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●誕生日って、吹聴して祝ってもらうものでもないし、なんだか面倒くさくて、外面的に大騒ぎされたら恥ずかしいものなので、仕事場では黙ってたんだけど、思いがけず稽古が早く終わって、6時に自由の身になっちゃって、で、なんとなく長いつきあいの(およそ20年か)先輩に「わたし誕生日なんだよなあ……」と耳うち。
7時から11時まで、話すだけ話して、二人でワイン2本。
なかなか楽しい時間だった。
飲み始めたわたしの常として、本当はもうちょっと飲みたいところをぐっ
と我慢して、帰宅。
恋人が側にいたら、まず、その先輩と誕生日にさしで飲もうなんて思わない。そういう意味で言えば、実に面白い夜だった。
●昨日、母から電話をもらって。わたしは、感謝の思いを深くした。
誕生日というのは、生から没までの矢印の途中点を祝うのではないのだな。飽くまで、その人がこの世に生まれ出てきた幸福を、祝うことなのだな。
●久しぶりに飲んだので、たかだかワイン1本で気持ちよく酔っている。
今夜は、深夜のセロ弾きはお休み。いーい気持ちのまま、読みかけのアップダイクの本を持って、ベッドに入ろう。
2003年10月17日(金) |
わたしを守れるのは、わたしだけ。 |
●この夏の結婚騒動で多大なる迷惑をかけ、ほぼ絶縁状態になっていた両親から、電話がかかってくる。
明日が誕生日を迎えるわたしに、歩み寄り、許してくれる電話だった。
最終的に、わたしが結婚を思いとどまった原因は、恋人の存在ではなく、A氏の、「わたしを一生守る」という思い込みだった。最初は心強く思った「守りたい」という彼の思いが、次第に重く、鬱陶しくなっていった。
他者を守れると疑いなく思っている、その疑いのなさが、わたしは怖かった。
わたしを守るのは、わたし自身だ。
この夏、神経と体力をすり減らす仕事の中、全身に発疹したり、呼吸困難に陥ったり、高熱が止まらなくなったりしたが、調子を崩せば崩すほど、わたしは、絶対A氏には知らせるまいと思った。「守ってやらねば」と飛んでこられるのがイヤだった。自分が自分を支える強さが、すり減ってしまうような気がした。
●人は誰でも一人では生きていけないし、たくさんの他者に支えられて生きている。でも、特定の個人にわたしを守ることに命賭けられても困る。A氏にはそれが結婚というものだろうと言われたが、だとすれば、わたしは結婚できない。
結局は、わたしが変わり者で勝手な人間だということでもあり、「守ってもらう」ことに対する恐れなど、人に説明しても簡単には分かってもらえないだろう。
両親も、やはりそうだった。思い直して結婚しろと何度も執拗に説得され、責められた。
でも、今日の電話で、わずかに和解に近づいた。
許してくれたわけではないが、この変わり者を、それでもやはり娘と認めてくれたようだ。
この先の自分の仕事。自分の心と体の健康。
何の保証もない。それでも、「守られている」恐ろしさから逃げ出した今の方が、生きている実感がある。
彼の子供と暮らすことへの未練は限りなくあるが、彼を愛せなくなった今は、子供に深い傷を与える前に別れることができてよかったと思うしかない。
苦い夏だった。
両親からの電話で、わたしの心にひとつ決着がついた。
この日誌でA氏のことに触れるのも、これが最後だ。
●相も変わらずの毎日。仕事は楽しい。非常に楽しい。
現在の現場と、来年の大きな仕事の準備。毎日飽かず仕事を続ける日々が、来年の7月までノンストップで続く予定だ。
●昨日は半ヶ月ぶりのお休みだったので、いつも通り、日常の立て直し。たまった洗濯を片づけたり掃除したり、各種支払いなど、あれこれ。
誕生日になると、恋人から腕時計をもらう。これがこのところの唯一のバースデーイベント。今年は渡欧することがわかっていたので、前もってもらっていた。ロンドンで買ってきてくれたダブリン製のもの。
時計屋で、バンドのサイズ直しをし、ようやく使えるようになった。
これで、私の腕時計は5つになった。
この夏、わたしが間違った結婚をしようとしたとき、最初に恋人がわたしに送ったメールには、「どんなことがあっても、一生僕は君に時計を贈り続ける」とあった。
嵐が去って、風も凪ぎ、これから時計はいくつまで増えるんだろう。
●渡欧した恋人と、はじめて電話でゆっくり話す。
2日に一度はかかっていたが、いつも雑踏の中で受けたり、深い眠りに落ちてからのことだったりで、ただ声を聞くだけに終わっていた。
最近見た芝居のこと。チェロのこと。仕事のこと。あれこれ、あれこれ。
●仕事場で。高い、高い、あまりに高いハードルを用意されて、自分の現在の全てを賭けて仕事に取り組む若者を見ていると、ぞくぞくしてくる。
もう取り返しのつかない、自分の若き日を思う。せめて残された時間を、いつか死ぬこととか、一人であることとかに怯えず、果敢に生き続けたいと、そう思う。弱い弱い、だらしない、何も為してこなかった自分を振りかえって、そう思う。
●毎日、仕事漬け。
出演する若者たちの、未成熟ではあるが魅力的なエネルギーに応えるため、日々過ごす。つまりは、相も変わらずの毎日ということか。
●変わったことと言えば、恋人が発ってから、台所にあった食卓を仕事部屋に入れて、手書き用の仕事机とし、台所には、しまいこんであったチェロと譜面台を据えた。
少しずつ少しずつ、夜中、チェロと親しんでいる。音階さえ覚えてしまえば、たどたどしくても、なんとかメロディーのようなものは奏でることができる。少しでもいい音が出ると、うれしくなったりするものだ。
左手の指先が弦に負けて、痛い。キーボードを打っていても、ひりひりして、でも、なんだか悪くない感じ。
セロ弾きのゴーシュになって、深夜の訪問者を待っているような気分。その気になりやすいわたしは、そんなことで楽しめたりする。
●仕事をしていると、本当に驚くほどのスピードで時間が過ぎていく。そして、集中して働いたあとはくたくたで、いつもすぐに眠くなる。この2、3日は、全く、そんな感じ。
こんなことでは、と、勉強しようとしたり、本を読み進もうと思うのだけれど、累積疲労がわたしに、命を蘇らせる眠りを取れ取れと、ささやいてくるのだ。
●HPのヒット数が、いつの間にか10000を超えていた。誰が読みにくるわけでもない、知り合いの誰にも知らせてないページが、少しずつでも訪問者を呼んでいたことに驚く。
インデックスページにあげている、アイザック・ディネーセンのことばが、実に自分に響いてくる。
●久しぶりの肉体労働。
稽古場に立ち上がったセットを、1日かけて黒スプレーで塗り続ける。本当に一日中塗っていた。脚立を移動し、塗り、イントレを移動し、塗り、マスキングテープを貼っては塗り……。
なにしろ、スプレー缶80本の内容が稽古場に噴射されている。もうラリっちゃうし、鼻なんてかもうものなら、自分はイカになったかと思うほど。体中に墨がまわっている。
一緒に作業した後輩の女の子たちに、「今日は半身浴して汗をいっぱい流すんだよ」と指令を出す。だって、汗腺すべてが黒い塗料でうまってたんだもの。みんなして、まっくろくろすけになって、よく笑いながらの作業。たまにこういう1日も悪くない。
●恋人から、メールと電話の便りが届く。
まだ仕事に追われない日常に、戸惑っている感じ。
わたしは、彼がいないことのマイナスをなるべく考えず、再び会うまでの自分の暮らしを素敵なものにしようと、なんだか、少し生き生きとして元気になってきた感じ。
強がりなんだかどうなんだか、自分でも判別不可能なんだけど、でも、こうして生きていく。
2003年10月05日(日) |
辛くっても、寂しくっても、自由。●エドウィン・マルハウス(スティーブン・ミルハウザー) |
●恋人が今朝、渡欧した。向こうで一年間仕事をする。
日本を離れる前夜の食事には、寿司を選んだ。
日本酒をのんびりと干しつつ、美味しい魚貝を少しずつ、何か話そうと思うのだけれどことばが出てこず、ただただお互いの顔を見つめるばかり。
予約してあったホテルにチェックインし、バーでまた、珍しくヘレス酒を飲む。少しずつ、ふだんの二人に戻り、ふとした話題がぽつりぽつり。いつも、この、ふとした話題があれこれと枝葉を広げ、思わぬ軽やかな気持ちを味わったり、思わぬ深遠な哲学に至ったりする、その時間が好きだった。この時間を1年間失ってしまうのだな、と、実感する。
お互いを見て、夜を過ごす。でも、それぞれに過酷な仕事を終えてきたばかりなので、疲れの中であっという間に二人して眠くなる。せっかくの最後の夜がもったいないとお互いに言い交わし、1時間後に目覚ましをかけて眠ったら、やっぱり二人とも目覚めたときには、もう別れのせまった朝の時間だった。
二人で過ごした時間、よく笑って、よくはしゃいで、わたしはひとしきり泣き、彼は少しだけ目を赤くした。
辛くなりそうなので、わたしはフロントに向かう彼には伴わず、そのまま地下鉄の連絡通路へ。
エレベーターの扉が、わたしの視界に映る彼の姿を、シャットアウトして、それで「行ってらっしゃい」。
わたしは日曜日の空いた電車に乗り込み、家に帰り、すぐに仕事道具を抱えて次の仕事場に向かった。
●わたしは一人になってしまったけれど、とっても自由な気持ちだ。
わたしはわたしであって。
辛くっても、寂しくっても、自分の求める方に歩いているというこの感じが、とっても自由だ。誰になんと言われようが、自分が選んだことばかりだもの。
●大阪の初日を終えた。もう、おおわらわで。まあ、いろいろとあったものの、大変に幸せな初日。よかった、よかった。
本番を見届けず、わたしはこれで次の仕事へ。
初日を開けた大騒ぎの中、これで終わりという挨拶をしてまわると、若い子が多いカンパニーなので、もう、涙、涙。
8月頭から、長い闘いを、わたしが彼らのいちばん近くですべて見届けてきたので、お別れと知って、感極まってしまった感じ。
まだ本当の喜びも、怖さも厳しさも、知らない、若い子たち。でも、そのうぶで純粋なところが、恐れなく未来に夢を持って向かっていく姿が、なかなかに胸を打ったりして。……ふだんは、もう、母親のように先生のように、叱ったり励ましたりしてたけれど、わたしだって、彼らから力をもらっている。
また、新しい稽古場で会おうねと、約束する。「また一緒にやりたいです」「それまで頑張ります」「負けないで続けていきます」といった、可愛らしく、ひたむきなことばが、ぽんぽんと返ってくる。
こうして、この夏の新しい出会いが、また別れへと姿を変えた。
もうすぐ、また新しい出会いが待っている。
●明日は、東京に戻って、次の仕事のいくつかの事務的処理をしたあと、恋人と、1年間のお別れのデートに向かう。
●仕事するには、そこにいる人たちが、ちゃんとコミュニケーションする意志を持ってくれてなきゃなりたたないわけだ。
聞こえてるか、聞こえてないか。問題があるか、問題がないか。とにかく、伝えあうことが基本。自分がそこにいることを、自分がどうそこにいるかを、ことばで伝えあわなきゃ、仕事は進まない。
それを知らない人がいると、仕事はもちろんはかどらない。はかどらないのはイヤだから、小さな社会にコミュニケーションの基本を根付かせようとする。でも。人生何もかもうまくいくわけはなく。
●さらに大変な明日のために、クールダウンしようとお酒を飲みにいったら、またまた教育的指導の時間になってしまって、またわたしは叱ったりしてしまう。仕事のうちの「叱り」をまたやっている。
損な性分だなあと思いながら、ようやく一人になって、ぽかーん、と、一人、クールダウン。
と、恋人から電話がかかってきて、病後の体調を気遣ってくれるので「仕事をしてる分には、わたしは誰より元気だ」と報告すると「だから心配なんだ」とたしなめられる。……返すことばなし。あーあ。まあ、とにかく、命を癒す眠りを、今夜もとろう。