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●終わった。実に実に、幸福に。
若者たちは感涙し。大人たちも、めったに出会えない素晴らしい現場を称え合う。
打ち上げが催され、酒を飲み交わしたが、余りに素晴らしい仕事だったので、おまけはいらない。わたしは宴の途中で抜け出し、明日の仕事の準備へ。
●来年初頭の仕事の準備を明日1日こなし、そのままパリへ発つ。
ただ、身体が重い。大変な虚脱状態で熱っぽい。いつも、大事な仕事をしているとき、私の身体は不調を訴えるのを待ってくれる。仕事が一段落するまで。……このたびもそうなのか? 恋人と再会することだって、わたしの大事な人生の出来事なのだ、身体よ、崩れるならもうちょっと待ってくれ!
●家に着いてから、テレビに釘付け。フセインが逮捕された……。
●10月頭からかかりきりだった仕事も、明日が最終日。2ヶ月半を共に過ごした仲間たちとも、これでまた次の出会いまでのお別れ。いい仕事だっただけに、いつもより寂しい気持ちが募る。
とにかく、よき千穐楽を迎えたい。明日は朝から、カーテンコールスペシャルバージョンの作戦を練らないと!
●新聞を開くとうんざりすることばかりで、特にティクリートでの外交官殺害テロから自衛隊派遣決定までの流れは、もう、何をか言わんや。
救いの少ない世の中にいて、何かを書き留めておきたくても、わずかな自分の夜の時間をさくだけの気持ちになれず、どんどん筆無精になっていく。逆に、仕事場での幸福は自分の身体に近いものだから、書き留めておく必要も感じず、またまた筆無精に。
きっと、仕事があさって一段落して、しあさっての朝飛行機に乗り込んだ途端、書きたくなるのではないかと予感している。でも、徹夜明けで乗り込むから、爆睡しちゃうんだろうなあ。
●観客で一杯の劇場は、やっぱりいい。
毎日、キャストやスタッフが劇場入りする前に、もう当日客が多勢の列をなしている。客席は、臨時に出したパイプ椅子や立ち見客で一杯。
多人数の空間を支配する静寂と、拍手による喧噪のコントラストに、心動かされる。
●本番をランニングしながら、新作の稽古場を見学したり、先の仕事の準備をしたり、多忙きわまる。それでも、何か足りない気がしてしまうのは、贅沢なのか、常なる問題意識として当然なのか?
いい仕事をすればするほど、もっと先に行かなくてはと、あせっている自分が常にいる。
休んでいる時間などないぞと思いつつも、心は5日後に発つパリに向けて弾んでいる。予定ではブリュッセルまで小旅行してブリューゲルを見、パリでオペラを見る予定だが、さてどうなるか。もちろん、恋人と久しぶりに会うだけで、それだけでもよいのだが。
2003年12月07日(日) |
今、生きていること。 |
●あと一週間公演は残っているんだけれど、一足早い、スタッフ打ち上げ。明日はOFFなれど、次作のプレ稽古が入っているから早く帰ろうと思っていたのに、ついつい長居。仕事の話の末、可愛がっている後輩プロデューサーから、恋愛相談を受けることしばし。こと恋愛の話になると、愚かなわたしは引き出しにことかかないので、ついつい。……これまで、どれほどの恋愛相談を受けてきたことか……。自分の恋愛に関してはほぼ誰にも相談など持ちかけたことなどないわたしが、人からこれほど相談されるのはなぜ? やっぱり、愚かな匂いがするからか?
●仕事のこと。間もなくパリで再会する恋人のこと。片づけなければいけない仕事は山積みだし。心は揺れ、身体は忙しく。なんだか12月って感じ。
生きていることの、基本的な悩みはつきまとう。いつだって。
でも、今生きていることに付随することが強烈なので、なんとか基本的な不安に悩まされずに暮らしている。
愛する対象を失ってしまうこととか、仕事を失ってしまうこと(仕事のできない状況に陥ってしまうこと)が、とても怖い。
元気で、生き続けたい。できうる限り。
●今夜は夜公演のあと、劇場のお偉方からお招きを頂き、慰労会。わたし一人のための慰労会だから恐れ入る。風邪でばて気味なので美味しくお酒を頂くことができない身体ながらも、楽しい時間を過ごす。
それにしても、わたしは大体、大きな仕事が終わって一段落すると、がくっと体調を崩す質なので、この先が心配。
この仕事を終えて、翌日、一日中先の仕事の準備をひたすらにやって、徹夜明けで飛行機に乗ることになりそう。……恋人は今からそのことを心配しているようだ。
人一倍元気に働いていたわたしが、一気に体調を崩す様を、何度かその目で見ているから。
●このところベッドに連れていく本は、ジェラルド・カーシュという作家の「廃墟の歌声」。これが実に面白い。突拍子もない物語世界にぐいぐい引き込んでくれるのが、たまらなく嬉しい。一気に読むのがもったいなく、短篇を少しずつ読んでいる。
一つ読み終えて、とっぷりと物語世界の中、想像力で遊んだあとは、ぼんやり恋人のことを考える。パリで再会する瞬間のことを想像する。そうこうしていると、いつも眠りの中。
報われても報われなくても、「恋しい」と思う人のいることが、わたしの日々を支える。少なくとも、わたしの場合はそうだ。
2003年12月02日(火) |
渡仏準備やら、仕事づくめの生活やら、知恵熱やら。 |
●このところ、渡仏のための準備に明け暮れていた。仕事、仕事で、プライヴェートタイムが少ないので、ひたすらに。
ようやくエールフランスで安めのチケットを入手し、一泊目にモンパルナスのホテルをとり……これは手頃な空き室が少なく予算オーヴァーだったけど……。
恋人と会ってからは、ブリュッセルへの小旅行にすぐ出かける予定。大野和士が芸術監督を努めている、小振りなオペラハウスがある。チケットが取れれば是非出かけたい。
なるべく荷物を少なめにして、身軽に飛び回ろう。
4月に仕事でロンドンには行ったものの、バカンスで一人で海外に出るのは1年ぶりなので、もうウキウキ。昨年のロシア旅行はそりゃあそりゃあ心に残るものだった。色んな意味で。今度はどうなるだろう……。
●5日間日本から離れるために(本当は6日間だが、朝着便なのですぐ東京に戻って働けるのだ!)次の仕事の準備が山積み。現行の仕事をこなしながらなので、カレンダーのその日その日にやるべきことを列挙して、ひとつひとつ潰しながら暮らしている。
●先のバカンスは実に楽しみだが、現行の仕事も、素晴らしい状況で進行中。若さと、勢いと、熱情と、清冽さと。
負けないように、負けないように、1日1日に真剣に向き合おうとするのだが…………いやいや、自己否定ばっかりしてないで、前を向いて歩いていこう。
そのためには、元気でいること。
昨日だって、このところの疲れが一気に出て、いつもの知恵熱を出し、1日ベッドで寝て暮らしたのだもの。まあ、今日はすでにぴんぴんしているのだから、いつもの「休みなさい!」っていう我が身体からの勧告だったのだろう。
とにかく、元気でいること。元気で扉を開けて、外に出ていくこと。またある時は、元気な状態で自分に対峙すること。
●「ヒトラーとスターリン」の続きを読みながら、つい最近の楽屋での会話を思い出す。
空き時間、これから上演されるチラシを眺めていると、ユダヤもの同性愛者ものの佳作が久しぶりに再演される。楽屋受付の仕事をしているA嬢が、どんなストーリーなんですかと聞いてきたので、こうしてああなってと説明してやると、どうもちんぷんかんぷんな様子。逆にいろいろと質問してみて分かったのは、20代前半の彼女が、ヒトラーによるユダヤ人迫害の事実を全く知らないという事実だ。
ナチス、ゲットー、強制収容所、ホロコースト、等々のことばは聞いたこともなく、ヒトラーは聞いたことがあったが、何処の国の人か知らなかったと言う。
彼女はちゃんと高校を出ている。それなのに、それなのに、そんなことってあるんだろうか?
作品を創って人々に呈示することを生業にする者として、考えることがたくさんあった。
自分が誰に向けて、何を、どう、語っていくか。ということ。
●制作の不手際でオーディションがひとつ延期になり、今日は1ヶ月ぶりのOFFになった。
休日にやるべきことがたくさんリストアップされていたのに、9時起き予定が起きてみたら12時過ぎ。しかも雨降りで何処にも出る気になれず。
まあいいやと自分を許容し、家でのんびりと本など開き過ごす。
それにしても、休みとなると目覚ましが全く聞こえないというのはどういうわけか?
わたしは寝起きが人一倍悪いくせに、人一倍遅刻が嫌いなものだから、目覚ましは大音量のものを6つかけて眠る。それだけの準備をして、ようやく安心して眠ることができる。
それが、休日になると聞こえない。一度消して二度寝するのではなく、大音量を聞いたまま眠っているのだ。(一緒に部屋にいた男性たちは、あの大音量の中で眠るわたしが信じられなかったと証言している)
「眠り」って、生きているわたしに最も「死」を連想させるもので、その制御のできなさ、不可解さから、自己の揺らぎを感じさせるのだけれど、「休みに於いては聞こえない」というこの事象は、そう言う意味ではわたしを少し安心させる。「眠り」の中においても、自我による制御装置が働いている証拠のような気がして。
逆に、いつかそのときがきたら、眠るように死にたいという願望が、自分の中に棲みついている。
わたしのように一人で暮らし一人で行動する者は、野垂れ死にの運命といつも向き合っている。野でもいいから、せめて眠るように静かに……などと、夜、死にゆく自分を妄想したりすることがある。
甘いかしらね。
2003年11月24日(月) |
再び、繰り返しの日々。●誰か(宮部みゆき) |
●最近、日記を書くのをさぼりがち。
毎日が繰り返しの日々になっているからだろうか?
素晴らしい公演に参加しているので、毎日刺激的だし、毎日同じように興奮する。毎日真剣に働いている。その繰り返し。繰り返しを全うすることが、今の仕事。
だから書かないってのは、でも、ちょっと違うなあ。だって、結局は食べて寝て働いて、プラスアルファ、そんなこんなの繰り返しが、生活なんだものなあ。
そうだ、ようやく自分の時間を少し持てるようになったので、夢中になって読んでいたり夢中になってピアノを弾いていたりするせいか?
●この仕事が終わったら、どうしても休日をこしらえて(休日は自分でゲットするものだ!)、恋人を訪ねる計画をたてている。年末の馬鹿みたいに高いフライト料を払って、半日しか会えないにしても。
●今日は、キャストスタッフが集まっての初めての飲み会。本番中のキャストと一緒である限り、わたしは90パーセント仕事気分。それでも、十分に楽しんだ。盛り上がり過ぎ。淀みのない幸せな時間。(もっとも、幸せ過ぎるとわたしはいつも物足りなさを感じるのだが。)
終わった時間が早かったので、ほろ酔い気分で通いつけの本屋へ。最近はもっぱらネットの本屋にお世話になっているが、やはり本屋に立ち寄るのは楽しいものだ。不思議の国のアリス、オリジナル版、ルイス・キャロル手書きの素敵な本を見つけた。
このところわたしはアリスに夢中だ。それというのも、Robert Sabudaという人のポップアップ絵本を先日入手したせい。これがもう、ため息がこぼれてやまない素敵なもの。この素晴らしさは、Etceteraで写真を添えて近々紹介しよう。
●宮部みゆきの新作を二晩で読了。
デビュー当時から新作が出るたびにすぐに読みたくなる作家だが、このところがっかりさせられることが多い。その道徳観がだんだん古くさく感じられて……。
このたびの作品も、真っ当な人のみに作家が寄りすぎている。真っ当でない人を簡単に断罪しすぎる。「模倣犯」だって、結局掘り下げられるのは、真っ当な主人公の少年と祖父で、犯人たちの人格は、真っ当でないことをひたすら描写することに終わっていたものなあ……。
稀代の物語作家と信ずるだけに、このところの作品に寂しさを感じてしまう。
2003年11月19日(水) |
本番中。●若き日の哀しみ(ダニロ・キシュ) |
●もう、これ以上はないって感じの幸福な初日を経て。ただいま本番中。
俳優の演技も、スタッフワークも、ひとときも気が許せないし、油断ができない。本番に備えて、体調管理する日々。
●昨日の休演日には、休む暇なく、来年の仕事の子役のオーディションに行ってきた。150人くらいの子供たちに接して、やっぱり子供たちは可愛いぞと久しぶりに思う。
オーディション中騒いでいる子がいれば、緊張して突然泣き出す子もいる。やたら場慣れしている子もいれば、ぶるぶる震えている子もいる。一人、一人、それぞれに、生きている。
まあ、子役をやっているってだけで、ちょっと特別なのかもしれないけれど、それでも、意外と生き生きしていることに安心したりして。
●ようやく本を読む時間と余裕ができた。今夜は、宮部みゆきの新刊を持ってベッドへ。
●深夜作業が続き、ホテルに三泊。昨日はようやくタクシーで家に帰ったが、倒れるように就寝。
過酷な仕事の後に待つ蜜の時間を愛する自分がそこにいる。
仕事を、食い扶持を得るためのいわゆる仕事と思わず、愛しているし。
仕事をするからには、自分が如何に大人として社会に関わっていけるか真剣になる。
失敗とか反省とかの繰り返しではあっても、自分がそこに関わる意味がある限り、やっていける。
今日も、素晴らしい成果があがって感動する反面、どうにも歯がゆいことがあって声を荒らげてみたり。でも、やっぱり、蜜のような感動の方が、わたしを前へ前へと、どんどん突き動かしてくれる。
●今日も、もう息絶え絶え絶え。明日のために早く眠ろうと思っていたら、仕事でパリからイタリアに移動した恋人から電話がかかってきた。
お互いのこのところの忙しさで音信不通になっていたから、嬉しくて泣きそうになる。辛いことがあっても嬉しいことがあっても、わたしが一番に報告したい友人であるからだ。一気にこのところの仕事の美しさと、嘆かわしさをまくしたてる。
年末には会いに行こうと思っていたのに、どうにもこうにも、スケジュールがどんどん詰まってくる。このチャンスを逃したら、来年の秋まで休みなく仕事が埋まっているというのに……。
たとえ在パリ1日になったとしても、行こう。4日くらいなら行方不明になってもいいんじゃない? これだけ頑張ってるんだもん。たまには一人の女に戻って、やっぱり蜜の時間を味わいたい。