2007年03月13日(火) |
新生ザ・サイクロンズ |
下の文章を見て同意してくれた人がけっこういました。ニューミュージックマガジン時代は確かにおもしろかったよな〜。そういえばミュージックマガジンも今月3月号はエンケンが表紙&特集だったので、購入。遠賢を大きくとりあげることだけでもエライと思うが、特集記事はイマひとつであった。中村とうよう先生の文章は感動的だったが。 10日はレッドクロスにて夜のストレンジャーズレコ発で、新生ザ・サイクロンズの初東京ライブであった。結論としては、このバンドはよい。1月末にオリジナルギタリストが抜け、ドラムだったアンボイがギターになり、ドラマーに元ネコグルマのギタリストだったフジエワタルが加入という、大幅な人事異動があったのだが、休む事無くライブ活動を再開。新曲も交え、旧曲もしっかり演奏していた。ぶっとい音のギター、イイ感じに破壊的なドラム、これからは、よりロック色が濃くなっていくのではないだろうか? ちょうど週末からはアメリカ西海岸ツアーである。今後も活発なライブスケジュールが予定されており、今のメンバーは、ツアーバンドであることを強く望んでいるのだろう。
そのザ・サイクロンズのライブ盤『磔磔ライブ!青春の遥』が2月にリリースされている。一応ライブ盤とはいえ、非常に完成度の高い作品で、今までのファンも「これが最高傑作なのでは」と言う人も多い。全17曲入りだが、代表曲を中心としてオリジナルの他に、カーナビーツのカバー「素敵なサンディ」が収録されているのにも注目。MC5の最高作がライブ盤のようにもしかしたらこれが今のところベストなのかもしれない。50回転ズのHPでダニーが絶賛しているのを見つけて嬉しくなった。
2007年03月09日(金) |
死んだのはロックという音楽ではなくて業界である |
今年も早いもので3月である。確定申告の時期であるが、毎年このあたりは何故か仕事が忙しくなり、いつも申告が遅れてしまうのだ。さらに1月に亡くなった愛猫の四十九日が終わり、納骨の段取りまでしなくてはいけない。
騒音寺の新作のライナーを前作に引き続き書きました。やっぱりCDというアーティストの「作品」に掲載する文章はなかなかうまく書けないよね。もちろん音楽の方はね、またもや最高傑作のできばえ、ロックンロール。騒音寺のライナーノーツは今度は中村とうよう先生に頼みましょうよ。本当にいい音楽に俺の駄文はいらないよな。 しかし音楽雑誌を見てもちゃんとした音楽評論なんてほんと少なくなったよね。とにかくレベルが低い。自分の自慢話とか、詳しくもないのに急いでネットで調べて急造した文章とかさ、ありがちなちょうちん記事とかさ。これじゃ誰も金出して音楽雑誌買わないよ。無料で配布してる音楽情報誌なんてたくさんあるじゃない。あれでいいでしょう。みんな知ってると思うけど、無料ってことは全面広告なんだから、いくら取材記事が掲載されても、それは広告なんだからね。もちろん辛口なことは書けないし、編集者もそうゆうことになれているから、例えば、アルバムのサンプルとか持っていくと「では広告の予算はいかほど?」みたいな会話になったりすることもあるのだ。単純に「聴いて良かったから記事やりましょう」でないからね。まずは「いくら出せそう?」だから。もちろん親しくしてもらってるところで、お金なんか払ったことないのに応援してくれるメディアもあるけど、ほとんどがこんなノリです。 かつてのニューミュージック・マガジンみたいに突然知らない土地の音楽を紹介してくれるおもしろさって今はないし、例えば78年の時点でフリクションみたいなバンドをいち早く大きく取り上げたりするって言うような記事には、レコード会社の広告は無関係なわけだ。純粋な意味で、現代の編集者は自分自身で音楽の情報を探すということをしなくなったのではないだろうか? とにかくページを作るのに広告と連動させるのが常識というバンドブーム以降のあり方は、日本の音楽状況を確実に悪くしたと思う。それを最初に始めたのはロッキング・オン・ジャパンだろうな。辛口のジャーナリズムのようなイメージをうまく作っている雑誌だけど・・・。
2007年02月28日(水) |
尾崎紀世彦、ガールズ、山口冨士夫 |
夕方、ユニバーサルに行き、なんと! 尾崎紀世彦、半田健人と対談。4月に『尾崎紀世彦ボックス』が出るというので実現した企画だ。尾崎さんとは初対面で、なかなか気難しい方という噂も聞いていたが、ハワイアンやカントリーなど音楽の話を掘り下げていくうちに我々はうちとけて良い座談会が出来たと思う。現在も、前田憲男、猪又猛らとライブ活動をしているというので一度見てみたい。対談は4月発売の「団塊パンチ」に掲載される。 対談後、ユニバーサルの担当者に、以前から切望している「ガールズ」(70年代の和製ランナウェイズのあのバンドね)の企画を再度つめましょう、と話すことができた。近い将来ガールズの決定版CDが出せると思います。一曲目は「チェリーボム」日本語バージョンで! 夜はクロコダイルに行き、山口冨士夫with延原達治のライブ、ドラムは夜ストのてっちゃんだ。冨士夫さんは、対等にやれる音楽的なバンドマンたちとやると良いのだ。前回観た時はそれはもう大変な状態だったのだが、今回は体調も、ギターの調子もばっちりだった。冨士夫作品、ストーンズやらブルースやら、ロクなリハーサルもしてないのにけっこう長くやってたな。延原氏とのツインリードな感じもよかったし、夜ストのドラムのてっちゃんのがんばりがギリギリにグルーヴを崩さなかった。 終演後、ご機嫌な冨士夫さんと本当に久しぶりにゆっくり話すことができ、ハプニングス・フォーが大好きだったと言うので、CDを贈呈した。ダイナマイツとハプニングス・フォーってあらゆる側面から見ても両極端な感じだね。そうそう、かつて自分が録音した冨士夫さんの83〜86年のテープが70本くらい発掘されたので、これもそのうちなんらかの形になるでしょう。
2007年02月21日(水) |
天才バカボンといえば |
「天才バカボン」は少年マガジンで1967年から連載していたので、アニメ化はずいぶん後である。近所に住んでいたイトコのお兄さんが毎週少年マガジンを買っていたので、バカボンだけは物心ついた時からずーと読んでいた記憶がある。これが自分の人格形成にものすごい影響を与えたのだ。連載が数年過ぎた頃、今思えば赤塚先生がアル中になってメチャクチャな時代の幕開けだったのだろう、急に作品がアバンギャルドな展開を見せ始めたのだ。 例えば、バカボンが出てこないのは当たり前、劇画調タッチだったりはまだいい方、終始見開きで1コマだったり、すべてのコマが眼玉や鼻の穴のアップだったり、停電だという設定で台詞以外全ページが黒で塗りつぶしてあったり、下書きのままだったり、ちゃんと書いてある漫画の上にマジックで「赤塚へたくそ!」とか「ボツ!」とか殴り書きしてある「作品」だったり・・・。毎週こんな調子で続いていた。 まあとにかくラリって書いているのか、毎週毎週めちゃくちゃな内容で、よく漫画として印刷物になったものである。確かに漫画の常識や手法を超越してしまったのだが、それをガロではなく大メジャーの少年マガジンでやったのはすごい。 当時リアルタイムで一回読んだだけの記憶しかないのだが、幼少時代にこんな漫画読んでいたら、そりゃあその後の人生は何が来てもびっくりしない。中1の時にオノヨーコのつまらん前衛音楽聴いても、高1の時に吉祥寺のマイナーでフリージャズやノイズ聴いても、普通に「こーゆーのもあるよな」と理解できたというか別にびっくりしなかったのは、もしかしたらそんなバカボンでアバンギャルドな感覚を受け入れる下地ができていたからか。 一連のこれらのバカボンは単行本に収録されていよな・・・もう一度見てみたい。
2007年02月20日(火) |
ザ50回転ズと赤塚不二夫 |
2ヶ月ぶりの東京、アメリカから帰国したばかりのザ50回転ズを見る。 去年に比べて成長著しく、いい意味でアカぬけたというか3人ともステージ上では堂々としてるし、新人バンドっぽくないスター性を感じるのだ。まだ20代前半の若者たちだが、怪人というか年齢不詳なかんじ、そこがまたいい。同行していた田渕純は「彼らは30歳くらいですか?」といってたけど(笑)。キャラクターが強烈すぎるんで(だから人気急上昇中なわけだが)あまり語られないが、彼らの音楽は深いルーツに根ざしているところも魅力だし、きちんと考えて作った上でアホを演じているわけだ。すばらしい演奏力とエンターテイメント。こうゆうマジメさはロックに必要ですよ。どんなにかっこつけても音楽がダメだったら、どうにもならない。あまり練習しない方がいい、とか言ってる奴は逃げてるだけ。やっぱりいいもんやってる人はしっかり練習してるよ。 しかし、ステージ見てると赤塚マンガを思い出すよなあ。「天才バカボン」みたいな演奏だもの。理屈はいらない。最後はやっぱり、これでいいのだ。 70年代、赤塚先生がタモリを福岡から呼んだばかりの頃、タモリがゴールデン街で披露していた、インチキ牧師の芸が見たい! 「アナタタチハ〜アクマノミズヲノミ〜」っていうやつ。
実は今日、誕生日であるがいつも通りだ。宴会はしません(笑)
ある事情により早稲田のリーガロイヤル・ホテルに毎週のように行くのだが、ハイソな高級ホテルなだけに場違いな服装とスニーカーで現れる自分の姿に、こいつは不審人物ではないかというホテル関係者の視線を一瞬感じることがある(笑)。今日、それは妄想ではないということがわかったのだ(笑)。 ホテル専用の無料送迎バスがあって、それに乗り込んで帰ろうとしたら、ホテルのおっさんが「あの〜ホテルのお客様ですか?」とわざわざバスの中にまで入って聞いて来た。まあ周りはフォーマルな結婚式関係や、金持ちそうな老夫婦とかばかりなので、外見で判断されてしまったわけだ。不愉快極まりない話ではあるが、最近ヤバイ奴とか盗難とか多いだろうからしょうがないけどな。あ、でもここのパンとかけっこううまいよ。 カーナビーツもレコード会社のパーティーに招かれた時、主賓にもかかわらず格好が派手すぎてホテルに入れてもらえなかったというし。40年くらい前のい話だけど。 ジョニー大倉の70年代のソロ・アルバムが再発されているが、ミッキー・カーティスがプロデュースしたファーストとセカンドが特に素晴らしい。この人こそが日本のジョン・レノンだったのかもしれない。再評価すべきロックンローラーだ。
2007年02月11日(日) |
追悼 大木啓造 (ザ・ダイナマイツ) |
またもや実家の物置のカセットテープを漁っている。 ダイナマイツのギタリスト二人=山口富士夫さんと大木啓造さんの一回だけのバンド「傷」、83年元旦のクロコダイルのライブテープを聴く。フールズを前座にしたこの日のステージ、まだ18歳だった俺は今でもよ〜く覚えている。カバーを中心に、大木さんはロン・ウッド「アイ・キャン・フィール・ザ・ファイヤ」や「ウォーキング・ザ・ドッグ」など、富士夫さんは「ビーマイベイビー」や「グロリア」(パティ・スミスVer)などを歌い、大木さんのオリジナルも3曲ほど披露した1時間弱くらいのライブだった。写真もどこかにあるはず。 とかなんとか郷愁に耽っていたら、大木啓造さんが10日の朝に亡くなったという訃報が届いた。 最近では瀬川洋さんのライブにゲストで出ることもたまにあったのだが…。瀬川、大木、吉田のダイナマイツ3人でセッションしたライブも目撃している。大木さんはダイナマイツの中ではルックスがよくて女の子に一番人気であったというだけあって、歳を重ねてもあまり変わらず、それこそロンウッドみたいでカッコよかった。ダイナマイツの後は、内田裕也さんのバンドにいたはずだ。残念です。ご冥福を祈ります。
28日、京都磔磔にてザ・サイクロンズのワンマン。 深夜はなぜかサイクロンズ、片山(ブレイカーズ)といつもの木屋町のバー「ろくでなし」へ。 お酒はもう飲みたくなかったので、コーヒーや昆布茶で例によって明け方まで・・・。 ここに来るとどうしてもニーナシモンをリクエストしてしまう。 かつて、新宿2丁目にあった伝説の店「バードランド」にはニーナシモンのサインが飾ってあったと記憶している。10代の頃に初めて聴いたニーナシモンは、中古でジャケ買いした『ヒア・カムズ・ザ・サン』。ジョージハリスンやディランのカバーが入ってるってのもあったけど、ここからハマったのだ。今思えばこれは異色作だよなあ。 店を出た瞬間、サンディエゴから国際電話が。ザ50回転ズがあちらでレコーディングしてるんだとか。しかし、国際電話なのによっぱらってるサイクロンズや片山に電話を変わって、どうでもいい話をずーとしていて・・・国際電話なのに(笑)。
2007年01月27日(土) |
ハプニングス3デイズ |
ザ・ハプニングス・フォー、24日はUFOクラブにて、NHKBSのリハーサルを兼ねたライブ。曲よりお話が長くなってしまったゆるーいライブでした。今回もドラムは鈴木やすし氏の好サポート。 25日はNHKホールにて特番『BS永遠の音楽〜グループサウンズ大全集』の収録。これすごいメンツでした。ハプニングス・フォーとブルーコメッツは楽屋が同室、その他ワイルドワンズ、カップス、ジャガーズ、真木ひでと、加橋かつみ、カーナビーツの喜多村次郎と末期ボーカルのポール岡田、湯原昌幸、パープルシャドウズ、ザ・リガニーズ、松崎しげる、司会が西条秀樹とモト冬木。 ハプ4は3曲もやったし、ひでとの「オックスクライ」という選曲は珍しいのでは。ポール岡田というのもカルトだよね。あとはおなじみのヒットパレードだったけど。あいかわらずカップスのやる気ない適当さ、ハプ4の持つ異質さはTV画面でも際だっていると思う。 弱冠22歳の俳優兼音楽家(平成の都倉俊一を目指す男)半田健人君も遊び来てくれたんで、待ち時間も退屈せず楽しかったけど、長かった〜。朝10:30に入って解放されたのが22:30!! 放送は NHK BS2 で、2月17日20:00〜22:00の予定。これは必見!お楽しみに!!
翌26日はクニさんとキャンティ飯倉本店で食事。元々ハプ4はナベプロ以前はキャンティを経営する川添家のアスカプロ所属だったのだ。クニさんはそれこそハプ4時代ぶりに来たというので、よくリハーサルをしていた4階は今どうなっているのか?と店員に訪ねたら、従業員の宿泊部屋だという。もちろん三島由紀夫や黛敏郎がゴーゴーを踊ったという2階のキャンティシモもとっくにない。昔から有名なバジリコのスパゲティが超絶にうまいんだけど、量が少ない。いつの日か3人前くらい食べたいって思う(笑)。 昔からの友人が編集長を務める雑誌『団塊パンチ』でちょうどキャンティの連載をやっていて、最新号が送られてきた矢先だったので、なんだかリアルタイムだった。
なんか最近、田中康夫の日記みたいになってきたかな(笑)んなこたあないか・・・
あんまり書きたくなかったのだが、あえて記す。 年末から毎日病院に通っていた飼い猫が19日間の闘病の末、亡くなってしまった。一時持ち直したのだが、最後の三日くらいは急激に悪くなり、本当に可哀想だった。動物は言葉がしゃべれないだけに「もっと早く気がついてあげられたらこんなことにならなかった・・・」とか、つい思ってしまう。生まれた時から自分のそばにいた猫だけに、いまだ立ち直れないくらいのショックなのである。有名な病院にて最新の医療、お金がどんなにかかっても(保険きかないし)治らないものは治らなかった。看病疲れもありこちらも体調を壊してしまった。
治らないものは治らないのはもちろん人間も同じで、生きているからいつか死ぬ。しかし、やっぱり生きているうちが花である。才能溢れる知人のミュージシャンが昨年自殺していたというニュースをきいたばかりで、なおさらそう思っている。 死んでしまった伝説の音楽家よりも、今も頑張っている、転がり続けている人たちを応援したいのだ。みなさん、例えば60年代から活動しているようなベテランのアーティストで好きな人がいるのなら、極力、今、生の姿を見ておくべきですよ。
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