Food for Thought
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2007年05月30日(水) 「しっかり朝食」と「学校楽しい」の因果関係

主食と主菜、副菜、一汁の四品がそろった朝食を食べている小学五年生の61.5%が「学校がとても楽しい」と感じていることが、千葉大の明石要一教授(教育社会学)ら研修者グループの調査でわかった。

との記事が日経2007年5月29日の社会面に載っていた。直感的に違和感を覚える。
読み進めてみると、「東京都や鳥取県など一都二県の小学校四校の五年生計231人を対象に調べた」とある。たったの231人!うちの子供の学校の全校生徒数の三分の一にも満たない。それに「東京都や鳥取県など一都二県…」って…なんでもう一県の名前を出さないんだ?(他の記事で千葉県と判明)。

「和食が多い子どもの57.1%が「とても楽しい」と回答。洋食が多い子どもは18.6%だった。」全体の中の和食・洋食の比率のデータはない。サンプル数が少ないので歪みが出る可能性もある。

これはいわゆる「ゴミ社会調査」だ。谷岡一郎著『「社会調査」のウソ』が言うように、「始末が悪いことに、ゴミは(引用されたり参考にされたりして)新たなゴミを生み、さらに増殖を続ける。」

同著によると、1998年に「子どもをキレさせないための食事」なるトピックがマスコミを賑わせ、ジャンクフードを食べる頻度と非行の間に相関関係が見つかったとして、栄養学者も加わって、もっともらしい理屈を並べ立てたりした。犯罪学を専門とする筆者からみれば、この相関はいずれも「親の躾の手抜き」から派生した結果に過ぎず、栄養学的な因果は、たぶん何もないか、仮にあったとしても補助的なものであろう、とのこと。

朝食をきちんととるのはいいことである。でも、この調査では「学校が楽しい」との因果関係は証明できない。
メディア・リテラシーを身につけるためにも、『「社会調査」のウソ』は必読書である。新聞社の人たちもぜひ。


2007年05月29日(火) 『反戦略的ビジネスのすすめ』

平川克美著『反戦略的ビジネスのすすめ』がよかった。たまたまたどり着いたブログで紹介されていたのを見て、これは読まねば、と思い購入。どこのブログかもうわからなくなってしまったのが残念だが、私が得たものをまたネット上でお返しすれば、他の誰かに役も立つかと。

後半に収録されている内田樹氏との対談(メールのやり取り)が面白い。二人は幼なじみであり、村上春樹の『1973年のピンボール』を地でいくような翻訳会社のかつての共同経営者だったそう。

<本から抜粋>
人間は自分を確認するために他者を必要とするわけです。この場合、他者は自分と同じでなければならず、同時に自分と異なっていなければならないという奇妙な二重性が現れます。

戦略的な思考にとらわれる理由はふたつしかありません。そのひとつは、少しでも自分に優位に事を進めるために、スタート地点における有利なポジションの獲得、競争相手の弱みに関する情報の入手、地政学的な優位性に関する情報を獲得しようという、いわば一種のずる賢さの肯定です。そしてもうひとつは、自分の相手は必ずこのずる賢さで自分に対応してくるという、疑心であり恐怖感です。

わたしは、この「当たり前」の事実、つまりビジネスにおいて交換されるのはモノやサービスとお金であると同時に、技術や誠意といったものが満足や信用といったものと交換されているという二重の交換こそが、あらゆるビジネスの課題の中心であり、そこからビジネスの過酷さも面白さも派生してくるということを申し上げたいのです。

わたしは、負け組みの烙印を押されて意気消沈しているベンチャー経営者から、がんばっているのだけれども報われないと思っている現場のサラリーマン、エンジニアにいたる「現場で逡巡する人たち」に対して、報われない努力というものには意味があるということ、ビジネスは果実を得るまでに多くの時間を要すること、たとえ華々しい結果を現在得ることができていなくとも、継続の中に「見えない資産」が蓄積されていることなどを理解できれば、自らのたち位置に新たな価値を見出すことも可能である、だから、今の場所にもう少し踏み止っていただきたいのだという思いをお伝えしたかったのです。

…重要なことは、信用は信用を再生産するということなのです。

ビジネス全体を構成している用件を見てみれば、金品との交換と同時に「見えない資産」というべきものの交換が行われていることが見えてくるだろうということ。「見えない資産」の蓄積には、戦略的、攻略的な方法は必ずしも有効ではないこと。むしろ、戦略的な成功は「見えない資産」の減少と引き換えに得られた成功である可能性が強いということ。「見えない資産」の蓄積は反戦略的な意思の持続によって誰にでも確実に達成できること。それは、具体的には企業を時間はかかっても着実な成長軌道に乗せる唯一の方法であること。

<対談より>
マーシャル・サーリンズ『石器時代の経済学』の「沈黙交易」
「交易」というものの本質が「ビジネス」であると同時に「コミュニケーション」であるということを示す方等に見事な事例。
重要なことは、この沈黙交易が「外縁の圏域」で行われるということです。「未開共同体の民族的辺境」とは、それぞれの共同体の言語や価値観がその普遍性を失うところ、つまり「言葉が通じず、度量衡が共有されない」場です。にもかかわらず、というか、それゆえにこそ、そこに「交易したい」という強烈な欲望が生成する。
ここでなされているのは「等価物の交換」ではありません。
サーリンズは、人々は適切な等価交換が行われたと思わないときに、「もう一度出会わなければならないと感じてしまう」と書いています。そして、それが沈黙交易の原動力である、と。
ひとつは、「たいへん価値のあるものと、あまり価値のないものが交換された」という場合です。…もうひとつの意味があります。それは、交換した双方とも、「交換して相手から受け取ったものの価値がよくわからなかった」という場合です。こういう場合にも、たしかに人々はそれを「適切な等価交換」とは思わないでしょう。
沈黙交易の継続を動機づけるのは…交換されたものの「考量不可能性」。…「価値がわからない」がゆえに、さらに交易を継続しなければならないという心理的圧力を感じる…だから、おそらくは「交易相手に、もう一度出会わなければならない」とぼくたちに思わせる心理的圧力の高いものほど、「経済的価値」が高いとされるのです。

変な話ですけれど、その価値がたいへんよく理解でき、その性能がスペックに見事に表示されており、価格設定もまことに合理的……というような商品はむしろ売れないんじゃないですか?(内田)

…不完全な市場からまた人間は欲望を刺激されたリ影響を受けたりする。
ジョージ・ソロスがいっていることと同じ  「期待と結果の間に乖離があることは相互作用的な状況の特徴であり、そこでは参加者は完全な知識をふまえて判断を下すことはできない。参加者の判断には必ずバイアスがかかっており、そのバイアスが結果を決定する要因の一つになる」(平川)

三百万円のロレックスにどうして消費者は魅了されるか…「象徴価値」…「社会的階差」…最終的には「その人にもう一度会わずにはいられない(しかし、どうやったら会えるのか、そのルールが私には明かされていない)という焦燥感」
象徴価値のかなりの部分は「どうしてこんなに高いのかわからない」…だから買うわけですよね。(内田)

人間って(アフォーダンスについて書いていたように、「ドアノブがあると回したくなる」ものですし)、人が楽しそうにしていると「何でだろう?」と思うことが止められないものですから。(内田)

「信用」とは「繰り返し」のことである。(内田)

つまり、平川君のいう「見えない資産」という言葉の重点は、「資産」のほうではなく「見えない」ということのほうにあるんじゃないでしょうか。(内田)

<あとがきより>
問題なのは、「戦略」をクローズアップするということはその他の無数にあった条件を隠蔽してしまうということなのです。これについては、メルロ=ポンティが実に面白いことをいっています。

物をそれとしてみるには、この戯れそのものを見てはならなかったのだ。通俗的な意味での<見えるもの>はその前提になっているものを忘れている。
(M・メルロ=ポンティ 『眼と精神』みすず書房)

マラソンレースのあとで、人は勝利者の戦略といったものに目を奪われます。ひとつの結果をひとつの原因によって説明したいというのは人の世の常、性分であるわけです。そのほうがわかりやすいですからね。しかし、もし負けていれば、同じひとつの失敗の戦略として語られることになったはずだという可能性は選択的に排除しているのです。結局、わたしたちは勝利の原因をどこまで分析し、切り刻んだところで、その因果関係についての証明を得ることはできないということです。
大切なことは、しかしそれでも複数の要因、選手の努力、試合に向けて選手が支払ったものがなければ、結果というものもまたないということなのだろうと思います。

もし成功から学べるとすれば、それは結果からではなく、選手の構え、トレーニングに対する日常的な対し方といったところに降りていくほかはないということなのです。それは、優れて想像力の問題であるといってもいいだろうと思います。


2007年05月18日(金) タダでスタイル良く美しくなる方法

アイ・チテルに出演しているエジプト人のフィフィさんが「日本人は歩き方が汚い」ので、海外で他のアジア人と見分けが付くと言っていたが、ほんとにそうなのだ。特に女性。せっかくかわいいかっこうをしているのに姿勢が悪い若い女性を見かけると、もったいないなあと思う。大胆に足を出したファッションでだらしない歩き方をしているのは正直見ていて辛い。欧米人男性は、「何で日本人の女の子は足が曲がっているの?」と言っていたりする。もちろん生まれ持ったスタイルというのもあるが、姿勢が悪いためにヘンな肉の付きかたになってしまったのも多いのでないだろうか。もう習慣にしてしまえば、シャキッとしているほうがダラッとしいるより楽。お金もかからず、すぐできる!

ついでに言うと、お箸や鉛筆の持ち方がちゃんとできていない人を見るとすごく気になってしまう。あるとき、電車で隣に座った女性がノートとペンを取り出し、何か一生懸命書き付けていたのだが、ペンの持ち方がなっていないのが妙に気になってしまった。別にジロジロ見たわけでなく視野の端に入ってるだけなのに、何で分かったんだろうと不思議だったが、そのうちペンの端がクネクネ動くからだと気付いた。親指できちっと押さえていればそんなには動かない。

イチローやプロゴルファーのスウィング、テニスプレーヤーのサーブの動きなど、合理的な動きは美しい。


2007年03月10日(土) 犬と幼児と肥満と

アメリカの2歳から5歳の幼児のうち約一割が肥満だという。

ABCニュースのポッドキャストで、4歳で43kgの女の子が紹介されていた。
1歳半頃から勝手に冷蔵庫をあさり、あるものを片っ端からつまみ食い。2歳ですでに23kgを越える。兄は標準体重で、家族の中で肥満はその子だけ。遺伝や病気によるものではなく、親が彼女の「おねだり」に負けて食べ物をあげすぎたため、要するに生活習慣だけが原因である。

肥満の幼児に共通する傾向は、たとえ直前まで機嫌よく遊んでいても、食べ物のことになるととたんに短気になり、かんしゃくを起こし、与えられるまで要求し続けること。親はつい根負けしてしまう。


ちょっと前に、イギリスでYarvitanという肥満の犬用の薬が発売されたというニュースをきいた。メーカーの説明では、8週間のプログラムで8〜10%減量するとか。イギリスでは5匹中1匹の犬が肥満といわれている。ちなみに肥満犬は寿命が2年縮むそう。
あるおデブ犬の飼い主の話では、「散歩させなきゃとは思うんだけど…エサをしつこくねだられると、もう耐えられなくてついあげちゃうのよね…」

メーカーに話を聞いたインタビュアーは、「きちんと散歩させることが、“犬を飼うこと”の一部じゃないの?飼い主の責任で太らせて、薬でダイエットなんておかしくないですか!」。メーカー側は、「ほんとうは散歩をさせるべきなんですが、太り過ぎの犬をまず運動ができるくらいにダイエットするお手伝いをしているんです。」とのこと。

子どもにしても、犬にしても、“パパ”“ママ”は「おねだり」に弱い。
自転車に乗って犬の散歩をするのは日本だけだと思うが、しないよりはましか。


肥満のラブラドール


2007年03月08日(木) 40代女の時がキターッ!!

40代女性向けの雑誌が2誌創刊されたので、書店にチェックしに行く。

世界文化社の「GRACE」は鈴木京香が表紙。そして誌名にちなんでか、グレース・ケリー特集。パラパラと見たがセンスがいまいちの気がする。グレース、という名も、どっちかというと50代って感じかなあ。

もうひとつの「marisol」(集英社)は川原亜矢子が表紙。が、なんとひもでしばってあり、中が見れなくなっている。アクセサリーの付録付きだからか?創刊号でどんな雑誌かわからなければあまり買おうと思わないだろう。40代女性がオマケのアクセサリーを身につけるだろうと想定していること自体、ちょっとちがう気がする。

結局いつもの「Precious」を買って帰る。こちらは小雪が表紙(夫いわく「すっごく意地悪そうな顔」)で、働く女性がターゲット。

ターゲットが仕事を持っている人かそうでないかで、やはり雑誌のコンセプトもちがうだろう。


この間でたばかりのマドンナのライブビデオを夫が買ってきた。これがすごくいい。とても48歳とは思えないレオタード姿を、惜しげもなく披露。この年でもまだまだいける、と元気付けられる。

40代女の時代が来たか?


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