ばたばたした日の締めくくりに、実家じじばばが夕飯どきにやってきた。彼ら週末、北海道に行ってきたのだ。おみやげ抱えてやってきた。
鮭とば、ルタオのチョコ、白い恋人、ラベンダーのキャンドル、有り難い有り難いと拝んで頂くが、一体どんだけ買い込んできたのだろう。あの購買意欲には我が親ながら舌を巻く。
そして娘に「ハイこれ!」と嬉しそうに差し出したその緑色の物体は。まりもっこり。
「あー、まりもっこりだー!」と娘大喜び。おとーさん去年法事のおみやげに買ってきたんだよね。誰も使わずひっそり引き出しに収納されていたんだよね。
じじばばは「まりものかわいいキャラクター」と認識しているらしく「そうか、持ってたか、おともだちが出来てよかったね」などとお人形遊びを始めてしまった。いいのかまりもっこり。
「もっこり」と言いたくないからのか、名前をきちんとわかっていないだけなのかは不明だが、「まりもっこラ」「まりもっこル」と微妙に語尾変化させ続ける実家ばば。
そして翌朝ひっそりと引き出しに収納されてしまいました。2体まとめて「さるぼぼ」キーホルダーのお隣に。ははは。
締まりのないまま新年突入。今年は例年にも増して締まらない。年末年始を過ごす夫実家はなにかとゆるいので、区切りとか緊張感とか、皆無。そこがカーサンは惜しい。こういうとこ、幼少期の記憶に支配されているんだなあ。娘にも体験させてやりたい。正月の空気の清冽さを。実に惜しい。
ま、締まりの無さで他人のことどうこう言えたもんじゃない>この日記はどうなんだ。
「夏休みよりずっと短いではないか」とぼやきながら、娘は今日から登園。おかえり日常。ほっとする。
女の子は腰を冷やしちゃいかん、と幼少から刷り込まれてきたカーサン、娘がスカートを選んだ日にはぬくぬく毛糸ぱんつ着用を推奨中。娘も気に入ったらしい。ずぼんの日にまでぬくぬくぱんつを着たがるように。
さらに風邪を引いてきた今日この頃、スカートならタイツも履いとけ。下半身冷やすな(もはや呪縛)。
そんな或る日(以下お食事中の方は特に陳謝申し上げます)。
「うかトイレ行ってくる」 行ってらっしゃい。母はリビングで傍観。
「・・・んんんー!脱げない!脱げないー!」 タイツがぴっちりしてるから手間取った。
「もう出ない!もう出なくなっちゃった!(涙声)」 おとーさんが必死に「別に今でなくともいずれ」とかテケトーにフォローしてたら、
「おしっこしたくない!だってうんちするために来たんだもん!」 「絶対にうんちするためにトイレに来たの!おしっこするためなんかじゃない!」
トイレでおとーさん相手に号泣。んなことでそこまで力説(「絶対に」とかがプリキュア風味を醸す)・・・。
「って涙と共にぽちょんってさ」
あーちょっとおとーさん。皆まで言うな。
自分で前回の日記読み返してみて気付いたこと。
幼稚園ママたちのそれぞれの事情に詳しくもないのに、知ってる範囲内だけで「あっち」「こっち」言ってる自分がイヤなのであった。もしかしたら、ママ自身にだって病院系の経験があるかもしれないじゃないの。あたしったら何も知らないのに。
ということなのであった。なんでだろう。幼稚園ママ以外の友人にはしないのに。ママ友限定でこういうことをしてしまうのは、やはり子ども絡みから出発している仲だからなんだろうか。「友の必然性」がお互いの子どものみに依存しているからなんだろうか。などと思う。答えは出ない。まあいい。 ※「オヤジ国憲法でいこう!」を読んでしまう今日この頃。そぶちゃーん。
あ、思いのほかくどくなっちゃった。
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今年のクリスマス。
帰省の切符をJRの駅まで取りに行こうという名目で、家族揃って繁華街へ出た。ついでにケーキを買う。
この時期特にウィルス系への警戒心から、子連れで繁華街へ行くことなんてなかったので、娘はウハウハ。イルミネーションやディスプレイに目を輝かせている。そっか。そうだよな。
カポーがひしめくデパ地下で、なんかぐっとくるケーキはないものかと曖昧な目的意識でうろつくも、人の多さに断念>主に娘が。村のケーキ屋でもよかったのではとうっかり頭をかすめても口には出すまい。
しかしあれだ、すれ違うカポーの姿にちょっとだけかつての自分を重ねてしまったりする。クリスマスの強迫観念みたいなもんに操られておった自分を(恥)。
あのときの自分と比べてどうだ、本気でサンタを信じているこの小さい人と過ごすクリスマスときたら。
サンタの来宅が待ち遠しいあまり、眠りが浅い娘(うなされ気味)に何度も起こされたカーサンであった。ぐっすり眠ってほしいのに。諸事情あるんですから。
明日から冬休み。夏休みより短いよ。喪中だけど帰省するし。と自分励ましモードにスイッチする今日この頃。
ところで今月あたま、幼稚園のお友達の女の子が入院した。ウチとは少々事情が違うんだけど、詳しくは書かないけど、幼稚園内では比較的病院関係に近いポジションをお持ちなご家庭である。カーサンとは子どもの病院事情とか、発育関連についても似たような温度で情報交換出来る、数少ない縁つながりの幼稚園ママだ。
お互い事情が知れている仲なので、医療費関連について質問があると電話がかかってきた。あいにくあんまり彼女の役に立つ情報は提供できなかったけど、発症やら入退院やらについて話を聞くことができた。
こういうとき、カーサン肩入れが過ぎるのか、ママのことも発症したお友達のことも、心配でたまらなくなる。なにか出来ることはないかと無い頭を捻る。
でも出来ることなんて結局話を聞くことくらい。実際の生活に関わるところでは、そっと見守ることくらいしかできないのであった。いつでも電話してね、メールしてねと待つだけ。
あとは他のママ友への事情説明くらいかしら。これは余計なお世話だと充分承知している。あ、当のママから「なんとなく説明しといて〜」と言われているからだけどね。口止めされてたらしないけどね。
でもその事情説明のときに、どうしても熱が入ってしまうのよね。話しながら「こちら側」「あちら側」と線引きしている自分に気付く。イヤだな。
そして「こちら側」のカーサンが熱弁をふるうと、「あちら側」のママたちは何も言えなくなってしまうのだ。何も言えなくしているのはカーサンだ。それがわかっているのについ熱弁。
気をつけなくては。ほんとに。
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