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2003年08月28日(木) "It's my nature."〜性(さが)●美しいこども(石田衣良)

●世の中には、遅刻することが平気な人と、遅刻するのが嫌な人の、2種類いる。
 厳しいスケジュール調整を一手に担っていて、この、遅刻するのが平気な人に、どれだけか悩まされている。
 わたしは、残念なことに、遅刻するのが大っ嫌い。損な役回りばかりだけれど、これは一生変わらない。

●「クライング・ゲーム」という映画の中に、面白いエピソードが出てくる。IRAの戦士に捕虜にとられた英国人が、囚われの身から解放されようと戦士に語りかける、ちょっとしたおとぎ話。

 深い川を前にしたカエルに、サソリが話しかける。
 「カエルくん、僕をおぶって川を渡ってくれないかい?」
 「でも、サソリくんは、おぶってあげたらきっと僕を刺すだろう?」
 「刺すわけないじゃないか。だって、刺したら君は溺れて、僕も溺れてしまうんだから」
 そしてカエルは、サソリをおぶって川を渡り始める。向こう岸を目の前にして、サソリはカエルを刺す。
 カエルが溺れながら言う。
 「サソリくん、どうして僕を刺したんだい? 君も溺れてしまうのに………」
 「それは、これが僕の性(さが)だからさ……」

 わたしの記憶の中に住んでいるお話なので、映画どおりの台詞ではないが、とにかく、そういうお話。最後の台詞の原語は確か、
 "It's my nature."だった。

●たくさんの人間と長時間を共に暮らす仕事をし、たくさんの本を読み。
 そんな暮らしをしていると、この「性」というやつのことを考えることが多い。
 自分の性。
 他者の性。

 昨夜、石田衣良の小説を読み終え、ベッドの中で、逃げられない、自らに植え込まれた性に泣く。そしてまた、重松清の「疾走」のことを思い出す。
 自分からは、死ぬまで逃げることができない。ずっとずっと、この自分とつきあっていくしかない。
 だから、せめて自分からは逃げないで、生き抜くだけだ。なんとか、この自分と。


2003年08月26日(火) 健康に留意の暮らし。

●1日1日、やるべきことを為す。ただそれだけの毎日。このそれだけが、いたって大変。
 この2日、11時から22時の稽古時間、煙草の1本も吸えず、食事も出来ず。わたしは今まで、恵まれた仕事をしていたんだなあ。そりゃあ今までだって大変だったけれど、能力とやる気のある人間が集まっていた。……お金のないカンパニーは先ず人を削る。そのしわ寄せが、わたしにきているわけだ。でも、どんな状況であっても、幕は開ける。幕というのは、開けるためにあるものなのだ。

●先日の心臓痙攣がマジに怖かったので、このところは健康に留意して暮らしている。忙しくっても、朝ご飯をちゃんと食べ(仕事中に食べられないから意地でも食べる)、忙しくってもちゃんとお風呂につかり、読みたい本の続きをちょっと我慢して、早めに目を瞑る。栄養補助剤を摂り、寝る前に軽くストレッチ。そして、お酒はしばらく我慢。
 と、なんだかやはり、調子がいい。しばらくはこの暮らしを続けてみよう。歳をとってくると、たまに不良であることを楽しむためにも、健康でいなきゃあならんのだ。




2003年08月24日(日) 陽の目を見たい若者たち。●二十一世紀最初の戯曲集(野田秀樹)

●それにしても、このところの業界のモラルの低下は甚だしい。
 仕事を受けておきながら、後になって、どんどんNGを出してくる。最初から分かっていれば、絶対キャスティングしないようなNGの数々。
 タレントを使い捨てにしてしまう事務所のやり方、馬鹿ばっかりのマネージャーたちに、腹を立て続けている。このところは、腹を立てるだけではなく、どうあるべきなのかをちゃんと説くように心がけている。何がどう間違っているかを伝えるようにしている。馬耳東風であっても、片腹痛い思いを少しは味わっておくべきだ。

●どんどん現場は、情報飽和状態になっていく。問題も山積みで、何から手をつけていいやらという感じ。こういう時は、地道に一つずつつぶしていきながら、全体を見渡し続ける意識を忘れないように過ごす。自分が全体をしっかりと把握しておかなければ、何かが零れていくのだという責任感で、気の休まる暇がない。

●帰り道、11時までやっている本屋に寄り道して、しばらくは持つだろう量の書籍を購入。忙しくっても、最近はネットのメール便配送で買えるのだが、やはり本屋に我が身を置く喜びは代え難い。
 今夜は、なるべく早くベッドに入り、新しい物語の扉を開こう。でも、このところ書き続けていた感想など、まったく書く余裕なし。ただただ、自らを喜ばせる読書のみ。

●今までの夏不履行を取り返すような、猛暑。でも、お陽さま好きのわたしは嬉しい限り。これを素直に喜べなくなったら、わたしの人生も寂しくなるだろうな。
 それにしても、今年の蝉はかわいそう。
 長い長い間スタンバイして、ようやく本番がこれでは……。彼らの燃え切れない夏に同情。
 わたしがそんな話をしていたら、若いダンサーの男の子が、「他人事じゃないっすよね、やっぱ陽の目見たいっすからね」と眉間に皺を寄せていた。その姿に笑いながら、自分の経験で助けてあげられることがれば、何でもしてあげたいと思った。
 しんどい毎日でも、そんな前向きな若者たちが、今のわたしを支えているのかも。


2003年08月23日(土) 12年前に見た映画。

●ちょっとした雑事をすませただけで、ただただ、疲れを癒す休日。

●昨夜は、体調を心配して恋人が我が家を訪れた。しばし共に過ごす。彼は今朝、仕事で海外に飛んだ。3週間は会えない。
 この夏に起こったことすべての帳尻をどこかで合わせていかなければならないと知ってはいる。
 両親は、A氏と結婚しなければ勘当だと言う。諦めてでも、結婚してほしいと言う。でもそれは……。
 今は仕事に忙しいことを理由に、黙って暮らしている。A氏にも1週間連絡を取っていない。でも、大人はごまかせても、GOのことを考えると、何があっても、正直になれねばならないと感じてしまう。

●テレビでやっていた「ゴースト・ニューヨークの幻」を見る。
 20代の終わりに、新宿の映画館で、当時一緒に暮らしていたボーイフレンドと共に見た。別れた今でも、深い愛情を持っている人だ。
 確か、お互いに仕事のない日で、先ずは「シェルタリング・スカイ」を見たのだった。で、わたしがその内容にあまりに辛くなってしまい、見終わっても苦しくて涙が止まらない様子を見て、彼が続けて「ゴースト」を見ようと誘ってくれた。彼はニューヨークですでにこの映画を見ていて、「これを見たら、違う涙が流れて、気分が楽になるはず」だと思ったらしい。
「ゴースト」を見ている間、ずっと、自分の隣に彼がいることを感じ続けていた。それだけで生きてることを喜べる映画だった。
 映画の後は、シェルタリング・スカイのサントラを買い、ホテルの喫茶室でお茶を飲み、映画の話をし、一緒に家に帰った。
 その後、彼と心がすれ違うようになった時、わたしはシェルタリング・スカイのサントラを一人でよく聴いた。
 2年後、彼と別れることになるまで、本当によく聴いた。

 40歳過ぎにして、純愛映画にまた泣く。
 
 それにしても、映画を見るという行為は、どうしてこれほど記憶に残るのか。たとえ内容を忘れても、どんな時にどんな場所で見たか、わたしは克明に覚えている。
 しばし、かつてのボーイフレンドのことを考える。
 そして、そろそろ飛行機を降りる頃であろう恋人のことを考える。
 どうしようもない愛情がある。

●洗濯物があっという間に乾いていく。
 今年はじめて「ああ、これが夏だ」と思い出させてくれる1日だった。


2003年08月22日(金) 心臓の反乱。

●仕事後、つまりは深夜、恋人と軽く食事をし、お酒を飲んで、眠る。午前4時頃、目覚めると仕事を続ける彼の背中が見える。と、心臓の辺りが熱いことに気づく。眠っていたというのに、走りすぎて心臓が圧迫され息があがった時のような状態になっている。
 しばらく、心臓が痙攣を起こし、わたしも、彼も、不安になってしばし過ごした。少し落ち着いたと思ったら、息苦しさがまたぶり返し、少し落ち着いたら……の繰り返し。
 そうこうする内に朝になり、仕事が朝早いわたしは、とりあえず自宅に戻る。タクシーの中でも息苦しい。家までつきそうと言ってくれた彼をとどめたことを少し後悔する。
 家にたどり着いて荷物を整え、着替えて、臨海地区にある現場までタクシーで。7,8千円はするだろうと思われたが、今日の仕事のために、わずかでも眠りを買いたかった。

●心臓の痛みは少しずつおさまり、ユンケルを飲んで、しばしの力を得、妙なハイテンションで1日を終える。
 わたし、疲れているんだ。

●明日はお休み。少し休まなければ。休まなければ。

 


2003年08月20日(水) Are You Lonesome Tonight?

●いやはや、大変な仕事を受けてしまったものだ。毎日そんなことを書いているが、毎日そんなことを思っているわけで。
 歩いている時も、家にいる時も、「あ、あれをああしておかなければ」「あれは、こうしておいた方がいいな」「やばい、あれはすぐにもこうしなければ」なんてことを考えており、おかげで、日常生活に様々な破綻をきたしている。
 新しいメトロカードを買って、改札機に突っ込み、抜かずに電車に乗ってしまい、降車時に改めて電車賃を払うこと三回。千円券が2回。3千円券が1回の損失。……考え事をしないで歩く、というのが、このところのわたしの課題だ。

●今の現場は、若い子がとっても多くって。で、久しぶりに、若い奴ら、いいじゃないって思わせる奴がいたりして。つまりは、大人や仕事に飼い慣らされてないってタイプの子たち。
 その一人が、踊るとき、妙な美意識を見せる。
 ボクサータイプのブリーフの、ロゴの入ったゴムの部分を、どれだけ、どの振りの部分で見せるかということに、かけている。(というように、わたしには見える)
 20歳そこそこの、そういうこだわり、そんな主張、わたしはものすごく愛せる。可愛くって仕方がなくって、その幼いセクシャリティーに、だまされてあげてもいいって気になったりする。(現実的にはありえないけれど)
 まあ、大変な現場ほど、そういうどうでもいいことに喜びやら楽しみを見いだしてしまうのだな。

●昨夜、仕事で遅く帰ってきて、なんとなくNHKをつけていたら、「歌のアルバム」ってのを延々やっていて、プレスリーの「Are You Lonesome Tonight?」が聞こえてきた。
 この曲の邦題、確か、「今夜はひとりかい?」だったと思う。
 「寂しくないかい?」ではないところが、突然、わたしの心をぐぐいと動かす。
「今夜は一人かい?」と聞かれて、始めて、二人の夜もあることを思い出す。そして、その一人の欠如が、「寂しい」ということなのだと思い出す。
「寂しくないかい?」と聞かれたら、「寂しくなんかない」と答えられるのに、「今夜は一人かい?」と聞かれると、「そうね、二人じゃない」と、答えざるをえなくなるのだ。

 わたしは、そのとき、二人ではなく、一人だった。
 一人であることが寂しいのではない。
 一人が欠けていることが、寂しいのだ。

 一人、プレスリーの問いかける歌声に、胸を震わせる夜。

●仕事帰り、恋人と待ち合わせ、お酒を飲んで帰った。
 さっきまでは二人でいて、今は一人だ。


2003年08月19日(火) 忙し過ぎるってのもねえ……。

●ぎゃーって、叫び出したくなるほど、忙しい。
 朝8時に家を出て、帰ったのは2時。……16時間労働。しかもほとんど休憩なしに、ぱんぱんに。食事は、深夜の打ち合わせをしながら、まさにしながら、デニーズで食べた1食。……いいのだろうか、こんなことで。
 しかも、プロダクションは、完全に赤字が見えていて。わたしのギャラなんて出るかどうか分からない。それでも、これを生業とするわたしは、幕を開けなければいられない。で、死にものぐるいで働く。……いいのだろうか、こんなことで。

●明日も朝が早い。早く寝なきゃいけないのだけれど、これだけ長時間働き続けると、心と体の興奮が冷めなくて、いつもなかなか眠りにつけない。
 昨夜からのベッドの友は、星野道夫氏の「魔法のことば」。
 星野さんが講演会などで語ったことばを、そのまま起こしたもの。稽古場に閉じこもって暮らすわたしの夜に、ぴったりの本だ。
 今夜も、遠いところの、自然と生命の営みに思いを馳せて眠ろう。



2003年08月17日(日) 休日。●モスクワ地下鉄の空気(鈴木常浩)

●1週間、詰め込むだけ詰め込んで仕事して、翌日は休みだと思った途端、もうがっくり。ばたんきゅう。数ページを残すのみとなっていた本を読み切った途端、意識がなくなっていた。
 起きたら次の次の仕事の打ち合わせに、別稽古場へ行くつもりだったが、なんと起きたら13時。よっぽど疲れていたんだ、仕方ない、と、自分を甘やかす。

●夕刻。恋人がやってくる。わたしのデスクでひたすら仕事をする。わたしは休日も携帯が鳴りっぱなしで、またしても仮設事務所状態。デスクを明け渡したので、食卓に資料と楽譜を並べ、やはり仕事。
 夕食はすき焼き。この時期に、エアコンをかけずに鍋を囲むなんて、この夏は本当におかしい。
 依然、雨は降り続いている。

●下町の現場に向かう朝、大雨の中で御輿をかつぐ祭りに行き当たった。ハッピ姿でずぶ濡れになりながら、足袋で水たまりをばしゃばしゃさせながら、声をあげて楽しむ大人たち。一方子供たちは、カッパを着せられ、「なんで雨の中を……」ってな感じで渋々着いていく。
 まったく今の子供たちはヤワだなあと思っていたら、裸同然で、きゃっきゃきゃっきゃと雨中ではしゃぐ男の子二人を発見。それはもう、見ている者が気持ちよくなるほどの楽しみよう。
 雨の中、泥んこになっても怒られない非日常と、お祭りっていう非日常を、体一杯で楽しんでいる。
 うん、いいぞいいぞ、と、わたしも心を弾ませた。

●重松清氏の「疾走」読後しばらく経つが、ニュースを見たり、それこそ雨中の少年を見たりする時など、何かにつけ、その物語を思い出す。
 この作品は、2000年7月から、角川の雑誌に連載されていたものだ。当時の少年犯罪や、舞台となっている瀬戸内海あたりの埋め立て地のことなどをネットで調べながら、感想をまとめようとするが、どうも書き出せない。あまりに気になるので、何が気になるのか知るために、もう一度読んでみようと思う。この作品の何かがわたしをイライラさせるのだが、それが何なのかがわからない。

●モスクワの地下鉄。
 事が起こった時の、機密の地下鉄は、実際にある。クレムリンから、何カ所かに向かって、現行の地下鉄よりさらに深いところに。都市伝説としてではなく、モスクワ市民ならみんな知っているという、あっけらかんとした事実。
 わたしの中で、「おかしな国」は、どんどん大きくなっていく。
 タタールのくびきから、現代のネオナチまで。
 ロシアを知る読書は、さらに続きそうだ。

●明日から。さて、また、仕事人として、ひたすらに。


2003年08月15日(金) 生活一変。

●生活はすっかり変わってしまった。
 毎日静かに本を読み、静かに考えて、書き。結婚問題に悩み、愛されたり愛したりし。新聞を読み、ニュースを見ては、世を憂え、自分の出来ることを黙考して。
 それが今や、9月初日の舞台を立ち上げるために動くことしかしない毎日。自分自身はなんら変わっていなくっても、ただそのことに夢中になっていると、家に帰り着く頃には、くたくたで。……なんだか知らないけれど、毎日、とっても元気な張り切り者として暮らしている。これが来年7月まで続くと思うと、「これでいいのか?」とも思う。
 

●若い奴らは、何にも持ってなくても、ひたすらに元気だ。それはなかなかに輝かしい。
 まだ売れてない若者がたくさん出演している今回の仕事。中には、往年のアイドル歌手や、往年の人気女優の息子もいる。お母さん似で、実に可愛い。でも、芝居も歌も、まあだまだ素人同然。ただ、若くて、若いだけで輝かしいのだ。そんな若者がたくさん、蒸し暑い稽古場で、ひたすらに汗を流す。

 稽古後、残って自主稽古をする若者を、徹底指導。奴らのエネルギー量なんぞにはまだまだ負けてないわたしは、がんがん煽ってがんがん刺激してやる。
 ほんのちょっとのくすぐりで、ぐっと変わったりして、それが本人たちも分かるものだから、目を輝かせてついてくる。そういう時間って、人生のほんの一部に過ぎないけれど、何にもならない時間かもしれないけれど、好きなんだな、わたしは。
 かつては、仕事をするたびに、新しい弟や妹が出来ていたのだが、最近は、新しい娘や息子ができるような感覚で、ちょっと自分が怖い。……そういう年齢なんだ。もう。(GOはどうしているだろう。長らく会っていない。)

●ニューヨークの停電。ぞっとしない。どうしたって、テロの影を感じる。実際はどうなのか。

●明日1日頑張れば、OFF。来年の仕事の打ち合わせが入っているから、完全OFFではないが、気分は変わる。


2003年08月14日(木) 元気。

●相変わらず、仕事は楽しい。
 この仕事で出会っている、新しい人たちとも、よい出会い方が出来ている。……っていうか、若い奴らを、わたし自身が、かわいくって仕方ないって思ってるんだな。

●恋人と、久しぶりに、行きつけの店で美味しいお酒を飲む。
 A氏には申し訳ないけれど、仕事の話をして、彼は世の中でいちばん楽しい人だ。

 酒を囲んだ時間の中で、ふと、もう書けなくなってしまった劇作家と、その妻の女優の、過去と現在に話が及ぶ。

 その痛みと愛情に満ちた顛末を、酔いと疲れで、今日もちゃんと書けそうにない。

 でも、思いを馳せるだけで切ないことが世の中にはあり。
 あまりにも美しい、人と人との関係が、世の中にはあり。

 そんなことを考えながら、グラスを傾けるだけで、こうして生きているのが、幸せなのであった。

●その日その日が、色濃い。
 わたしは、辛かろうが、報われなかろうが、よい仕事を選んだのだと思う。
 わたしは、今、とっても元気だ。

 
 


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