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●仲間の舞台を見にいく。月曜日だったせいか(月曜は比較的休演日が多い)関係者だらけ。いちいち挨拶をしていたらきりがないって感じ。そしてまた、懐かしい仲間の集まる同窓会状態でもあった。
肝心の舞台は、言いたいことだらけ。ちょっとはぐっとさせてくれよと、愚痴りたくもなる出来。終演後、20年来の仲間たちと飲み屋で大駄目出し大会。お互い元気でいい加減で馬鹿だった、ただ欲望だけは人一倍強かった時代を共にしているから、歯に衣着せないし、愛情のこもった罵倒が飛び交う。そして、真っ向からそういうことを言い合うことが、恥ずかしくない。久しぶりにわたしも喧々囂々、男どもと言い合う。
みんな嬉しいのだと想う。
もう売れっ子になっていて、映画やテレビでは相変わらずイキのいい役ばっかりやっている男が、実は体のことをめちゃくちゃ気遣って暮らすようになっていたりする。でも、仲間と顔を合わせると、盲滅法、好き放題に生きてた頃の感じが、ぐぐっと蘇ってたりして、嬉しくなるんだ。もう、みんな40代だもの。……その中では、わたしって相変わらずたいした仕事してなくって、相変わらず馬鹿で相変わらず無茶な暮らしをしている。
「お前はいつまでたっても馬鹿な女でいいなあ」と、褒めてるのかけなしてるのか分からないことを言われたりする。
愛情が、山ほどの愛情が、彼らといると、相変わらずわたしの中でふつふつとたぎっているのだと実感。
●朝日の夕刊に、芥川賞を受賞した吉村萬一氏の受賞エッセイが載っていた。これが実にストレートで、ちょっと気恥ずかしくなるくらい、創作にかける思いを実直に語っている。まあ、言ってみれば、逆に気持ちよい。
斜に構えてみるとか、かっこつけてみるとか、作家としての偶像を演じてみたりとか、そういうのを文学的修辞に絡めこんで語るのは、もう古いタイプの作家なのかもしれないな。
でも、わたしが、そういうタイプの小説や小説家を愛していることは事実。
ヘミングウェイが、自分の作り上げた物語世界に拮抗して生きようとしたり、昨日読んだサリンジャーが、自分の物語世界を模倣して生きていたり、というのは、やっぱり、心を持っていかれるわけで……。
●朝方、悪夢を見る。絶望的かつ悲惨な夢。恋人とA氏をめぐる。
「生きたいように生きては駄目なんですね」と、天を仰ぐような目覚めだった。
2003年07月27日(日) |
野音でJazz。●サリンジャー戦記(村上春樹・柴田元幸) |
●可愛がってもらってるプロデューサーに誘われて、野音にjazzを聴きにいく。野音なんて、何年ぶりだろう。
4時開演で5組。東京は久しぶりに暖かくって、野外はいい気持ち。3組目までは、まあ、なんというか、聴いても聴かなくっておんなじって感じの音で、後ろの方に座っていたこともあり、ずっとおしゃべりしている最悪の観客となる。まあ、それも野外ならではのこと。蝉の鳴く声だってずっとシンクロしていたし。
最近の演劇界事情とか、文学界事情とか。あれこれと、お互いの最近の収穫を語り合う。
4組目の登場で、二人とも「ああ、やっとjazzが聴ける」という思いでやおら黙る。
Stevie Wonder"Over Joyed"のオリジナルアレンジが素晴らしい。名曲を聴きながら、二人の男を想う。……いい曲ってのは、どうしてもそういう感情を喚起してしまうものなんだなあ。ちょうど陽が落ちる時間で、色の変わっていく空を楽しみながら、短くもいい時間。この一曲を聴けただけでも、行った甲斐があった。
ラストの真打ちはケイコ・リーだったが、二人とも彼女の声があまり好きではなかったので、一曲聴いただけで、食事へ。後輩の若いプロデューサーが加わって賑やかな食事。
わたしはどうしたことか、ずっと毒舌をはきまくる人になる。仕事のことから世の中の三面記事的なあれこれとか、恋愛のこととか、なんだか調子よくばっさばっさと斬りまくる。受けるものだから、また調子にのってしゃべる。
どうも、このところの自己嫌悪とか、自らの愚かさへの自己批判とかが、そんな形で出てしまったらしい。二人は楽しんでいたようだったが、自分自身は、なんだか心中げんなり。たった1本分のワインで、珍しく悪酔いし、おとなしく帰途につく。
●サリンジャーという作家。イノセンスを求めて、求めて、得られず、隠遁生活の中でいまだに発表しない作品の執筆を続けているという。
一人の人が、一つの人生をどう生きるか、どう生きざるをえなかったか、どう生きることを選んだか、というようなことを、深夜、ひとり想う。
2003年07月24日(木) |
愚かな自分。●シカゴ育ち(スチュアート・ダイベック) |
●日曜日から、書かなかった。本当に、なんとも言えない日々になってしまったから。
●月曜日。
美味しいお肉を買うために、デパートを奔走。GOに電話をして「ケーキはどうする?」と聞いたら、誕生日にケーキでお祝いしたことがないからやってみたいと言う。でも、たくさん食べられないから小さいのにしてねと、かわいいことを言う。トップスのチョコレートケーキの一番小さいやつを買う。
大荷物にへこたれたわたしは、またGOに電話して、駅で待ち合わせ。彼は小さなポーターさん。
食卓で、GOはわたしのプレゼントした恐竜の骨の発掘セットに夢中。ピンクの土を掘っていくと骨が現れるはずなのだが、けっこう本格的に土が固まっていて、なかなか出てこない。工作好きの彼は、飽きずに熱中。
わたしは台所で、自分だったら絶対買わない高級ヒレ肉を、緊張して焼く。我ながら、見るからに美味しそうな焼き色で出来上がる。
ケーキにろうそくを9本立て、火をつけて消灯。おじいちゃんと二人でハッピーバースデイの合唱。生まれてはじめてケーキのお祝いを受けたGOは、一息で見事に火を消した。
でも、子供って、生意気なことばだけ覚えてはいても、可愛いもので、この「ろうそくの火を吹き消す」ってことに夢中になってしまった。食事の後、火をつけては自分で部屋の明かりを落とし、消すって動作を、何度繰り返したろう? ろうそくはアルミ箔のところまできれいに溶け去り、わたしは第2弾をさしてあげた。
二人でわいわい言い合いながら人生ゲーム。そのあと、GOが近所に住むカエル探索に行こうといった時、恋人から電話を受けた。
わたしは恋人に会いに行くことを選んだ。
ふだんは散歩などしようと言わない彼が、そう言って、わたしたちは渋谷から散歩を始めた。朝まで、様々な話をする。
一日前より、よけいに心が揺れる。4年間思い続けた、わたしが彼に持つ親密さが、育て続けた親密さが、今更、「いいの?」と問いかける。
隣にいると、「ああ、この人が好きなのだ」という気持ちが化け物のようにふくれあがってくる。
それでもA氏と結婚するのだという自分のことばが、何やら宙に浮いて行き場を失っているような気さえし始める。
●火曜日
昼過ぎまで寝て、仕事をこなす。A氏に会う勇気がない。
夕方、また電話を受け、恋人に会いに出かける。
隣り合って食事して、眠くなってしまった彼と、彼の家へ。怖くて今まで入れなかった、奥さんと暮らしていた家。
彼はソファーですぐに眠ってしまい、わたしは4時間後彼を起こすまで、最近読んだ本2冊の感想を書き上げる。久しぶりに、紙と鉛筆で書く。カルバドスをなめながら。
起こした彼は、すぐに仕事を始め、わたしは書き続けた。電車が動き出したので、帰路につく。……それだけのこと。……でも、それだけのことが、いちばんのA氏に対する裏切りだと思い、情けなくなった。
分かれ道の一方を選び、もうわたしは引き返せないところまで歩いてしまったのだと、分かったようなことを、偉そうなことを、書きつづってきた。でも、わたしは、一歩だって進んではいなかった。
夜。A氏がやってきた。
愚かな自分をさらすしか、わたしには出来ない。
色んなことを、言って、聞いて、訊ねて、答えて、最後に行き着いたところは、「あいつを愛人にしてでも、俺と結婚したいなら、そうしよう。俺はそれでも一緒に暮らしたい」だった。
心配し続けて眠りの足りなかったA氏はベッドですぐに寝息をたてはじめ、わたしは翌日の打ち合わせにそなえて遅れていた仕事を急ピッチで進める。夜通しの集中した仕事。9時半に眠り、10時半に仕事にでかける。
●そして今。
精神が高揚していて、眠気は訪れない。
A氏と結婚しようという気持ちは変わらない。でも、どうしてここまで自分は愚かなのだろうと、どうしようもないのだろうと、恥じ入る気持ちが膨れていく。
でも、それでも、人を傷つけてでも、裏切ってでも、恋人のことを考える自分を、否定できない。
これから、恋人が日本を離れ、A氏と二人の時間が過ぎて行く中で、わたしは変わっていくだろうか?
●恋人に、話した。結婚のこと。A氏に事情を話し、一晩一緒に過ごす。
●今日はGOの誕生日。昨日買ったおもちゃと、星座図鑑と、「大泥棒ホッツェンプロッツ」を持ち、ステーキ肉を買って出向く。ああ、その前に、マチネを一本見るのだった……。
なんだか怒濤の日々だな。
2003年07月19日(土) |
新しいともだち。わたしの息子。 |
●先日読んだ三浦氏の評論の中で、柴田元幸氏が訳したスチュアート・ダイベックの「シカゴ育ち」という短篇にかなり紙数がさいてあって、わたしは既読だったのにもかかわらず、「そんなに面白い短篇だったっけ」と朝方家捜し。ようやく見つけ出したその本を開いてみると、これがとびっきりの面白さ。いや、面白いって言うより、本当に「いい」のだ。
「右翼手の死」というごくごく短い短篇などは、もう驚くべき作品。「フィールド・オブ・ドリームス」と「禁じられた遊び」と「スタンド・バイ・ミー」を足して割って凝縮して、さらにシニカルにさらにアイロニカルにさらにクールにしたような。短い文節のひとつひとつの描写力と喚起力がすごい。
で、昨夜は日記を書いてからA氏に朗読して聞いてもらう。最近、この読み聞かせがわたしはお気に入り。深夜に朗読するわたしもわたしだが、ビールを飲みながら耳を澄ませているA氏もまた変わっている。で、「右翼手の死」に、二人して感動。
出来ればこれを全部ワープロに打ち込んで、友達みんなに配布したい気分。それほど、いい。この良さを分け合いたい。
●昼間に細々とした仕事をすませて、A家へと向かう。最寄り駅について、GOとスーパーマーケットで待ち合わせ。2週間ぶりに会うのでどんな顔で来るのかドキドキしていたが、なんだかいきなりうち解けているので嬉しくなってくる。
相変わらず落ち着きがなくってバタバタ走り回ってはいるが、慣れないスーパーで「お肉はどこ?」「お魚は?」と訊ねるわたしをちゃんと案内してくれる。ご褒美のお菓子を一袋だけ買って、A家へ向かう。
たどり着くまでの道々、GOはご近所案内をしてくれる。「この中華屋はね……この会社はね……この交差点はちょっとおかしくってさ……次の坂が大変なんだよ……」ってな具合に、ずっと。……可愛い奴だ。
着いてご挨拶したら、GOはいきなり「折り紙折って!」お父さんは、やおら自分の昔の写真と天眼鏡を取りいだし、「わたしがどれか分かりますか?」と、なかなか料理を始められない。今日は1学期最終日だったので、さらにGOの通知票を見たり、夏休みの計画表を見たりした後、ようやく料理開始。
ハンバーグとアボガドと鮪のサラダ、野菜のソテーなどのメニューを作る間、はじめて使う勝手のわからない台所で戸惑うわたしに、GOは「あれはここね、それはあっちね」ときっちりお手伝いしてくれた。……可愛い奴だ。
ちょうど出来上がる頃にA氏も帰ってきて、4人で食事。とっても賑やか。
片づけが終わったら、GOはお部屋の片づけをする約束になっていたらしく、わたしはお手伝い。生意気盛りなので、「バイト代払うからさ、ちょっと手伝ってよ」となめたことを言う。でも、一緒にいてもらうことが、とっても嬉しそう。
いつもは9時過ぎには寝るのに、今日は興奮していて、片づけのあと、わたしと駒でさんざん遊び、眠ったのは10時半過ぎ。
あとでA氏と寝顔を見にいったら、口に指をくわえて眠っていた。
●子供を産み、育て、しているお母さんたちには、ごくごく当たり前な日常が、わたしにはひとつひとつが事件だ。そして、その当たり前な日常を支えているお母さんたちの苦労を、わたしはまだ何ひとつ知らない。でも、まあ、いつものごとく、当たって砕けろだ。わたしにはわたしの想像力がある。
あさっては、GOの誕生日。A氏が仕事で遅くなるので、わたしとお父さんと二人でお祝いする。でも、プレゼントは何にするかなあ……。工作好きの彼のために、何か面白い工作キットを、明日探しにいこう。
何より嬉しいのは、やはり、わたしが誕生日に来るよと言ったとき、飛び上がって「やったー!」と素直に喜んだこと。
●片づけをしている時に、恋人から電話がはいり、食事の誘い。今日ばかりはどうしようもない。断ると寂しげな声。……でも、この「どうしようもない」を、これから繰り返していくことになるのだろう。
一瞬で恋人からの誘いの電話と察したA氏は心配気。でも、大丈夫だよ。わたしは、もう責任を負うことを始めたんだから。
●ああ、今日は最悪。またしても、日頃の読書による睡眠不足を、知らず知らず補填してしまい、起きたら15時。おかしいなあ、10時に目覚ましかけたのに……。まあ、寝たのが8時だからしかたないんだけど。
人間失格の烙印を押されまいと、やおら仕事開始して自分にエクスキューズ。さくさく仕事の電話をこなしているうちに、情けなさがちょっとずつ消えていく。なんだ、簡単。
ほっとして、暮れていく街を自転車散歩。今日は降らないだろうと思っていたのに、やっぱり小雨がぱらぱらと。いつになったら去ってくれるのか、長い梅雨。ご馳走を作ってあげようと、夕飯の買い物。帰ってからまた仕事。
●食事してお風呂につかって、ソファーでA氏がうとうとしているところに、恋人からの電話。明日のモーニングコール願いの電話だったのだが、それで目を覚ましたA氏は、さすがに複雑な面持ち。
こっちの方が、よっぽど人間失格の因になるのか。
でも、わたしはこのままでいく。
●明日はA家で食事を作る日。母がGOに食べさせてあげなさいと送ってくれたメロンを抱えて、わたしは山手線の反対側に赴く。A氏のリクエストで、この間感動を呼んだハンバーグを作る予定。
今夜はあまり面白い本を開かない方が身のため、かな。
2003年07月17日(木) |
読書熱おさまらず。●村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ(三浦雅士) |
●ああ。またしても読書にうち興じて、夜を明かしてしまった。今日は三浦雅士氏の「村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ」。
氏の「青春の終焉」に、評論を読む喜びを覚えたのは、確か昨年の春のこと。今回も本屋に並ぶのを待っていた。
そしてこれが面白い。村上春樹翻訳作品を、柴田元幸作品を、追っかけてきたわたしには、自分の青春を読み直すくらいの時間旅行ができた。現代アメリカ文学翻訳作品として横一列に並んでいたものたちが、一気に時系列で、或いは作品の持つ「声」で、縦に縦にと積み重なり、自分が生きてきた時代を再確認した感じ。三浦氏の解き明かしだの推論を読むことは、砂金に磁石をあてるような快感がある。
強引過ぎるまとめ方や突っ込みすぎに、ひいてしまうところもあるのだが、そんなことはなんのその。三浦氏の興味が自分の興味と重なり、なんだか一緒に夏休みの自由研究に没頭するような気分で一夜が過ぎた。それもこれも、やはり、村上氏と柴田氏の翻訳する作品をほぼすべて読んでいるからだし、ほぼすべて、色んな意味でひっかかってきたからに違いない。となると、そこに見えてくるのはやっぱり、自分だったりするわけで。
なんだか、自分の成り立ちってものを、自分の興味の所在から読み取れる資質ってものを、考えてしまう夜でもあった。今は眠いからとても書けないけれど。
●「磔のロシア」っていう、スターリンと様々な形で闘いつつ表現活動した人々の本を次に読むつもりだったのだが、三浦氏の評論で、ずっと前に読んだスチュアート・ダイベックが気になって気になって仕方なくなり。でも、書棚になかなか見つからず、しばし探索。奥の奥の方に隠れていたほこりだらけの本をようやく見つけ出して、今からこれを手にベッドに入る。
読書熱おさまらず。
●今度の土曜日、ようやくGOに会いにいけそう。A家の台所の使い方をA氏に教わり、これからA氏の忙しいときは、わたしがA氏父とGOに食事を作りに行けるようにする計画。そろそろ次の仕事の準備がわたしの休暇時間を脅かしてきたが、GOとゆっくり知り合っていけるのは、今のうち。現場に入るまでは、仕事は効率よく片づけて、読書と結婚の準備に明け暮れよう。
それが、自分の現在を知ることにとっても近いってことを、最近感じている。
2003年07月16日(水) |
久々の仕事漬け。●チェーホフ 短篇と手紙(山田稔編) |
●明日だと思いこんでいた打ち合わせが、今日だと気づいたのが、午前1時。のんびり進めていた資料作りの仕事を急ピッチで進めて、ようやく眠れたのが、午前11時。1時間半の仮眠をとって、バタバタと打ち合わせへ。仕事場につけばとっても元気。休んでいるとやっぱり強いなあ。
とは言うものの。
制作会社を出たら、眠気と空腹に襲われる。帰宅して先ず空腹を満たしたら、眠気倍増。ここで寝たらまずいと頑張ってみるも、簡単に負けを喫する。
21時から23時まで仮眠。
昨日から仕事ばっかりしていたので、長い夜を使ってまた読書。みすず書房の、チェーホフ短篇と手紙。どれもかつて読んだものだが、アンソロジーというのは、編者が選んだ作品を選んだ順番で読むことに意味がある。
これは地味ながら、とても幅のあるチョイス。頑張ってる名作ばかりでなく、静けさと落ち着きのあるアンソロジー。手紙も、選ばれがちなクニッペルへのものをひとつも入れず、兄への手紙を選ぶところなど、なかなかニクイ。これで「黒衣の僧」が入っていたら完璧なのだけれど。
読書をちょっと休憩してA氏の明日のお弁当の下ごしらえをしたり。
お休み復権の夜。
A氏の求婚を受けた麗らかな日に、風に香りを思う様ただよわせていた青梅は、すっかり美味しい梅干しにしあがった。半分は梅雨明けしたら干して赤味をつけ、半分はフルーティーな緑のままいただく。細かく刻んでごはんに混ぜ込み、おにぎりにすると、とても美味。
美しい思い出とは裏腹に、A氏はベッドでけたたましい鼾をたてている。疲れているんだなあ。しかしまあ、どんなに疲れていても、わたしのことばっかり気に懸けてくれる。なんというか、奇特な人だ。
でも、ちょっと隣で眠る勇気はないな。今日は、このまま本に埋もれてソファーで眠ろうっと。
2003年07月15日(火) |
日々を楽しく。●吾妹子哀し(青山光二) |
●90歳で現役作家。青山光二氏の「吾妹子哀し」を読む。わたしの中ではすっかり文学史の中の人となっている織田作之助と青春時代を共にした、というところから、もう、書き続けているだけですごいと思ってしまう。
40歳を過ぎただけで、物忘れが激しくなったなどとぼやいているわたしは、その文章のみずみずしさに驚く。宇野千代さんの文章をリアルタイムで読み、尊敬の念をそのたび強くしたことを思い出す。もちろん宇野千代さんの場合は、その大胆な生きっぷりにも女として傾倒し、師と仰いでいたわけだが。
A氏はこうして書いているわたしの後ろで、ソファーに寝そべって眠りこけている。恋人から、明日起こしてくれと電話がかかってくる。
わたしはただの強欲な女で、いずれは二兎を追う者として、断罪されるのだという気もしている。
またその一方で、これだけ二人を一人ずつきっちり愛しているのなら、それが嘘偽りのないわたしであるので、どうしようもないと、開き直ってもいる。
わたしがそういう女と知って、A氏は丸ごと許容してくれている。どうであれ、今が幸せだと言ってはばからない。
小説を読みながら、やはりわたしは、そういう自分の現在を考えるわけで。人生の転機にあるわけだから、もうそれを楽しんでしまおうとも思っている。何も為さなくってもかまわない。好きなだけ考えて過ごそうって。そうこうしているうちに、どんどん仕事の影が押し寄せてきていることだし。
●休みで時間があるからと書き始めた本の紹介文だが、このところはすっかり、読んだら書くというのが習慣になってしまった。
どうも、読んですぐに本棚に戻してしまうより、ディープに体験できるような気がするし、自分の作品へのこだわり方、その偏向性が明らかになって、面白い。
後になって自分の書いたものを読んでみると、どうも偏りを感じる。読書している時には平衡感覚を持って読んでいたのに、だ。……何か、こう、感想文という形を使って、わたし自身が何か言いたいみたいな、そんな押しつけがましさを感じて、ちょっと自分でもおかしくなってしまう。まあ、それはそれで自分であるので、今はよしとして、書き続けている。
基本的に、薦めたい本を書こうとして始めたことなので、つまらなかったものには書いていない。酷評文も書き出せば、何か違う面白さが出てくるかもしれないな。
●いよいよ始まるあちらのオールスター戦。野茂が初めて出場する時も、出勤前テレビにかじりついたっけ。
イチローと松井が、今の日本人にとって、いちばん共通の明るい話題ではないかしらん。まあ、一部阪神ファンは別だろうけれど。
小さい頃、巨人が勝った翌朝には、食卓にスポーツ紙が何紙も並んでいた。父が早起きして駅のスタンドで買ってくるのだ。すっかりそんな父に影響されたわたしは、根っからの巨人ファン、野球ファンになった。だから余計にそう感じるのかな。
夢を叶えようとする人を見ることは楽しい。勝ち負けがはっきりするから楽しい。勝ち負けに関係なく余白に物語が生まれるから楽しい。自分の選んだ世界とまったく違うから楽しい。
2003年07月14日(月) |
きっと誰にも分かってはもらえない。●アレクセイと泉(本橋成一) |
●恋人と食事に出た。電車ではちょっと行きにくい、隠れ家のような、行きつけの店。
話は弾み、胃潰瘍の調子も少しはよいらしく、美味しい食事。
このデートは、A氏が「行っておいで」と後押ししてくれたものだ。まだ失せてはいない恋情に強引にストップをかけても、あとでストレスを感じるだけだからと、彼は言う。
疲れた体をマッサージしてあげるため、家に一緒に帰る。彼が眠ってから、わたしは思う。こんなに愛している、と。
でも、彼は、わたしを日常的に必要とはしていない。だから、こうなったのだ。わたしの選んだことは間違っていない。
朝。8時半に起こしてくれと頼まれていたが、余りにも働き過ぎなので、1本目の打ち合わせはとばしてしまえと唆す。唆しに彼はのって、のんびりとした朝の時間。11時半にタクシーに乗り込んだときは、元気な顔をしていた。
ほっとして、わたしは車を見送る。
●A氏に結婚を申し込まれた当初、わたしは恋人のことを捨てられないからと断った。A氏は、恋人のことが好きなこともふくめて、君を守りたいと言った。そんなことがあり得るのかどうか疑問だったが、それは、少しずつ、現実になっていった。
わたしは恋人のことを捨てないままに、A氏との生活に入っている。
よそでは絶対理解されない関係だろう。そして、この関係を保つぎりぎりのラインを守るのは、わたしのA氏への愛情にかかっている。
そして、少なくとも、A氏との結婚を決めたことを、恋人に伝えなくてはならない。恋人とも、新しい関係を始めるときがきている。
●新聞を開くと、嫌な事件ばかり。昨年の春に見た「アレクセイと泉」を、写真集を見て思い出す。救われる思い。