稚園のお迎えの光景というものは、どこもこうなんだろうか。カーサン自分のときはもっとおおざっぱだったと思う。娘の園の場合、教室の前に迎えにきたおかーさま方が一列に並び、順番に1人ずつ園児の名前を呼び、その日一日の様子を先生が教えてくれる、その間に園児は靴を履き替え、という感じ。園の指導というか、方針でそうなっている。
並んでいるとき、列の前後のおかーさま方と自然と言葉を交わす。その中で1人、妙に波長の合いそうな人が。Aさん。お子さんはKくん、ナイーブなタイプとお見受けした。Aさん初対面だったのに、よそよそしくもなく馴れ馴れしくもなく、言葉を交わしやすい感じがした。
通園のルートが重なっているので一緒に帰ったりもする。昨日は突然、お宅にお邪魔してお昼をご馳走になってしまった。突発的な事態に動揺していたのはカーサンの方だ。時間通りにご飯を食べさせなくては、と思っていたし、午後には家庭訪問もあるし。
が、フタを開けてみたら約3時間、お互いの家庭事情やらなんやら、ずいぶんプライベートなことまでぶっちゃけあってあっというま。娘は「ひとりであそぶもん」とクールなKくんの手を引っ張って、お気に入りの二段ベッドの子ども部屋に連行したり、ブロックを貸してもらったり。楽しかったようだ>Aくんもまんざらでも?
娘はお昼ごはんの前後に、初ハイチュウ、初コーラグミを体験し、むぐむぐと神妙な顔で味わっていた。さぞかし新鮮だっただろうなあ。こういうお菓子、今まであまり与えたことがない。おやつの時間に、プリンとかビスケットとか、娘の基本は「固め食い」だからねえ>インスリンとの兼ね合い。
でも、これからこんなシチュエーションが山ほどやってくる。お友達がお菓子を食べていたら、娘も食べたかろう。少しずつ、娘にではなく主にカーサンに免疫つけておかなくちゃ。まだまだこれからぜよ。
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話が尽きなさそうなAさんのお宅をやっとこ失礼して、家に飛んで帰ったその五分後、ぴんぽんと先生ふたりが家庭訪問にやってきた。
保育時間中結んでいた髪をほどき、エプロンを外した私服の彼女たちはきれいで若くて、カーサンどきどきしちゃうわ>間違っている。
カーサン事前の予想としては、持病関連のことで先生から質問があるかな、と思っていたんだが、それはほとんど無かった。今のところ保育時間中に具合が悪くなったこともないし、これまで園にお知らせした情報量で足りているようだ。
逆に先生から教えてもらった、園での娘の生態が面白かった。
「ちっとも人見知りしないんですよ」 「いつも誰かしら先生の手を握っていて」 「すでに園中の先生と顔見知りに」 「トイレで「まっててね」と(娘に)いわれたけど、途中教室が気になってちょっとその場を離れようとしたら、お尻丸出しで追いかけてきてくれて」 「それでもだだ漏れではなかったです」
総じて「とてもがんばっています」とのことだった。実はカーサンもそう感じている(親馬鹿)。今後ともどうぞ娘をよろしくお願いします>美人先生方。
2005年04月18日(月) |
洗い出す(長文失礼) |
土日ともてんこもりな予定のはずだったが、ひとつは転院するなら無効だろうという理由で、もうひとつのお楽しみの約束はカーサンの風邪を理由にドタキャンしてしまった。何も無い週末。
かといって「ワイフよ風邪なのかい?治したまえ」と寝かせてくれるような夫でもない。彼は自分が体調不良でも、けして外出を厭わない荒療治派の家に生まれた男。安静第一お布団はトモダチ派のカーサンとは対極にいるといっても過言ではない。なんて大袈裟な。
土曜日は買い物に、日曜日は公園に行った。ずっと家に居ても娘と煮えたぎるばかりだし。
まあどこにいっても、夫との話題は転院についてだった。
不思議なもので、転院を決意したら、現病院(「←→新病院」カーサン捏造対義語ね)への不満がいよいよはっきりとわかってしまった。
新病院のいいところ、と見込んでいる点は、 1.建物が新しい 2.こころのケアに積極的 3.データの集め方が効率的 4.患者に裁量を認める と言ったところだろうか。
1.建物が新しい、に関しては、なにをそんな表面的な、と感じるかもしれないが、商業的に潤っているということは、サービス業として成功している、ということ。満足のいくサービスを受けられる可能性が高いのかも、と期待でき・・・ませんか?だめ?
夫は商業的、営業的ということをだいぶ懸念していたようだ。知人が新病院にかかり、難しいケースだがうまくいった、そしてお礼をと差し出すと医師が受け取った、というのを身近に知っていたからだ。 ※でも転院を決めてから、それを話してくれた。夫なりの気遣いだと思っている。
医師に要求されたわけではない、でも礼を受け取る医師がいる、というのが多分に引っ掛かっているようだ>夫。まあ新病院は大学病院という大きな施設であって、数百名単位の医師が在籍しているであろう、それにそこの全ての医師がというわけでもなかろうし、万が一にも袖の下を要求なんてされたら、それこそ机ひっくり返してドア蹴飛ばして出てくるだけだし。
ということで落ち着いた。
確かに持病界(そんな言葉また捏造・・)では、大層露出度の高い病院かつ医師ではある。製薬会社のPR冊子やHPにもたびたび登場するし、出版している本も多い。
しかしそれも悪いことではないと思うのだ。新主治医執筆の本を一冊、病院の売店で買って帰ったが、今までカーサンが知りたくてもなかなか手に入らなかった情報が、それこそネットをさまよってようやく断片的に集めてつなぎ合わせていた情報が、その一冊にみっしり詰め込まれていた>実は軽くショックを受けたカーサン。
現病院で、熟考黙考していた医師の頭の中で、こんな風に分析や対策が立てられていたのかな、と野暮な推論してしまうくらい、具体的で実践的な情報がてんこもり。
出し惜しみしない感じがするのだ>新病院。 ※しかし夫は逆に、新病院が患者を囲い込んでいるのでは、と危惧している。持病界全体で、新病院の持つであろう有効なノウハウを共有することは出来ないのだろうか、と残念な様子。しかし、まだ娘に実際有効かどうかもわかんないし、万人に有効な手段なんてありえないだろうし、本人が納得してればそれが有効なわけだし。もう何書いてるのかわからない。医師のポリシーとかも関わってくるわけだし。
2.こころのケアに積極的、についてはその露出しているあちこちで、新病院がそれを標榜しているのを見かけることと、実際に診察室に入ったときの応対から。
心理的な負担というが、持病界ではパターン化すらしているように感じる。現病院はカーサンのそこに触れるふりはするが、実際に負担を減らすことはない、とわかった。逆に増やされそうになっているのだから。
3.データの集め方が効率的 血糖値の数字がずらっと並んだメモだけを見て、「高すぎる」とため息をつかれるのが嫌だった。高いその数字の前を見てくれ。たいていとてつもなく低いあと、振り幅大きく、それはもう高く高く振れるのだ。
と現医師に食い付けなかったカーサンが弱いのかもしれない。
新病院では「原因と結果」を重視したデータの集め方をする。記録の取り方は今までよりむしろ煩雑かもしれない。でも、納得がいくのはこっちのやり方だったりする。
4.患者に裁量を認める 3で書いたようなため息を聞くたび、「先生の指示通りにしましたけど」と喧嘩を売りたくなった。日々の経験から、自然と働くカーサンなりの予測がある。でもそれは認めてもらえなかった。
「低くなったら補食して」と簡単に言うが、低くなるとわかっているのに、指示通りに注射の目盛りを合わせるカーサンの身にもなってほしい。第一娘の身になってくれ、低いのは瞬間的だとしても、やはりしんどいのだ。回避できたかもしれないのに、という後悔はストレスだった。
欲しいのは正確なデータであって、素人のさじ加減は不要という現病院。
新病院は、患者の自立を目標とする。
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などと長々と書いてしまいました。
まだ一回しか行ってないというのに>新病院。 そして現病院にも、木曜日には行かねばならぬというのに>ちょっと事情がありまして。
でもこうして、自分の不満や希望がはっきりとわかったのは、新病院に行ったからだと思うのだ。
あとは新病院のお手並み拝見。徐々にわかってくる何かが、善悪問わず、またきっとあるにちがいない。でも今はカーサンの気持ちが明るい。それだけで、ちょっと嬉しい>本当は娘が当事者なんだぞ・・・自戒を込めて。
二週間ほど前に予約を入れていた、TJ医大に初受診。娘はせっかく慣れてきた幼稚園を休ませてしまったし、夫も巻き込んで会社を休んでもらった。それだけの値打ちのある受診だったと思う。
初診受付〜予診〜本診という流れで、全部で4時間以上かかった。大学病院てのは待つ、ひたすら待つものなのらしい。
今の主治医に「セカンドオピニオンを」と申し出たわけではないので、カルテなどの資料は一切なし、あるのは発症からつけてきたカーサンのノートと、血糖値測定記録、そしてカーサンたちの記憶だけ、という状態。「それで?」と新しい先生に云われたらきついなあ、ま、そしたらまた別の先生をあたるまでだが、と思っていた。
本診の診察室に入ってすぐ、「どれどれ」と血糖値測定の記録を見ると、「こんなに(回数多く)測ってるの?!」と先生。カーサンその一言を聞いた瞬間、どばーっと涙が出てきてしまった。患者の負担という視点がなければ、絶対に出てこない発言だと思った。 ※この日カーサン風邪っぴきで少々発熱。熱があると涙もろくなる体質ではある。
発症から現在までのいきさつを話した。現在の主治医のやり方以外にもっといい方法はないのか知りたい、と。そして相性が悪いとははっきり言えなかったが、話の流れでその辺りも察してくれたようだった。
頭の良い人は、明るい。この先生を見て思った。
最小限の負担で最大限の効果を、というこの先生の方針、それこそがカーサンたちが求めてやまないものだ。口では患者サイドな耳当たりの良いことを言いながら、実際の指示は病院サイドオンリーだった現主治医とは違う。まずコミュニケーションの取りやすさが段違い平行棒だし。「コピーしてくれる?」というスタッフへの依頼も常識的に丁寧だったし。人として好ましい>これが最大かもしれない。
ひとまず転院を決めた。
カーサンとしては「いける」予感で嬉しくてたまらないのだが、夫は「結果が全て」と一歩引いている。それでいいと思う。
まだうまく頭の中が整理しきれてない。また機会を改めて、もう少しすっきり書けたらなあと思っています。
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