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2003年09月13日(土) |
エネルギーの元 ●殺人の門(東野圭吾) |
●今日は一日中マイクを握って、仕切りに燃える。集中力、限界まで。
●明日は稽古場で最終RH。そして劇場へ。
●毎日、体力精神力ぎりぎりまで使用。
ビタミン剤だの栄養剤だのをたくさん飲んで寝て、それでつじつまをあわせているつもりだが、結局、わたしを動かしているのは、初日を幸せに開けたいという強い思い。
2003年09月12日(金) |
レニ・リーフェンシュタールが亡くなった。 |
●大詰めである。だから、ひたすらに、仕事している。
特に語ることはない。わたしはわたしの仕事をしている。
●帰国した恋人と、2,3日に一度は会い(もちろん深夜だが)、話をする。語ることはたくさんある。
誰に話そうとしても、「ただただ働いている」としか報告しにくい毎日が、彼が相手だと、心揺れるたくさんの話題の宝庫になる。
少しくらい飲み過ぎて、眠りが足りなくなっても、それでわたしは救われている。
●レニ・リーフェンシュタールが亡くなった。
わたしにとって、同じ女として、その人がこの同じ世界に生きていると思い出すだけで、活力が戻ってくる存在だった。
天才バレリーナとして刮目され、怪我でバレエを諦めて女優になり、山岳映画で一躍人気女優になり、女優に飽きたらず、映画を撮りはじめ、ヒトラーに気に入られ、画期的なアングルで歴史的人物を記録映画におさめ、ベルリンオリンピックを「民族の祭典」「美の祭典」という映画史に残る2本のフィルムにおさめ、栄光を手にした。戦後は、ヒトラーとの関係で裁判にかけられ、投獄され、釈放されてからも、長らく表社会に出ることはなかった。それが、アフリカに渡り、未開の地の民族と共に住み、生命力溢れる人間とその魂の写真を撮り始めた。それを映画に撮ろうとしたが、挫折。次に彼女が挑んだのは、海だ。世界最高齢でダイビングライセンスを取得し、50ほども年齢の違うダイバーの夫を得て、美しすぎる海中写真を発表した。
彼女のことを思うだけで、自分が生きているという事実に、胸が熱くなる。
この、恋人にしか自らを晒さず、ただただ働き続けるだけのつまらないわたしの、このところの、最も大きな出来事が、これだった。
……レニ・リーフェンシュタールが、死んだ。この世から、いなくなった。
●一日中、頭はフル回転。全てを終えて変える時には、もう頭脳活動停止状態。疲れて風邪気味だったりするのに、体力はユンケルでなんとか持たせ、知力は責任感だけで動いている、といった感じ。
今日は自分で自分を褒めまくってやりたい気分。
わたし、選ぶ仕事間違えたかもなあ。これだけたくさんのことを立派に裁けるなら、当たり前の仕事さえしてたらさぞかし高給取りになれただろう。……なあんて、馬鹿なことを考えるのはやめにして。……それにしても、今のカンパニーは赤字が見えていて、プロデューサーに「今度いい仕事まわすから」とか言って泣き落とされるのは目に見えている。あーあ。ま、お金より自分を支えてくれるものがあるから、この仕事を続けてきたわけだけれど。
●今夜も、ビタミン剤栄養剤の類を山ほど体に流し込み、眠る。せめて明日も元気に目覚めることができますように。この闘いは、あと10日続く。
この2週間で、2キロ痩せた。2キロですんでるのが、奇跡的なくらい。
●恋人が帰ってきた。
10時に仕事場を出て電話すると、もうすっかり疲れて眠っている。
それでもお互いに会いたい。
お腹は空いていても、出ていく元気もなさそうだ。
で、彼の家まで行く。
途中に見つけた中華屋に駆け込んで、チャーハンと餃子をおみやげに詰めてもらって。
たった2週間会わなかっただけなのに、もう懐かしくてしかたない。
泥のように疲れた彼と、ビールとチャーハン餃子。
一緒にいるだけでほっとする。
朝まで共に眠りたかったが、今日仕事中から覚えていた寒気が、いやまして、ぞくぞくと……。
眠りに落ちた彼に別れを告げて、帰ってきた。ゆっくり眠らせてあげたいもの。
わたしはわたしで、ぐったりした体でも、風邪の初期症状を訴える体でも、ほかほかと暖かい心を抱えて眠ることができる。
2003年09月07日(日) |
休日にすること、考えること。 |
●休日にすること。
たまりにたまった洗濯籠をクリアにする。日頃買い物できない日用品を補充する(歯ブラシだの、シャンプーだの、超日用レベルの)。とにかく掃除する。片づけて、掃いて、拭いて……。読めなかった新聞をまとめ読みする。さらに。ゆっくり本を読む。ゆっくりお風呂に浸かる。少しだけ仕事する。
朝起きたときには、なんだかぼうっとして、疲れに我が体を思うさま支配されていたが、奮起して休日メニューをこなし始めると、少しずつリフレッシュしてくる。なんたって、1週間に1度でも、繰り返しを破るということが、精神衛生に良いのだ。
●新聞の三面記事の隅っこに、ペテルブルグのマリインスキー劇場の倉庫が焼失したとの記事を見つける。……これって、劇場の仕事をする者たちには、もうすっごい痛手。(マリインスキーはモスクワのボリショイと並ぶオペラ、バレエの殿堂。最近は観光化されたボリショイより質が高いともっぱらの評判)
日本で演劇がいつまでたっても商売として成立しにくい一番の理由は、レパートリーシステムを取ることが難しいこと。持ち劇場はわずかで、ほとんどが貸し小屋。そして、道具を取っておくにも土地がない。近い再演の目処がたっていなければ、倉庫代の予算などとても出ない。
海外に出て、ロングランを続ける、再演を続ける作品を観て、わたしはいつも羨ましく思う。だからこそ、ユニオンもしっかりし、アンダースタディーから次代のアクターが育ってくるというものだ。なんたって、本番の舞台が俳優を育てていくのだもの。
で、その倉庫が焼けてしまうってこと。
小さな小さな記事だったけれど、わたしはそこから派生する様々を想像して、胸を痛めた。
●「ヒトラーとスターリン」の一区切りを読み終えて、ちょっと物語に浮気。東野圭吾の「殺人の門」を読み始める。……他者を「殺したい」という、誰の胸にも一度は巣くいそうな思いを、突き詰めようとするものだ。
このところ、「疾走」「孤独の歌声」「うつくしい子ども」と、現実に繋がる犯罪ものばかり読んでいるが、いったいこれらの出版される意味は、執筆される意味は、どこにあるのだろう?
現代を、現代人に示唆する為か? 安穏と生きる人への警鐘か? それとも、現代をどう切り取るかという文学的興味か?
救済の意味などもちろんないのは分かっている。現実的な問題解決から遠いものであることも分かっている。これらの言葉が少しでも意味を持ちそうな人々が、これらを読まないことも知っている。
それでも、わたしは読む。単なる物語として。
ちょっと疲れてしまうのも、無理はないな。
やっぱり、「ヒトラーとスターリン」に戻ろう。
●明日、恋人が日本に帰ってくる。
2003年09月05日(金) |
変わらない日常ではあるが。 |
●強力目覚まし4つに叩き起こされて、電車に乗ること1時間。歩くこと25分。現場についたら、ただひたすらに仕事。休む間もなく、煙草に火をつける暇もなく、10時まで。時には深夜打ち合わせのおまけつき。家についたらお風呂につかって、本を読み、コンピュータを立ち上げて、ほんのちょっと何やら書き付け、ベッドに入って本を読む。このところは、ひたすらに「ヒトラーとスターリン」。で、いつの間にか眠ってしまう。また強力目覚まし4つに叩き起こされる。
それがこのところの、変わらぬ毎日。
わたしは何も変わらないが、作品はわずかにわずかに成長している。
●恋人がもうすぐ東京に帰ってくる。
ただただ待っている。わくわくして待っている。
この何年間か、いろんな人がわたしを愛そうとしてくれたのに、結局わたしは彼のことしか愛せない。わたしは自分の欠陥を補填するより、欠陥と欠陥が呼び合うような人間関係を、どうしても選んでしまうようだ。
2003年09月03日(水) |
早起きはやっぱりいい。●草にすわる(白石一文) |
●昨夜は、帰宅するなり、倒れ込むように寝てしまう。ちょっと寝だめ出来ればよかったのだが、悔しいことに、6時にぱっちりと目覚めてしまい。
仕方なく、読みかけの本を開き、思いついて、先日読んだ本の書評を執筆。そうこうしていると、恋人から海外電話が入り、お互いに励まし合う。そして出勤。早起きというのは、なかなか気持ちのよいものだ。
●まったく食べる時間を持てずに22時の退館時間を迎えてしまうわたしを見かねて、プロデューサーがお弁当を作ってきてくれる。心のきしむことの多い毎日なので、そんなことだけでかなり嬉しかった。……頑張らなきゃね。
●「ヒトラーとスターリン」という評伝を読み始めた。口絵に載った二人の怪物の少年時代の写真を見たときから、わたしは夢中になっている。かなりの紙数の本の上、三巻組であるから、この読む時間のない時期、いつになったら読み終えることができるだろう? ……今夜も早く眠ってしまいそう。
●身体の異変は相変わらず。
しっかし、これ、本当にストレスだけの為せる業なんだろうか。からだって、分からない。自分のものなのに、ちっとも分からない。
●どうしてそんなにわたしはストレスを貯めこむのだろう? と考えてみる。まあ、具体的に色々な事柄が思い浮かぶ。
でも、今まで意識しなかったひとつの理由に、「つきあっていることば」ってのがあるかもしれない。
この仕事をしていると、少なくとも2ヶ月は、台本のことばたちとつきあわねばならない。……今は、そのことばたちに、愛情が持てないでいる。はっきり言って、手あかのついたことばの羅列で、つまらない。それが、実は大きなストレスになっているのではないか?と。
で、昨日のOFFは、好きな本を1日読んで過ごした。本棚に並ぶ、愛せることばと共に過ごした。
……でも、こんなこと書いているわたしは、ちょっと不幸だな。とはいえ、ま、新しく出会っている人々はとっても愛してるんだから、それだけでもいいじゃないか。
2003年08月30日(土) |
体からの進言。●孤独の歌声(天童荒太)●子どもの王様(殊能将之) |
●朝起きて、シャワーを浴びて、体中に赤い発疹が出ていることに気がつき、一気に血がひいていく。(……何、これ?)
伝染るものだったら仕事場に行けないので、遅れる旨電話して、病院へ。
診断は、胃腸障害かストレスによる発疹。
……ストレスと、わたしは即刻自己診断。
この間の心臓の発作も、プロデューサーに「わたし、ストレスがたまると、よくなるよ、それ」と指摘されたばかり。
わたし、そんなにストレスばっかり後生大事に貯めていたんだ……。
ストレスたまるでしょう?ってよく聞かれるけれど、わたしはいつも「それほどでもないよ」と答える。ストレスためてる現代人って、いかにもって感じでかっこわるいと、わたしは思っているからだ。
だから、苦労や空しいことが多い現場でも、いいことばっかり探そうとする。何か素敵なことを見つけようとする。
でも、社会である限り、やっぱりどうしようもないことはあるわけで、確かにわたしはこのところ、とっても心が疲れていた。
で、体が進言してきたわけだ。「あんたストレス貯めこんでるよ。気ぃつけた方がいいよ」と。
わずらわしくなって、このところここには書かなくなったが、恋人とA氏の間での軋轢は続いており、それもまたストレスになっているに違いない。
そして。こうして、不調に泣いていても、A氏に連絡を取ろうとは思わない。もう長らく電話もしていない。無償の優しさに包み込まれて緊張の糸が解けると、わたしは闘いに負けてしまうような気がして、ひとりで頑張っている。
人に優しくされすぎると、優しさと引き替えに自由を奪われそうになると、逃げたくなる……それも、わたしの性、natureだ。いつも、どこかひりひりとして生きているのが、結局好きなのだろう。
と、これは、昨日、ベッドで読了した本を読んで考えたこと。
●それにしても、自分の体が目に見えて不調なので、どうしても気が沈みがち。これしきで沈むのは悔しいので、なんとか自分を鼓舞して1日過ごした。明日は待ちに待ったお休みなので、朝の目覚めを気にせず、5時までかかって、また1冊読了。
●疲れがたまって、帰宅後ベッドに倒れ込むように寝てしまう。暑さに目が覚めたのが午前3時過ぎ。エアコンをかけながら、世界陸上200メートルの決勝がそろそろであることを思いだし、テレビをかける。
末次の走りに、深夜、シンプルな感動を覚える。
現在の仕事に、心身共に疲れ切っている自分が情けなくなる。
もっと軽やかに闘えないものか?
でも、複数の人間の寄り集まった社会で闘っていることのもたらす辛さもあれば、喜びもある。小さな喜びをエネルギーにして、社会にままある「心なさ」と闘っている。