長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2007年01月28日(日) 例の計画とか其の失敗とか他の諸々とか

 うわ、年明けて初めてだし。


 別に何か在ったわけではなく。否、沢山在り過ぎて困るくらいかも知れない。

 他者が絡めば、何が何でも私は目的を遂行する性格らしい。逆に、他者が絡むことがなければ、其れが自分自身の為だけの事柄ならば、私は全てが如何でも良くなるらしい。其れでも期日までには何とか間に合わせる性格らしくて、適当に処理してしまうのだけれども、其の適当というのがまた曲者で、私にとっては適当でしかないのに他者にしてみれば及第点らしい。だから、厭だ。私は何時だって自己嫌悪に陥っている。
 誰にも何も言わずに死んでみようと思った。遺書なんか書き残したくない、部屋の片付けも何もしないで、提出物の準備だって確り遣って、そうして貧血を装って地下鉄口内で飛び込み。ほら、計画は完璧だ。前日の夜から計画を立てて、朝起きてからもう一度綿密にシミュレーションして、図書館勤務中だってずっと如何遣ったら自然に貧血で倒れたように見えるのかを考えていた。一日中耳鳴りが酷かった。同期生とも職員さんとも笑顔で会話して、自分が自殺を考えていることなんて悟られないように。そうして、漸くの帰り道。地下鉄駅構内で、私は飛び込む場所を考える。――一番スピードが落ちていない最後方、でも、此の駅はカーブ直後だから直線よりも減速している筈だ、私は死ねないかも知れない、死ななくとも意識くらいは飛ぶだろうか、ほら、あれ、ショック死って奴とかは如何だろう。そんなことを考えていたのに、いざ、地下鉄が来るというアナウンスが流れたときに、私は飛び込むことが出来なくて。――恐怖? 違う、と、思う。不意に、小学生の頃の担任を思い出した――定年間近で、私達が最後の教え子だった先生――「君たちはまだ死ぬことが怖いかも知れませんが、私くらいの歳になると死ぬことは怖くありません」――そんなことを言っていたなぁ、なんて。当時10歳だった私は首を捻った、だって、死が怖いとは思っていなかったから(クラスメイトは、死ぬことは怖かったらしいけれども)。怖いのではない、恐怖ではない、そうではなくて。でも、私は飛び込めなかったんだなぁ。時間的には帰宅ラッシュを過ぎた辺りで、駅の場所だって路線の端だから迷惑を書ける人は最低限だったと思う(勿論皆無ではない)。何が、私を留まらせたのだろう。……次の日だって其の人然程変わらないスケジュールだった私は、次の日も同じことを試みたのだけれども、結果は然り、今、私が生きているのだから、畢竟失敗に終わったわけだ。
 異常なまでに期待を掛けられている気がする。様々な人たちの期待と思惑とを、背負っている気がする。私は、私自身のことに関しては、本当にもう如何でも良いと思っているのに。――私自身の理想とは別に、周囲の人間の思いが私を構築してゆく、私を細部まで作り上げてゆく。なんていう、皮肉。皆は、私を通してどのような世界を描いているのだろう。私は、自分自身の中に絶望しか見出せないと言うのに。
 私の名前には希望が隠れていり。其れは、昔から自覚していることだ。でも私の名前に在る希望は私自身に還元されることはなくて、其の希望は他者の為にあるのだ。私は、誰かに希望を残すことが出来るだろうか? 此の、自分自身には決して還元されることのない希望を。
 胃が痛い。胃潰瘍一歩手前、要は胃炎だ。そして、心臓も痛い。内臓が痛い。あー……切りたいな。私は、赤い色は未だに嫌いだけれども。でも、切りたくなる事だって、ある。
 「恋」に恋するような年齢じゃないと思う、私は。そうして、過去から未来永劫、私は恋をしないと思う。誰かを愛することなんてあるだろうか――? それでも、恋はしないと思うのだ。そしてこれはきっと予見だ、予知だ。私こういう勘は、外れたことがない。大切な誰かが私と共にいることよりもシアワセなことが在るなら、私は迷わず其方を選ぶだろうし、相手にも其方を薦めるだろうから。今までも多分、そうだったように。


 あー、……もう直ぐ如月だね。










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