halu
性教育を受ける前。
子どもはどうやったら出来るのか、
とか、
生理で躰がどうなるか、
とか、
セックスのやり方とか。
そういうのを、
まだまったく知らなかったころ。
兄が「遊び」を提案してきた。
読んでいたまんがに、
「ドキュメント○○」みたいなのがあって、
要は、
ドキュメンタリー的なことが、したかったんだと思う。
兄はその対象を、
私の性器に向けた。
暗くした子ども部屋で、
顔を隠して、
足を開いて、
どんな顔で、
兄が私のそれを見ていたのか、
触っていたのかは知らない。
気持ちいいとか悪いとか、
そういうのはまったくなくて、
何にも感じなかった。
ただ兄は、この遊びを気に入ったようだった。
私は、この遊びが、
「いけないこと」だと、
なんとなくわかっていた。
覚えているのは、
夏の日。
子ども部屋ではなく、
明るい部屋で。
兄か弟の学習机の上で、
やっぱり私は顔を隠して、
足を開いて。兄は私のそれを弄った。
「50円くれたら声も出すよ」
私はそんなことを言った。
「いけないこと」をしている自分に、
高揚感を覚えていた。
兄が驚いた声を出して、言った。
「なんかぬるぬるする」
たぶんそれが、
濡れるっていうことだったんだろうけど、
そのときの私は、
それが酷く奇妙で、気持ち悪く思えた。
快楽なんてまったくなくて、
ただの躰の反応に過ぎなかったのだけど。
そのあとも、
兄は何度か「遊び」を提案したけれど、
私は拒否した。
「いけないこと」への背徳にまみれた高揚感は、
いつの間にか嫌悪感に摩り替わっていって。
「遊び」をしなくなって、
いつしか、兄も提案しなくなって。
私と兄が覚えているだけになった。
そんな話は、もはやしないけれど。
この「遊び」のことは、誰にも言えない。
今まで誰にも言ったことがない。
子どもの好奇心というには、
酷く、酷く生々しい。
記憶。