Journal
INDEXbacknext


2003年08月13日(水) 余裕なし。

●疲れる。1日終わると、どっと疲れてる。久しぶりに、いっぱいいっぱいで働いている。余裕なし。
 


2003年08月12日(火) 仕事、楽しい!

●本格的な稽古、始まる。
 昨夜は準備に明け暮れて、2時間しか眠れなかったのに、現場では元気元気。しかも、楽しい!
 わたしはやっぱり、よほど仕事が好きなんだと実感。
 まあ、長らく休んでリフレッシュしたせいも、きっとある。これから来年の7月まで休みなしに駆け抜けることになっているから、その長き走りのスタートとしてはいい気分。この新鮮さが、さて、褪せずにいつまで持つやら。……人間、疲れが貯まると、楽しいことも十分に楽しめなくなるからなあ。
 さて、明日も早起き。
 今日はよく眠れそう。

●ベッドの読書。
 モスクワの地下鉄。滞在中、たびたび利用したマヤコフスカヤ駅がシェルターとして利用されていた当時の写真に驚く。
 深さには、理由があった。
 毎晩数ページの読書が面白い。


2003年08月11日(月) 諦めは新しい人生の始まり?

●ああー、いい天気だっていうのに、やること山積みで、1日中机にへばりついて仕事。しかもひっきりなしに電話がかかってきて、ほとんど我が家は仮設事務所状態。dも、今日1日じっくり準備したことで、明日は不安なく稽古場に行ける。歌稽古期間を終えて、明日からいよいよ本格的な稽古の始まりだ。まあ、どれだけ準備をしていても、現場では何が起こるか分からないからなあ……。

●母と、結婚問題について長い時間、電話にて話し込む。娘のことを熟知している母のことばはやはり強い。わたしは正直に今の気持ちを全部話す。ちょっとすっきり。でも、流れとしては、結婚しないなんて言い出したら、わたし、勘当かも。
 母は、人生なんて、ちょっとした諦めをよしとして進んでいくものだと言う。そこから、新しい挑戦や冒険が生まれて、夢中になれるものだと。

●すでにベッドの中だけに限られてしまった読書時間。モスクワの地下鉄の深さとスターリン政権の話が面白い。これを読み上げたら、ずっと読まずに置いていた、スターリンとの共生で人生を歪めた芸術家たちの本に着手しよう。……重松清「疾走」で、物語に、ちょっと疲れてしまったかもしれない。


2003年08月10日(日) 徹夜明けに、モスクワを思う。

●朝5時に仕事を終えて、「モスクワの地下鉄の空気」という本を抱えベッドへ。7時頃ようやく眠気を覚えて本を閉じ、目を瞑る。MAX11時まで寝ても平気だな、と、目覚ましをかけていたのに、9時に演出家に電話で起こされた後、相次いで仕事の電話。諦めて起きだし、ゆっくり朝ご飯。起床予定時刻には、家を出る。

●モスクワのことを思い出す。たかだか2週間しかいなかったのに、様々な事件、出来事があり、濃密な時間だったから。
 何より、チチェン人の劇場テロに出くわしたこと。地下鉄の隣の駅の劇場で芝居を見ていたわたしは、翌日、事件を知った。それからは、ホテルにいる間、テレビに釘付け。窓の外にはクレムリン。観光客を閉め出して、ものものしい警備が続く。街を歩けば、そこかしこに実弾の匂い。占拠が続く中、劇場はハウスオープンを続ける。上演前、休憩中、終演後には、無線連絡の声がホールに響く。「桜の園」をマールイ劇場で見た時には、小銃を膝に置いた警官が斜め前で観劇していた。ボリショイでオペラを見た時には、休憩中サンドウィッチをほおばるかなり御高齢のおばあさんが、「あたしゃ、前の戦争の時も、毎日通ってたからね」とクロークのおばさんにしゃべっていた。歩くのもままならないのに、食べ物をほおばる姿が逞しかった。モスクワ座では、喜劇の上演前に演出家が出てきて「こんな時に劇場にきてくれてありがとう」といった挨拶をし、拍手喝采を浴び、上演中は劇場に笑いの渦ができていた。
 その間も、占拠は続き、延々続き、プーチンは、十分な解毒剤が用意できないままに、化学兵器を用いて、突入。事件は解決を見たが、多くの人質も、化学兵器に命を取られた。テレビは、生き残った人たちを見舞うプーチンの心配げな顔ばかりを映し続けた。
 わたしの仕事場、劇場には、爆弾を腹に巻き付けた女達が、無様とも果敢とも言い難い死に顔を晒していた。多くは、紛争で夫を亡くした女たちだった。

 出来事は、そこにあって、目の前にあって。言わば単なる事象であって。
 しかし、そこに何を見るかは、ただの旅行者であるわたしにさえも、委ねられていた。

 モスクワを思うとき、わたしは自分の仕事に対して、とってもフラットな気持ちになれる。目の前の些事、目の前の大事に踊らされず、この仕事をやっている自分と、落ち着いて向かい合おうという気持ちになる。

●それにしても、モスクワの地下鉄は深い。延々と潜る。エスカレーターに乗ったら本をおもむろに開く人がたくさんいたくらいだ。歩かず走らず乗っていたら、一駅分くらいの時間は優にたってしまうのだもの。構内の案内は恐ろしくわかりにくいし、外人を適当に連行して賄賂、外貨をまき取ろうとする警官が待ちかまえているし、ちょっとしたワンダーランド、ちょっとした異界なのだ、モスクワの地下鉄は。(その後ペテルスブルグに行ったら、ネオナチが跋扈しており、これも怖かったけど)
 滞在中、わたしは夜休みなく劇場に通ったけれど、それは毎夜、一人歩きをするということ。大事な仕事を帰国後に抱えていたわたしは、実に用心深い人となり、昼間、チケットを入手するついでに、必ず劇場からの導線を予行演習として歩いた。きっちり回りの状況を把握しながら。で、終演後は、「わたしはここの人間だから」って顔をして、すたすたと迷いなく帰途につく。……一人旅はなかなか大変だけれど、終わってみると、その予行演習の時間が実になつかしい。
 どうしてそんなにモスクワに惹かれるのか、と思う。
 芝居好きの街だからか。それとも、あの、あらゆるどうしようもなさが、逆にいいのか。

 だって。たとえば。
 7連泊で予約していた部屋を、2泊目の夜、他の部屋に移ってくれと言われて。なんだか知らないけれど、改装だから仕方ないんだと言われ。「だって予約してあったんだから改装を待てばいいでしょ」というようなことを、理解されない英語で伝え。断って。向こうが「仕方ないなあ」って顔をしていたから一安心したら。
 次の日劇場から帰ってくると、ヒーターははぎ取られ、電話とテレビは引っこ抜かれて、壁紙は一部剥がされていた。
 そういうことなのねと観念して、「どこへ移ればいいの?」と聞いたらば、「フロントに聞いて」「旅行社に聞いて」「ジジュールナヤ(各階にいる鍵を預かってるおばちゃん)に聞いて」とたらい回しにされ、引っ越しを終えるのに半日を要した。……一事が万事、そういう国だった。
 自分だけ頑張っても損、という考え方は、共産圏ならではのもの。サービス業なんて絶対根付かないし、働かずにすめば、それに超したことはないのだ。
 貧しさは、人を暴力的にして、白タクの兄ちゃんにあやうく身ぐるみ剥がれそうになったりもしたけれど、彼の外貨への強い欲望を思うと、そんなに否定的にもなれない。

 で、だから、どうしてそんな国がそんな街が気になって仕方ないのかと問われても、わたしには説明がつかない。……たぶん、出会い方なのだと思う。

 恋人がパリに惹かれ続けれるも、やはり、そういう出会い方をしたのか。
 A氏とどういう関係であろうと、わたしは年末に生まれる仕事の僅かな間隙を縫って、パリを訪ねるだろう。そこに、どういう出会いが待っているのか。

●台風一過。傷跡を残した台風だったが、過ぎた後の清々しさは。
 暑くても暑くてもわたしは夏が好き。紫外線がどんなに肌に悪いって言われても、陽の光を浴びるのは好き。どうせ、いつかはなくなる体なのだ。使い切って、思い切り気持ちいいことして、死なずして、どうする!


2003年08月09日(土) 忙殺されて。●阿修羅ガール(舞城王太郎)●大力ワーニャの冒険(プロイスラー)

●久しぶりだなあ、日記を書くの。
 どんなに忙しくても今年は少しずつでも書いていくのだと、永井荷風先生の日乗を読んだ正月に思ったのだったが、このところの忙しさに、つい。
 休みの間に本を読んでないと気が済まない習慣がついていて、忙殺されるだけの1日を書く時間があれば、読んでいたい気持ちだった。

 それにしても、突然忙しい。
 朝から晩まで動き回っていたり、朝から晩までコンピュータに向かっていたり。まったく、寝る時間を惜しんで働いている。
 別に、いつもより大変な仕事をしているわけではない。お金のないカンパニーだから、仕事の出来る人が少ないのだ。人員削減のおかげで、わたしにどっと仕事が回ってくるというだけのこと。

 その上、恋愛がらみでも、相変わらず気持ちの浮き沈みが激しい。本を読むのは、活字中毒というよりは、物語に逃げ込んで現実から目を背けているのか……?

●仕事の合間に、頼まれていた、GOのお守り袋と、防災頭巾のキャリーバッグを縫った。なかなか可愛らしい。でも、けっこう時間がかかってしまい、その分残務に追われ、今夜はたぶん徹夜。

●評判にはなっているが、わたくし的には読まなくてもいいかと思っていた「阿修羅ガール」。三島賞の選考評で、宮本輝氏があまりにけなしているので、逆に読んでみる気になった。そこまで、作家を嫌な気持ちにさせる小説ってどんなもの?って感じ。
 それが読んでみると、悪くないんだな、これが。
 徹頭徹尾、作為の嵐。下品めのガーリッシュな語り口、リアリティーがある。2ちゃんねる風巨大掲示板の延々描写も、ほんものの気持ち悪さに迫っているし、挿入されるおとぎ話の怪物も、「モンスター」の名前のない怪物くらい魅力的。……最後の最後に、なんだか落ち着くところに落ち着く感じが、面白くないが、それでもまあ。
 何より、宮本輝氏が、何を嫌がったかが自明で、それがすごく単純なことで、でもその単純さが、今の文学界では大問題になってしまうところが面白い。

●仕事を覚えたての若い子を何人か使っている。みな素直で一見真面目そうなのだが、何を教えても、一緒に作業しても、豆腐みたいな歯触り。
 がむしゃらになることがなく、言われた以上のことはやらない。(だから、言われたことも真っ当できない)
 与えられた時間は、とりあえず頑張ってみるが、家に仕事を持ち帰ろうとは決してしない。
 だから、「やれ!」という前に、わたしはわたしが仕事をする姿勢をとりあえず只で見せて勉強させてやっている。ついて来る奴はついてくるだろう。
 人より好きだったり、人よりやる気があったり、人より欲望が強かったり。と、そんなことから、仕事はふくらむ。


2003年08月05日(火) 俯瞰したり、凝視したり。●疾走(重松清)

●あっという間に、忙しい人に戻ってしまった。
 でも、よく休んだせいか、人に対してかつてよりおおらか。このところ、働くことが、いたって楽しい。
 ただ、今日と明日は受難の日。
 今日は自宅で資料つくりと、スケジュール調整。一日中携帯で連絡を取っていたような気がする。家は事務所状態。……と言っても、様々な経費は全部持ち出し。個人事業者はつらい。
 明日は、恐怖の打ち合わせデー。朝から4件の打ち合わせを、すべて別場所で、という冗談のような1日。しかも、電車で帰れる見込みはほとんどない。仕事だから、ま、仕方ないか。

●重松清氏の新刊「疾走」を読んだ。

 少年の自殺。少年の殺人。少年の放火。
 頻繁に社会を浮き足立たせるこれらの事件。
 親も、友人も、教師も、精神科医も、誰も、少年の「内」には届かない。
 なぜ、少年は、そこに至ったか。

 重松氏は、それを書いた。
 一人の、ごくごく当たり前な少年が、殺人を犯し、放火を犯し、逃亡し、自殺を選んだ、その長く短い時間を。丹念に。実に実に丹念に。

 今までの重松作品から想像できない強靱さ、息苦しいまでの緊張感だ。

 どうしても、書かずにはいられなかったこと。だからだろう。

 でも、余りにやるせないので、小説を書くって一体なんなんだろう? って考え込む。小説を読むって、一体なんなんだろう? って考え込む。
 どうも辛くって、やりきれない。

 この心のもやもやを、うまく言い表せない。
 
●また悪い夢を見た。休みの間、あまりにたくさんの本を読み、たくさんのドラマに浸かりこんで過ごしたので、しばしば、物語は夢に侵入し、目覚める時の、現実のわたしを脅かした。

 仕事が始まり、俯瞰する暮らしから、凝視する暮らしに移っていくものの、目の裏に、様々な焼き付いたドラマは、残っていくのだろう。

 何か、別種の見方をしたい。と、切望していた。
 宇都宮で、舟越桂氏の作品展が開かれているらしい。次の休みに(休みが休みになれば)、行ってみようかと思う。往復4時間はかかるが、きっと無駄じゃない。


2003年08月03日(日) 原石たち。●輝く日の宮(丸谷才一)

●まずは、歌稽古から。今日借りたスタジオまでは自転車で30分位の距離。待ちかねた晴天の下、迷わず自転車を駆る。心地良い。

 このたびの出演者の平均年齢は、驚くほど低い。なんたって、中学三年生の女の子さえいるんだから!(まあ、子役は別と考えて)
 最初のダンスのレッスンのあと、着替えた女の子たちを見て驚いた。なんと制服姿。しかも、稽古だ、仕事だ、と張り切っているものだから、わたしなんかよりしっかりお化粧しており、どう見てもコスプレ状態。中身は可愛いことこの上ないんだけどね。

 まだ商品になっていない段階から磨き上げる作業が、この仕事の稽古期間には含まれている。もちろん、磨きがいのある原石を選んではあるわけだが、今日の歌稽古を聞きながら「原石も原石だな、こりゃあ……」とスタッフは頭を抱える。……ということは、わたしは奴らを、思いっきり愛してしまうということだ。(10月までこいつらと暮らすんだ)と思いつつ、一人一人の緊張した顔を眺める。こういう時、わたしは最も優しくて安定した気持ちになれる。誰かに、何かを渡すことができるということ。誰かに、力になることができるということ。誰かが、自分の力を求めているということ。そういうことが、必要な自分を持ち上げてくれる。

●丸谷才一の「輝く日の宮」という小説を読み終えた。源氏物語の失われたひとつの巻をさぐる主筋に、女性国文学者の恋愛譚が絡む。
 この女性の恋愛たるや、まあ惨憺たるもの。自分の中に描きたい物語がまずあって、自分をそこに当て込んでいくような恋愛の仕方。ドラマティックなことが大好きで、すぐにドラマ性に踊らされて、しなくてもいい恋愛をする。必要なのは、生活じゃない。知的に人生を読み取っていける環境。
 たまにいい出会いがあっても、自分はどういう女であるべきかという思いこみに惑わされて、二人の関係性で行動が選べない。相手の男も、おんなじタイプ。やっぱり似た者を呼ぶものなのだ。そして、当然のごとく、崩壊する。だって、それぞれに自分のことしか考えていないんだもの。

 で、わたしは、相当に落ち込んだ。眠れなくなってしまった。
 だって、それは、わたしの似姿なんだもの。「古典馬鹿」と笑いながら読み進めるうち、ふっと、「あ、これ、わたしだ」と気づいたときの落ち込み。……ひどかった。
 こんなもの読むんじゃなかったと思っても、もう遅い。
 もうすぐA氏の仕事も一段落する。さあ、どうするんだ、わたし。


2003年08月01日(金) 仕事モードに入る。

●新幹線に乗り込んでからというもの、すっかり仕事モード。現場に入ってからは動きがあって楽しい仕事も、今は打ち合わせに次ぐ打ち合わせ、資料作りに次ぐ資料作りで、ずっと机の前にへばりついている。
 A氏も泊まり込みモードに入っていて、しばらく会っていない。
 昨日、「恋人を好きなまま、俺と結婚しよう」というメールをもらったが、やっぱり、世の中そういう風にはいかないのだ。いかないことが、この何週間かで、骨身にしみてわかった。
 しばらくお互い仕事で会えない時間を利用して、頭を冷やそうと思う。


●長い雨はやんだものの、なんだか湿気ばかりが気になるどんよりしたお天気。洗濯物が1〜2時間でカーンと乾いてしまう陽射し、はりさけんばかりに鳴く蝉の声が、恋しい。

●はじめて仕事でおつきあいさせていただく作曲家が素晴らしい。デモテープをかなり聴いているせいもあり、頭の中で常に歌っている。


2003年07月30日(水) 地方都市にて。●向田邦子の恋文(向田和子)

●午後。恋人の現場を訪ねて、地方都市のホテルに向かう。16時到着。仕事の終わった彼と会えるのは、たぶん23時を過ぎてから。……せっせと仕事をする。すっきりと何もない環境で、仕事ははかどる。明日の東京での打ち合わせの段取りはほぼ終わり、読み始めていた丸谷才一を読み継ぐ。

 23時を過ぎて、恋人から電話あり、ホテルの前で待ち合わせて、前もって調べておいた店へ直行。さすが地方都市、雰囲気もへったくれもあったもんじゃないが、料理はひたすらに美味しい。1時までで食べ尽くし、バーでそれぞれスコッチとライウィスキーのロックをダブルで一杯ずつ飲み、おとなしくホテルへ。
 仕事で右手を手痛く傷つけている彼のことを考え、ツインの部屋をとっていた。彼は、連日の徹夜仕事の疲れで、倒れ込むように寝てしまう。

 別に金持ちでもなんでもないのに(言ってしまえば貧乏だ。)、たかだか5時間の邂逅のために4万ほども使ってやってきたわたし。

 考えることがあった。

 わたしは恋人を今でもまちがいなく愛している。そしてA氏も愛している。
 ただ、わたしは、恋人といる時のわたしが、どうしようもなく好きなのだ。A氏といる甘えの強い自分より、恋人といる時の、向かい風に我が身を晒して気丈に立っている自分が好きなのだ。そこで生まれる、穏やかな時間がとても好きなのだ。

 よくわかった。わたしは、いい歳をして、自分を愛する方策として恋をしているのだと。

 だからどうするのだと自分に問うても、答えは出ない。

 でも、そんなシンプルなことが分かっただけでも、来た意味はある。

●こうして毎日書き付けるのは、とても辛いことだったし、辛いなら書かない方がいいと、この日記を読み続けている友人に示唆されたりもした。
 でも、たぶん、書いていたほうがいい。
 人に読まれている限り、わたしは事実を書く。
 自分の日記だったら、事実なんて書かない。体のよい感傷を書くだろう。あるいは、体のよい、自分への責めか。
 どんな結末が待っていようと、こうして書いていくことは自分にとって意味のあることなのだと、今夜、強く思う。

●昨夜、「向田邦子の恋文」という本をベッドで読んだ。向田さんの死後見つかった、不倫相手との手紙やら日記を公開したもの。
 人ひとりの人生での秘め事は、フィクションを超えるはずだ。何故こんなものが出版されたのだろう、と、読後もやもやしたものが残った。
 向田さんの著作は全部読んでいる。20代、偏愛していた。亡くなってからも、書棚から時折ひっぱり出す。この人が切り取る生活は、痛ましく美しく、当たり前でいながら、いつも不思議な日常の異界だった。
 作品だけで十分だった。
 いいじゃないか。……そんなもの出版しなくったって。
 書簡という文学形態を意識したものでもなんでもなく、ただただ愛情を綴った手紙は、読んだことを忘れたいくらいの、純粋さだった。大人になってからの純粋さは、あらゆる世間体や自己愛、見栄や計算の、その下にいる。大人なら誰でも持つ、それらの逡巡の下にいる。だから、見え隠れする愛情は、純粋なほど痛ましいのだ。
 ……読まなければよかった。本を読んでそんな風に思うことなんて、めったにない。……だから出版する意味があったというのか?

 明日は二人して朝が早い。眠らなければ、と思うのだが、こうして書くうち、どうにもこうにも興奮してきてしまった。
 こうしている内にも、次なる仕事を促す書類がメールで添付されてきたが、仕事は新幹線の中でやるとして、今夜は一人で酒を飲もう。


2003年07月29日(火) 答えの出ないときは、動く。●4TEEN(石田衣良)

●ただただ、仕事の1日。合間に本屋でまた買い込み、読書。合間とは言え、直木賞を受賞した石田衣良の「4TEEN」を読了。この作家は、職人だな、それもとっても「今」を意識した。否定ではなく、バランスの取れたエンターティメント。いい。

●明日は、恋人に会うために遠出する。
 意味なく意志薄く、喜びを伸ばしているだけなのか。それとも、誰から反対されても、そこが自分の場所なのか。
 分からない。分からない時は、行動してみるしかないんだ。


MailHomePageBook ReviewEtceteraAnother Ultramarine