、まとめ
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こあらの見た風景(要はブログ)
スタートしました。
今日、あることですねていました。
一人ですねて、一人どんよりとして。
これはこあらの悪い癖だというのはわかっているんだけど、
勝手に落ち込んでいました。
とぼとぼと帰る帰り道、ふと空を見上げると、
大きな月が雲の切れ間から顔を出していました。
そういえば、今日は中秋の名月(旧暦8月15日)でした。
「月に群雲、花に風」
美しいものを思うがままに見られないことをいう古い言葉。
素っ裸より、浴衣姿のほうに色気を感じるように(え?)
ちょっとぐらい見えないほうが、風情があっていいものです。
昔どこかの観光地の建物で「この部屋から月が良く見えるけど
それではあまりに風情がないので、窓の真ん中に柱をたてて
ストレートに見えないようにしたんです。これを『障りの柱』と
いいます」なんて説明を聞いたことがありました。
帰り道の高架橋の上で、しばし月を眺める。
日本にも西洋にも、月を見続けると気が狂うという
言い伝えがありますが、
今日のこあらにはちょうど波長が合ったのか、
こころが少し軽くなりました。
一方、今日のしばさんは、ちょっと寄り道しています。
月に誘われたわけではなく、
突然、月の世界に旅立ってしまった先輩に
最後のお別れをするための寄り道です。
月や花を、思うように眺められないからといっても、
いずれ、同じ月や花を眺めることはできます。
しかし、この世を旅立った人には、もう二度と会えません。
会場には他の仲間たちも集まっているでしょうから、
今頃は、昔話に花を咲かせて、逝く人を惜しんでいるのでしょう。
こあらはその方を存じ上げませんが、
僕の大好きなしばさんをかわいがってくれた方です。
心静かに、魂の安らかならんことをお祈り申し上げます。
A氏とは、しばこあらと大学の同じクラスの友人のこと。
大学に入学した当時から今に至るまで、A氏は見た目も含め、
「人生いろいろのりこえて、達観した老人」の空気を身にまとっていた。
そのせいか、いろいろ相談を持ちかけられたらしく、
しばさんも、こあらのことを含め、いろいろ相談して(愚痴って)いた
ようだ。A氏は文句をひととおり聞き、その都度「しばちゃんの
言うこともわかるけど、こあらはいい奴だよ。」と、諭すような
口調で言い続けてくれたらしい。
(この話は結婚後にしばさんに聞いた。)
いま、こうやってしばこあらが仲良く暮らしているのも、
A氏のおかげといってもいい。
ただ、その佇まいの割にはかなりとぼけたところも多く、
「単位を数え間違えて留年した」こともあったくらい。
A氏の恋話もよく聞こえてきたが、その手法は、合コンで
一本釣りではなく、自分の手の届く範囲にいる人と、
地道に関係を積み上げていくものだった。
その割には、相手に恵まれなかったのはなぜだろう・・・。
それはさておき
A氏は研究も地道に着実につみあげる手法を取った。
A氏が修士論文をまとめるとき、自分の考えがどうしてもまと
まらないからと、提出を1年延期したことがあった。
積み上げても結果がでないなら、でるまでやり続けるのである。
むねのりくんによると「学位論文はそれくらい大切なもの」
らしいのだが、こあらにとっては、非常に驚きであった。
ここ数年の社会では、結果がすべての風潮だ。こあら自身も、
やはり目の前にある、わかりやすい結果を求めている。
会社において、いや、社会でも同じだが、賞賛されるのは、
第三者からの評価を確実にもらえる実績をスマートにあげる
ことにあるように思う。「最善の結果が出てなくても、とり
あえず形を整えて、さっさと次のステップに行く。何かあれ
ばそのときに考える」のが良いらしい。もちろん、A氏がいる
のは「プロの学問の世界」であるぶん特殊かもしれないけど、
こあらは、ある成果を得るために真正面からぶちあたることを、
毎日の流れ作業の中で、忘れていたような気がする。
先日、A氏と電話をする機会があった。マシンガンのように
しゃべる僕の話をひととおり聞いてくれた後、最後に
「やっと助手になれたんだ」と、昔からかわらぬ
穏やかな口調で教えてくれた。
こあらはそのとき、久しぶりに、心からの「おめでとう」を
言えたような気がした。
豚もおだてりゃ、木に登るらしい。
仕事が少々立て込んでいるので、帰りがちょっと遅くなると
しばさんに連絡していたら、先に帰途についていたしばさんから、
今日はパスタでよければ作るよ〜とのメールが届いた。
そのメールがうれしくて、仕事を一気に片付けたら、結果として
こあらが先に帰宅してしまった。
通勤にかかる時間が格段に違うからなぁ・・・。
しばさんに料理をしてもらうにも、
台所に食器があったのでそれを片付けて、準備万端とメールする。
しばさんからは、
「ありがとう。パスタをゆでるお湯を沸かしておいて」
お湯を沸かすこあら。
こあら:「わいたよ〜」
しば:「茹ではじめて〜」
なべにパスタを入れるこあら
こあら:「いれたよ〜」
しば:「こあらがソースを作ってくれると、すぐにご飯食べられるね」
ストックの缶詰にはツナ缶。
オリーブオイルと乾燥バジルとツナ缶で簡単なソースを作る。
かくして、夕ご飯の準備が出来たころ、ちょうどしばさんは
食卓につき、
こあら作の夕ご飯が完成したのでした。
村上春樹や吉本ばなな、江戸川乱歩といった「読書の王道」の著作に、
ほとんど興味がないこあらにとって、「最近読んだ本はなんですか?」
の質問は、ただの拷問である。
もちろん、本当のことを答えても差し支えない場合もある。
しかし、この質問は、あまり親しくない人同士が「相手の性格や
傾向をさぐる」(または、間を持たせる)のが重要な要素だから、
本当の答えは、最悪の事態を招くこともあるかもしれない。
しかたがないので、過去に目を通した本の中から「期待にこた
えられる本」を何冊か、話のネタストックにいれ、相手に合わせて
回答することにしている。これが、大人というものである。
さて、今日、サブカル本、ハウツー物がたくさん積んである
コーナーを歩いていると、昔お世話になった参考書の著者の名前が
目についた。社会人向けの英語や経済、文章作成法といった類の本を
予備校の講師が書いている。
確かに、しばこあらなどの「団塊ジュニア世代」が社会人だもんな。
そろそろ、昔の不勉強を後悔してくる年頃なので、この世代をターゲッ
トにする本なら、「昔使ったことある本の著者」というのは、効果的だ
とおもう。
でも、これだけ社会人に向ける本に力を入れるということは・・・
(本来の)学習参考書市場が狭くなったということか。確かに、学研の
「大人の」化学も、少子化で本来のターゲットのパイが小さくなった
から、「昔の」子供にターゲットを広げたんだもんな。昔の子供は、
今、お金持っているし。「大人買い」できるし。
街を歩いていて、休日になると「少子化はどこへ?」というくらい、
ガ・・・お子様が闊歩しているんだけど、こういうところが、少子化の
あらわれなのかもしれない。
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なお、いまこあらが読んでいるのは、「誰も知らない声の不思
議・音の謎」という、鈴木松美の本。名前は知らなくても、鈴木さんの
顔は皆さん知っている人だと思いますよ。
・・・僕がどんな本を読んでいると、思いましたか?