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2003年06月30日(月) |
優しさも、ときに、罪。 |
●朝から受難の歯医者へ。神経を抜いて久しい前歯が折れてしまい、駅前の歯医者を適当に選び通っているのだが、ここの歯科衛生士は、困ったことにルーズソックスを履いている。もう、最初に見たときからイヤーな予感。……やっぱりちゃんといい歯医者を選ぶべきだったか……。
このルーズソックス嬢は、施術中に口内の水分を取る作業が悲しいくらいに下手。「お水とりますねーーーー」と言いながら、口腔内壁にブシュッブシュッとノズルをぶつけるだけで、わたしの口腔内にはどんどん水がたまっていく。そして、わたしがちょっとした痛みに顔をしかめようものなら「大丈夫ですからねーーーー。痛くないですよーーーーー」と甘ったるく語りかけてくる。いや、語りかけてなどいない。彼女のことばはわたしにかからず(届かず)、ただ独り言になっているだけ。
わたしはひたすらに「頼むから語尾を伸ばさんでくれ、頼むから」と願いつつ、「もう終わるかな、もう終わるかな」と受難の時を耐えて過ごす。
来週頭にようやく前歯治療は終わるのだが、セラミックの歯を入れると8万円するらしい。嗚呼。
●A氏のために夕食を作っていたら、恋人から食事の誘いの電話。瞬時に様々な思い駆け巡り、「今、ちょうど食事の支度してるところだから……」と言うと、「外でちょっと食べたい気分なんだ。今、誰かと一緒じゃないと食べる気になれなくて」などと洩らす。わたしは、すべての料理を火が止められるところまで調理して、バタバタと出て行く。出て行きながら、A氏に電話。反対はしないと分かっていても、やっぱり。
A氏は、帰るとき電話してくれればその時まで事務所で仕事をしていると言う。
恋人はどうやら胃潰瘍らしい。あれほど二人で飲みまくっていたお酒も、ビールをコップ一杯に日本酒を半合が精一杯。疲れと精神の滅入りが、明らかに彼を憔悴させている。
食事をすませ、早速とタクシーに乗り込む彼を見送り、わたしは電車に乗り込む。
●やってきたA氏は、ふんだんに用意された夕食に舌鼓をうちながらも、何やら考え込んでいる。気になるわたしが聞いてみても、何やらはっきりしない。少しずつ少しずつ話をして、ようやくA氏の沈み込みの原因がわかった。
彼は、自分が幸せになることで、(わたしの)恋人が傷つくことになるのが、どうにも納得できなかったのだ。(わたしの)恋人に悪いとか、そういうことじゃなくって、どうして、みんながいっぺんに幸せになれないんだろうなあ、という、46歳の男には珍しいほどの、単純で朴訥とした、幸福というものへの疑問が、去来していたらしい。
そういうA氏の優しさをわたしは好ましいと思うし、もっと毅然と「俺は勝ち取ったのだから」と胸をはり、余計なことを考えないでいてほしい。
思いやられる優しさは、時折人のプライドを傷つける。そして、恋人は、そういう男だ。
●わたしの心はどんどん迷いをぬぐってひとつの道に収束しようとしているのに、「あいつにはまだ伝えない方がいいよ」というA氏がいる。
今週末には、わたしがA氏宅を訪れ、対面を果たす。ことはどんどん進んでいるのに、わたしとA氏という二人組は、まだまだあれこれと、壁を越えなければいけないようだ。
●A氏に、恋人のことを報告し、結婚のことを伝えることへの自分の不安を、正直に語る。そうしたら、こんなメールが届いた。
「私との結婚に揺るぎがないのであれば、堂々と自信をもって彼を看病してあげなさい。
人は、見ず知らずの他人でも猫一匹の為にでもそれを助けるが故に命を賭する生き物である。
遠くガザ地区へ思いをはせ、あじさいの花を眺め、ひたすら君を愛す。」
実にA氏らしい。
また電話をし、我々二人のことを話した。
●もうすぐ今年も半分が終わる。結婚を巡るあれこれに心のぶれが激しい今も、やはり、わたしはわたしの仕事を考え続いている。どこかにいつも、一人で闘わなきゃならないわたしがいる。
2003年06月28日(土) |
報告帰省を終えて。わたしを取り巻く様々な人生の側面。 |
●二人で実家へと向かう前夜、わたしは緊張して眠れなかった。それは、A氏が両親に迎え入れられるかどうか、といった可愛い純粋な感情ではなく、自分の選んだ道が、どんどん先に進んで、もう元の分かれ道には戻れないところまできていることからくる、不安と緊張なのであった。
不安の中の読書で、ふと目に付いたチェーホフの「ロスチャイルドとバイオリン」という短篇を、わたしは「聞いて!」と音読する。A氏は煙草を吸いながら、黙って15分ほど聞き続けた。
これはわたしの愛する短篇で、生きることが、今生きている人にはどんなに無駄に見え、実はどんなに優しさで包まれているかを、淡々と綴ったものだ。その物語を読む自分を見守ってもらうことで、わたしはA氏と、今現在の不安を共有したかったのかもしれない。
●A氏は1時間ばかり、わたしは20分ほどうつらうつらしただけで、新幹線に乗り込む。車内でわたしは爆睡。
駅に迎えにきてくれた母の車に乗り込む。バックシートに座ったA氏をミラーの中からちらちらとのぞき込んでいた母は、家にたどり着く前にすでにこんな感想を口にする。
「Aさんの顔見て安心した。顔見たら、どんな人か、だいたいのことわかるもんや」
家に着き。A氏の持参した履歴書に目を通した父は母は、簡単な質問、簡単な挨拶を終えただけで、昼食の支度にバタバタと動き回り、落ち着かない。支度ができて二人が席についたら、ちゃんと挨拶を、と、A氏もきっかけを逃すまじと緊張している。
そして、その時がくる。わたしをくださいという、挨拶が始まる。A氏は誠実に淡々と話す。父が不安に思っていることをA氏に投げかける。またA氏が落ち着いて、父の不安を解くことばを返す。
A氏は話を終えたあと、持参した息子の写真を見せる。父と母は、自分の娘が自らの子供として育てることになる男の子の写真に見入る。
わたしには、何もことばがない。
「じゃあ、食事を」と、4人が箸を持ったときには、ビールの泡はすっかり消え、湯気をあげていた赤だしは、すっかり冷めていた。
●食事を終え、二人の指輪のサイズを測る。わたしの実家は小さな宝石屋さんだ。お祝いのマリッジリングを、母がプレゼントしてくれるらしい。さらに、母がA家へのおみやげを買いたいと、また車に乗って出かける。
名産の素麺。東京では売っていない、黒帯結束の上級品、化粧箱入りってやつ。甘いもの好きだというA氏父のために、名産のおまんじゅう。名産のちくわ、名産の穴子。A氏はA氏で、息子のために、関西でしか売っていないインスタントラーメンを買ったりしている。そして最期に母は、「かみむすび」という日本酒を、「記念すべき日に飲んどき」と、かごにいれる。
●父と母から、もう十分に安心したから早めに帰りなさいと薦められ、新幹線に。二人で再び熟睡したあと、名古屋から東京までの2時間を、母が買ってくれたお弁当とビールを囲み、静かな宴会。イベントはあと二つ残っている。わたしがA家を訪れることと、わたしが恋人に結婚のことを話すこと。二人でゆっくりと相談しながら、きれいに弁当を平らげる。
●帰宅して、母にお礼の電話。A氏がデジカメで撮った写真をノートPCに取り込む。父と母の写真のほかに、二人で実家隣接のお宮を参ったとき、写真嫌いのわたしが2度だけフレームにおさまっていた。
A氏のデスクトップで大写しになったわたしは、驚くほど穏やかな笑顔だった。余り好きではない自分の顔を、なんだか美しいなどと思ってしまった。自分の顔を見て、1日を振り返り、しみじみと、A氏を見る。
●かみむすびを開封し、飲みきるまで静かな宴会。わたしは最近虜になっているフラナリー・オコナーの作品のことを、語りまくる。そして、小腹の空いたA氏のために、いくつかのつまみを作る。自宅用に買ってきた穴子入りかまぼこを開封して食べてみると、これが美味。「甘だれをつければもっと旨いはず」と言うA氏のために、醤油砂糖みりん日本酒を煮きって、氷で冷ましてとろみをつけ、あっという間に食卓へ。残ったたれを薄めて、落とし玉子。昨日の残りのサラダと、ピーマンの佃煮。野沢菜のわさび漬け。
誰かのために食事を作り、それが喜ばれつつ体におさまっていき、明日への活力に変わっていくという当たり前な幸福を、わたしはA氏のおかげで味わうことができる。
午前5時頃ベッドへ。
目覚めたら、A氏はもう支度を終えて仕事に出ていくところ。
わたしはすぐにベッドを出ず、また本を一冊手にとった。このところ、読むこと、書くことだけで、わたしは自分と世界の距離を近づけようとしている。
●一方。恋人はそうとう体の調子を壊しているらしい。薬嫌いで、ふだん風邪薬さえ飲まない人が、胃の痛み止めを飲み、起きられず、遅刻した。それも、自宅まで心配してやってきた仲間に起こされ、ようかく目覚めたらしい。誰よりも仕事中心に生きている男が、どうしてしまったのだろう?
かつてわたしが別れを持ち出したとき、彼は、大事な仕事を抱えているというのに、食べず眠らずで憔悴してしまい、大変なことになった。その憔悴ぶりに、わたしはまた心を動かし彼のところに戻ったのだが、今度はそんなわけにはいかない。
暗澹とした気持ち。
●劇作家の岸田理生さんが亡くなった。わたしは直接仕事をしたことがないが、同じ女性として、その仕事ぶりには大いに影響を受けていた。
お通夜に誘われたが、行かなかった。相変わらずわたしは様々なことに心が揺れていて、自分のことに精一杯なのだ。
2003年06月27日(金) |
ちょっとそわそわ。そして、複雑。●ヤスケンの海(村松友視) |
●2時間ほど眠って歯医者へ。帰ってきてみると、恋人はまだ眠っている。起こしても起こしても、起きない起きない。疲れがシーツにべっとり貼りついているかのよう。
ようやく起きたところで、さくさくと散髪をして送り出す。散髪は、わたしの最も愛する行為のひとつ。これももうすぐ出来なくなると思うと寂しい。何しろ、4年間のつきあいで、兄弟のように慣れ親しんでいる。
いずれは話さなければいけないのだと思うと、胸が痛む。入籍するためのイベントは昨日書いた二つだけではなかった。
恋人に、打ち明けねばならないのだ。
●日中。珍しく美容院へ行ったりして、わたしは自分の親に会いに行くわけだから緊張する必要もないのに、なんだかそわそわしている。そわそわしていると、つい財布の紐がゆるくなってしまい、本屋で二人の福沢さんに別れを告げる。すっかり読書オタクとなってしまったわたしだが、こんなに好きなことして暮らせるのも今のうち。
今日の晩ご飯は、ささみのチーズ入りフライと、かぼちゃとピーマンのソテー。ミモザサラダに、ピーマンの佃煮。A氏は相変わらず、美味しい美味しいと食べ続ける。
今、A氏はわたしの後ろで、一生懸命履歴書を書いている。明日うちの両親に渡すらしい。のぞいてみると、身上書の「自覚している性格」という欄に、「優しさゆえに人を想ひ、優しさゆえに人は傷つく」なんて、大まじめに記している。……大丈夫かなあ。と、思っていると、「これ、きざっぽいから駄目だな」と、書き直し始めた。うーん、大丈夫かなあ。
●明日は9時の新幹線で姫路へと向かう。
●これからどんどん仕事が忙しくなるA氏。相談して、土曜日に、わたしの実家の両親に会いにいくことにする。
わたしたちが考える、入籍に必要なイベントは二つ。わたしの実家に行くことと、わたしがA氏の家族、A氏父とA氏息子に紹介されること。その一つ目を、あさってクリアするのだ。
いい歳をして、はじめてのことなものだから、相当どきどきするに違いない。これから長く続くであろう、わたしとA氏の暮らしの皮切りにふさわしい心和む時間が展開するのではないかと、何やら楽しみにしている自分がいる。
●そんな相談をしている最中に、恋人からの電話。今から遊びにいくと言う。午前1時のこと。これがいちばんの好機ではないかと思い、「今日、結婚のことを話すよ」というわたしに、A氏はストップをかける。仕事で疲弊している恋人に与えるダメージを心配しているのだ。
そうして、わたしはまた、A氏公式認可の元、恋人と夜を過ごす。驚くべきことに、恋人が好きな気持ちは全く変わらないのに、もうわたしはもう揺らがなくなっている。逆に、悪いなという気持ちがこみあげる。きっちり生きている大人に対して、愛し続けてきた人に対して、秘密を持つ後ろめたさ。でも、どうしようもない。彼は、9月になればパリに行き、奥さんと暮らす現実を、変えようとはしていないのだから。
この日誌を読んでいる人に、わたしの行動は不自然に映るだろうか? 確かに、こうして未だに恋人と平気で夜をともにするわたしは、当たり前じゃない。でも、何が本当で、何が嘘? 常識なんてどうでもいい。わたしはわたしが他者を愛する気持ちに正直で、それをすべて受け止めようとするA氏がいる。わたしはこれからの人生をA氏と共に生きると決めて、恋人との密な時間を捨てる。それだけだ。迷わず、大事なことだけ考えよう。
未だに、わたしを優しい気持ちにさせる恋人の寝顔を見ながら、そう心に思う。
2003年06月25日(水) |
若い奴ら。●対話篇(金城一紀) |
●久々、外に出ていく仕事。8月から本格始動するもののプレ稽古。キャスティングのために、歌のキーを確認したり、何系のダンスがどれくらいいけるかのチェック。
今度の仕事は、とにかく若い子が多い。もう、みんな驚くほど若いのだ。14歳、15歳から始まって、若者組は34歳まで。30歳34歳のミュージカルベテラン組が、かなりのおじさんに見えてしまう。そして、若い子たちは一様に突っ張っている。売れてようが無名だろうが、上手かろうが下手だろうが、「俺が」「わたしが」って気持ちが全身からみなぎっている。スタート地点に立ったばかりの者の特権であるし、せめてそれくらいはないと、スタートする資格もないってところか。
しかし。そういう若い奴らは、自分が求めるものを与えてくれる人々には、驚くほど素直だ。心を開いてくる時間差こそあれ、1本の芝居を作るうちに、わたしは必ず若者たちの姉になってしまう。
たくさんの弟候補妹候補を眺めながら、「ああ、また新しい出会いの時だ……」と、何度その瞬間を迎えても、の、新鮮な感慨を味わう。
彼らは若いってことだけで、小さな社会の中にどっぷり浸かると、過剰に愛し合ったり過剰にぶつかりあったりするので、まあ、起こることは起こることとして眺めていて、本当に困ったときだけ緩衝材になってあげようとする。……自分が自分の深い業とつきあって青春期を過ごしたおかげで、わたしは彼らの目線に近づきやすい。もちろん、人とつきあうのに決まった答えなどないので、その都度の真剣勝負になるのだが。
●稽古後、大人たちが顔をつきあわせて、若者たちを値踏みする。オーディションだのキャスティングだの、俳優達を商品として値踏みをしないでは仕事にならないわけだが、時には、その仕事を誤解している大人たちもいる。自分が何様なんだか知らないけれど、人を取ったり捨てたりすることを自らの権力と思いこむ人。勘違いしてるんだよな。うん、相変わらずいる。
きっとどこの社会でも必ずいるんだろうね。
●帰宅後、金城一紀「対話篇」を読む。若者たちと知り合った夜には実にタイムリーな作品。一晩で読み尽くす。
2003年06月23日(月) |
今、ここにある穏やかさ。●フラナリー・オコナー全短編(上) |
●たった22時間のバカンスを終えて、日常へ。また自分の仕事のことを考える。休みがどんどん残り少なくなっていく中、次の仕事の準備も少しずつ。7月になれば少しずつ打ち合わせだの稽古の準備だの。そして8月からは、またまた来年7月までのノンストップ仕事が始まる。
●フラナリー・オコナーの短篇集を読んで衝撃を受ける。かつて、違う編みの短篇集でバラバラに読んだことはあったが、まとめてどーんと接したのは初めて。彼女は若くして亡くなったが、その全作を貫く、余りに明確なビジョン。人生への明かりの当て方、掘り下げ方が、定まっている。自らの作風の中での、定点観察だ。それなのに、作品は偏らない。こんな作家、久しぶりに会った。
●夜は、久しぶりの休日を次の仕事でつぶした恋人の電話を受けて、食事に出る。疲れ切った彼は、食事を終えた時点で、激しい睡魔に襲われる。タクシーに乗り込む彼を見送って、珍しく電車で帰宅。
食事に出かけることは、A氏に報告してあった。A氏は飽くまで、恋人とは会いたいと思う限り、会ってよいと言う。少しずつ、俺に気持ちが寄ってくればいいと言う。実際、だんだん、わたしの心は動いて動いて、ここにいる。
それでもやっぱり気をもんでいたA氏がやってきて、遅い時間まで、お互いの昔話をする。
わたしの若い頃のひどい話を、ひとつひとつ驚きながらA氏は聞いている。
暴力を通じて人間を描くフラナリー・オコナーを読んで、久しぶりに思い出すことがあった。
はじめてつきあった男は、頭が良く、最初こそ大変優しかったが、実はひどいナルシストだった。はじめての時から、歪んだセックスを強要され、また、勝手な理由で、監禁行為や暴力も受けた。殴られて鼓膜が破れた。それでも部屋を出してもらえなかった。蹴られてひどい頭痛を覚え病院に行けば、自分でやったことなのに、泣きながらそれに付きそうという具合だった。……ずいぶん屈折した愛され方をしたものだ。それが18の頃。
そこから始まって、私自身、屈折した恋愛を重ねてきた。トラウマなんてものをわたしはあんまり信じていないのだけれど、今から思えば、重ねていく恋愛体験が、次の失敗を呼び込む悪循環だったと、やはりそう思えてくる。話しながら自分で、よくわたしは歪まず、こんなに前向きにやってきたなあと、改めて感心してしまう。そのひとつひとつを、A氏は目を丸くして聞く。「なんなんだ、君は」と驚きながら。でも、最後にはやっぱり言う。「でも、もう俺がいるから安心だな」と。まったく、期待したとおりの言葉が、返ってくる。
ありきたりな恋愛小説みたいな展開を意識的に辿りながら、わたしは当たり前の幸福を、こうして確認する。その手触りを確かめて、自分の居場所をここにしようという気持ちを固めていく。
●眩しい青空の週末の後は、梅雨らしい天気が続く。
2003年06月22日(日) |
当たり前だが感動的な婚前旅行。 |
●土曜日。A氏の稽古が休みになったので、何処かに出かけようかということに。しかし、A氏は休みでも色々こなすべきことがある。学校で地引き網実習(?)に行くという息子に弁当を持たせて見送り、7時30分。夜家を空けるので息子とお父さんの晩ご飯を作り、後かたづけをして10時。翌日の仕事の準備をして11時。ようやく我が家に12時に到着。まあ、なんと働き者であることか。
●わたしにはお気に入りの散歩コースがある。20歳の頃、はじめて辿ってから、何かにつけて(ほとんど一人で気ままに)20回は辿ったかと思う。 品川から京浜急行に乗り、久里浜まで行く。久里浜からバスに乗り、久里浜港へ。そして、久里浜と房総の金谷を結ぶ東京湾フェリーに乗る。乗船すること30分で、あっという間に神奈川から千葉へ。千葉ではそのときそのとき、気ままに歩いたり、電車に乗ってさらに遠出したりする。
このコースをA氏の車に乗っていくことにする。
●道が混んでいても、A氏はイライラしない。退屈したら本でも読んでればなんて、気の大きいことを言っている。年下の男とばかりつきあってきたわたしには、こういう小さなことが実に新鮮だ。
梅雨の晴れ間のお天気の中、車で外出の人が多いものの、2時過ぎには久里浜校へ到着。わたしは初めて車で乗船するのでドキドキ。
真夏の日差しに初夏の風。甲板は最高の気分。たかだか30分しか乗らないってことろが、このフェリーの乙なところ。短い時間で、存分に、五感をくすぐるありとあらゆるものを楽しもうという気分にさせてくれる。
なあんにもない田舎町金谷から、やはり何度か渡った仁右衛門島に行くため、房総半島を横断。東京とうってかわって、道行く車は一台もない。田植えしたばかりの若々しい緑の輝きを堪能しながら、太海という街へ。
仁右衛門島に渡るには、手こぎ船に乗ること5分。これがまたいい。「泳いで渡れちゃう」距離を、おっとりおじさんの手こぎ船で、世間話などしながら。島に渡ると、300度眺望の海、また海。岩場にどんどん出て、突端に腰掛け、しばし海とご対面。岩に砕ける波頭の白さは、いくら見ていても飽きない。
●A氏が「今日は帰らない! どっかに泊まりだ!」と言い出したので、急遽、横須賀の観音崎のリゾートホテルをiModeで調べだし、予約。
金谷に戻るまでの道、奥さんが亡くなったときの話を、A氏はぽつりぽつりとする。カーラジオから流れてきたサザンの曲で、思い出してしまったらしい。そう言えば、わたしだって、往き道で恋人との仕事で印象的に使った曲を聴き、しばし一人で考え込む時間があった。熟年カップル(!)ってやつは、生活のあらゆるものにあらゆる記憶をこびりつけてきているものだから、わたしたちは、そういうものに出くわすたび、いちいち報告しあおうと話す。なんだかんだ言って、まだ出会ったばかりだ。手抜きをしないでちゃんと出会っていかなければ。
●帰りの船は、ちょうど夕陽の頃。なんの計画もないドライブなのに、絶妙なるタイムスケジュールにのっとっているかのようだ。30分という乗船時間で、つるべ落としという言葉を実感。夕陽は、いつだって美しい。
観音崎は、ささやかな観光地。行き当たりばったりに選んだリゾートホテルは、ちょっとお高いけれど、素晴らしい景観。
恋人と休暇を過ごすのに、よく海沿いのホテルを選んだものだけれど、いつも高層階だった。はじめて2階という低層階に泊まってみて驚いたのは、波の音の心地よさ。わたしはおおはしゃぎでベランダにテーブルと椅子を持ち出し、波の音に包まれ、幸せいっぱい。A氏もわたしの子供心にくすぐられるのか、ずっと少年のようにはしゃいでいる。
●朝陽がきれいだよと5時に起こされる。出発の8時まで、岬を散歩。わたしはカメラ狂父親譲りのコンタックスT2で、終始にこにこ顔のA氏を激写。自分は映らない。わたしの記念写真嫌いは、こういう時でも変わらない。その手のことを曲げ始めると長続きしない気がして、あくまで自分らしく過ごす。A氏はその手の細かいことにこだわらないので楽だ。
帰りの車で、わたしは運転手をさしおいて熟睡。気が付いたら家の前で、ドアtoドアのドライブ終了。A氏はそのまま仕事場へ。
●こうして書いてみると、なんて当たり前なんだろうと思う。特別なことは何もありはしない。どこの家庭でも、どこのカップルでも、休日になれば体験しているようなドライブだ。
でも、仕事漬けのわたしや、日々休むことなく仕事と家事と子育てに追われるA氏にとってみると、何もかもが感動的なのだ。
この先いいことばかりではないだろうけれど、こうしてささいなことに一緒に感動できる人がいるというのはいいことだ。悪くない。もうすぐ、ここに小学校2年生の息子が参入する。いいじゃないか。
恋人からは、さっぱり連絡がない。パリに発ってしまうまで仕事を詰め込みすぎている。遠くで体調を心配しながら、わたしはすでに歩く道が少しずつ離れてきていることを思う。
2003年06月20日(金) |
猛反対から「了解!」へ。 |
●ようやく自分の気持ちも落ち着いて、日誌に結婚の話題ばかり書き付けることもなくなるかと思っていたら、わたしの認識は常に甘く、問題はまだいろいろと山積みなのだった。
母に電話して、A氏と結婚することに決めたと報告。すると、先日は「A氏にしときなさい」なんて言ってくれた母が、何やら芳しくない声を出している。受話器の向こうには、いきり立っている父の声が……。
父の言い分。
「自分の親の面倒も見れないのに、他人の親の面倒みるのか!」
「なんでわざわざ子持ちのとこなんだ。本当の親にはなれないんだぞ」
「どこの馬の骨とも分からんのに、すぐに返事できるか!」
……切り出し方がまずかったなあ、と思う気持ちと、「おいおい、20歳かそこらで嫁にいくって言ってるわけじゃないんだから」と面食らう気持ちと。
●A氏に、うちの両親こんな反応だったよ、と報告。「そりゃあ当たり前だろ」というお答え。「分かってもらえるまで、俺は何度でも出向くから」という力強い保証つき。
明日、両家への報告についてちゃんと話そうと約束して、早めにベッドへ。すると、母からまた電話が。第2ラウンドが始まっちゃうのかしらと危ぶみながら出てみたら。
●いきなり「了解!……了解、了解! パパと話したんや。OK。」との声。母は長らくは語らない。
「あんたが幸せやったら、それでええということになったわ。そやけど、息子さんのことだけはちゃんと責任持ちよ。それが出来るんやったら、あんたが決めたことなんやから。結婚しい。」
まだA氏に会ってもいないというのに、まったくなんて両親だろう。二人は電話を切ってから、いったい夫婦でどんな話し合いをしたんだろう。
「Aさんによろしゅう言うといて。心配せんでもええって。そしたらお休み」
そう言って、母は電話を切った。
A氏に再び報告電話をすると、「いいご両親だなあ」という感謝の声。「君が素敵だから、育てたご両親が素敵なのは分かってたことだけど」とお褒めのことば。
●結婚することで、世界が広がるのを楽しみにしている。わたしには息子が出来、新しい親が出来、A氏もうちの両親を新しい両親とする。もちろん、どんな問題がでてくるかは今の段階では分からないが、そういうことを、楽しみだと思える幸せ。
A氏は、今日、息子に、好きな人ができたから結婚したいと、報告するのだそうだ。小学校3年生の息子の反応は如何に? そして、はじめて顔をあわせる時、いったいどんなドラマが展開するのか?
●恋人は、午後1時半まで眠り続けた。腰が痛いと言っては、ベッドを出てフローリングの上にクロスを敷いて眠り、その堅さに疲れたと言ってはソファーに眠り。わたしは一睡もせずに、その眠りにつきあった。一緒に眠るのは、気がひけたのだった。そして、ずっと、本のページをめくり続けた。
彼は、朝ご飯のサンドイッチを頬張って、起きるなり、仕事に出かけていく。残されたわたしは、ひどく空虚で、今日はどうしてもA氏に会わなければと考える。黙ってわたしを泳がせてくれているA氏に、仕事が終わったらすぐに会いたいとメールを打つ。
●自分のだらしなさが嫌で嫌で、本を読み進めること以外、何も手につかない。晴れ間に自転車を駆って、買い物に出かける。新しいシーツを買う。
●A氏は、一刻も早く会いたいと、まだ早いのにタクシーに乗ってやってきた。デスクトップのPCしか持っていない彼は、これで君のところで仕事ができると、新しいノートPCの箱を抱えてやってきた。仕事が終わって急いで買ってきたのだと言う。機械音痴の彼のセットアップを手伝いながら、わたしは夕食にハンバーグを作る。
●ハンバーグは素晴らしい出来で、一口食べるなり、A氏は感動の極みの様子。息子にも食べさせたいと言い言い、作り方の極意など訊きながら賑やかに平らげて、わたしはおかわりの発注を受け、箸を止めて、2つめを焼く。焼けたハンバーグを空いたお皿に盛ろうと振り返ったら、下を向いて、寂しげな顔をしている。どうしたのかと聞いたら、感動してしみじみしてしまったのだと言う。打って変わって、2つめを、黙りこくって、一口一口噛みしめるように食べる彼を見ていて、わたしは自分の選ぼうとしていることが間違っていないことを確信する。
●部屋の中を、台風風が我が物顔でぐるぐると回っている。夜中に、すべての窓を開け放っている。レースカーテンが、時々わたしの肩にまとわりつく。A氏は眠っている。部屋にいながらにして、風に煽られ、でも、わたしの心は凪いでいく。
●もう、何も迷うことはなさそうだ。折をみて、恋人に話す。一緒にわたしの実家に行ったり、A氏息子と対面したり、少しずつ、先に進んでいこう。ひりひりする思いでこうして日誌に書き付けるのも、そろそろ終わりにしてもよさそうだ。非日常が、日常に、だんだんと変わりつつあるから。