以下のイベントでライブ終了後のトークに参加します。 <天国注射の昼>という80年代前半に日比谷野音で行われた、伝説のイベントについて語ります。 多分当時の壮絶な映像も見れるのではないでしょうか。
『天国注射的地球音楽体験』 5/31(木)@新宿ゴールデン街劇場 19:00〜20:15 出演:A-Musik =竹田賢一(大正琴,Vo)/大熊亙(Cl)/小山哲人(B)/中尾勘二(Ds)
2007年05月26日(土) |
売り切れってソールドアウトってこと?(笑) |
あまり自分の関係するライブにチケットが売り切れるなんてことはなく、とくに近年は外国からの来日公演でもそうゆうことはない。ストーンズが来たって当日で見れるモンなあ。やっぱり少数派なのね、俺の趣味は。 それで、びっくりなんだけど、6月3日のレッドクロス<田渕純リサイタル新宿>、6月5日の渋谷アックス<遠藤賢司リサイタル>は、どちらも前売券が売り切れた。これはすごい。 アックスなんて、キャパは1000人を越え、2階もある、いわゆる大ホールだからねえ。少しだけ、立ち見席の販売を追加でするみたいだけど。遠賢さんのことだから、お客が何人でも会場が大でも小でも、もちろん気を抜かず最高のライブを見せてくれるでしょう。バッキングが豪華ってのも注目だけどね、遠賢さんが何をやるのか?ってことが重要というか楽しみ。 この日に発売されるシングル「惚れた!惚れた!」は、ニールヤングっぽいイントロはすぐにテンポが変わり、トシのドラムとエンケンだけによるファズかかりまくりのパンクなラブソング。 あと、この日会場で限定販売されるであろう、72年頃?の未公開写真による記念ポスターがかっこいい。10枚くらいほしい。 そして、俺が拙い構成&演出をてがける、田渕純(ex和田弘とマヒナスターズ)のデビューリサイタル。売り切れるなんて夢のようです〜。ムード歌謡はもちろん、カルトGSナンバー「シェビデビでいこう」やCKB「ハワイの夜」なども歌います。この日は、デビューミニアルバム『夜をもきもどせ』も発売される。ご期待下さい。
4月後半からいろんなことが集中してきて、ずーっと休みがなかったです。 しかし黒沢先生が亡くなったショックはまだまだひきずっていて、憔悴してしまったままだ。 6/10にはロフトプラスワンで午前11時から追悼のイベントが行われ、その前にも東京の友人知人でお別れ会を催すことになっている。 あ、よく訊かれるんで言っておきますが、黒沢さんはコレクターではないので、貴重なレコードなどは持っていないんですよ。勘違いした人が、遺産はどこに行くの?とか訪ねたり、遺族のところに電話までかけた失礼な奴がいるらしいけど、黒沢さんは研究家であったわけで、GSのメンバーと仲良くなりたいとか、オリジナル盤を収集するとかいう欲求はなかった人なんです。 亡くなる直前、黒沢さんの代わりに俺にまわって来た「GSの名盤ガイド」の原稿執筆、気合いをいれて書く予定だったのだけど、なかなか手がつけられなくて、、ギリギリまで何も書けなかった。本日土曜日の朝10時までに入稿しないと本がでないと言われたにもかかわらず、徹夜作業で最後の原稿が入ったのは11時近かった・・・。
5/4のクラブチッタのオールナイトは、連休中なのに満員のお客様にご来場感謝。 オリオンズはやはりC級感がすごい!オリジナルをはじめ「サティスファクション」もよかった。黒沢さん観ていただけたでしょうか? 田渕くんの司会は酷かったね・・・
それから、田渕純のデビュー・ミニ・アルバム『夜をまきもどせ』、難産の末、やっとマスタリングが終了し、一安心。いろいろあって、録音するまでの長い道のり、そしてミックスやマスタリングのやりなおしなど、経費と時間が嵩んでいるぶん(笑)、クオリティはそうとう高いと自負している。いやほんと。 新ムード歌謡、モンド・ミュージック、アシッド・サイケ歌謡などのお言葉をいただきましたが、ジャンルのない未曾有のポップというか「未来の軽音楽」と呼ぶ事にした(笑)。一応キャッチコピーは「アーバン・ムード歌謡の貴公子登場!」といううさんくさいもの。 そういや、田渕君も、もともとは中学校時代からの黒沢チルドレンで、マヒナに加入した時、俺に紹介してくれたのも黒沢さんなんだよなあ。黒沢さんがいなかったらこのCDはなかったんだと思う。 CDは6/3のレッドクロスでの<田渕純リサイタル新宿>にて発売予定。よろしく。
サロメの唇のデビュー・アルバムも出ます。これもマスタリング終了。まさしく「ムードロックの夜明け」ってかんじなエレガンスな世界。かずみちゃんのフルートはすばらしい腕前で、プログレ&ラウンジなインスト・アルバムを作りたい思ってしまった。 サロメのジャケットは売れっ子デザイナーのサリー久保田くんにお願いした。久保田君は元ファントムギフト、レ・ファイヴのベーシスト兼リーダーで、クラウス・ヴアマンの再来と言われている。デビュー20年を記念してだした新作CD『サリーソウルシチュー』も良かった、だってファントムの「ハートにOK」を平山みきが歌っているなんて最高すぎるではないか! 5/5にはチェルシーホテルで『サリーソウルシチュー』リリース記念ライブ、盛り上がったなあ。ネオGS同窓会の趣もあったし。黒沢さんのおかげで、ネオGSムーブメントが存在したということで、アンコールの「トンネル天国」では久保田君が「黒沢さんに捧げます」と言ってイントロのドラムがはじまりおもわず涙が出てしまった・・・。
そして『ウィードウォー』に続き、フールズの『憎まれっ子世に憚る』という90年のアルバムのリミックス&リマスターを二日間かけてやった。 当時出たCDは、サイズ時代からの曲から新しめの曲まで、いい曲ばっかり入っているのに、かなりミックスがひどいので本当にがっかりしたものだ。しかしマルチのマスターが発見され、メンバー立ち会いのもとミックスをやりなおし、リアリティのあるロックのサウンドに生まれ変わった。まったく別物といってもいい。ゲストの冨士夫さんと故・篠田昌己さんもいいプレイを聴かせてくれる。 けっこう長めのDVDがオマケについて廉価でウルトラヴァイヴより6月末にリリース予定。
2007年04月21日(土) |
偉人・黒沢進の死を悼む |
何から書いていいかわからない。 自分にとって尊敬する師匠であり、20年来の大切な友人であった黒沢進さんが病気で亡くなった。享年52歳。 黒沢さんがいたからこそ、21世紀のいま、日本の60年代〜70年代の音楽を、こんなにもたくさん気軽に深く広く親しむ事が可能なのだ。自分がやっていることなんて、黒沢さんが開拓した世界のほんの一部分、カスのようなものである。何度か共同作業をさせていただいたが、やはりこの人の真似なんて誰もできない。そして黒沢さんにしかできない事がまだまだたくさん残っていたし、みんな期待していた。直接的、間接的にも黒沢さんの与えた影響は本当にはかりしれない。 「カルトGS」という言葉を考えた人であり、15年程前に『カルトGSコレクション』というシリーズCDを編集し多くの音楽ファンに衝撃を与え、山下達郎にも絶賛された人。その後、URCの未発表音源の整理や、『カルトGSボックス』の編集などなど、そして多くの著作。実は、最新GS本にも着手していたが、未完成に終わってしまった。ああ・・・日本のポピュラー音楽研究に未来はあるのか? 84年1月に、俺が初めて借りた阿佐ヶ谷天沼一丁目のアパート福田荘12号室、家賃18000円、風呂なしトイレ共同、廊下にピンク電話。その部屋で、俺は黒沢さんが深夜ラジオでB級GS特集で話すのを聴いた。モージョ、491、ガリバーズ、ボルテイジ、ダイナマイツなど。当時の状況からすると、これらの音楽を聴く事すら困難であり、ましてやラジオでかかるなんてありえない出来事だった。この一回限りのオンエアで人生が変わった人も多いと聞く。 それから10年以上が過ぎて、黒沢さんと酒を飲んでいるときに、何気なく阿佐ヶ谷時代の話になったら、なんと!黒沢さんもかつて、70年代に同じ福田荘12号室に住んでいたという。お互い、大家が知り合いとか特定の宗教団体に属していた(笑)というわけではなく、当時杉並に何千とあった安アパートの中から選んだわけだ。これはただの偶然にしてすごいねえ・・・なんて大笑いしたものである(涙)。黒沢さんはシャイでトークイベントに呼ばれ人前で話すのが苦痛だったという。そして実は酒飲みで高田渡が好きだった。 今後、追悼の会などがおこなわれると思うが、5月4日は黒沢さんにオリオンズとサイクロンズを観てもらうつもりでいたので、追悼の時間を作りたいと思っている。 黒沢さん、大変お世話になりました。ありがとうございました。
前回の文章を読んだ数人の方から「オリオンズってどんなの?」と質問されたんで、詳しいプロフィールは知らないがもう少し彼らについて書きたい。 GSをはじめ日本の大衆音楽史の研究の権威、黒沢進先生が「ロック画報」誌上で高く評価したバンドで、俺も京都で初めて見た時にはぶっ飛んだ。オックスはローリング・ストーンズ・ナンバー「テル・ミー」で失神するのは有名な話だが、そのとき彼らはロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」を劇的なパフォーマンスでやっていた。「テル・ミー」は初期ストーンズのオリジナルであり「ビー・マイ・ベイビー」を参考にして作曲されたのだ。その辺は無意識なのか意識的なのかは謎だが、本当はものすごいテクニックのある人たちがわからないようにワザとヘタクソにやっているのかも(褒めています)。 60年代のストーンズの『ガット・ライブ・イフ〜』とか、いくつかのGSのライブ盤を聴くと、得体の知れないメチャクチャなパワーを感じるよね。まだチューニングメーターは発明されていないし、ステージ上のモニターもまともにない時代で、演奏する方はやりずらいのが当たり前で大変だったそうだけど、そうゆうライブならではの微妙なズレみたいなものが、下手な演奏ということでは片付けられない独特のグルーヴを生み出していた。それは今のバンドには出来ない60年代ならではの魅力でもあるのだが、オリオンズの演奏はまさしくそんな感じ。爆笑だが感動的である。5月4日が楽しみだ。
2007年04月11日(水) |
C級B級GSカルトパンク |
うわ〜今度は成毛滋かよ。次々と人が死んでいくではないか。 石原が都知事再選だし、気象は狂っているし、確実に悪い方向に向かっていると思う。 気を取り直しつつ、黄金週間には京都から「オリオンズ」という大変ショッキングかつユニークなバンドがやってくるので、俺もDJで参加、今からすんごい楽しみなんです。 オリオンズは、C級とかB級カルト・パンクなGSの、表層的ではなく核心を表現している凄い連中で、ドラムは元ちぇるしいのギタリストである。めったに関東地区では観れないので、他のメンツもよいので。これはぜひ真夜中の川崎にお越し下さい。
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5月4日祝(深夜・みどりの日) 川崎 CLUB CITTA’ 044-244-7888
『クレイジーミッドナイト69〜通好みGSムード歌謡ブーガルー』
出演 トメ北川&篠原信彦(ザ・ハプニングス・フォー) ザ・サイクロンズ(京都) サロメの唇(高円寺) オリオンズ(京都) チャーリー宮毛とラテンスィンガーズ(横浜) 田渕純(マヒナスターズ) DJ サミー前田
START 24:00 オールナイト 前売 2500 /当日 2800 先着50名までレア音源のCDR付き、チケットぴあにて前売中
日本の至宝、偉大な芸人、植木等が亡くなってしまった。近年、世の中に必要な人、まだまだ死んで欲しくない人が次々と死んでいく・・・そうゆう世の中になってしまったのだ。この世から消えて欲しい奴に限って偉そうにしている。テレビで松岡農水相の顔を見てたらそう思った。 自分の父親(凄い変人)が西洋かぶれだったからか、なぜかクレイジーキャッツが嫌いだったらしく(笑)、幼少時代にテレビや映画でクレイジーを見た記憶は少ししかなく、ちゃんと意識したのは大好きだったテレビ番組「前武巨泉のゲバゲバ90分」の「アッと驚く為五郎」のハナ肇かもしれない。
83年の9月に山口冨士夫グループの関西〜四国ツアーがあり、奥さん出産でマネージャ粕谷さんが同行できないため、俺が代わりに同行したことがあった。その時は、レコード店でバイトしていたので、店からもらった(パクったともいう)クレイジーキャッツと平山三紀のそれぞれ「全曲集」というタイトルのベスト盤カセットテープを持ってツアーに出かけた。メンバーと一緒の機材車の助手席にいた俺は、DJ担当みたいになって、車にあったのはルーツレゲエのカセット中心だったので、長い道のり、こうゆうのもいいかな?怒られるかな?という気持ちでクレイジーのカセットを流した。なんといっても村八分の冨士夫さんと青ちゃん、外道のマサ、トゥマッチのヒデという強面のメンバーの皆さんである。クレイジーを1曲ごとに爆笑し、みんなでを大合唱しながら高速をぶっとばすというファンタスティックな事態になった。なんとも楽しいツアーの想いでであり、自分にとっては初のライブツアー参加の経験であった。そういえばフールズも結成当時の80〜81年に「スーダラ節」をやっていたもんなあ。 今の日本のロックに必要なのはクレイジーキャッツのようなユーモア感覚なんじゃないの? お前ら笑えないよ、面白くないよってロックが多過ぎ! ここんところ追悼ばっかりしてるよな。
2007年03月24日(土) |
THE FOOLS 『WEED WAR』ボックス |
長らく入手不可能となっていたTHE FOOLS の名盤ファーストアルバム『WEED WAR』が、84年の未発表ライブCDとDVDを加えての3枚組のボックス仕様で、5月にリリースされる。ライブがこれまたすばらしく60分たっぷりファンキーにロックンロールしていて必聴。DVDはジャガタラがバックを固めているフールズという珍しい演奏、石井聰互監督が撮影したもので短いながら必見。そして、48ページの豪華写真集ブックレットも付くそうだ。 というわけで、まさしく今、そのライナーノーツの原稿を書き終えたのである。発売はグッドラヴィン・プロダクションから。本当に出ると思います。
例えばの話。けど限りなく現実的な話である。 新宿ゴールデン街が無くなってただのビル街になってしまったら? または、思いで横町(通称しょんべん横町)が量販家電ビルになってしまったら? 下北沢の例をあげるまでもなく、かろうじて生き残っている新宿の良心ともいえる町並みが、あっというまになくなってしまう、そんな条例が可決される可能性があるのだ。 現都知事はそうゆう人である。 だから、都知事選に行くのだ。 誰を支持するというよりも、変えなければいけないと思う。血税を息子(自称芸術家)の道楽に使い込む、そんな知事の首を変えなければならない。 選挙や政治に興味が無い人、まわりにたくさんいるけれど、俺も特に深い関心があるわけではなかった。しかし、自分の好きな街がどんどんつぶされて、繁華街はチェーン店の居酒屋とファーストフードだらけだし、喫茶店はなくなりカフェばかりだ。そんな状況が嫌なだけだ。 頼むから街に隙間を残してください。って気持ちだ。古い建物はいずれ壊されてしまうのだろうが、利益や便利を優先するより、街の個性としてそのような場所っての大切にしてくれ、って思いませんか?
というわけで選挙にいこう。
2007年03月14日(水) |
最高のロックボーカリスト、鈴木ヒロミツ |
鈴木ヒロミツが本日の午前に癌で亡くなったという。 最近も2時間ドラマで偶然見かけ、脇役としていい味をだしていたのが印象的だった。自分が鈴木ヒロミツを知ったのは73年くらいか。「気楽にいこう」のCMや、モップスとして世界歌謡祭(だったか)に出た時の「何処へ」(この曲は今も大好き!)は、リアルタイムに強く刷り込まれている。 モップスは、GS時代のガレージパンクとしての世界的評価は当然なのだが、70年代ニューロック時代のモップスももっと注目されてしかるべきだと思い、モップス東芝時代のボックスなんか作れないかなって勝手に考えていた矢先だった。モップス解散後のヒロミツは「夜明の刑事」をはじめ、俳優として成功した人だけに、日本のロック黎明期を支えた音楽家としての評価は正統にされていたとは言い難い。ゴールデンカップスの映画のイベントで、井上尭之とセッションしたヒロミツの歌声はまだまだ現役の迫力であった。あの調子なら、今でもすばらしいアルバムが作れたはずだ。 数年前、ビクターのリマスターCDを出すときにビクターのスタッフがブックレット用にインタビューを申し込んだら、ホリプロから「当時の契約書が見つからないから取材は断る」というような信じ難い無知で非常識な対応をされたという。そんな事務所だから、ヒロミツの音楽的才能を無視した仕事しかとってこないのだ。個人的には小さなお店で歌うこともよくあったらしいが、一般にはほとんど告知されなかったようである。 追悼、最高のロックボーカリスト、鈴木ヒロミツ。本当に残念だ。
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