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198 我はっきりと物申す

俺は結構はっきりと言いたいことを言う方だと思う。自他ともに認めるってやつで、実際よく言われるし、自分でもわかってる。
言いたいことをはっきり言うっていうことは、自分で心掛けてしていることで、理由があってしている。自分の考えをわかってもらうことで、自分を知ってもらいたいと思うし、そのやりとりの中で相手のことも色々とわかる。
今、自分を取り巻く人々と、できる限り深くつきあっていきたいと思ってる。出会った人全てと深く付き合うことは難しい。というより無理だけど、少なくとも今一緒にいて楽しい友達だったり、これからも長くつきあっていきたいと思う人とは、できるだけ深くつきあっていきたい。
例えば人付き合いがあって、その人のこんな部分がよくないんじゃないか?って思うことがあったときに、そのことを黙っていてやり過ごすと、あとあと自分が苦しむことになるし、その人との関係がぎこちないものになっていく。それはどんどん二人の間に浸透していって、やがては関係が切れていくことにつながると思う。ましてそれが二人だけの関係ではなく、もっと大きなグループでの付き合いだったりしたら、グループ全体にも広がりかねない。そう思うなら、もしかしたら喧嘩になるかもしれなくても、言ったほうがいいこともあると思う。頑張って乗り越えることができれば、その先、もっと深い関係になることができる。それはより信頼が強くなるってことだったり、心を開けるってことだったり。
そうやって相手のことがわかっていくと、「この人はこういうところがあるから」と、その人が言う言葉や行動だったりで、それが害がないことだってわかっていれば流せるようになったりする。そうやって長く、深くつきあいを続けていくうちに、相手のことがわかり、だんだん言う必要のあることが少なくなってきて、そんな中でたまに言うべきことを言うっていう間柄で成り立つようになるんだと思う。
友だちが言うことっていうのは、とても力がある。親よりも自分のことをよく見ている自分以外の人間なわけで、その人が気付いた自分の一面ってやつは、それは違う!と決定的に跳ね除けるには難しい信憑性がある。まぁ自分の一面に「信憑性」っていうのもおかしな話だけど。
だから自分の間違いを指摘してくれる友だちは感謝してる。ときにへこむけど、俺のためを思って言ってくれることなわけだし、それを何かしらで活かしたと思う。もちろん言われたこと全てにそんなすんなり納得できるわけじゃないけど。少なくととも言ってくれることはありがたいと思う。言ってくれる人って、実際少ないから。沈黙が美学なわけじゃないんだろうけど、言わぬが仏とでも言いたいのか、言わないにこしたことはないっていうコトナカレ主義が日本人には特に多いから。数少ないはっきり物事をいってくれる友だちは貴重だ。だから俺もそうありたいと思う。
2004年12月07日(火)

VOICE / マッキー

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