あたりまえに笑って怒っての下書き用スペース

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2002年12月26日(木) (アイデア)自分用メモ



(他の人の言から、触発されたメモ)


・「思いこみ」の共有・「思いこみ」の孤立 (という「センス」) とは。


・「6勝4敗」が、バランスとしては良い。
(勝ちすぎても良いワケではない)


・結果も大事、
 だが、過程の中で感じられることも。






・フィクション・演出(play)の効用・落とし穴。
「共同幻想・論」 遊びごころ もののあわれ・風流


2002年12月08日(日) (アイデア)アイドル・歌謡の要素を−




いわゆる「ロックの人(?)」が、
アイドル・歌謡的な部分のオモシロみすらを、排除しようとしちゃうならば、
それはツマらないんじゃないの、と思う。






2002年09月26日(木) (アイデア)説法など



呉智英氏の本によれば、イエスは
「地上に平和をもたらすためではなく、人と人との間に剣を投げ込むために現世に来た」らしい。


「説法」という行為は、いかにレトリック(表現技法)を駆使したところで、
本人が意識せぬうちに、
どこか「剣をふる」に似た部分を含んだ行為なのかもしれない。


むろん「諸刃の剣をふる行為」にてもたらされるのは、それ相応の結果以下でも以上でもない。



「刃物を意識せずとも用いる者」が、時にそれ以上を求めるならば、
知恵が、実用補助の品として扱われるケースもありえる、のか。




「とくばん」を見る。
新タンポポの「♪今夜は大好きが止まらない〜」という歌詞に興味を抱いたり。
(なんとなくですけど)




今日、ふと、かつてモー娘。に強い興味を抱いてない時期の自分を思い起こす瞬間があった。
SPEEDにも「萌え」てはなかったんだよな。僕の場合は。


2002年09月25日(水) (アイデア)(前日づけの記事 追記です)

(前日づけの記事 追記)



(サイト運営の上で)
「純粋なストレス解消目的」 と 「アクセス(閲覧)数の向上」は、
即、イコールで直結させられるものでは無いように思えたり。


プロのモノ書きさんの記事でも、
受け手の意識は千差万別で、
受け取られ方が多様になるのは必然なのでしょうが。



サイトの場合、 (受け手&送り手ともに) 対価が絡まないケースの方が多いゆえに、
なにかに気を付けつつやってかないと、
「歯止め」が、じょじょに効かなくなるようにも感じられたり。


2002年09月24日(火) (アイデア)複数方向からのアクセス 〜そこからのプレッシャー について

( 9・25(水)  記 )



テキストサイト大全にも
http://www.softmagic.ne.jp/text/

アクセス数と、そのプレッシャーについて述べられていましたが。



その手のプレッシャーを感じられて、どう対応するかによって、
己のサイトに対する心がまえが、浮き彫りになるのかもしれない。

(趣味なら、趣味の領域としてゆこう、とか)




いわゆる 「(悪意の漂う)名無しさん」 による、
ぞんざいなニュアンスの動きが続くと、
こっちも恥ずかしながら、いつの間にやら、そっちの方向に流れがちになりそうで。


名前なり人となりが、ある程度であれ、伝わる形でのこちらへのアクション(反応)ならば、
プレッシャーまじりであれ、プラスになるものは残ると思うし、
大変有りがたいです。





「名無しさん」での発言が基本形の、そんな種類の掲示板のありよう(需要)も、
人の世の何か、は表している、
のでしょうか。
(僕にとっては、他人事ではなくて)





でも「名無し」(あるいは、ハンドル名&閉じた形のネットスペース)の
気楽さ=無責任さ(趣味のプライベートな領域)が、
世の全てに通る、ことはまずありえない。

(表に開けた形の場面では、なおのこと)




どんな距離&形の関係でも、
そこには「相手」がいるわけで。


「萌え」が、どこまでも無制限に伸びてはマズいのかもしれないね。




当方のような人間が、表に何かをかざす価値も、そんな問いを発することにあるかもしれないな、


と今日のところは言ってみたいのです。



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長谷川 |MAILHomePage

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