サミー前田 ●心の窓に灯火を●

2004年01月30日(金) じゃがたら祭〜クニナマシェ

 クラブチッタでひさしぶりのオールナイト。
「じゃがたら」という唯一無二の音楽集団に捧げるイベントであり、
メンバーのオトさんと南流石さんが中心になって企画されました。

 この日、一番盛り上がったのはじゃがたらメンバーも参加しての「渋さ知らズ」。音楽的にも精神的にもじゃがたらの影響を受けており、リーダーの不破さんは「じゃがたらは世界一好きなバンド」と発言していた。
 しかし決定的にちがうところは、渋さ知らズには、強烈なボーカリストがいない。じゃがたらの江戸アケミのような存在感のあるフロントマンがいないのだ。個人的には、渋さのステージ上の「にぎやかし担当」の人たちは弱いと思う。初期じゃがたらのステージだったら、得体の知らない有象無象が多数舞台上にいたが(私もいましたが)、必ずコーラスの女性は脱いでるし(よくアケミが「脱げ脱げ」と脱がしていた)、勝手にマイクを奪ったり暴れてる奴もいた。何が起こるかわからないスリルが満載だった。ステージ上がどんな混乱状態になっても、最終的にアケミには収束できる度量があった。
 渋さのフロントでは、褌MCのお兄さんだけがいいと思うけど。他の人たちはもっと強烈になってほしいというか、演奏者に負けず予定調和じゃないものをみせてほしいです(別に脱げと言ってるわけではない)。



2004年01月17日(土) ロックをとったらただの乞食

 1979年、15才の頃、「サイズ」(SYZE)というバンドのライブを観た。そのちょっと前に出たオムニバスLP『東京ニューウェイブ79』にも収録された「SEX」というバンド名を改めサイズであった(後のチャカがいたサイズとは別)。
 飾らないストレートな歌詞と曲、真摯な音楽性。なんて書くとまるでブルーハーツみたいなキャッチコピーだが、サイズの場合は存在自体が根源的であり、東京のアンダーグラウンドならではの過激な魅力を持っていた。彼等の前では、パンク〜ニューウェイブ全盛のシーン(いわゆるテクノポップなどが流行)が虚構に見えてしまったものだ。
 いつも、オリジナルを5曲+イギーポップのカバーを3曲みたいな構成のステージだった。曲間のブレイクがまた長く、酒呑んだり、鼻かんだり、メンバーの誰かが楽屋に行って戻って来なかったり、でもそーゆーモンだと思っていた。文句をつける客なんかいなかったし、ギターの川田良は喧嘩でも有名だったからね。
 当時、トラブル・メーカーのように一部では嫌われていたという噂も耳にしたが、サイズのオリジナル曲は珠玉の名曲ばかりだった。『東京ニューウェイブ79』にも収録の「無力のかけら」という曲で、本当に自分の人生は変わってしまった。自分の生涯でこの一曲を選べ、と言われたら迷わず選ぶことができるだろう。この頃のニューミュージックマガジンで、鈴木慶一がこの曲を絶賛していたことも覚えている。(「無力のかけら」は、フールズ91年のアルバム『NO MORE WAR』でも再演)

 サイズは80年初頭に解散し、ボーカルの伊藤耕は「伊藤耕&HEAVEN」というバンドを作るがすぐに解散。でもこの「ヘブン」もカッコ良かった。新宿アシべにて(まだニューアシべの頃でジャズ喫茶の残り香があった)オールナイトでやったとき、客席の女の子がバラの花を投げたのが忘れられない。その時、ギターの良は「午前四時」というバンドを作って文字通り朝の四時に演奏した。これまた伝説のバンドでCDにもなっている。

その後、いろんなことがあって耕と良は「フールズ」で再び合流するんだけど、その後もいろ〜んなことがあって、現在、良はディープ・カウント、耕はブルース・ビンボーズをやっている。
 
 ブルース・ビンボーズの新作CDとDVDが届いた。「俺達はロックをとったらただの乞食だ」という耕が初期フールズ時代(81年頃)に吐いた名言がある。耕はあいもかわらずそれを体現している。
 
 



2004年01月14日(水) 2003年ベスト?

昨年見たライブのなかで、非常に感動したもの、とても印象に残ったものを古い順に並べてみました。

1月30日ディープ・カウント@新宿ロフト
3月16日フレアオッズ@京都メトロ
6月9日ザ・ハプニングス・フォー+ジョー山中+森園勝敏@クロコダイル
7月27日遠藤賢司&カレーライス@フジロックフェスティバル
8月8日騒音寺@渋谷クラブクアトロ
9月27日外道@京都大学西部講堂
11月1日四人囃子・プロコルハルム@クラブチッタ
12月26日ニプリッツ@京都拾得

この中から一番を選ぶとするなら迷わず、遠藤賢司。フジロックのベストアクトでもあった。
騒音寺は可能な限りライブをみたいバンドだ。こんな気持ちはクレイジーケンバンドを初めて体験した98年以来である。
外道は、各地のライブに出向き、客席前方で暴れていたワタシ(笑)。
四人囃子・プロコルハルムはその客層(いわゆるプログレファン)も含め印象深い組み合わせだった。

ライブに通っているにもかかわらず、「もっと凄いはず」とか「こんなものじゃない」と思い選ばなかった方々もいる。

ベストCDも選出しようかと思ったが、結局手前味噌になりそうなのでやめました。



2003年12月28日(日) ニューロックの夜明けinFUZZ

大阪は堺市にあるライブハウスFUZZにてオールナイトイベントを開催しました。
前日27日は京都拾得での騒音寺、渚ようこ&ザ・ヤングがあったので、京都から電車で堺に向かう。途中乗り換えのため、京橋で下車して商店街を散策し、立ち飲み屋などが並ぶ駅前屋台のタコやきは非常に美味であった。
初めて三国ヶ丘という駅で降り、ライブハウス入りしたのは15時頃。
ハプニングス・フォーのリハが始まると突如漏電のため停電になり、このまま中止になるのではとドキドキさせられたが、一時間ほどで復旧した。

第一部はハプニングス・フォー、渚ようこ&ザ・ヤング。
第二部はフィフティーズ・ハイティーンズ、ザ・ヤング、騒音寺
DJは、ガレージパンク界の御意見番キング・ジョーと私サミー前田。
FUZZオーナー氏の「ハプニングス・フォーを出したい」という希望から実現した企画だったが、気がついたら約10時間の長丁場のパーティーに発展した。

騒音寺のアンコールが終わり、ラスト2時間のDJタイムは、狂ったようにアッパーな曲ばかり、DJもお客も、踊るというより暴れているようでもあったと思う(笑)。ジョー君のDJはフロアーを煽るというか巻き込む。外道「ビュンビュン」がかかると外道のワッペン背中に貼ってる少年がいたり、エンケンの「ミッチー音頭」ではゴーキャッツ(大西ユカリと新世界)が振り付きで踊ったり、寺内タケシ「レッツゴー・ジャンジャン!」ではハイティーンズが叫んだり・・・以降あまり記憶無し。
朝6時に終了。24時間以上睡眠とれず、京橋のたこやき以外何も食わず、ミッチー音頭の歌詞ではないが「唄って踊ってスタミナつけず」・・・。
ひさしぶりに燃え尽きたイベントだった。
次回、春頃にあるという噂も・・・。






2003年12月21日(日) 及川光博!

赤坂プリンス・ホテルにて行われたディナーショウ「赤坂のプリンス」を見学しました。600人×2日間。28000円の前売り券は予約だけで完売。この日のために前日から赤プリに宿泊、ドレスアップして来場するお客様も多数。ロビーでは当日限定の記念ワインも販売するなど、ゴージャスな一日を彩っていた。
俳優業のため超多忙なスケジュールの合間を縫って開催されたショウを観て感じたことは、完全主義者ミッチーの「プロ根性」ぶりである。徹底的にお客様をおもてなしするサービス精神。デビュー当時から何度か観た時とステージングは基本的には変わらないのだが、プロデューサーとして、エンターテイナーとしてのミッチーはますます完璧度を増すばかりだ。
東馬健名義でリリースされたCDに収録された「アマン」では、CDと同じように渚ようこさんがデュエットで登場。これを聴くと、ミッチーには本格的な歌謡曲アルバムを作ってほしいと思う。
終演後に、お客様全員にクリスマスカードをミッチーから手渡しというプレゼントには、失神寸前の女性の姿も。
ロビーにて、ジュリーのおっかけもやってるという年輩の女性に話しかけられた。やはりミッチーの存在感って70年代男性アイドル像とダブってしまうのではないでしょうか。



2003年12月19日(金) アアアアアアイライクエ〜ンカ

渋さ知らズが、遠藤賢司、そして「和製トム・ジョーンズ」(エンケンさん曰く)冠二郎をボーカルに迎えるという公開ライブ番組を観にNHKにいってきた。FMの「ライブビート」というおなじみの番組だ。

渋さ得意のお祭り騒ぎと見事にハマるエンケンの「東京ワッショイ」でのっけから盛り上がり、「夢よ叫べ」をエンケンのギターと渋谷毅のピアノで聴いてジーンと感動してるのも束の間。
黒に金ラメのスーツで登場した冠二郎!初めてナマでみる兄貴!「冠レボリューション」名義でもリリースしている「バイキング」「ムサシ」「炎」というファンキー・グルーヴ演歌3部作をかましてくれた。(因みにこの3部作はビデオも強烈!必見)

エンケンと冠二郎の共通点は、どちらもどんな状況の現場だろうが、おのれの核となる表現をしっかりみせつけてくれるということだ。
二人が衣装を着たままロビーで談笑しているところに出くわしてしまい、わたくしそのまま固まってしまいました・・・



2003年12月13日(土) 昨日は事実、今日は存在、明日は希望

「ネオGSの王者」と呼ばれていた「ザ・ファントムギフト」、89年以来のオリジナルメンバー四人による再結成ライブが渋谷で行われた。自主制作シングルや、幻のセカンド・アルバムのデモなどを収めたCDが11月にリリースされたので、その記念というわけで。

気分は80’S同窓会的だなーと思ってしまったのだが、ドラムのチャーリー森田とギターのナポレオン山岸は、現役プレイヤーとしてがんばっているということもあり、当時より上手くなっているようだ。「もう二度とやらない」とふと漏らした某メンバーの言葉とおり、これが最初で最後の再結成だそう。
それがいいと思う。二度めの再結成はカッコ悪いから、最低でも10年はしてほしくない。

ジミヘンと水谷孝に影響を受けたナポレオン山岸のファズギターを聴いているうちに、いろんなことを想い出してしまった・・・。青春時代や過去の栄光を懐かしんで盛り上がるのも、たまには楽しいけれど、やはりふりかえるにはまだ早いというか、今現在何をしているのかということが重要なのだ。あたりまえのはなしだが。



2003年12月07日(日) 与作

6日。フジロックでの熱演が忘れられない「遠藤賢司&カレーライス」のライブが秋葉原グッドマンであるというので、優れぬ体調ながらとぼとぼと電車に乗り込んだ。そんな時でもやはりエンケンのライブをみると元気になるのだ。本編最後の「不滅の男」とアンコールの「俺は勝つ」を聴いたら気分はアントニオ猪木だ。
このメンバーでの「エンケン」は歴代のバンドの中でもベストなのではないかというくらい、僕はいいと思っている。混沌とした部分もありながら、バシっと決まるところはちゃんと決まる。各人がプレイヤーとして優秀なのは当たり前なのだが、それ以前に人間性が濃厚なバンドサウンドに圧倒されてしまう。このメンバーでアルバムを作ってほしいものだし、ツアーなんかあったら追っかけてしまうだろうな、きっと。一応メンバー名を書いておくと、ギターは竹安堅一(フラワーカンパニーズ)、ベースはグレートマエカワ(フラカン)、ドラムは森信行(元くるり)。
森君は最近斉藤和義君のバンドにも参加しており、今月ウチの近所に引っ越してくるそうだ。
この日は、体調が悪いだとかいいながら、気がついたらノリノリで打ち上げに参加して朝帰りでございました。北島三郎の「与作」とニール・ヤングは同じである、というエンケン説には目が覚めるおもいが・・・。



2003年12月03日(水) マイ・ビューティリオン2003

1日に渋谷オーウェストにておこなわれた渚ようこのリサイタルに制作裏方で参加しました。
昨年はエッグサイトで2回行われたリサイタル、今年は会場のキャパも今までの3倍近い。初の試みをふんだんにもりこんだ豪華なステージングで、演出には、タモリ倶楽部や爆笑問題関係の番組では、必ず名前をみる放送作家の高橋洋二さんがてがけ、コーラス、ホーンセクションも加えたフルバンドによる2部構成。映像による、阿久悠歌詞あてクイズ、大阪万博、さらにかつてミュージックフェアの司会だった長門&南田夫妻からのコメントなど、飽きさせる事のない楽しさ満点のすばらしい演出でした。
個人的には反省すべき点が多かったのだが、渚ようこという歌手が意欲的にステップアップしていることを実感できたステージだったのでは。

たくさんのお客さんの中に、どこかでみた顔が・・・と思ったら宮藤官九郎さんだった。終了後、知人に荻野達也(元バニーズ)さんを紹介され、再会を誓いあいました。



2003年11月11日(火) ウィズ・ザ・ヤング

「彼等は福岡のゴールデンカップスと呼ばれています」といって、5日のクロコダイルにて、ザ・ヤングをエディ藩さんに紹介した。

ドラマーが20才になったばかり、平均年令24才の文字通りザ・ヤングはこの日を皮切りに、9日までに東京各地で5回公演を行い、10日の夕方、羽田から福岡へ帰って行った。

クロコダイルではやらなかったのだが、各公演でカップスのカバー、おなじみ「本牧ブルース」と「人生はきまぐれ」を演奏。「人生はきまぐれ」はカップスのラストシングルで、なぜか評価が低く、「ロック画報」の特集(CD箱にも転載されている)でもボロクソ書かれているが、僕はけっこう好きな曲だ。B面の「たった一度の青春」なんてDJで何度使用したことか。
カップスの歴史的にも見逃されがちなそんな曲をカバーしているところにもザ・ヤングのセンスの良さが現れているのだと思う。

ヤングの音楽は、いわゆる60年代R&B系のサウンドを基調としながらも、演奏力も日増に充実しつつあり、スライなどのファンク的展開が芽を出してきている。それでいて、オリジナル曲は筒美京平っぽかったりするんだから、スキモノにはたまらないでしょう。

各メンバーのキャラも強い。ジョーイは70年代マチャアキ風のルックスでルイ高橋みたいな強靱なボーカリスト。リーダーのマオははっぴいえんど時代の松本隆クリソツで、加部正義よりも早そうなドライブ・ベース。ファズギターのターボーはナべプロ時代のアラン・メリルのような王子様的外見で、絵画的なギターでサウンドを装飾する。リズムギターのたかはしゆいはストイックなまでの変態的なカッティングが凄い。今年1月に加入し、まだまだ修行中を自称するホセのドラムは独特のグルーヴ感が出てきている。

9月に発売されたチトさんのサウンドプロデュースによるデビュー盤は、ヤングを知ってもらう名刺代わりみたいな作品として、高く評価された。
すでに次回作の制作準備に突入。12月末のツアーには僕も合流します。


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