思い出に変わるまで
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2006年08月30日(水) 考えた

ここ二日ドロドロとした家庭の事情を書き殴ったワケですが、今の心境は随分落ち着きました。

私は子供の頃から自立心が強かったと母から聞かされた事がある。
母が用意した服も気に入らないと着ず、自分の気に入った服だけ着ていた。
母が手助けしようとしても自分でする!って断る可愛げない子だったみたい。
姉や弟とケンカしても怒られる数は私が圧倒的多かった。
大人になって母と大人同士の会話をするようになってから
「なぜかmamiが目について怒ってばかりいた」
って母も認めたくらい。

それだけ可愛げなかったんだろうなぁ。
子供心に母の気を引きたくてうるさくアレコレした覚えもある。

私は人に甘えることが苦手だ。
甘えようとしても甘え方が分からない。
だから可愛げないとか男勝りとも言われた事もある。
人からも頼りにされ、そんな頼りにされる自分が嬉しかったりもした。

本当に気を許して全身を委ねたのはきっとさとしクンが初めてだと思う。
だからさとしクンは私の事を「ドジ」「天然」「泣き虫」って言う。
今まで何十年も言われ続けたのは「しっかりしてる」「頼りになる」。
自分の一番弱いトコを知って受け止めてくれるさとしクンを困らせる事や負担になる事だけはなりたくない。
それだけ。
さとしクンの下で守られるだけじゃなくて自分もさとしクンの隣に居て手を繋いで一緒に生きていきたい。
助けあっていきたい。
その気持ちが先走りしたのが今回の鬱の原因なんだ、って思った。

最近、数歩づつ歩き始めたタメ。
二人で手を広げておいで、おいでをして満面の笑顔でタメを抱きしめる。
すごく幸せで泣けてくる瞬間。

一人で突っ張って生きてきた時にはこんな日が来るとは思わなかった。
大切な人が増えてくる。
この人達の笑顔を守る為に前向きにがんばっていかなきゃ。





2006年08月29日(火) 家庭の事情(続き)

父の件が全て司法書士の先生にお任せした時点で金融会社への支払いは結果が出るまでしなくても良くなり、その間に父はバイトを増やし、母が退院するまでの4ケ月間(今居る病棟は最高4ケ月までしか居られない)働く事に専念する事になった。

私が幼い頃から見てきた父の姿はいつも働いてきた。
本職以外にも必ず1つ2つはバイトをしていた。
それが身内の自営の工場だったり、知人から紹介された突発的な期間限定のバイトだったりもしたが、趣味という趣味も持たず家族を支える為に働きずめだった。
定年を迎えて少しは隠居生活をして楽してもらいたいと思ってたけど一人暮らしで家を出て、結婚し離れて暮らせば見ない部分だらけだった。
父の姿を見てたから働く事の大切さ、家族を養う為の努力に頭が下がった。
母は体も弱く、結婚してから今まで専業主婦。
父は一人で家庭を支えてきたのだ。
その姿を見て弟は何も感じないのか?

私は昔、借金だらけの男hideに惚れお金を貸し、彼の人生を買い取るつもりだった。今から思えばバカな女だった。
彼の手助けをしたくて目の前でお金をチラつかせ弱いところを突きお金を貸す事によって自分しか彼を幸せに出来ないと錯覚してた。
そんな心を見抜かれたのか、別れを告げられその後彼は自己破産をした。
今も彼からの返済はわずかながら続いてる。

あの時のお金があれば・・・
何度思ったか。
結婚する時も短期で出来る限りの貯金をし、なんとか自分のお金で式を挙げる事が出来た。
でも負担の割合はさとしクンの方が多くて新生活に必要なお金は、ほぼさとしクンが出してくれた。
そのおかげで少しは私も貯金を残す事が出来てる。

今回、家の購入でも一銭も出していない。
実家へ貸したさとしクンの100万。
自分の資金の無さ、hideとの事が無ければ今頃少しは頭金協力できたのに・・・。
さとしクンに負担ばかりかけてる事に情けなくて。
働いて少しは協力したいけどどタメが居ては働けない。
内職してても自分の小遣い稼ぎで家計の足しにもならない。
情けなくて情けなくて泣けてきました。

結婚する時さとしクンを幸せにしたい。
さとしクンが笑顔でいられるようにしたい。
そう思ったけど私がさとしクンにしてあげられる事って何?
父の400万の件はさとしクンには一切言ってないけど、もしさとしクンの耳に入ったら・・・それだけでもどう思われるだろう。
父、姉、弟が借金を背負ってる。
私はhideの時に借金の恐ろしさとか十分に学んだから借金だけはしない人生を送ろうと思ってた。
私以外の家族が消費者金融のお世話になってる事。
それぞれ生活があるから一概には言えないけど情けなくて。

昨日、たまたまローン申請の為に納税証明の書類が必要で区役所に取りに行ったんですよ。
最初さとしクンが会社を遅刻して取りに行こうとしてたので自分から名乗り出て行ったんです。
ところが私が取った書類が誤った書類で、さとしクンからこの書類じゃない、と少しキツめに言われた時に「プチッ」っと溜まってたものが溢れて鬱になりました。
子供の使いもまともに出来ないなんて・・・って。

ずっと落ち込んでたら「キツイ言い方してゴメン」ってさとしクンが謝ってきた。
自分が情けないだけでさとしクンが悪いわけじゃない。
少しでも(金銭的に)これからの生活に、さとしクンの手助けをしたいけど出来ない自分が情けないの。

mamiが暗いと俺ホント何していいか分からなくて困るんだ
タメ育ててくれてるし生活支えてくれてる。
お金の事は心配しなくていいよ

子供育てるだけが自分の役目だとは思いたくない。
少しでもさとしクンの横で対等に居たい。
でも今の自分では無理で。
そのもどかしさも手伝って大泣きしました。
ある程度さとしクンをサンドバッグにして吐き出したら少しスッキリしました。

引越ししたら実家にタメ預けて弟の嫁にみてもらって働きに出ようかな?
もちろん嫁には数万ベビーシッター代渡して。
本気で考え中です。
あと数日したらお盆に種まきした子が妊娠してるかどうか分かる・・・。
もし妊娠していても働きに行きたい。


2006年08月28日(月) 家庭の事情

ずっと日記に残そうか迷ってた話があります。
ここ数日その事を考え、考えすぎて鬱っぽくなりました。

家庭の事情と言えば聞こえはいいけど
お金の事。

お金が絡むと人間って変わりますよね。
生活には欠かせないものだし、イチバン話したくない事かもしれない。
だけど、悩んだ挙句正直に残しておこうと思いました。

ドロドロした話です。

私の実家はおせじにも裕福な家庭ではない。
田舎の持ち家一戸建てだけど築30年でガタもきてる。
父は既に定年を迎え年金+定年前の職場のアルバイト+牛乳配達+他バイト一件を掛け持ちしてる。
それでも生活は苦しい。

弟は10代でデキちゃった結婚。
生活力も無く職を転々とした。
結婚して9年、今は定職に就いてるけど職を転々とした頃から借り出した消費者金融の返済に追われてる。
遊びに使ったであろう借金だから両親は放っておいたけど生活費を入れる事が出来ず、父が弟夫婦の生活まで面倒をみている感じだった。
ここ数年は昔程苦しい状況ではないと思ってたけど5月に母が入院し、手術代も含めお金の工面をする事が難しかった。

そんな時さとしクンが父に100万貸してくれ、現在までの入院費を支払う事が出来た。
いずれは保険と高額医療の返金が来るので返すアテはあるから父もさとしクンからのお金を難なく借りたのだ。

家を買う事を決めた数日後、父から電話が入り「あつかましいお願いだけど・・・」と言いにくそうに話を切り出された。
住宅ローンを組むなら400万上乗せして借りてくれないか、と。

父に消費者金融の借金があるのは知ってた。
弟が自分の車のローンが払えなくてローン会社から車を没収されそうになった時、母から頼まれて父がローンの残金全額を立替えた。
その際に消費者金融から借りたと母から聞いてたから。
でもそれは50万だと。
私は弟に対して甘いって母に怒った。
自分の車の金すら払えなくなった時点で車を持つ資格無いもん。
父も納得いかなかったらしいが母に頼まれて作った借金。
金額も返せない金額では無いと思ったらしい。
だが、その後も生活費の不足分を借り始め少しずづ増えていって400万になったらしい。

私も結婚をする時家の経済状況は知ってたし、何度かお金を親に貸してた時もあった。
だから自分の結婚式は自分で何とかしようと極力両親に頼らないようにした。
でも親戚をもてなすに使ったお金や遠方から電車で来た親戚の交通費。
そんなお金も消費者金融から借りたんだろう。

金額の大きさに驚いたのと同時に何とかしてあげたいという気持ちもあった。
細かく話をきいたが2社で400万。
月5万づつ合計10万払っても利息だけで元金は減らない。
通常一社で200万借りれるものなのか、家でも担保に入れたのか不安になったが、長年の付き合いの中で一度も延滞する事なく、何度か完済もしてる為融資額の引き上げがあったからこんな大金を借りる事が出来たそうだ。


多分、この先母が障害を負った状態で退院すれば介護も必要になり、当然父も今までみたいに働きに出る事は出来ず収入も減る。
年齢的にもいつまでも健康でいられるか分からないし、今回借り換えが出来るかもしれないというのが父の一筋の光だったのだろう。

でも一歩間違えればさとしクンがその借金をかぶる事になる。
それにこれは私の実家の事情、さとしクンには関係ない。
100万借りた事でも申し訳ないと思ってるのにその上400万借りて欲しいと言う父に怒りさえ沸いた。
でも、話を聞いてる内に父にしてみれば切実な問題で、かなり切迫した状況なんだろう。
よく考えて悩んだけどさとしクンの耳に入れる前に私から断った。
父も十分甘えた考えだし、私の立場も考えた上で無理だと分かってたが、甘えが出てすがってしまったと謝られた。

今の父の状況では何年、何十年返済しても決して減ることが無い借金。
5年前、借金まみれだったhideにした事を再び父にした。
「債務整理」を勧めた。
自己破産をすると持ち家を処分しなければならない。
父にしてもそれだけは避けたいらしい。
子供と孫の為にも家は残したい。
借りたお金も出来れば返したい。
その事を含め、高金利の利息を利息制限法に則った利息に引きなおし3〜5年で返済する事を弁護士又は司法書士を仲介に金融業者と話し合う方法、任意整理というものがあると父に話した。
ブラックリストに載ってしまうが今後の生活は利息だけ返す生活ではないし、必ず返済の終わりがやってくる生活になる。
長年消費者金融を利用してるなら過払いの可能性もあるから返金の可能性もある。
とにかく出口が見えない借金生活からは脱出できる。
本気で考えているならやってみてはどうか・・・。

数日後、父が我が家にやってきて資料を渡したその日、父は司法書士事務所の扉をたたいた。




・・・続く・・・・


2006年08月27日(日) 売買契約

今日の夕方から不動産屋さんで売主、買主、仲介業者が顔をあわせ手付金と共に契約書を結びます。

この一週間
ママ友のakiちゃんやakiちゃんのお姉さんのnoriちゃんに家を買って早ければ10月あたりに引っ越すと報告。
二人とも決断の早さに驚くと共に得にakiちゃん。
ショックを受けてたみたいです。
私もakiちゃんと「ゆくゆくはタメとakiちゃんベビー同じ小学校だし授業参観やPTA。一緒に行けるね♪」
なんて将来の話をしてたから別れるのがすごく心痛かった。
夫婦でお出かけできるくらい仲良くなったもん。
こっちに引っ越してきてから初めてできた友達。
引っ越してもひんぱんに会おうね、って約束をした。
noriちゃんも数ヶ月後には職場復帰。
私も引越し。
毎週1回、三人で集まってたママ友会もあと数ヶ月でお開きになるって事だもん。

引っ越したくないな・・・
本当、正直思いました。



大阪のさとしクンの実家にも連絡。
まだむこうの両親は愛知に引っ越す気は無いって事ハッキリしました。
特にお義父さん。
住み慣れた大阪を離れるのは嫌みたい。
「オレは行かない」
ってハッキリ言ったみたい。
お義母さんもまさか本当に家を買うとは思わなかったみたいで、ゆくゆく一緒に住めるのはうれしいケド、大阪を離れ、新しい土地に移る事に当惑してるし、気ままな二人暮らしに終止符を打つ事にとまどいを隠せないみたい。
だからもうしばらく大阪で生活するから・・・って言ってました。
だから同居の時期はしばらく未定。

「もし、二人の身に何かあっても大阪に飛んでいっても2,3時間はかかるから一緒に住めば安心だし、孫もいるから楽しいよ。出来るだけ早めに来てね」

本心7割、迷い1・5割、不安1・5割でお義母さんに声をかけた。


毎日の様にさとしクン宛に届く不動産屋さんからの書類。
保険の提案書やら売買契約書の提案書。
本当に買ってしまったんだなぁ・・・って思う瞬間です。

私の独身時代のすずめの涙ほどの貯金。
今回の家を買うにあたって一銭も出していません。
「(金の)無い人からたかる気はないからいいよ」
なんてさとしクンは言って自分の定期預金を二つ解約していたりする姿を見るとなんとなく申し訳ない・・・。

もっとずうずうしくなれればいいのだけど、自分が協力できない事の情けなさや、家財道具を買い揃えるにも自分が協力できない事。
「さとしクンとさとしクンの両親の家」
その中に私が住まわせてもらう。
そんな考えが浮かんでくる。
ゆくゆくは私も働いてローン返済に協力するんだけど、その時がくるまではこういう考えが頭の中に残るんだろうな。
ってぼんやり思ったり・・・。

お金って本当、貯めなきゃいけないね。
母の入院、家の購入、突然の出費。
最近その事の大切さを実感する日が多い。


2006年08月20日(日) ・・・決めちゃった

今日は物件見学。
まずは三井の○ハウスさんの事務所におじゃまして、条件に合うほかの物件があるか更にさがしてもらいました。
新築・中古併せてなかなか施工業者が良くなかったり間取りが良くなかったり、価格が予算に合わなかったり・・・・。

で、絞ったのが今回メインの中古物件と、新築物件(まだ基礎工事中)。

行って見ましたが・・・・
想像以上にキレイ!!
左右4軒づつ、合計8軒並んで建設された一画の一番奥。
駐車スペースも二台分あり、築3年だから当たり前に外装もぜんぜん汚れてない。
玄関に出迎えてくれたご夫婦も話し方、接し方見ても明るくイイ感じの方。
部屋の中を案内してもらったけどクローゼットの中や押入れ、キッチンの細かいとこも親切に見せてくれて、きれいに使われてるのが分かった。
2歳の女の子が昼寝中のリビングも子供のおもちゃがあって、ちょっとくらい散らかしてもぜんぜん苦にならない程の広さ。
玄関の吹き抜けも明るくて窓がたくさんあって風通しもいい。
隣の家との距離もそこそこあるし、小さな庭には芝生も生え、小さな菜園も。
さとしクンがしきりに
「いいなぁ・・・キレイだなぁ・・・」
つぶやいてました。
家の基礎工事もしっかりしたしっかりとした知名度がある会社だしね。


その後に新築物件の土地だけ見に行ったけど、さっき見た物件がやはり頭から離れない。
土地だけ見ても想像が追いつかないし、南向きの庭が多分作れないであろう間取りだし・・・。
軍配は完全中古物件。


その後に私の実家に寄り、弟の嫁に頼んでおいた不動産物件の広告に目を通しました。
するとお気に入りの中古物件の施工業者が見学した物件の程近くに新築でほぼ同じ間取りの建売を販売する情報が手に入った。
実家で晩ゴハンを食べた後で現地に戻り見に行くと、太陽が沈み薄暗くなったにも関わらず施工業者の営業マンが居て少し話をした。
新築だと価格が諸費用合わせて1千万違う。
築3年の中古は1年に330万の減価償却だって事。
今から住宅ローン組んでも新築だとさとしクンの定年位に終わる計算だし。
中古なら定年5年前には確実にローンは終わる。
私も働いて繰り上げ返済すればもっと早い。

頭金の援助をしてくれる大阪の両親にも相談してから決定したいとこだけどなんせ好条件の優良物件。
早いもの勝ち。
既に4、5組見に来てるらしいし・・・・。
名古屋に帰る帰路、さとしクンとずっと話してて、大阪の両親がさとしクンに一任してくれるのなら明日にでも買うと返事をしたい位気に入ったらしい。
ビビッときたんだって。

家に帰り大阪に連絡。
頭金の相談かねて両親は賛成してくれた。
その時点で夜8時半。
試しに○ハウスに連絡したら営業マンがまだ居たのであの物件を買うと回答した。


それにしてもこの一週間で運よく物件が見つかり、即決!
さとしクンは
「これこそ巡りあわせだ」
なんて運命めいた事を言ってる。
正直私もそう信じちゃったりしてる。
引越しも秋頃になるかも。

でも、せっかくこの土地で生活を始めて1年半。
友達も出来て楽しくなってきたとこなので、ぶっちゃけ複雑な思いです。
離れたくない。って思うのも正直な気持ちです。


mamirin |MAIL

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