苛立ちの度合いが在り得ないくらいに高くて。
昔から歩くのは嫌いではなかったけれど、中学の頃には無駄に学区内を歩いてみたり、高校の頃は徘徊と称して歩いてみたり、大学の頃は大学から家まで歩いてみたり、大学を卒業してからは横浜駅から海沿いを中華街まで歩いて更に山手を一巡りして折り返し横浜駅まで歩いてみたり、兎に角普通は歩かない距離を歩いて来た私だけれども。 ――今日は、歩き足りない。 青山から渋谷までは精々40分。早足なら30分。二駅分だから、メタボ対策には良い距離と言えるのかも知れないけれど。……苛立ちを抱えた私には、余りにも短過ぎる距離。道に迷うことが無いと断言出来るのなら、もう横浜まで歩いて帰りたかったくらい。帰宅してからも苛立ちは収まることを知らなくて、直ぐにシャワーを浴びたけれども矢っ張り駄目で、結局コレを抑える術は無いのだと実感したら、外に向けられることの無い感情は内側に向かうしかなくて、最終的に行き着く先はひとつしかない。 切っても切っても足りなくて、いつもなら3、4本のところが今日は気付けば15本以上。線と、滲み出た滴に吐気を催さなければ、もっと切っていたかも知れない。 昔はちゃんと冷やしてから切ってたんだよね。今は冷やしもしなければゴムで腕を絞ることも無くて、私は深く切る性質ではないけれど、空白の時間も相俟って力の入れ具合に途惑いながら愚かな行為に臨む自分が居る。 本当は、切ることの代わりに歩いていたのよね。歩くことで、歩き過ぎることで、其れだけで良かったのに。歩くだけで足らないなら、私はいつだって切らなきゃいけない。
触れたらイタイ過去だってあんだろう――なんて。
今の環境に、色々と考えるところはあって。恵まれているのだろうと、自覚はしているけれども。其れ以上に。 嗚呼、もう、信じられない。
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