Food for Thought
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2005年09月11日(日) わかりやすいことはいいことか?

日経の「半歩遅れの読書術」にドイツ文学者の池内紀氏が『ナチ・ドイツと言語』を紹介していた。
ヒトラーの政治宣伝の基本原理は「論点を黒白図式で《単純化》して示すこと、それを《くり返し》訴えつづけること、断固とした口調で大胆に《断定化》すること…」であったと。
今日は総選挙の日…と小泉首相の発言のこういった傾向を懸念しているようだ。

ブッシュ大統領の "With us or with the terrorists!"の二者択一がまさにこれだろう。アメリカ人は結構こういうのが好きかも。

そういえば、藤沢晃治著『「分かりやすい説明」の技術』のあとがきにこんなことが書いてあった。「分かりやすい授業とは、本当によいことなのか?」との問題提起をある大学教授から受けた。なるほど、学生にとっては自分で考える力を奪う「過剰に分りやすく、親切すぎる授業は問題」であり、「分かりやすい説明」は絶対善ではないと感心したと。


2005年08月20日(土) 化け物はまだ生きている

『あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書』保阪正康を読了。

「太平洋戦争を正邪で見るのではなく、この戦争のプロセスにひそんでいるこの国の体質を問い、私達の社会観、人生観の不透明な部分に切りこんでみようというのが本書を著した理由である。あの戦争のなかに、私たちの国に欠けているものの何かがそのまま凝縮されている。…その何かは…今なお現実の姿として指摘できるのではないか。」とあとがきにある。

最近、やはり日本という国はかなり異質であると思えてきた。まるで得体の知れない化け物のようで、恐ろしいほどである。その特徴は、異常に同調しやすい国民性と、全体主義的傾向である。

保阪氏も、「日本国中がただひたすら一つの方向に、団結して向かって」いき、「並外れた、視野狭窄ともいえる"集中力"を生みだしていた…その"集中力"とは何だったのか―。」と書いている。

平和教育はもちろん大切であるが、それがなかったから日本は無謀な戦争に突入したのか。簡単に同調し、暴走しやすい性質が問題なのではないか。

今年は戦後60年ということからか、再び太平洋戦争を見直す雰囲気が各方面に感じられる。反省しながらも、思考停止に陥らぬよう、考え続けなければ。
 
ちなみに、8月15日が「終戦記念日」と言っているのは日本くらいで、世界の教科書はみな9月2日に第二次世界大戦終了とあるそうだ。


2005年07月07日(木) 茂木健一郎

日経の夕刊一面のコラム「あすへの話題」の執筆陣が入れ替わり、今日は脳学者の茂木健一郎氏が「脳ブームが映すもの」について書いていた。購読している雑誌『考える人』の今度の特集も「『心と脳』をおさらいする」その1 脳科学者・茂木健一郎さんへの質問」である。まだパラパラとしか見ていないが、とても興味がある。


2005年06月16日(木) その扉を決して開けてはいけない

Strawberry Netでオーダーした化粧品が4日で届いた。国内の定価に比べ、平均3割引、物によっては半額近い。しかも送料無料。これから美容に励むとするか。ほとんどプラシーボ効果かもしれないが…

 ところでこの間思ったのだが、効果がないと知っていたらプラシーボは起こらないように、この世には「決して解明してはいけない」部分があるように感じる。人間が賢くなりすぎて、世の中のからくりが全てわかってしまったらゲームオーバーになってしまうとでもいうか。例えば、「自分達は本当はアンドロイドだったのか!」という感じか。

いろんな神話でも「誰にもしゃべってはいけない」、「決して見てはいけない」、「決して振り返ってはいけない」などは定番。
日本昔話でいえば「鶴の恩返し」や「雪女」、旧約聖書ならアダムとイブが知恵の実を食べてしまうところ。「原罪」と言うくらいだから、よっぽどいけないことなんだろう。
神道でも実はいろんなおどろおどろしい部分があるらしいが、そういう所は専門家(神主とか)に任せて、普通の人はあまり立ち入るべきではないとか。

養老孟司のいう「知ることの怖さ」である。一度知ってしまったら、知らなかったことにはできないから。

自分にとってはキリスト教の暴露本などが、避けるべき部類か。クリスチャンではないけれど、キリスト教的考えがバックボーンにあるので、土台が崩れてしまう恐れがある。『ダビンチ・コード』もやめておこう。


2005年06月07日(火) 脳関連本また入手

本屋でジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙』玄侑宗久・有田秀穂著『禅と脳―「禅的生活」が脳と身体にいい理由』を買う。『神々の沈黙』は3,200円とちょっと高めだったが、ビビビッときて買わずにはいられなかった。「古代人には現在のような意識はなかった」という、右脳と左脳の話である。どこかで聞いた話だと思っていたら、5月8日付の日経の書評で紹介されていたのを切抜いてあった。脳関連の本は買う一方でほとんど読めていないが、手元にあって適切な時に参照できればいいと最近では開き直っている。買ったまま放って置いた本がある時出番が来る、ということが今まで何度もあった。疑問に対する答えがそこに見つかるといった感じで、何で事前に買ってあったのかとても不思議なのだが。

 あることに関心を持つと、不思議と関連情報が「偶然」集まってくる。向こうからやってくる、といった感じで。今まで見過ごしていたものに自分の意識が向いただけ、ではちょと説明しきれない。作家など、いろんな人が同様の体験を語っているのを読んだことがある。

例えば今自分の日記を読み返していて、アルノ・グリュ―ン著『人はなぜ憎しみを抱くのか』が気になった、とある。そんなことはすっかり忘れていたのだが。そして、この本について検索しているうちにこんな書評にたどりついた。そのブログ内で『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』がお勧め本として紹介されている。アマゾンのレビューで「現代文明は、意識の勘違いをベースにしている。ずっと、自覚なしにやってきた。ギリシアまでは意識が無かった」と、『神々の沈黙』と同じようなことが書いてあるではないか。よく見ると、訳者が柴田裕之という同じ人であった。じゃあ、他にどんな本を訳しているの、と見ていくと、『禁断の知識』なんて題名があってまた気になる…

こんなイモヅル式で、節操の無い知的好奇心はどこまでも…






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