ベルリンの足音

DiaryINDEXwill


2008年02月10日(日) はじめに

長い間、「モモリーネの思考的ゴミ箱」から「日々のマドリガル」に至るまで、個人の日記を書き綴ってまいりました。数少ない読者の方にも、定期的に訪問していただきましたが、ブログをはじめたことをきっかけに、こちらのサイトの更新が滞りがちになっておりました。
もともと、心の声を発信するような、内向的な内容でしたが、今回は新しい題名と共に、ベルリンに限った話を綴って行きたいと考えております。
私的な視点から離れて物事を書くことが出来ない私ですが、どうかその辺はご了承ください。今後ともよろしくお願いいたします。
_______________

とても親しい人が、ベルリンの生活はハードだから、時に外にでると本当に辛いと言った。

この言葉には、本当にいろいろな意味が含まれている。彼は日本人ではなく、欧州人なのであまり生活習慣や言語の問題を言っているわけではない。そうではなくて、もっと肌で感じるハードさのことだと思う。

ベルリンは、欧州でもかなり北の方にある。寒さはそれほど厳しくないというが、南西ドイツやライン川沿岸の地方に比べれば、冬の寒さは厳しい。十一月は、一番降水量の多い月とされ、気温が日々低下するのに加えて、霧雨が降り続くことも少なくない。クリスマスに向かう頃になると、夕方四時にすっかり日が暮れてしまい、朝は八時半頃まで日が昇らない。春や夏の気候の素晴らしさは格別だが、冷夏に終わることも多い。決して恵まれた気候ではない。
さらに、ベルリンは、今や確実に世界の大都会の仲間入りをしている。大都会とは、ある種の匿名性と手を繋いでいるようなもので、人ごみに埋もれながら自分の世界を築いていったり、一生懸命保っていくしかない。結局それは大人になればアイデンティティーと対面することを余儀なく要求されるわけで、その対峙を無視する方法をとろうが、しっかり向き合う方法をとろうが、自分を見失わずにしっかり歩いていくしかない。

簡単に言えば、恵まれない気候の中で、孤独感を抱えながら、とつとつと歩く姿を漠然と心に描いて、その友人はこんな言葉を吐いたのかもしれない。幾人かの人々には、全然理解出来ない発言かもしれないし、また別の人々には、その心に響く言葉に聞こえるかもしれない。でもベルリンには、刻々と移り変わるこの首都の人ごみにまみれつつ、自分と自分の人生と取っ組み合いの付き合いをしながら、確実に一歩先へ続く道を探している人々が大勢いる。私には、決してこの人たちの心とこの街の辿って来た激動の歴史との間に何の関係もないとは思えない。

来年で壁崩壊から二十年が経過したことになる。人々は口をそろえて信じられないという。そして私は、少なくとも私たちの世代においては、心の中では未だに東西の壁が崩れていないと言う気がしてならないのである。もちろん、長い歴史がその風貌を変えるには、世代を重ねた時間がかかる。そういう意味で、ベルリンはまだ本当の一致を成し遂げはおらず、本当の自己を築いてはいないともいえるのではないだろうか。

現に私自身がこの街に住み着いて以来、年を重ねているにもかかわらず、むしろ自ら変化を求め、さ迷えるアイデンティティーを抱えたこの若い街の鼓動と共に、変貌を続けているとしか思えない道を歩いている。それが時々、私の中に耐え難い孤独となって苦しみを与え、時には言いようの無い開放感となって私の中の「未知」に形を与えようとする。

十年も住まぬうちに、いつしか私の心の中に「故郷」という言葉が自然に浮かんでくるようになった。一番長く住んだ南西ドイツの街でも、ベルリンよりは長く住んだスイスの街でも、私は常に根無し草であり、故郷と言う安らぎを与えてくれない土地では、根無し草のままでいたいという欲求が私の中にもあったのだ。

ベルリンには、故郷の与えてくれるくつろぎなど、これっぽっちも無い。しかし、この街は迫ってくる。私に、私が一体誰で、どう生きたいのか、常に休むことなく尋ね続けてくるのだ。それは私が外国人だからではない。他の土地に外国人として長く住んでいた時だって、もちろん私自身は誰で、なぜこの土地に外国人であるにもかかわらず、住む必要があるのかという質問を投げかけられている圧迫感はあった。しかし、それは目的意識をはっきりさせれば解決する程度の社会的存在理由に近いものがあった。

でも、ベルリンではもはや社会的存在理由とは関係なく、まるで個人的に質問を突きつけられたような直球の勢いを感じる。そしてそれは外国人というカテゴリにいる私だけに突きつけられた質問ではない。私の隣人も、私の友人知人も、皆が同じように泳ぎきろうと似たような取っ組み合いを続けている。もしかすると、この根底を流れる見えない連帯感が、私にここを故郷だと思わせるのかもしれない。

嘘をついて生きても良い、嫌なことに蓋をして生きても良い。しかし本当は人間は、自分から逃げることだけは出来ない。それは誰しも、自分だけが知っている事実である。享楽に生きても、それがさめれば、必ず人間はまた自分を鏡の中に見るしかない。人種や生き方が種々雑多な大都会の匿名性の中で、ある種の自由を手にすることは簡単だ。その自由を手に持ちながら、どう操るか。そんな挑戦的な態度の街、ベルリンが私は大好きである。

「枠は無い。好きなようにやって良いが、お前が自分で歩け。」
そして、私は今でも、日本で言えばいい歳をした今でも、老いてゆく自分を毎朝鏡に見つつ、それでも前進することを止めないでいる。その際、どこへ行くかは重要ではない。どこかへ着くのだと信じ続けることすらできないこともある。でも、あれでよかった、自分がここまで歩いて来ただけで満足なのだと思えるようにという希望を持ちつつ歩いているだけなのかもしれない。

東西に分裂していたベルリンの、旧東側に住んでいる私は、まだまだ残る灰色の建物や時折漂ってくるコークスの匂い、あるいはファッショナブルな店やカフェが軒を連ねている並木道とそこに集まるモダンな若者達に挟まれながら、この街の魅力や、そこで生き延びて行こうとする姿を生々しく書いてみたい。そんな風に思ったのだ。

自分の人生からしか物事を見つめることが出来ないのは、私の悪い癖だが、あくまでも主観的視点に基づいたテーマは、常にフラグメントとして書かれている。余計な説明が過ぎることなく、ベルリンそのものがそうであるように、恥や外聞とは関係なく、直球で思いを吐き出す私の稚拙な断片的文章から、背景にある生き生きとした街やその住人の表情を読み取っていただけたら幸いである。


momoline |MAIL

My追加