病院変えてから二度目の定期検診。
「どうでしたー?」と淡々と質問してくる先生。まず話を聞こうじゃないかというその姿勢がうれしいわ。「オレの話を最後まで聞け」という先生もたくさんいらっさるのよ。実は近所の小児科の先生が実は実は・・・もにょもにょ・・・。
ここ最近の乱調ぶりについて、それに付随したお悩みについて、ぽつぽつと話していくうち、涙が出てくる。あー。またやっちゃった。東京の主治医でも、転院してすぐにこんな風になっちまったっけ。それにしても最近涙腺がゆるい。モウロクしてきたのかしら。
自分でもわかってるけど抜けられない、そんな悪循環を見抜いた先生に、こういう風にしてみませんかとゆるーい調子でご提案をいただく。乗った。そういう解決の仕方を待っていたのだ、カーサンきっと。
少しやり方を変えてみたいと思っていたところもすっきり筋道つけてくれて、ああ、本当にこの先生でよかった。しみじみ。
混乱して見失うと、ほんとにわけがわからなくなる。そんな自分の状態すら自覚できなくなる。だからうまくやろうとしたことが、全部裏目に出る。自信が持てないのが一番の原因なんだと思う。
ああ、やっぱりあっちの方法にすべきだった。とか。 数値を読み間違えた、あほあほあほー。とか。
まず一定の値で決めていくのが、今は最良の選択だとカーサンも思う。
「センセが言ってたんだし」といういかにも他人任せな根拠が、どうしても欲しいときもあるんだ。今は頼ってみよう。
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ゆうべ、娘がなんの脈絡もなく言い出した。「うかさー、もう少し大きくなったら、自分でちっくんぱっちんできるようになるー?」。
ああ、なりますとも。なってくれないと困るとも言う。
刷り込みも誘導もしないのに、そんな台詞が出てくるなんて、カーサン感激。
いささかげんなりな今日この頃。今日はとびきり暗いッス。
げんなりの原因は、持病との関わり方に迷いやブレが生じている、コレいっこに尽きる。
目が悪いひとがめがねをかける、そういうことと同じなのだと持病を捉えることにしてきたけど、本当にそれは正しいのか。可能なのか。答えのない堂々巡りに入ってしまった。
日々のコントロールの振り幅が大きいのも一因だ。低いときの症状に、以前にはなかったけいれんが頻繁に起こる。恐怖感がカーサンにつきまとう。結果、コントロールが悪い。まさに悪循環。
幼稚園の先生方が優しいこともあって、登園中の呼び出しが多くなった。以前は園長先生のお部屋に行くのにためらいがあったが、今度の園長先生は底抜けに優しい。ま、これは引越しという環境の大変化があったのだから、しかたないことなのかもしれない。
そしてカーサンを参らせるのが何人かの幼稚園ママからの同情の目。同情はできるだけ少量にしてほしい。浴び続けるのは苦痛だ。
頻繁な娘の「オナカイタイ」攻撃には、ついに反撃に出てしまう始末。その言葉に、どれだけ破壊力があるか娘にも知ってもらいたい。抑えられなくてもいい。ただ、その言葉でカーサンたちがどれだけ動揺し、感情が乱れるか、を知ってほしい。5歳児に、酷だろうか。 ※あとさ、子どもの前で感情的になるのって、やっぱりいけないこと?これもけっこうきつい。ふんばれないときもある。あとで滅茶苦茶落ち込む。
カーサンここ数日で娘が寝てから何度かキレ、夫がローなカーサンに気付いた。出来ることをしてくれている。有り難いと思う。
「うかは大きくなってもちっくんぱっちんするの?」語尾が消えそうな小さな声で娘が問う。
ほんとに、暗いなあ。でも、ほんとうなんだ。しかしこんなの、アップしてもいいんだろか。
カーサンに出来ることがなんなのか、わからなくなった。
別館にこそふさわしい話題かもしれないんだけど、娘の持病について。最近こんなんばっかだな(ためいき)。
今の管理のしかたが、合わなくなってきているんじゃないだろうか。
今は、朝食前と夕食前に、混合製剤というのを打っている。直後のご飯分と、そのあともう一回効果のピークがくる薬が混ざっていて、一回で二度分の効果があるという方法。二度目のピークをそれぞれ、朝は昼ご飯の分、夜は明け方の上昇の分(明け方の成長ホルモン分泌でも血糖値は上がるんだと)に合わせているつもりなんだけど。
でもなんかねー。時間と体格が合わなくなってきたというか、うーん。
24時間通して、ピークのない基礎分泌(←ラン○スという薬←何故伏せる?)を打って、それ以外の食事時を超速効で対応した方がいいんじゃなかろうか。 ※ラン○スは評価が分かれる薬らしい。薬というより、注射器の問題なんだけど・・・。
或いは、いっそポンプつけちゃうとか。じわじわ基礎分泌を入れてくれるから、低血糖になりにくくなるらしい。
もうね。高低差の激しさがカーサン心配でたまらないですよ。血管にもよくないし。出来れば平均的になだらかな山で管理したいのに。振り幅大きすぎ。
てな話を夫にしたところ、ラン○スはともかく、ポンプには抵抗があるみたいだった。針刺しっぱなしっていうのがイメージ強いようだ。
どちらにせよ、新しい方法にトライするなら、この夏休みがチャンスなんだよな。ずっと見ていられるから。
今度の定期検診で、主治医と相談してみよう。あの先生と話したら、きっと何かよい方法を見つけられるはず。
「あの先生となら」って希望を持てるのが、カーサンにとっては救いだわ。
ウィンブルドンの季節は寝不足。ライブで観戦(もつろんテレビでだけどな)する興奮は何ものにも換えがたい。実況は森中アナ、解説は福井さん。最高の組み合わせですよ。 ※女子の伊達ちゃんも嫌いじゃないが、解説フレーズが長くてポイントまたぐのが聞きづらい。惜しい。
しかし先日の男子単決勝、日付が変わった辺りからフルセットの予感。1セット1時間弱かかるってことは。えーと。無理だな。録画録画。
そして何が見たいって、決勝のあとのセレモニーですよ。ボールパーソンへのねぎらいから始まって、最後に選手たちが控え室に消えていく、あの一連の流れを見るのも大好きなのだ。総集編とかで試合は見ることができるけど、あの辺りはさすがにカットされてしまうからね。
観客の拍手に応えて、選手がコートを一周するとき、去年はフェデラーとナダルがすれ違う瞬間にハイタッチしたのが、そらもーかっこよくて悶絶したものだ。 ※そして今年はハイタッチはなかった。それもまたよし。←なんでもいいんじゃねえか?
去年の決勝と同じ組み合わせの対決になったんだけど、ナダルがものごっつ強くなってて、その分フェデラーが弱くなったように見えた。フェデラー贔屓のカーサンちょいと切ない。←実は少しナダルのことも好きになってきてる←気が多いのは昔から
ミスをしても、いつもの自分のペースに持っていけなくても、表情を変えることなく淡々とプレーし続け、いつしか劣勢を跳ね除けているフェデラーを見ているうちに、ずーっと昔見たラグビーの試合を思い出したりした。
チャンピオンシップポイントに辿り着いた辺りで、既にカーサン涙ぐんでたもんね。わかりやすい性格。
やー、この日カーサン、幼稚園のお母様方にお誘い受けてランチに行ったりしたんだけど、予想通りの展開だったにもかかわらず気持ちが滅入ってしまう出来事があり。えへ。
その前後にも娘と丁々発止に渡り合うことが続いてしまい、・・・いや、金曜日の遠足→晩に激しい低血糖という展開もあり、かなりめげていたのだ。
5月に引越してきてから2ヶ月、少しずつ溜まってきたモヤモヤを改めてここ2〜3日で自覚しちゃったような気がする。ただのPMSかもしれないけど。
でも、3時間以上もの長い試合時間、ひとつずつ積み上げて積み上げていくフェデラーやナダルを見ているうちに、元気が出てきた。
やっぱりウィンブルドンが好き。
七夕前日、娘の幼稚園では年長さんがプラネタリウムへ。
親の付き添い無し、先生と役員のお母様だけが同行するスタイル。前の園での芋掘り遠足と同じだな。
芋掘りのとき、カーサン抜きでも地下鉄乗って無事芋掘ってきたんだ、今回も大丈夫。保育時間内のイベントだし、カーサン付き添い不要だよね?ね?
しかし、ここ最近、夏休み後半のキャンプには同行させてほしいとカーサン熱心にネゴりすぎたせいか、プラネタリウムへももちろん同行されますよね、え、しないんですか大丈夫なんですかという園側の反応、とても不安そうだ。
無理もないか。5月からの2ヶ月で、4回娘の「オナカイタイ」攻撃で呼び出しくらってる。低かったのが3回、高かったのが1回。
前の園でだって、2年近くかけてカーサン抜きで芋掘ってしまえという勇気が出たのだ。2ヶ月じゃ、時間が足りなすぎる。
しかしだ、カーサンの顔が見えない方が娘はがんばるからなあ。そういうがんばりを、カーサン顔見せないという選択で娘に無理強いしてもよかったのかどうか、娘が寝付いた今でもよくわからないけど。
プラネタリウムへは地下鉄で1本(コレも芋堀りと同じパターンだ)、園側の不安とカーサンの希望の間を取って、プラネタリウム最寄り駅でカーサン待機という提案をした。受け入れられた。←受け入れざるを得ないともいう
娘には「おかあさん今日は忍者だから。姿は見えないけど、近くにいるからね」とよくわからない説明をし、娘はニンニンと忍者ポーズをしながら「コレ内緒なんだよね」的にひそひそ笑ってカーサンの方を見る。ナイショが好きだなあ。うれしそうに。しかたない、ニンニンと印を結んで応えて見送るカーサン。なにやってんだ。
一応、他のお母様と同じ形で見送ったあと、ひっそりあとを追うカーサン。怪しい。おともだちに見つからないよう、かーなーりー不自然に通路の途中で立ち止まり園児の列の行方を目で追う。
そのままプラネタリウムの中に入るまでひっそり見届け、最寄り駅の駅ビルで待機。飛雄馬の姉は明子でしたか? ※そういや駅ビルにはまた馬が来てましたよ。
結局昼過ぎまでカーサンの携帯電話が鳴ることはなく、娘たちをおかえりと迎えるために、すこし早めに解散場所に戻る。ホラ忍者だからね。ニンニン。
にこにこの子ども達と、疲れきった風情の役員のお母様方をお迎えし、申し訳ない気持ちになる。いや、彼女達は役員さんで、カーサンは立場が違うけど、近くに待機するだけで何のお役にも立てなかったわけで、やはり申し訳ない気持ちが湧いてしまう。
娘は「楽しかった」「おなかいたくならなかった」とご機嫌だが、同行した先生の話ではちょっと違った。初めての場所で不安だったせいか、不穏な雲行きを見せた場面が何度かあり、実にうまく回避してくれていたのだ。適切な判断だ。カーサンがその場にいても、同じ対処をしただろう。
「引越して間もない」「初めての場所」娘が不安になる要因について、同行について話し合うたびに先生側は列挙してカーサンの同行を求めた。カーサンは「それは園の不安では?娘は大丈夫」と思ったのだが、やはり不安はあったんだな。思い込んでしまって悪かったな。
他のお友達と同じようにさせたい、という気持ちがカーサンあまりに強くて、先生の意見素直に聞けず、バイアスかけてしまった気がする。
いや待てよ、でも芋掘りだって初めて行った場所だけど。
「引越し」をどの程度重要視するか、が分かれ目なのかしらん。
いかん、思考が袋小路に入りつつある。
それ以外にも、同行(今回のプラネタリウムも夏のキャンプも両方)についてのお母様方の反応にいちいち過敏になってみたり、持病についてのカーサンの説明が足りてるんだかどうだかに始まって、周囲の持病への理解度に疑問を持ってみたり、このところカーサンひとりでハムスターのように回し車の中でくるくる駆けってる感じ。この空回り感。妙な疲労。むーん。
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