あたりまえに笑って怒っての下書き用スペース
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■ ダメな大人のための普遍性ある文学
…「自分のココロの居場所」を認識しつつ、しかし同時にその内部の心地よい価値が、 外部の他者には届かない共有されえないものかもしれぬことをも自覚しておく世界観。
怪奇小説作家・倉坂鬼一郎氏の会社員の随想集「活字狂想曲 怪奇作家の長すぎた会社の日々」
あるいは「ニセ学生マニュアル」赤版・白版・黒版のそれぞれの冒頭部など。
(スペックのハンディ、齟齬、軋轢)
■ 「受け手の主体的なニーズ」という基準で判断して受けとめ直した上での享受
(メディアや文化人etcらの権威やら、自分や内輪内だけで閉じた美的センスやら、などでは無しに)
■ モンド 「相手と自分との意図の差異をフィフティ・フィスティなスタンスで読みとる営み」
目で見て、相手の動きや姿から覚えて吸収するセンス
■ 杉作J太郎さん「自分の映画はパチンコのようなもの。出る台も出ない台もあるが、暇つぶしとして機能すれば。」
もしやサブカル全般がもしかするとパチンコ台のもののようなのかも、ふとそう思う。
豊田道倫「自分のステージ上よりも面白いことが受け手の人の中で起こって欲しい。」
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・アウトロー(的文化・価値観) ・(アウトロー的ではなしに日常を送る生活者に)有形無形の危険を及ぼす可能性 ・一匹と九十九匹
・自らを前衛と強弁 ・恥じず偉ぶらず
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法を犯してまで(なにがしのリスクを背負ってまで)するべき行為なのかなあと。
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インテリ(近代)=妖怪=アウトロー
世界中の人間がお前の歌はダメだといっても、いいえこの歌は良いんですと歌う
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「他者との違い」が表現の送受信のモチベーション?
イヤーなことがあるとヘコたれがちになるけど、
きっちり怒るにしたほうが良いのかも。
少なくても自分の内側では。
客観的?な距離を保てるようにしたほうがベストなのかもしれないし、
相手のありようと自分の感情に対しては。
(実際できるかどうかはさておいて)
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仕事休み。
なんとなくクサクサ気分。
世界はネガティブな契機にあふれていますな。。
なので、人がネガティブな気分に陥るのも必然、なのかなあ。
だとしたら、ネガティブな契機と感情との接し方なり距離感なりの保ち方もまた重要、なのかもと。
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「オール・オア・ナッシング」じみた幼稚な思考パターン
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二村ヒトシ氏は「自信と謙虚さを持つべく、心の居場所を持とう」という旨のことを綴っていた。
しりあがり寿氏は「世界が全て下らないクソのようなものだとしても、その中に一粒の輝きが埋まっていることを信じて」という旨のことを綴っていた。
「自分をまもる本」では、「怒るのはいけないことじゃない」と題した章をもうけていた。
「星に願いを」(林真理子の小説)は、モチベーションに欠けていたネガティブがちな主人公が、前向きな欲望を通じ、 前途が開けてくるプロセスを綴っている、という。
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自分をガード、隠す、抑える。非力さゆえの。
経験則から理にかなわぬ感情をも、自分のうちで位置づけられてゆく。
そして相手とのさまざまな接し方。
橋本治「青空人生相談所」
やる気の出ない17歳男子高生からの相談。
自分の中での(勝手に作ってしまっている)「かくあるべき(自分)像」
そのイメージの存在と実像(現実)とのギャップのあることの「認識の必要性」。
■ とあるバンドのCDを部屋にて聴きなおす。
「キレイな曲を書く」労力は伝わるものの、、、 「自分の日々のニーズ」とはややズレあり?
日々ステキなことまみれでもないので…
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