ベルリンの足音
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明日は、レノンが亡くなって29年目である。信じられない歳月が流れていると思う。 中学生のとき、レノンが殺されたニュースを帰宅後母から教えられた。 ショックで、ショックで、世界が終わりになるような感覚に陥った。
ファンクラブに追悼文を何通も投稿して、何回も掲載された。 平和について、国語の宿題でかいたら、賞をもらって学内で発表された。
こんな思いでも、レノンへの思いが強いからできたのである。
早く大人になりたくて仕方なかった。レノンを本当に理解するには、大人にならないと無理だと言うことは本能的にわかっていたのだ。
洋子の運営するHPに行った。毎年彼女は、そこに思いをつづる。 彼女の平和キャンペーンも、イベント狂いも、メディアの利用才能も、みんなどれも納得がいかない部分がある。
けれど、毎年その文章を読むと、そこにはやっぱり彼女の寂しさや孤独や苦労がにじみ出ていて、ほろりとくるのである。
アレだけの存在感の夫を失ったら、どうなるだろう。アレだけ密着していた夫が、突然あのような形でいなくなってしまったら、立ち直るのは容易ではない。
息子が、明日はママのことを考えて、みんな愛を送ってあげて
とTwitterにつぶやいていた。 その後、彼女の文章を読んだので、やはりつらいものがあった。
毎年毎年、私はメランコリックになる。今でも、彼の当時の写真を見ると、胸がジンとくるのである。一体何がどうなって、そんなにファンなのかは口では言い表せない。 バッハを尊敬して止まず、モンテヴェルディに魂をささげたこともあり、様々なクラシック音楽から、深遠な精神世界へと導かれるような感動を味わっているはずである。 しかし、まったくそれとは別の次元で、私はレノンにただならぬ敬愛を注いでいる。それも、もう30年以上。
そして、それは衰えることを知らない。
明日、私は蝋燭をともして、また彼のことを思い、彼の曲を聴き、ほろりとなって、人生の無常を考え、それでも私なりの日常を過ごすのであろうと思う。
でも、レノンを考えない12月8日は、私には無い。
私の青春を象り、私の人生観を固めていく基礎となったレノンは、今でも私の心の中で、純粋に、ただただ、自分であろうともがきながら生き続けている。
彼も、不幸な生まれの犠牲であり、不幸な運命から早くに命を失った。
人間は、所詮自分の力では、人生などに立ち向かえないのだ。 できるだけ自然体に、できるだけ自分に正直に、他に振り回されず、少ない時間を自分とその周囲に有効に使って、世界や社会とバランスよく生きて生きたいものである。
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