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2003年11月10日(月) わたしを支えるもの。 ●チェーホフ・クニッペル往復書簡集

●恋人から滞在先で見た舞台の報告が、メールで逐次送られてくる。
 その中に、チェーホフとその妻オリガ・クニッペルの往復書簡を元にした舞台の報告があった。
 わたしはかつてからの愛読書であった、彼らの往復書簡集を本棚から取り出して、久しぶりに読んでみた。

 彼ら二人は、結婚したものの、長い時間を離れて暮らした。オリガがモスクワで舞台の仕事をしていたこと、旅巡業にしばしば出ていたこと、チェーホフがしばしば体調を崩し地方での療養を余儀なくされたこと、執筆のためモスクワの厳しい気候を避けたことなど、様々な事情があったようだが、それはここでは置いておこう。
 とにかく、彼らは毎日のように、手紙を送りあい続けた。
 
 ある日のオリガ・クニッペルの手紙を引用しよう。

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なんてわびしいんでしょう! あなたからはお便りがありません! あなたにはわたしがいないで、わたしにはあなたがいないなんて、あまりにひどいことです。わたしたちはお互いにうち解け合って、いがみ合いもしないで仲良く素敵に暮らせたのに。

わたしはあなたを愛しています。あなたの心を、あなたの全身に漂うほのかな優美さを愛しています。今あなたがそばにいてくれるなら、わたしはなんでもさしあげます! わたしは、いつかどこかでまた一緒に暮らし、素晴らしい生活ができるのだ、という希望を持って生きています。あなたもそう考えていらっしゃる? わたしはこの両の腕であなたの頭を抱いて、しわのひとつひとつを見つめてみたくてなりません!
 
あなたは寂しくないの、わたしのいとしいかた? 
あなたがこのところますますわたしに惹かれるというお手紙を読んだときは、わたしはすっかりご機嫌になってしまいました。

今日は不愉快な稽古でした。みなが第三幕のために集まり、わんさと人がいました。カチャーロフとハルラーモフがいません。いつまでも待っていて、とうとう使いを出したら、二人とも病気だという伝言です。なぜ稽古の前に知らせてよこさないのでしょう。……不可解だわ!

群衆場面の稽古を少しやりましたが、わたしたちは口もきかずに、ただ座り込んでいただけです。演出家たちはもちろんいらいらしっぱなし。わたしも稽古をしたいと思ったのです。でも、なにもかもうまくいかないで、じりじりしていただけでした。夜はスタニスラフスキーやアドゥルスカヤと「三人姉妹」をやりました。大好評でした。

あなたがいないと寂しくて、気が抜けたみたい。
張りがないのです。
泣きたい気持ちです。
部屋に小さな樅木を置きます。

あなたに、わたしの愛しい人に、強く口づけします。
おからだに気をつけて、お元気で、めそめそしないで、
小説でも、戯曲でも、お好きなものをお書きなさい。
それから妻への手紙もお忘れなく。            

〈あなたのオーリャ〉

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 このような手紙が、ずっとずっと交わされる。

 思うのは、人を愛するということが、愛する人がいるということが、いかに人を支えるかということだ。たとえ離れていても。現実的な幸福を呼んでこなくっても。

 わたしも毎日欠かさず、離れた恋人にメールを送り続けている。そして、そのことでずいぶん支えられている。発信する相手がいるだけで。それを楽しみに受信してくれる人がいるだけで。

●明日からいよいよ劇場へ。たぶん、3日間は半徹夜作業が続くので、劇場近くのホテルに泊まり込み暮らしとなる。
 歳を重ねると徹夜にどんどん弱くなってくるものの、気合いが入っていると、まだまだ2日半くらいは一睡もしていなくても、集中力を保つことができる。職業的な習慣で。……長生きできないだろうなあ、こんな事ばっかり繰り返していると。でも、この期間が一番楽しかったりするのだから仕方ない。
 


2003年11月06日(木) 本のつながり。

●美しき大人の女は、決して電車の中で眠ったりしないのだろうか?
 わたしは相変わらず、郊外の現場へ向かう車中30分を、毎日ぐうぐう寝てしまう。まったく情けないが、1日のほとんどを仕事で過ごす上に、家でもやりたいことが山積みなのだから、寝不足にもなろうというもの。
 さすがに寝顔を不特定多数の他人に見られるのは恥ずかしいので、お気に入りのフェラガモのサングラスをかけているが、それでもやっぱりねえ。

 昨日ここに書いた後輩に本を持っていったら、彼女もわたしに持ってきてくれていた。「これ、読んでみてほしくって……」と。
 うーん、こういうのは嬉しい。実にうれしい。心がほかほかする。
 この日記をアップしたら、早速読み始めよう。ああ、うれしい。

●緊張する仕事が続くせいか、肩こりがひどい。
 母が今のわたしの歳のときには、わたしは中学生で、そう言えばよく肩もみしてあげてたっけ。……なんだか複雑な気持ち。

●稽古が終わっての作業時間。仕事場のオーディオセットで、カラスの歌った「椿姫」をかける。ついつい仕事する手が止まって、聞き惚れる。「乾杯の歌」にあわせて稽古場の冷蔵庫からビールを持ち出す人もいる。
 それにしても、カラスのコロラトゥーラの美しいこと。
 舞台に立つために猛烈なダイエットをし、歌いたい歌を歌うために、メゾからソプラノにまで音域を後天的に広げたカラス。彼女はただの天才ではない。
 その彼女のライブ盤は、まさに宝物。劇場に湧き上がる拍手にあわせて、わたしも小さな声で「ブラボー」とささやきながら仕事を続けた。


2003年11月05日(水) 本を読む喜び。時間の優しさ。

●小さい頃から、本を読むことに慣れ親しんできたので、「何か面白い本ある?」という質問を受け慣れている。
 昨日は25歳の後輩に、「面白い本があったら教えてください」と聞かれ、読書の話題に興じているうち、彼女の好みが次第にわかってきた。「あれ読んだ?」と好みであると思われる本の名前をあげていくと、面白いくらいにちゃんと読んでいる。わたしは自信を持って、「じゃあ次はこれだね」と、とある本の名前をあげる。「それ、読みたいです!」と、嬉しそうに彼女。ギャラ前で貧乏な彼女のために、わたしはしばらく本を運ぶことになるだろう。

 そして今日、このJournalを読んでくれている方から、メールが届いた。あまり本を読まないという彼が、わたしの紹介文をきっかけに本を読み感動したことの、報告のメールだった。……これが何やら嬉しかった。自分が遊びに行ったとても素敵な場所に、ほかの誰かが遊びに行く。いいじゃないか。それはとっても孤独な作業だから、よけいに心に残るし、また誰かに伝えたくなるものなのだ。
 次に遊びにいく場所を薦めてあげようと思うのだが、これはこれでまた難しい。1日、楽しんで迷って、返事を書こうかと思う。

●夜中に、取り憑かれたように何かに夢中になることがある。
 読書しかり、楽器を弾くことしかり。時には夢中で掃除を始めたり、領収書の整理に熱中してしまったり、それは様々。

 今日は、デジタルピアノの白鍵の汚れが急に気になってしまって、1鍵ずつ丁寧に拭きあげ、磨き上げていった。新品の白さを取り戻したキーが嬉しくって、ピアノのお稽古に熱中。今練習しているのはバッハの平均率クラヴィーア曲集の第三番嬰ハ長調だ。映画「バクダッドカフェ」で少年が懸命に練習していたのが印象的な美しい曲。ピアノをやめてもう30年近くたってしまったので、右手と左手に分けて、一小節一小節。地道な練習だ。

 不器用な両手と地道につきあう練習をしていると、不器用な俳優たちと繰り返している稽古を思い出して、微笑ましくなったりする。できる人なら30分で出来てしまうようなことを、このところ、稽古後の時間を利用して、小刻みに6時間ほども稽古をし続けているのだ。
 やっとの思いで少し前進したかと思うと、また後退。でもあきらめずに、またちょっと進む。確かに時間はどんどん過ぎていくのだけれど、それでも僅かに僅かに、進んでいる。その僅かが積み重なって、少しずつ目に見える変化に成長していく。
 時間は、あきらめず前に進もうとする者に、ふと気がつけば、優しい。


2003年11月04日(火) 仕事で楽をしないこと。

●今日はOFF。毎日11時間は現場にいて、往復に3時間かかるし、で、寝不足の日々。今日は休みの半分を寝て過ごしてしまった。
 これはいけないと、今日やるべきこと・やっておきたいことを箇条書きにして、仕事机の前に貼る。掃除とか洗濯とか、必須事項を片づける前に、ついつい読んでおきたい本とかに手を伸ばしてしまうわたし。それも、どうも1冊に集中できず、本棚に積まれた写真集をあれこれとめくり続けたり。で、今すでに午前1時過ぎなのに、まだ必須事項がたくさん残っている……。ああ。

●いよいよ、仕事も大詰め。
 仕事って、楽をしようと思えばいくらでも楽できるものだ。仕事に成熟してくればしてくるほど、手の抜き方だって分かってくる。でも、今は、とにかく「楽をしない」ことを心がけている。回りにいる若い子たちへの配慮もあるが、何より、楽をすることで自分から逃げていくもの零れていくものが惜しい。美しいもの、素晴らしいものに出会うには、ある種のひたむきさを持ち続けていることが、大切なのではないかしら。


※久々に、Etceteraに「お洒落する心」をup。


2003年10月31日(金) 滅入ること。清々しいこと。

●郊外の稽古場に向かうため、普段は乗るることのない朝の満員列車に乗ることが多くなった。乗っていて、最も嫌な気持ちになるのは、被害者意識の強い人とか、朝から苛立ちを満面に表してやたら舌打ちしたりする人なんかと、乗り合わせること。
 腹がたったりはしなくても、情けない人が多いことよ、と、寂しい思いをしたりする。

 朝の満員電車通勤をはじめてから、短い間に2度の人身事故による遅延、ラッシュに巻き込まれた。
 それがどんな事故であったかは明らかにされないが、やはり自殺の事に思いがいく。
 日本の昨年の自殺者は、3万2千人余。
 信じられない数字だ。
 戦地への自衛隊派遣より、この国の惨状を、もっと考えてほしい。

●今の仕事には、16歳の才能溢れる女優が出演している。輝くばかりの若さと、海綿のような吸収力、ヴィヴィッドに動く心の柔らかさ。
 一緒にいるとこちらまでも清々しい気持ちになる。
 稽古をつけている合間に世間話をしていたら、なんと、お母さんがわたしと同い年だった。まあ、16歳であれば、ちっともおかしくないのだけれど、何やら変な気持ち。
 恋に揺れ、仕事で一喜一憂し、明日を夢見るわたしと、横並びに、彼女はいる。
 結婚をしないで、子どもを持たないで生きていくってことは、いつまでも年齢の枠で自分を制御せず、一人の女で、一人の人間で、いるってことなのかもしれない。


2003年10月29日(水) OnとOff

●稽古場が引っ越ししたので、バラシ、仕込みと、この2日間大忙し。久しぶりに肉体的にぐったり。眠りも足らなくて、朝はぎりぎりに起きてしまい、顔も洗わず歯も磨かず、歯ブラシセットを鞄に放り込んで家を飛び出す。電車の中では大爆睡。まったく、いい歳をして、なんなんだ、この生活は。

●家に帰って、ぼんやりしていた時間に、先日読んだ「博士の愛した数式」を、書写し続けている。(と言っても、タイピングだが)
 日本語が恋しくなるだろう恋人に、少しずつメールで配信しているのだ。これがなかなか楽しい作業。無心に、人の書いた文章を写すのが、こんなに楽しいこととは……。自分臭さから離れて、どこか遠いところへ遊びに行っているような感じ。数式がたくさん出てくるのも楽し。キーボードからはじき出される数字が愛情に包まれていくのを、優しい気持ちになって見守る。
 今日、書写したのは、博士が友愛数を語る場面。
 約数の和が同じ、という、めったにはない関係を眺めながら、わたしはそこに、静かな美しいラブストーリーさえ読み取ってしまう。


 


2003年10月25日(土) あれから1年。

●そう言えば、昨年の今頃はモスクワにいたんだった。チチェン人の劇場テロに居合わせてしまったせいで、心揺れる旅だったが、不思議の国ロシアは、今もわたしを誘っている。
 今年はまだ、3月に仕事でロンドンに行っただけ。つまんないなあ。なんとか年末にパリに飛んで、1日でもいいから恋人に会おうと思っているのだが、年始3日から新しい仕事が入っている。年末、果たして仕事から解放される時間ができるだろうか?
 フライト料金を調べたら、年末って、馬鹿みたいに高い。それでも、1日顔を見てとんぼ返りでもかまわないと思ってしまうわたしって、おかしいかなあ。……こんなに貧乏なのに、やっぱり馬鹿かなあ。

●毎日が、とっても規則的。だいたい決まった時間に起きて、通勤途中で朝ご飯を買って、現場で朝食。仕事して、仕事して、現場で簡単にコンビニ夕食して仕事して。帰ってきたら、テレビのニュース番組を見つつ、夜食をとり、あとは恋人にメールを書くとか、本を読むとか、風呂に入るとか、チェロを弾くとか、気まぐれにストレッチするとか、気まぐれに書き物するとか、エレピを弾くとか。で、本を抱えてベッドに入り。
 家に持って帰ってする仕事がほとんどないので、オンとオフがはっきりした気持ちの安定した暮らし。
 安定していたらしていたで、何か不安を覚え始めるのが、わたしの特性。足元がぐらぐらしている方が、何やら生きている感じがするのだ。妙な性分の自分に、愛想をつかしそうになることもあるけれど、まあ、馬鹿は馬鹿なりに、あえぎつつ生きている。


2003年10月23日(木) 毎夜の恋文。

●稽古後。稽古場懇親会なるものが催され、2週間をともに過ごした仲間たちと、いつもは闘いが繰り広げられる場で酒を飲み、語らう。
 その後、打ち合わせに参加し、誘われていた酒席に再び参加。五十代後半の名俳優と、名殺陣師に、「お前がいなければ」と口説かれて。

 男の人は、幾つになっても、夢を見、ロマンを語り、仕事を語り、語弊を恐れずに言えば、可愛らしい。

●携帯を忘れてでかけたので、恋人からの電話をとれず、哀しい気持ち。
 昨日の小川洋子氏の小説に浮かされた心で考えれば……彼と再会する日は刻一刻と近づいているし、そしてまた、その刻一刻は、彼を欠いていたとしても、わたしを証明する大事な大事な時間なのだ。
 
 恋人が日本を離れるとき、日本語から遠ざかる彼に、わたしの好きな物語を何か、メールで少しずつ配信してあげるよ、と、約束した。本当は自作を連載してあげたかったのが、仕事に追われて、物語を書く心の余裕がない。
 今日から、昨日読んだ小説を少しずつタイプして送ることに。
 今夜は酔っているので、指がよれて大変だったけれど……。

 彼が発ってから、毎夜メールを書いている。お話しするように。
 365日経つと、膨大な恋文が完成することだろう。
 


2003年10月22日(水) こんなにも美しい物語。●博士の愛した数式(小川洋子)

●今、小川洋子氏の「博士の愛した数式」という本を読み終えたところ。正確に言うと、読み終えてしばし泣いて、泣き終えたところ。

 わたしはたくさん本を読むけれど、こんなに美しい物語に出会ったのは久しぶり。

 9時半、と、早めに家に着いたのをよいことに始めた読書で、秋の夜が2時過ぎまで更けてしまった。

●今、わたしはとても静かだ。静かであるということがどういうことか、わたしはこの物語を読んで、思い出したような、発見したような気持ちだ。
 


2003年10月20日(月) 秋の日の休日。

●穏やかな秋の日の休日を過ごす。
 部屋を抜本的に整理、掃除し、これからの余裕のない暮らしに備える。

 仕事部屋にデジタルピアノをしつらえて、しばしバッハの平均率から簡単なものを選んで練習。
 ネットで注文してあったレナード・コーエンのCDが届いたので、大好きな一曲、Hallelujahを楽しむ。最近は、店に寄る時間がなくっても、本だってCDだって、家にいながらにして購入できる。なんて便利になったものだろう。

●小さいとき、音楽なんてまったく縁のなかった母は、「長い人生、自分を癒してくれる楽器があればいいにちがいない」と、わたしにピアノを習わせてくれた。小学校にあがって、リコーダーが大好きなわたしにクラリネットを買ってくれた。
 おかげで、音楽の知識はわたしが仕事をする上で大きなメリットになっているし、何より、この年になって、プライベートタイムを楽器とともに過ごす喜びを自然に享受している。ありがたい。
 


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