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■去年と今年の夏、一緒に仕事した俳優の仕事を観にいく(聴きにいく)。生きる力を他者に惜しみなく分け与える、素晴らしい歌声の持ち主。
一緒に仕事をしている間は、わたしの能力の限り、彼の才能をバックアップしようと思うし、それ以外のときは、熱心なファンになる。今夜も、ただただ彼の歌声に酔い、彼が表現者として内包する感情の振幅の大きさに舌を巻いた。
それなのに、ロビーで会ったマネージャーが、彼が落ち込んでいるのだとわたしに伝える。で、終演後楽屋へ。わたしは、彼がどれほど素晴らしいかを言葉を尽くして伝える。ひたむきに彼の悩みを払拭しようとする。共に苦労して作品を作り上げた時間が、お互いの信頼関係を生んでいるので、彼はわたしのことばを、100%信頼して受け止めてくれる。長らく楽屋で話し合ったあとは、「○○さんが今日観てくれて、本当によかった」と、嬉しげに表情をゆるめている。
自分のような平凡な才能の持ち主が、彼のような天才に力を与えることばを持っていることに、わたしは驚き、自分の仕事、自分の来し方を振り返る。無駄なことばかりではないのだ。
■わたしの師匠がこの秋そりゃあ名誉な賞を受けて、その受賞を祝う会が昨日開かれた。師匠の仕事に関わったあらゆる俳優、あらゆるスタッフが顔を揃えると、そこは、わたしにとってはなんだか同窓会のような様相を呈し。
一本の仕事を共にすると、短くて2ヶ月長くて5ヶ月くらい一緒に過ごす。そして、千穐楽を迎えると、ぱったり会わなくなり、その活躍を、劇場だのテレビだの映画館だので、見守ることになる。そうして出会い、別れてきた人が、もう、これでもかってくらい集まってきて、わたしは浮かれ気味に会場を歩き回り、抱擁や握手を重ねた。
わたしの過去、わたしの記憶が、彼らという鏡を得て、甘くも苦くも、たちあがってきた。
■わたしはナルシズムに欠ける人間な分、他者という鏡を必要とするのかもしれない。
■昨夜、荒れに荒れた恋人は、今朝には穏やかに凪いでいた。迷惑をかけたこと、わたしへの甘えを詫びて、自分の狼藉ぶりを恥じてみせた。
彼もまた、わたしの鏡だ。
かつて確かにいたわたし、もしかしたら在りえたわたし、目に見えるわたし、目に見えないわたし。様々なわたしがそこに映りこんでいる。
2004年12月12日(日) |
生きていること自体が祝祭。 |
■毎日少しずつ書く、ということが、できない。このサイトを開いたときに掲げたアイザック・デネーセンのことばは、宙に浮いたまんまだ。
■今、進行中の仕事も、次に控えている仕事も、真っ向から「愛」をうたう作品だ。そして、わたしの私生活は、他者を愛することの悦びと戸惑いで泡立ち続けている。
仕事のため、そして、わたしを揺さぶり続ける感情を鎮めるために、小説を読み続けていた。
水村美苗の『本格小説』は、ただただ、「純然たる愛」を語るために、あらゆる文学上のお膳立てが為された作品だった。いや、小説を書くことが天命であることを自認するために、最も文学的な素材を俎上に乗せて、物語を享受する悦びを、読者と分け合おうとするもののようでもあった。
『嵐が丘』と酷似した物語を、読者であるわたしはひたすらに追った。そして、愛しあうべく出会った他者を愛しきることのみが、生まれてきたことの意味であり、生きる意味である、男と女の、幸と不幸に酔った。
辻邦生との往復書簡「手紙、栞をそえて」を読んだとき、わたしは水村氏と自分の読書体験があまりに似通っていることに驚きを覚えた。幼少期から少女期青春期と、読書することで世界を知り、読書することで現実から逃避し、読書することで他者と自分の関係を探っていった者たちだけが知る、甘やかな共感を、彼女の作品に感じる。
在る夜、突然、自分の乳房にしこりを見つけ、どう見ても、どう触れても、それは乳ガンの如きものに見え、夜通し恐れ戦き、意を決して仕事を休み(わたしにとって仕事を休むことは、相当意を決した結果だ)、検査に赴いた。総合病院ゆえの待ち時間は3時間に及び、硬い椅子に座ってわたしはこの『本格小説』のページを繰り続けた。すると、声高な台詞でもなんでもなく、ちょっとした描写のついでに出てきた一行に、心奪われた。
『生きていること自体が祝祭。』
このことば。
わたしも、このわたしも、祝祭としての「生」を享受しているのだと、目の中が熱くなった。
■わたしの仕事場は、その時々の稽古場、その時々の劇場、と、いつも所在が移っていくのだが、よほど遠くない限り、雨が降らない限り、自転車で通う暮らしが続いている。片道15キロくらいまでなら、ちっとも遠いと感じない。 水の好きなわたしは、隅田川を渡ったり、お濠端を流したりするだけでご機嫌だし、走っている間、自分の脳が心地よく空虚になる感じが好きだ。自分の足で、ぐいぐいと自分が移動していく流動感が好きだ。バイクの疾走感とはきっとちょっと違う。どちらかと云えば水泳に近い。自分で自分を、ぐいぐいと前に推し進める運動が連なって、流線を引いていく感じ。
しかし、お金のなかった20代に、電車で移動することしか知らなかったことを悔やむ。いや、まあ、悔やんでも仕方ない。今はただただ、愛車ビアンキとの偶然の出会いを喜ぶのみ。
■秋元松代の全集を借りて、片っ端から読んでいる。栞として添えられている、彼女の日記抄は、創作に生きるべき自分と、孤独を内包した自分との、闘いの記録だ。
わずかだが引いておく。
「 (師である三好十郎の俳優座上演は)慶賀し、また正しく競争意識を持ち、好適の出現と考えるべきことだが、心のどこかには、激しい憎悪を感じた。自分の卑小さ狭さを恥じながら、先生を憎まずには居られない。憎め、憎め、と心に叫ぶ。その憎しみを作品と生活にたたきこんで燃えろ。人に語るな。また人に対して行動するな。語れば敗れるぞ。語れば滅びるぞ。黙れ。沈黙して書け。」
「仕事のやり方と、生活の保持について体得した。体の云うことをきいてはならぬ。体に相談する必要はあるが、なだめたりだましたり、はげましたりしてやれば、体は精神に従う。必ず仕事のために働く。これが生活信条とならねばならぬ。」
「(自分を老人呼ばわりする人間たちを嫌忌して)私よ、お前は勇気を持ち、ただ一人で、生きられる時まで歓びを持って生きていくのだ」
「(代表昨となった『常陸坊海尊』を書き終えて)これでわたしの一切は償われた。苦しかったこの一年。何よりも爽やかな作品として終わったことの喜び。単純化と象徴化。書いているあいだの自由な魂のこと。作品はこのようにして制作されねばならぬ。各人物は私の命令を奉じた。それは私は彼らをよく知り掌握していたからだ。格闘はなく、解明と鮮明化と装飾を施す喜びがあった。むろん格闘はあった。しかしそれは、私をして書き手としてグラウンドへ立たせる格闘であり、各人物は私の統率の下にあった。ああ、私は生き、そして何事かをなした。しかし、この喜びを告げるべき人はない。」
■わたしが今、心身を傾けて愛している男は、若く激しく、荒ぶった精神の持ち主だ。すでにわたしが忘れてしまった、若いとき独特の、在るべき自分と現実の自分との差異に、煩悶して生きている。
時折、漠然とした怒りが飽和状態になって、ほぼ意味なく猛り狂うことがあったりする。破壊的な行動、わたしに対する嘘や精神的ないたぶり。わたしはかつての自分を見るように、ただ彼に寄り添って、嵐の過ぎるのを待つ。嵐のあとは、必ず、うねりは凪ぎ、風が塵をはらって晴れ渡る。……しばらくの間は。
今夜がそれだった。交番で暴れそうになっているのを救出したものの、道路でわめき転がり、道ばたのあらゆるものを蹴り倒したあげく、高級住宅の門に飾られたたいそう風流な電灯をたたき割った。
我が家にようやく連れ帰ると、玄関先に転がったままになった彼の手からは、血がどくどくと流れていて、わたしは玄関先に座り込んで、止血し、治療してあげる。
今はわたしのベッドで眠り込んでいる。目覚めれば凪いでいるはずだ。
そしてなぜか、嵐の前より、また少しお互いを求め合う気持ちが強まっているはずだ。
わたしたちは、お互いの空虚を埋め合うようにして愛し合い、今や相手が塞いでくれた穴にまた風が通り抜けることなど、想像もできない。
彼のどこが好きかと聞かれても、わたしは答えを持たない。ただ、わたしに必要な人が現れた、というしかない。そして、相手も、同じように思っているということ。
愛することも、愛されることも、人並みに、いや、人並み以上に、知っていたと思う。でも、愛情を交わすことの悦びを、この人でわたしは知った。いつかこの人が去り、わたしに風穴が開くのだと想像すると、気が狂いそうになる。
●ジャック・プレヴェールの「ことばたち」という詩集が刊行された。「天井桟敷の人々」の脚本家として有名な彼の作品を訳したのは、高畑勲監督。わたしは迷わず手に取った。「天井桟敷の人々」をはじめて見たのは大学一年生の時。ロードショウ館しかない田舎町で育ったわたしは、東京に出てから数々のかつての名画に出会っていったのだが、天井桟敷の人々体験は、その中でも強烈なものだった。あまりの衝撃に、二日おいてまた同じ映画館を訪ねた記憶がある。全編にちりばめられた美しい台詞に、わたしは虜になった。そして、この詩集に出会う。あれから20年以上経った今。
フランス語でしか味わえないことばたちを日本語に置き換えるために、別冊で注解本が添えられている。たくさんの注を参照しながら読み進めるのは、当たり前に詩集を読む感覚とは違い、少しずつ少しずつ読み進めている。もちろん、紙に並んだわずかなことばに目を落とした瞬間、揺さぶられるような詩もある。たとえば。
「ひとりで眠る者は、その揺りかごを揺すられているのだ、その者の愛している、愛した、愛するであろう者たちすべてによって。」
●恋人は、我が家を訪ねては、わたしの本棚を図書館代わりに物色し、一冊、二冊、と持って帰る。彼は若く、文学との意識的なつきあいも浅い。だから恐ろしいスピードで物語を吸収していく。
わたしはと言えば、書くことからしばらく縁遠い生活を送り、物語を読むことにも少々疲れ、読書欲が常より薄れている時期だ。
そんな「ことば」に対する感覚と体験の全く違う二人が、ともにいる時に、ひたすらに「愛している」とか「好きだ」とかの、あまりに簡単なことばによる愛情表現を飽かず繰り返している。お互いに、どうしても言わずにはいられないのだ。言わなくても分かっていることでも、言わずにいられない。自制しないと、呼吸するようにして、ずっとずっと言い続けそうなほどに。
わたしはきっと、姿形を持たない「愛情」とか「幸福」とかいうものに、そんなことばたちによって手触りを与えて、ふくふくと味わいたいのだ。もしくは、口から毛穴から噴出しそうな不安や衝動や欲望を、わずかに和らげたいのだ。
彼には彼の理由が、きっとあるのだろう。わたしはわからない理由が。
●わたしの仕事は、人の、口から出てきた「ことば」、口から出ることなく消えていった「ことば」、様々なことばたちを再現し捏造し、疑似人生を生み出すものだと言える。
日々、自らが消費し濫用していることばを自戒しながら、どうもまだ「書く」ことに対して自由になれないでいる。
●休日。前夜から夕方まで恋人と過ごす。仕事場での理不尽に苛立ちを募らせ、しばしば爆発する彼を見ていると、若かりし自分を思い出す。貯め込み方と爆発の仕方がとっても似ている。ただ、わたしがそういう時代を通過しているからと言って、経験値からくる言葉とかで彼を慰撫することはできない。ただ寄り添うこと。どれだけ寄り添っても他人に過ぎないことに絶望していると、ふと、わたしの思いだのエネルギーだのが彼に通い始めて、二人であることに希望を見いだしたりする。
●今年の夏、英国の俳優たちと一ヶ月を過ごした。ボキャブラリーが少なかろうが、文法がめちゃくちゃだろうが、とにかく英語をしゃべらないと仕事ができない。コミュニケーションできない。その中で、語学の進歩は、学ぶ努力より何より、通じたいという欲求の強さの中にあることを痛感した。
日本語さえ熟知していればそれでいいのだと、外国語を学ぶことを自分の人生から排除していたわたしは、考え方を大いに変えることになった。
仕事に追われていたり、恋をしていたりすると、持ち時間はごくごく限られている。それでも、少しずつ勉強をする。一週間ほども休みがあれば、ロンドンに芝居を観にいこうとも思う。そして、知り合った俳優と再会しよう。ひとつの芝居を作る苦労を分け合う中で、心では通じ合えてもことばで通じ合えないことに歯がみした時間を取り戻したい。
日本語で覚える齟齬と英語で覚える齟齬は、レベルも種類も違うが、齟齬の哀しみに違いはない。
飽くまでも人とことばでつながる仕事をしているのだ、わたしは。
●今、関わっている仕事は、真っ向から若き恋を描く戯曲。10代と20代の才能溢れる俳優が見せる演技に、自分の過ぎた時代が蘇る。美しき恋の思い出が蘇る。微笑んだり目頭が熱くなったりした後で、ふと思う。「わたしにこんな美しい思い出などあったかしら?」それでも、まるで自分自身の思い出のごとく、擬似的な蘇り体験は訪れる。……演劇の魔力がそこにある。
現場に対するストレスや不満はあるものの、いつもそんな魔力に引きずられて、わたしは仕事場に赴く。
2004年11月02日(火) |
書かない理由、書く理由。 |
●ずっと働いていた。7月に海外公演から帰国した翌日、新しい現場に入り、8月頭に初日を開けたあと、またすぐに新しい現場へ。この8月9月の仕事は、わたしの演劇感を大きく変えた。
ヨーロッパとアジア2国から来日した俳優たちと共同作業をし、自分の愛してきた仕事と、自分の生まれ育った国について、様々なことを考え考え過ごした。考え、行動することに忙しくて、それを書き留める余裕がなかった。
そして今、古巣に戻って12月に開ける公演の稽古に没頭している。……没頭? 時間的には没頭しているけれど、自分の心境の急速な変化に伴い、今まで通りの仕事では満足のゆかない毎日が続いている。来年末まで休みなくこの生活の続くスケジュールがすでに決まっている。
自らの仕事の変化のために、再来年の国費留学を考えている。今の自分の履歴ならたぶん決まるだろう。大事なのは滞在先を何処に定めるか、何を学ぶために何処を受け入れ先と定めるか、はっきりと一年間の目標を決めること。そして語学のブラッシュアップ。
●5月から始まった新しい恋人との関係は、今も続いている。
彼の29歳という若さと激しい性格から、何度も何度もひきつれを起こしながらも、お互いに愛情の深い人間なので、バランスよく引き合っている時の幸福感は大きい。恋をしていることが余りにドラマティックで、良くも悪しくも自分を満たすので、日々を書き留める必要がなかった。
泡立ち続けて生きることを、どれほど自分が求めていたのかがよく分かる。わたしは恋愛に関しても、安定が嫌いならしい。
●5月から今までで、10キロ痩せた。特にダイエットをしたわけでもなく、病気をしたわけでもなく、実に健康的に。仕事の忙しさで少しずつ体がしまってきた折、酷暑の中エアコンが故障し、汗をかく生活を強いられること1ヶ月。衝動買いしたビアンキの自転車が余りに乗り心地よく、自らの足として何処へでも自転車で移動するようになって、どんどん体脂肪が減っていき、安眠のためにはじめた毎日のヨガが体に合っていたらしく、10キロの減少以降、体重は安定している。
おかげで衣類をほとんど買い直さなくてはならず、ギャラをずいぶん食いつぶしてしまったけれど、体が軽く、快適。今の自分がとても気にいっている。
自分とつきあうのが楽しくって、ナルシズムに欠けるわたしが、書かなくっても自分を愛せるようになっていた。何かを書き殴らなくても、一日を終えることが出来るのだ。
●この歳になって、激変する自分を愛せるのは、幸せなことだと思う。でも、これからは、その自分が、自分を取り巻く世界とどうつながっていくのかを変えていく時期だと思っている。自分の選んでいる仕事を通じて、何が、どこまで、出来るのか?
その為に、また少しずつ書いていこうと考えている。自分の慰撫のためではなく、自分を相対化して見るために。
2004年11月01日(月) |
また書き始めようかと思う。 |
●また書き始めようかと思う。
●しばらく書かない間に、わたしとわたしを取り巻く環境は大きく変わった。
変わったこと、変わらないこと、感じてきたこと、今感じていることを、ゆっくりと、虚飾を交えず、また書きつづってみようかと思う。
●国内での旅公演を終え、海外公演を終え、5月から続いた長い仕事は終わった。人と環境に恵まれた、素晴らしい仕事だっただけに、仕事が空くと、もぬけの殻になっていただろう。ありがたいことに、帰国した翌日から、次の現場に入っている。あまり良い仕事とは言えないが、それでも、わたしのやるべきことが目の前に山積みなので、またまた眠りを削って働いている。この仕事とかぶって、8月からはまた良い仕事が控えている。今は、ただただ仕事をする人間だ。
●公演の後、帰国までに一日オフがあったので、12時間のエーゲ海クルーズに行ってきた。人生観があっという間に変わってしまいそうな美しさ、穏やかさ。日差しの恵みと水の時間に、自分を投げ出して、ただただ酔った。人目もかまわず水着に着替えて、一泳ぎも。美味しいビールも。風の抜ける丘の散策も。カフェに座って楽しむ雑踏も。すべてが、潤いをもたらしてくれる。楽しくも厳しい仕事の興奮を覚ます、素晴らしい時間だった。
強い日差しの中、野外劇場で仕事をした上に、クルーズでは船上で何も考えずに心地よい眠りについたりして、生涯最高の日焼けをしてしまった。日焼け止めなど、何の足しにもならないほど、太陽の下で過ごしたから。先のことを考えると空恐ろしいが、仕事の代価としては、気分の悪いものではない。小さなビーチバレー選手のような風体で、夏を楽しんでいる。
●我が家に戻ってみると、エアコンが機嫌を損ねており、冷風を吹き出してくれなくなった。うって変わって、湿度の高い不快な部屋での暮らしが始まっている。それでも、風のあるなし、湿気のあるなし、など、エアコン生活では気づかないことに敏感になり、これもまた悪くない。でもまあ、不快指数は上がる一方なので、修理したいものの、休みがない限りは無理。あさってはせっかく久しぶりに恋人と会える予定。我が家に泊まってもらうことはあきらめ、都心のホテルの高層階を予約した。久しぶりに、都会の快適を楽しめそうだ。
●旅先にいる。地方公演が開けたところで、観客からは熱狂的に迎えられた。
●書かない間、実に、実に、濃密な時間を過ごしていた。
大きな仕事を抱えて、やりがいもあり、やれなやるだけ結果がかえってきて、それが自分の喜びになった。
恋もしている。もうこの歳になったら恋愛の始まりのわくわくどきどきなんて面倒くさいだけだろうと思っていたわたしが、20代の頃のように、ちょっとした駆け引きに心ときめかせている。昨年のように現実的なことに惑わされず、ただただ恋をしている。
そういう間、仕事はするし、自分の仕事のための書き物はするのだけれど、毎日毎日の自分のよしなしごとを、書き留めようとはしなくなってしまった。ここに書き続けていたものも、自分のノートに書きためていたものも。
それが自分にとって、健康的なことなのかどうか、よくわからない。何か大事なことを忘れているような気もするし、過ぎていく日々のことなど書き留める必要などないのだと開き直る節もある。
●恋人は、かつてニューヨークで同時多発テロが起こったとき、わたしに電話をかけてきて、「10メートル四方のことを考え続けている自分が、分からなくなってしまった」と言った。
10メートル四方というのは、その時彼が図面を引いていた劇場のことだ。
大きな世界の中で、一人の自分が人生を賭けている狭い世界のことを考え、彼が自分の居場所を疑った瞬間だった。
世の中は、わたしの知らないところで、動き続けている。報道に乗ることだけでも、追っかけていると、いっぱいいっぱいになる。
それら全てに無視を決め込めるほど、このところのわたしは、仕事が楽しく、恋する相手と過ごすことが楽しかった。
その自分を疑う時間と、疑うことも忘れて人生を謳歌する自分が、交錯している。
●ホームページの扉に掲げている、アイザック・ディネーセンの言葉を、よく思い出す。その言葉を長く長く噛みしめていると、文字に起こしていないだけで、やっぱりわたしは自分の時間を、どこかに書き留め続けているような気もしてくる。
●世の中では、相変わらず心の痛む事件が起こり続けている。腹立たしいことも、諦観を誘うことも。それは様々に。でも、そのひとつひとつをじっくり見つめられないほどに、わたしは自分の恋のことで頭がいっぱいだ。
年齢が13歳離れていることを恐れて、最初は本気になるまいと随分自分を操作しようとしてみたのだが、相手のエネルギーが凄かった。大きな感情の波に、すぐさま全身をさらわれ、今やその波の中でしか泳げないほど。
お互いがお互いの思いを知りあぐねて、何も手がつかない状態を、それぞれに過ごし、今はすでに、お互いの愛情を疑う余地がないところまでたどり着いた。
幸福をめいっぱい享受している彼と、わたしの違うところは……わたしは、幸せがやってきた途端に、去る時のことを恐れていること。
出会うということが常に別れることの予兆のように思えてしまうわたしは、幸福の表と裏をいつも思う。それは、自分からその幸福が去る不安でもあり、自分がこんなに幸せであっていいのか、という不安でもあり。
2004年06月01日(火) |
止まらない思い ■ビッグ・フィッシュ(ティム・バートン) |
●ああ、人を好きになってしまうというこの感情は、どうしてこうも止まらないのか。この歳になってもちっとも終わらない。これは一生なのかもしれないなあ。結婚もせず子供も持たず、一人で生きてるわたしみたいな女には。
相手が20代なので、加速度がすごい。離れている恋人のことを思ってわたしが躊躇していても、向こうからぐいぐい攻めてくる。お互いに仕事に夢中なので、毎日会おうとはしないから、狂いすぎずに、救われているけれど、休みが訪れると、離れていた一週間分の思いが爆発する。
しかし、それもこれも、今だけの一瞬の高揚なのではと、ずいぶん年嵩のわたしは恐れて恐れて一緒にいる。ただ、それを押しても、一緒にいる時間には無上の喜びがある。
今年の頭から、心と体を害してまで一人で闘ってきたわたしを、彼が一挙に慰撫してくれている。……流れに、また身を任せている自分を情けなくも思うが、避けては通れない今がある。
●ティム・バートンの「ビッグ・フィッシュ」を観て、涙、涙。
おおらかな愛情、一回の人生をかけて一人の他者を愛しきる姿勢、そして舞台では絶対無理な、映像ならではの美しいシーンの数々。
仕事前に、一人で目の回りを真っ黒にして泣く。洗ってくれるタイプの涙で心身共にすっきり。仕事場に行けば、愛すべき作品と仲間がおり、今は実に幸せ。
●今週にも梅雨入りかと言われていたのに、今週はまだ晴れ間が見えている。もうしばらく自転車通勤が出来そう。
そう近くには住んでいないので、たくさんの人に「自転車? 何分かかるの?」と聞かれる。
「全速力で走り続けて30分かなあ」と答えると、みんな呆れる。まあ、確かに、40代の女性には似つかわしくないかもしれない。でもさ、気持ちいいんだもん。風に吹かれると。それに電車に乗っているより、よっぽどいろんなことを感じながら考えながら過ごせる。
勉強一筋に過ごすつもりだった、この、ちょっと時間の余裕のある日々を、わたしは思いがけない展開で暮らしている。それでも、自分の人生を支えるのは自分しかいないので、わずかずつでも勉強を重ねている。それが生きるのはいつだろう? でも、積み重ねていくしかない。