気がついたらもう7月である。夏と言えばもちろんビーチボーイズなのだが、フジロックには行かない。ブライアンがいないから・・・と言う理由ではなく7月29日は、ロフトプラスワンで深夜イベント<クレイジーミッドナイト69>があるのだ。 出演は、元ポテトチップスのもりくんのバンド50CC、サーフバンドのテリー嶋村グループ、歌謡曲のバンド・サロメの唇、ゲストで田渕純(元マヒナスターズ)。DJは、俺とチャーリー森田とワタナベマモル。たぶんセッションもあるので、是非来て下さい。地味ながらいいイベントになるのではないでしょうか? インチキだと知りつつ購入した豪華な体裁のビーチボーイズのブート盤『ペットサウンズ/フィルスペクターミックス』を聴いているが・・・ミックスされてねえよ!
2005年06月20日(月) |
速報!映画『エンケン対日本武道館』 |
遠藤賢司の主演、初監督作品である『不滅の男 エンケン対日本武道館』の試写を観させていただいた。 映画と言ってもエンケンが演技をするわけではなく、日本武道館全体をステージとして、たった一人でひたすらライブをやるだけだ。武道館は一万人以上を収容する空間だが、観客は0人。誰もいないのである。そこはエンケンの家のようでもあり、庭のようでもあり、宇宙のようでもあるのだが、現実にはありえない風景である。それが演出といえば演出なのだが、観終わった後、映画を観たというより「すごいライブを観た」という印象しか残らない。とにかく観てのお楽しみなので、詳しい内容はもう書かない。 この作品は、高田渡、ゴールデンカップスに続く、アルタミラピクチャーズの音楽映画第3弾であり、前2作と異なるのは全く解説がないことだ。理屈や説明を抜きにしてエンケンを感じてくれってことだろう。これは海外でも上映してほしい。日本にもこんな凄いロックンローラーがいるのだって知らしめたいよな。
2005年06月18日(土) |
ミュージカルは好きですか? |
ここのところなんだか多忙、そして体調も優れず、気がついたら6月も下旬になろうとしているじゃないの! 忙しすぎて最近何してるんだっけ?って感じ。 先週11日12日は久しぶりのフィフティーズ・ハイティーンズの東京ライブがあって、12日のライブは最高だった。あとはかっこいいオリジナルが増えて欲しいんだけど、彼女達のやるカバーのセンスはイイネ。以前「ミッチー音頭」をやってくれと青山ミチ集を渡したんだけど、そこで選ばれたのは「恋はスバヤク」で、これがまたキャラにあってる。 実はもうほぼ決まり!セカンドアルバム作ります。年内にはリリースされる予定で進めるんでよろしく。ちょっと凝った音作りや、スタジオならではのアイデアも取り入れてやりたいな。某活弁映画監督による映像作品も作ろう。ファンの人、期待しててね。
同じく福岡のザ・ヤングのアルバム『ファンキー100分』が7月にリリースされる。前作の録音は2002年の12月で、チト河内プロデュースで東京のスタジオで録音した(リリースは03年10月)。なのでセカンドの制作までに、2年以上は経ってる。このセカンドは、その間にバンドが音楽的にも進化および洗練されたのだということがよくわかる内容だ。ドラマーもアダムからホセに変わっているが、ホセの成長ぶりはすごかった。 ある意味、「ガレージ感の強い歌謡リズム&ブルース・ブラスロック風味」のデビュー盤の持つ混沌さに比べると、ファンクを基調としながらコーラスワークも充実しているセカンドアルバムは、演奏に落ち着いた感触があり、堂々としたザ・ヤングの自信みたいなものが感じられる。エンジニア&プロデューサーの松石ゲル書き下ろしの曲も収録。オリジナルでなくて申し訳ないが、白眉は生田敬太郎のカバー「世の流れに」だろう。これは原曲を軽く超えている。 先日、ナゼか御招待いただいたので、テレビで宣伝しまくっているクイーンの曲を使ってるミュージカル「ウィーウィルロックユー」をコマ劇場に観にいった。一万ナンボもするもんをタダで観ておいて言うのもなんだが、ミュージカルってものを俺は基本的に好きになれないんだと思った。いや、クイーンは中学校の時,すごい好きでしたよ。深夜ラジオでハマった「ボヘミアンラプソディ」「サムバディトウラブ」とかね。『オペラ座の夜』はホワイトビニールで持ってたし。ヤングのボーカルのジョーイ君も好きなボーカルとしてフレディの名前をあげてたっけ。 ミュージカルの良さがわからないんだ・・・。
シンコーミュージックさんには子供の頃からお世話になっておりました。 草野さんは、日本の大衆音楽ビジネスの開拓者であり。間接的にも直接的にも自分に大きな影響を与えてくれた人です。御冥福を祈ります。
大阪の堺市のFUZZでおこなわれた「ニューロックの夜明け〜スパイダース・デビュー40周年記念祭」。日本語のロックの幕開けを飾ったクラウンレコードからのシングル「フリフリ」から丁度40年、というわけで開催されたオールナイトイベント。
第一部の最初は、ザ・サイクロンズが「ホワイベイビーホワイ」(ビーバーズ曲)、「なればいい」(スパイダース映画バージョン)、「エンドオブラヴ」(スパイダース)のムッシュ作品3曲を演奏。 続いて二番目のザ・ヤングも3曲のムッシュ作品、「メラメラ」(スパイダース)、「人生はきまぐれ」(ゴールデンカップス)、「ハートブレイクドール」(和田アキコ)を演奏した。 そして、ははの気まぐれをバックにしたムッシュかまやつが「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」のイントロに乗って登場。開口一番「堺正章、死んだ〜」。ヤバイ!さすがムッシュ。齢60代後半になっても精気が溢れている。3月の東京よりもリラックスしたグルーヴィーなライブだった。 順不同で演奏曲は「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」「ヘイボーイ」「なればいい」「フリフリ」「ノーノーボーイ」「恋のドクター」「お若いの」「どうにかなるさ」「のんびりいくさ」「ハートはダンダン」「やつらの足音のバラード」「あの時君は若かった」「バンバンバン」などなど、そして即興の弾き語りで「我がよき友よ」というサービスぶり。 第二部は、騒音寺、ザ50回転ズなどのバンドも加わり、いつものように朝までライブ&DJではしゃぎまくった。 開演前にムッシュに「あいかわらずコアな選曲?」ってきかれ、答えに困ってしまいました。ムッシュイベント、東京でもやりたいな。
2005年05月13日(金) |
クレイジーミッドナイト69 |
というタイトルのイベント第一回がロフトプラスワンにて5月4日に行われた。 条例のせいで、歌舞伎町で深夜のイベントがやりずらくなっていたのだが、新宿オールナイトの灯を消さない為にもやや強引に始まったライブ&DJイベントである。レギュラーDJは、ワタナベマモル君にキングジョー君、そして俺。バンドは毎回いろんな連中を迎える。 先日はサイクロンズにでてもらって、クレイジーミッドナイツというバンド名でセッションも敢行。ストーンズナンバーを3曲、即興でやりました。 ストーンズを聴き倒しているギタリスト豊岡君がいるので「じゃあタイムイズオンマイサイドはスティルライフのヴァージョンで!」と言えばすぐ弾けるという、まるでアルフィー坂崎状態(笑)。ポテトチップスのもりくんが歌う「サティスファクション」では客のマイク奪いあいになってしまった。みんなストーンズ好きだよね。俺もストーンズはLP時代からブート集めてて、CD時代になってもうわけわからんくらいたくさん。だからビルワイマン脱退以降は購入しないって決めている。 イベント「クレイジーミッドナイト69」まさしくみんな狂っている!最近オールナイトはきついです〜という声もよくきくが、無茶を承知で深夜に狂いたい。しばらく、このタイトルで続けていこうと思っている。次回は、7月29日。9月からは毎月の予定。いつまでつづくことやら。
5月1日、京都ミューズ15周年記念イベントというわけでDJで参加してきたのだ。 出演バンドは、シーナ&ロケッツ、夜のストレンジャーズ、ウルフルケイスケとザ・キャバレー、キングブラザーズ、イグワナズ、マネースパイダー。 シナロケを見るのはけっこう久しぶりで、あいかわらずの新旧オリジナル、カバー混ぜての選曲。鮎川さんには、フィフティーズハイティーンズを気に入っているという噂もきいてたので、7吋アナログを差し上げる。さらに同郷ということもあり、ハプニングス・フォーのCDも贈呈した。 ジョー君とのDJも一部の観客相手にヤケクソぎみな盛り上がりで楽しかった。多くのケイヤンファンが前列を陣取っていては、ほとんど動かずDJのことなんぞ完全に無視していたが、クールスの「ワンダフルワールド」(サムクックの日本語カバー)を廻したとたんに、最前列の人達がどっと振り向いたのは驚いた。この謎はすぐとけた、確かこの曲はトータス松本がカバーしてたのではないだろうか。陣取っていたので、踊りだしたとか問合せがあったとかではなく、ただ「どっと振り向いただけ」なんだけどね(笑)。 そして、気まぐれでまわしたフールズの「いつだってそうさ」が予想外に盛り上がった。一部で大合唱! 東京ではない光景だ。打ち上げで、夜スト三浦君がフールズファンだったというので、これまた盛り上がる。カッコよくておもしろいバンドマン三浦君。夜スト最高! 鮎川さんがMCで、高田渡のことを話して、少しだけ「コーヒーブルース」を唄った。俺もこのイベント終了後のお帰りナンバーは「コーヒーブルース」だと決めていた。けれど観客の反応は薄かったな〜。ロックンロールやブルースが好きなら絶対、高田渡を好きになるとおもうんだけど・・・違うかな〜。
16日の朝、博多名物イベント「ニューロックの夜明け」出演のため、福岡空港に着き、メールをチェックしたところ、高田渡さんがお亡くなりになったとの連絡が・・・。 俺は「高田渡は人間国宝」なんだって、80年代からことあるごとに喋ったり書いたりしていた。その存在と音楽は、本質的であり、根源的であり、大滝詠一も言うように「ワン&オンリー」であった。それは難解ではないし、老若男女が楽しめるものだったろう。高田渡は、世の為にも早死にしては行けない人だったと思う。 自分も何度かイベント等で御一緒させていただいた。忘れられない出来事として、奇しくも、98年の博多でオールナイトイベント「ニューロックの夜明け」第一回の翌日のこと。「ニューロック」に出演していたエンケンさんが長崎の稲佐山公園のフォークフェスティバルに向かうというので、自分も、長崎に車で同行させていただいた。 同じイベントに出演する高田渡さんと合流。一台の車で博多から長崎まで、自分が最も好きなロッカー2人=エンケンと高田渡と一緒というので、緊張しながらも、道中、2人の会話はそのままCDにしたいくらい興味深い話が続いていた。エンケンさんがステージを終えるまでお酒を飲まないよう注意していたのも印象的だった。
渡さん お疲れ様でした。すばらしい音楽を残してくれてありがとう。 俺はあなたのレコードを聴き続けます。
ギターウルフを最後に観たのは、つい2月末のことだったか・・・。 お別れは突然やってきてしまった。9日に下北シェルターで急遽おこなわれたビリー追悼ライブは、ゆかりのバンドが多数出演し、会場の中も外も多くのファンと関係者で溢れていた。チケットもなく楽屋に入るずうずうしさもない俺は酒を差し入れ帰ってきたのだが、最後に予定されていなかったギターウルフ二人の演奏があったのだという。そしてラストナンバーはめちゃくちゃな「アイラブユーOK」だったという話を聞かされ、その場にいなかった俺なのにライブ会場で号泣していたはずだという気持ちになっている。 そして、北海道で高田渡緊急入院の連絡! とにかく復活してくれることを祈っています。渡さんも俺にとっては不滅の男。お願いします! 昔、山口フジオさんが自らを「自滅の男」って言ってたけど、洒落にならないよね。
なんだか慌ただしくしているうちに、3月もほとんど何も書かずに終わりそうなんで、忘れないうちに報告。 3月は2人の大御所のライブでDJをやった。どちらも下北沢。 12日はClub Queで、元クールスのピッピこと水口晴幸のライブ。 「東京流れ者」「ろくでなし」「ここに幸あり」などの日本の名曲をパンクなロックンロールで歌うというコンセプトのステージ。かっこいい男の中の男!いまどき、ここまで粋にやれる人はそういないよ。客席のガラのワルさも最高だ。DJもツイスト大会で盛り上がる!。 そういえば、中学に入学した時、前年リリースされたクールスのファーストを先輩に教えられ、その時にツイストの踊り方も教えてもらった。曲は「シンデレラ」だった。因にこの日の共演には俺の中学時代の仲間がやってるバンドも出た。
22日はCLUB251で、ムッシュかまやつ&ははのきまぐれのライブ。 京都の若手ニューロック(?)バンド「ははのきまぐれ」をバックにしたムッシュのステージは、60年代スパイダース、70年代初頭のムッシュのナンバーから「なればいい」「メラメラ」「ゴロワーズ」といった「聴きたい曲」オンパレードだった。打ち上げで、自分のDJをムッシュに誉めてもらい、泣きそうなくらいに嬉しくなる。 「かまやつひろし」の名前を知ったのはいつだろう。スパイダース末期、ソロシングル「どうにかなるさ」をラジオ(TVだったかも)で聴いて好きになった70年だと思う。まだ小学一年生くらいの頃だ。それからずっと今に到るまでムッシュの音楽は自分のどこかにこだましているようなかんじである。最近はセカンドアルバム『どうにかなるさ』をよく聴いていて、これがいいんだまた。 この日の最後にまわした曲は72年のシングル「のんびりいくさ」のB面「ブレイン・フード・ママ」。大野克夫、山内哲、鈴木茂、原田裕臣、ジョーイスミス(スピードグルー&シンキ)とやってるアルバム未収録の名セッション曲だ。 ムッシュとは5月21日の大阪FUZZで再びご一緒です。
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