日記帳

2005年07月27日(水) 台風一過

昨日は台風で家に缶詰めプラス、カーサン的にクサる出来事があったので、台風一過の本日はパーッとね、とか言いながら池袋まで買い物に出た。

台風で缶詰めと書いたけど、昨日の雨風くらいだったら出られたのでは?「どこにも行けやしない」と決めたのは自分自身なのでは?と悶々としつつ、晴れたら何しようか書き出したりして。

歯医者(カーサン前回と別件の奥歯が痛い)銀行(野暮用)図書館(予約図書到着)買い物(セロテープカッター)。

ええ、セロテープカッターが欲しかったんですよ。娘の「ちょきちょきちていい?」は相当量の広告紙とセロテープを消費するのだ。100均で買ったカッターがあまりに切れず、何か出そうなくらい力んではべそをかく娘が不憫でねえ。近所のスーパーには一種類しか置いてなくて、それがまた切れ味が皆無で。

セロテープカッター一つ買いに、LOFTですわ(HANDSにでばる気力はなかった>炎天下池袋事情)。

ついでに銀行も片付いた。明日図書館行って、土曜日歯医者。よしよし。

昨日はカーサンむしゃくしゃしてて娘もつまらん一日だったであろう。八つ当たりしてすまなかった。笑ってても怒ってても同じ24時間なのにね。



2005年07月25日(月) ようこそ我が家へ

先週、ついに我が家にCS放送がやってきた。地域のケーブルテレビに加入したのですよ。うほほ。

スペシャやらM−ON!TVやらの音楽チャンネルも、地上波で見られなかった民放系も、もう嬉しくって仕方ない。

チューナーを設置しにきたのがおっちゃんが、なんというか飲み屋でもてそうなオーラをお持ちで。事務手配のお兄ちゃんが遅れてやってきたのだが、お兄ちゃんに対抗心があるのか、妙に内輪ムードを醸し出そうとするのがおかしかった。

最初は娘が「こんにちは」言ってもそっぽ向いてたくせに、カーサンお兄ちゃんと書類埋めてたら「おじちゃんと遊ぼっか」とか娘誘ったりして。なんか独特の雰囲気のおっちゃんであった。

DVDでもビデオでも録画できるように手順を教わって、もうカーサン番組表目を皿のようにして「スガ」検索をかける。田村正和がCMやってる商品の価値がわかった。

目が疲れきった頃に夫が帰宅。今度は夫がリモコンを持った猿状態。いつか大阪義父が来宅する日が怖い。

しかしリモコンが増えたな。



2005年07月24日(日) 実家参り

土日は実家泊。ばば眼科手術入院、じじめまいでダウンというダブルパンチ。重なるときには重なるもんだ。

ばばのお見舞いがメインだったはずなのに、どちらかというと鬼の居ぬ間に的掃除に精を出してしまうカーサン。ぜいぜい。お風呂と台所と洗面所を磨き上げ、ついでに家中拭き掃除。

水周りは衛生面的にずっと気になっていた箇所なのだ。「ほら見ろ!こんなにキレイになるのよ!」と勝ち誇って高笑いしたいところだが、肝心のばばが居なくちゃ始まらない。よそのうちに限って、水周りの汚れがやけに目に付くのは、主婦の悲しい性なんですかね。自分ち先に掃除しろよ>自分。

掃除→洗濯→昼ごはん→お見舞い、というのを二日ばかり繰り返しただけなのにえらいくたびれよう>カーサン。いかに自分ちでテキトーに家事してるかを、太腿裏の筋肉痛に教えられる。何故だ。これが一軒家の底力か>カーサンちマンション。

しゃかしゃか動き回る妻を横目に、「なにもすることがない」という最も澱む状況を、二日間文句のひとつもなくこなしてくれた夫に感謝感謝。



2005年07月21日(木) 悲しい気持ち

コレ書いていいのかな。と思いながら画面に向かっている。

岐阜のなんちゃらいう研究所で、女子中学生が亡くなったというニュースを持病関連のMLへの投稿で知った。彼女1型糖尿病を患っていたらしい。

その後テレビのニュースも見てみたが、あまり詳しいことはわからなかった。報道ってのはそんなもんか>必要なことだけはわからない仕組み。持病つながりで、カーサンの興味の向かう方向が妙なのかもしれんが。

彼女が1型だったとしたら、という仮定だけでこんなに感情的になってしまう自分もナンだが、周りの大人は一体何をしていたのか。インスリンを止めることが、どういう意味を持つのか、誰も知らなかったのか。

あのおっさんがどれだけ胡散臭いかなんて最早問題じゃない。どうしてそこばかりクローズアップする>TV。

あまりにも悲しい、悲しすぎるニュースだ。



2005年07月20日(水) 終了式

あいや、さぼっている間に幼稚園生活は終了式を迎え、明日から夏休み。お気楽半分、にらめっこ半分の日々が始まる。

夏休みの間、カーサン娘に何をフォローしてあげられるだろうか。何か必要なものがある気がしてならないのだが、まだはっきりとわからない。

入園前の生活に戻る感じかしら、と予想してみたが、3ヶ月の園生活で得た「おともだち」の存在は大きい。

未就園児の頃、かたくなにママ友達を作ることを避けてきた。互いの家を行き来したりするなんてまっぴらごめんと思っていた。あの頃のカーサンの心には、「孤立してる方がマシ」という太い柱がそびえていたけど、一体何と比べてマシと考えていたんだろう。傷を舐めあうような、どんよりとしたイメージがつきまとう>「ママ友」という言葉。あくまでもカーサンの場合ですよ、あくまでも。

などと思いを馳せることが出来るほどに、カーサン世間と折り合いがついてきたってことかな。

憧れの「時間」と「慣れ」を、娘と二人分、少しずつ手に入れているのかもしれない。

どれもこれも「幼稚園」という必然的な縛りあってこそ。社会のシステムに感謝する日、終了式。


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