2004年06月19日(土) |
ワン・ステップ・フェスティバル |
74年に郡山で行われた伝説のフェス「ワン・ステップ・フェスティバル」の映画が、初台のドアーズにて上映されているので見に行きました。 NHKの「アーカイブス」でも放送されたドキュメント番組とはまったく別の映像で、こちらはカラーフィルムである。 ヨーコ・オノがプラスティック・スーパー・オノ・バンドとともに来日した唯一のステージとしても知られているが(ノーギャラで来てくれたそう)、どんな選曲だったのか?我々ビートル・マニアの間でも謎であった。この映像では、珍しくオールディーズっぽい「ミッドサマーニューヨーク」をやっている。これだけでも収穫。そして、沢田研二&井上尭之バンド、キャロルのシーンは始めてみたが、両者ともすごいスター性。時代性とは無関係なかっこよさ! こうゆうオーラのある20代のロッカーって今絶対いないよねー。 この映画、出演者の数や演奏時間からすると、ほんの一部だけなので、あまりにも物足りない。現在、未公開の映像や音源を商品化するための準備も行われているようではあるが・・・。
「ワン・ステップ・フェスティバル」には、チト河内、トメ北川、篠原信彦、石間秀樹(元ビーバーズ→フラワートラベリンバンド)、後藤次利、の5人からなる結成したてのオリジナル「トランザム」も出演しているのだが、残念ながら映画には収録されていない。 しかし。主催者が保管していた、この時のトランザムの演奏テープを聴くと、なんと!デビューアルバムとはまた違う完璧なプログレッシブ・サウンドであったのだ。
このコラムも週刊みたいなペースでしたが、最近はまるで月刊のようですね。すみません・・・。 ハプニングス・フォーも7月にライブが決まったようで楽しみです。
先週、3日に行った渋谷クラブクアトロの「遠藤賢司」のライブ。 エンケンがいつも凄いのは、当たり前なんだけど、数えきれないほど観てるエンケンのライブの中でもベスト3には入る、それはもう言葉に表せないほどのライブだった。 この日はデビュー35周年ベスト盤『純音楽一代〜遠藤賢司厳選名曲集』の発売記念であり、ゲストとして鈴木茂、佐久間正英、湯川トーベン、トシが参加した。はっぴいえんど、四人囃子、子供ばんど(もしくは神無月)、頭脳警察のメンバーという並びだけでも、エンケンのステージならでは。「俺は勝つ」「東京ワッショイ」で「叫ぶ鈴木茂」なんて絶対他では見る事ができないだろう。 何度観ても涙がでるほど感動できる「純音楽家」エンケンに、一生ついて行こうと、やはりいつ観ても思うのである。
3日。吉祥寺駅前、北口ロータリーの小さな広場で行われた「吉祥寺音楽祭」に行って来ました。 吉祥寺在住・佐野史郎のエレキ版ニール・ヤングを連想させるバンド演奏を聴いて、「冬彦さんでお馴染みの佐野史郎さん」とか言ってる武蔵野市長は何を想うのか?あまり何も想わないのかもしれないが。飛び入りゲストで、キセルの二人が登場し、佐野バンドとのセッションぽいかんじで、キセルの曲をやったのがまたよかった。 トリはやっぱりこの人、高田渡。息子であり、いまや引っ張りダコの高田漣(スティールギター)、中川イサト(ギター)、佐久間順平(バイオリン)、BUN(ベース)というバッキング。月が浮かびはじめた夕暮れ時の野外、ビールを飲みながら聴く高田渡はサイケデリックでさえあり、高田渡宇宙の心地よさに酔いしれた。もちろんその歌宇宙はやきとり屋「いせや」へと繋り、いつの時代もリリカルであり、過激な説得力を持っている。 お役所主催のイベントにもかかわらず「年金なんか誰が払うかバカ野郎」と毒づくしゃべりも冴えていた。 「タカダワタル的」というドキュメンタリー映画が作られたというので、それも映画館で観た。ライブのシーンが主であり、高田渡自体が特上の素材だから飽きることなく観たのだが、カメラワークや構成が、素人目に観ても下手なのが残念でならない。監督は二十代の女性だというが、もちろん性別や年令は関係なく、映画作品としては疑問を感じてしまった。あまり関係ない有名人が出てくるのもどうかと思うし、エンドロールのクレジットでライブ演奏の楽曲が「編曲:早川義夫」とあるのは、多分まちがいだと思うのだが・・・。 想い入れとか知識があるないではなく、俺ならもっとおもしろいドキュメントを考えられるぞ。 まあー、それでもこの映画、観客動員がいいみたいで、上映期間が延長されたりしている。これをきっかけに高田渡が大ブレイクしたら、少しは良い世の中になるだろう。
以前もどこかで書いたのだが、「資料日本ポピュラー史研究/初期フォークレーベル編」(黒沢進著)に掲載された「86年の大瀧詠一インタビュー」で「高田渡こそが一番オリジナリティーにあふれていた。詩も曲も歌もワンアンドオンリーで、独創的」といった発言は大変興味深いものである。大瀧プロデュースでアルバム作るなんてイイネ。
2004年04月19日(月) |
外道+山下敬二郎+ミッキー・カーティス |
三十周年を記念し昨年いっぱいの精力的な活動以降、今年になってからは動向が見えなかった外道。急遽、解散ではなく、しばらくライブを封印しますということで、ドラム良ちゃんの地元町田市のプレイハウスにておこなわれたフリーコンサートに行きました。 ゲストの山下敬二郎(!)がモロハコバンぽいバンド演奏をバックに、往年のスタンダードを歌う。「ダイアナ」や「ラストダンスは私に」などを披露しつつ、全体的におはなしの方が長く、父親ゆずりの噺家風のしゃべりには引き込まれた。活動歴は五十年にも及ぶ元祖和製ロックンローラーだが、現在の奥様との子供はまだ小学生で、奥様の母親は山下敬二郎より年下だとか言っていた。外道との関係性が謎であったが、会場のすぐ近所に住んでいるのだとか。1958年のデビューシングルで、エディ・コクランの日本語カバー「バルコニーにすわって」もやってほしかったな。 そして外道の演奏は、いつ聴いても無駄な理屈抜き。本当にカッコイイとしか言えないのれす。この日は去年のライブでなかなか聴けなかった「にっぽん賛歌」「水金地火木土天回明」も登場。ゲストのミッキー・カーティスが外道の演奏で「のっぽのサリー」を歌うのも29年前の拾得以来の事だそう。プロデューサーとしてもミッキーは本当に日本のロックに貢献してるよな、とつくづく思う。 想えば、中学の時、同級生の兄貴に聴かせてもらったのが『拾得ライブ』。七十年代後半、俺の地元では、キャロル、クールスと共に不良中学生が後輩に聴かせる音楽が外道だった。そんな元(?)不良の年輩の人達の姿もたくさん。親衛隊「外道集団」も健在なのだそう。 お洒落や趣味性の強いコスプレ的なあつまりってあるけど、気合も礼儀もないようなヌルイ集いは大嫌い。俺が去年通った外道ライブは、社会的にはどうしようもない連中が年がいもなくやたら熱くなったりできる「集会」なのである。 外道に行くと、気合が入るわけよ。やっぱり気合が入った音楽じゃないとね。
しばらくこのコーナー、多忙につきサボってました。もし楽しみにしている方が一人でもいたらごめんなさい。そういえば、ハプニングス・フォーもまだ情報が更新されませんね。事務局さん、その後の活動はどうなってますでしょうか? そろそろライブが見たいと思います。
11日、青山CAYにてバーレスクエンジンのレコ発ライブがあり、共演には小野瀬雅生ショウというグッドな組み合わせで、DJやらせてもらいました。
この日の音楽はDJ含め、歌入りが少ない(笑)。 どちらのバンドも変態かつ強烈なキャラクターと力量。小野瀬雅生ショウはクレイジーケンバンドのファンよりも、四人囃子あたりのファンにみてほしいな。もしくは現在のマッド3とか??? ワンマンでは超長いソロが楽しめるので「テクニックのムダ使い」が見たい方はぜひ! バーレスクエンジンはスパイ音楽的でもあり、「喋りとかけ声とブルースハープ+インスト」という、歌ものをいっさいやらない演奏でここまで観客を熱狂させるのはすごい。海外進出したらいいなと思う。かつて、前身のブルースバンドを新宿アルタ前で偶然見た事があって、それはかなりの腕前だったのを覚えている。 バーレスクの新作『サムライジャガー』には、「夜の国際ドラマ」というラジオドラマが収録されているCDが付いていて、これがまた素晴らしい。 ラジオドラマに親しんでいたのは、最もラジオをよく聴いていた小中学生時代であるが、聴いてると頭の中に映像が浮かんでくる。無意識に場面を想像していくのだ。バーレスクの演奏もそんなかんじ。タイトルと音を聴いて場面が浮かんでくる。「謎の女シャドー」といったタイトルを聴いただけで、なんか絵がでてきちゃう。 リスナーの想像力を沸き立たせるような音楽が、文化に繋がっていくのではないだろうか。
もうすぐ出る15号は、表紙&大特集は遠藤賢司、小特集は、はっぴいえんど、突然段ボール。 エンケンの記事では「ハードロックとエンケン」というテーマで依頼が来たのでがんばって書いたのだが、規定の文字数で収まりきらず、掲載された拙文は実際に書いた原稿の三分のニくらいに削られてしまったものである。 エンケンに関しては、編集部はじめ熱の入った特集に仕上がっていると思う。本秀康画伯による表紙もポスターにしてほしいほど。(そういえば本さんには、日本人によるジョージ・インスト・カバー集CDRを作りますって約束してそのままだったなあ) 特集記事の「ライブ音源」リストに、『黎明期ライブ』収録の福岡市民会館における「終わりの来る前に」が<1969年12月>とあるが、これは間違いで正しくは<1968年12月>です。 これは、「URCレア・トラックス・シリーズ」として97年頃に再発した『黎明期ライブ』東芝EMI盤CDの誤植クレジットを参照してしまったからなのだろう。 この誤植クレジットについて。当時、僕はシリーズ監修者だったにも関わらず体調不良のため特に何もしていなかったのだが、完成したCDを届けてもらい、すぐに誤植に気づいた。そして、間違いを見逃してしまった張本人である制作アシスタントY.Oを連れて、謝罪するためエンケンさんのライブ会場に行ったのだ。ステージ上での活火山のようなエンケンさんの雄姿を観た後に、楽屋に向かおうとすると、Y.Oは恐怖のため本当に震えている。大学の先輩の某ミュージシャンからも「エンケンは怖いゾ」と脅かされていたらしい。そして「おつかれさまです」と楽屋に入れてもらい、Y.Oを紹介した瞬間に彼は泣きそうな声で「申しわけありません」と土下座したのだ。土下座の事情を説明すると、エンケンさんは「いいよいいよ」と優しく言ってくれたので、すぐに彼の顔がホッとすると「でもこれからは気をつけてね」と釘を刺していた所はさすがだった。現在、発売中のエイベックス盤CDは確認していないのだが、もしかしたら誤植のままなのかもしれない。ということはやっぱり罪は重いぞY.O。だって、文化的にも68年と69年の一年の差というのはあまりにも大きいでしょ。 はっぴいえんどの箱もいいけどさ、今年はエンケン35周年だよ。
2004年02月29日(日) |
ラッキー・オールド・サン |
今となっては数少なくなった歌舞伎町のグランド・キャバレーといえば『クラブ・ハイツ』なのであるが、なんとそこを借りきって、「大西ユカリと新世界」がライブを行った。2月11日のことだ。 借りきったのは白夜書房の末井昭さん。末井さんといえばかつては『写真時代』、近年ではパチンコ雑誌や女装でもおなじみの名編集者だ。末井さんが写真時代とパチンコの間の88年にロック雑誌を創刊したことはあまり知られていないが、私もこの雑誌の編集者であった。毎月、蛭子能収さん(この人もハイツに観に来てた)と一緒にコンサートを「取材」しに行ったりしてたものである。 残念ながらこの時のライブは、あまりいい調子ではないなと感じながらも、最後の方でユカリさんが歌った「ラッキー・オールド・サン」にはグッと来た。ブルースのスタンダードを日本語にしたもので、拾得マスターのテリーさんが歌詞を付けた「久保田麻琴と夕焼け楽団」バージョンを参考にしたのだろう(夕焼け楽団のは、ロニーバロン、エイモスギャレット、ジェフマルダーも入ってて、すごく好き)。
それから2週間後、まだTD前だという4月発売の新世界のアルバム『七曲入』を聴かせてもらった。正直、新世界の作品はあの2枚組ライブが一番好きだし、スタジオ盤はいま一歩な感も無きにしもあらずだった。 しかし!この『七曲入』は凄い!やっと出来た傑作アルバムかも。 これ「昭和歌謡」なんて括れないでしょ。なんだろ「大阪ファンキー歌謡」とか?ちょっとダサイか。 書き下ろしメンバーのオリジナルも、話題の宇崎=阿木コンビの新曲より出来がイイかも知れないし、楽曲も粒揃いでバラエティに富んでいる。 嬉しいことに「ラッキー・オールド・サン」も入っているのだ。 大西ユカリと新世界は変わったと言われるかも知れないが、こんなふうに変わって欲しかった、と思うし、その影には、70年代からオレンジレコードや春一番コンサートなどをプロデュースしてきた名物男アベ・マネージャーの存在がデカイのだろう。
というわけで、新作がグーなので、ティアラこうとう「大阪コテコテナイト〜もんじゃがなんじゃい」というしょーもないタイトルのイベントに行って来た。 大西ユカリと新世界の前に、二つ大阪のバンドがでて、そのうち「大阪モノレール」というバンドは、まるで東京ビートルズみたいなおもしろさがある「大阪ジェイムス・ブラウン」だ。 前日のNHK「トップランナー」の効果もあったか、おっさんおばはん率は高く、新世界のライブ中もおとなしい客席で、みなさんやりにくそうでしたな。 ティアラこうとうは、錦糸町、亀戸あたりが近い下町に出現した未来的かつムダが多いホールで、日曜ということもあり、ライブが終わると周りは、寂しい雰囲気・・・。結局なんとか探し当てた汚いもつ焼きやで一杯のんで無事帰宅。
新宿ロフトにてMOST主催のイベントがありました。 最初のバンド「あぶらだこ」を見るのはなんと結成当初以来だから21年ぶりくらいか。 パンクというジャンルで語られるバンドなので、暴れたい観客も多かったようだが、変拍子を中心とした独特で奇怪なサウンドにほとんどの聴衆が呆気にとられて凝視するだけであった。
遠藤みちろう、頭脳警察のトシらによる「ノータリンズ」は、ジャックスの「マリアンヌ」をやってたのがよかった。
トリの「MOST」は1月にも観たのだが(その時は山本精一が不在だった)、 やはり「日本のオリジナル・パンク=PHEW」の面目躍如というべきか、すばらしいステージであった。アーント・サリーが好きだった人には堪らない「パンクバンド」なのである。25年前、短命に終わったアーント・サリーは見る事が出来なかったけれど、強烈な存在感はすぐに伝説になった。PHEWは日本のパティ・スミスである、と言う人もいるが、それじゃあ日本のニコは誰なんだろう?(浅川マキか?)
2004年02月14日(土) |
命はひとつ人生は一回 |
新宿レッドクロスで騒音寺のフリーコンサート。超満員。最高。 アンコールは3回。「カリフォルニアの青い空」「マイ・ボニー・ツイスト」のカバーをやったのは何故?(笑)? 毎度かっこいい「教訓1」のカバーは、作者の加川良より説得力があるとおもうのは私だけ?
ライブ終了後、タクシーに飛び乗り新宿西口のライブハウスDOMへ。 最後の出番である瀬川洋のグループ、トラベリン・オーシャン・ブルーバーズにはなんとかまにあった。このバンドでの森園勝敏のギターは「絵画的なジミ・ヘン」みたいなところがあって、オーソドックスなロックなのに毎回新鮮な気持ちできける。アンコール2回、なんと最後は「恋はもうたくさん」だった。 トラベリン・オーシャン・ブルーバーズ、CDになってるのは、まだバンドとしての魅力がそれほど出来上がっていない頃の音なので、なんかもったいない。今はかなりいいかんじだと思う。
遠藤賢司が縁りのゲストを迎えるシリーズ「純音楽の友」が吉祥寺のスターパイン・カフェでありました。 瀬川洋(元ダイナマイツ)がゲストで呼ばれ、珍しくオリジナルの弾き語りをやってくれた。以前書いた事があるんだけど、ダイナマイツの「のぼせちゃいけない」「世界中にほほえみを」とかアルバム『ピエロ』を聴くと、瀬川洋のソングライターとしての才能は凄いと思う。 エンケンのリクエストにより、二人で歌った「恋はもうたくさん」「トンネル天国」「のぼせちゃいけない」の3曲は、私にとって少し遅いお年玉であった。エンケンは、60年代末にダイナマイツを観に行っていたそうで、特に横浜のゼンでやったパワー・ハウス、ゴールデン・カップス、ダイナマイツの共演はすごくよかったと言っていた。名前が並んだだけでタイムマシーンにお願いしたい組み合わせである。
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