おーのの育児日記

2007年01月02日(火) 新年に毒を吐く

去年のGWに実家母(美智子)と喧嘩して以来、一度も会わず、会話もなし。
時々連絡程度の業務用メールは送るものの、余計な言葉は一切なし。
あちらからはフレンドリーなメールが送られてくるけど、送信元に美智子の名前を見た瞬間、私は激しい嘔吐を繰り返したわよ。
電話のナンバーディスプレイに実家の文字を見ると、心臓ドキドキバクバクだし、友達には「病んでいる」と言われているけど、どうしたって体が反応してしまう。

この正月も実家に帰るつもりは毛頭なく、もちろん出産のための里帰りもしない。
赤ん坊の顔を見に来るのもやめてほしい。
とにかくそっとしておいてほしい・・・

と、思っています。

子どもの頃から「私はあなたを育てた覚えはない。あなたを育てたのはおばあちゃんだ」と言われ続け(実際そうだったし)それには「まあそうか」と思っていた。
祖母と母とのことを見て育っているから、母には同情もするし理解もあったと思う。
でも、自分が母親になってみて、この一言は「ほんとは言っちゃいけないよなあ」と思うようになった。
それでも聞き流していたんだよ、私は。

花奈乃が生まれてから、またこのことを言われた。
そして続けて言われたのよね。

「妹を育てるのは本当に楽しかった。毎日が充実していた」

それってどうなんだ。
そう思ってしまうことはわからないでもないけど、娘に(私に)直接、しかも笑顔で言っちゃいけないんじゃないのかい?

それでも私は怒りを押さえたよ。
我慢したよ。
でもそれがいけなかったのかもしれない。
結局、去年のGWに積もり積もったものが溢れて切れちゃった。

今まで喧嘩しても、それはお互いを理解し合うためのものだったと思う。
でも、今回は違う。
もう、母に私の気持ちをわかってほしいと思えなくなったし、母の事情をこれ以上察して我慢するのはやめたいと思った。

だから距離を置いて、置きまくって様子をみた。
さすがに7ヶ月もほぼ音信不通状態で、美智子も何かを感じていたかと思っていた。


そう、私は甘かった。


大晦日、旦那様実家で餅つき機でお餅つき。
何気ない会話の中で「鈴鹿に帰るの?」と聞かれ笑顔で「帰りません」と答える私。
旦那母は気を遣ってか「お母さんも寂しいだろうし、来てもらったら?託けたい物もあるし」と言ってくれた。
毎年恒例のシクラメンとミカンらしい。
同居を前に、いい嫁を演じたい私は「は、はい・・・」と言ってしまった。

自宅に帰り、実家に電話する私。
低い声、しかも用件のみで電話を切る。

2日か3日の午後にくる、とのことだった。
1日、「明日の11時くらいに行きます」とメール。
午後だって言ったのに・・・
昼の用意をしろとのことらしい。
うちの近所のスーパーは、昔かたぎで新年は5日からしかやってない(青果市場が5日からだかららしい)
しかも2日の午前中は私、用事があるんだけどな。

元旦は緊張と嫌気でなかなか寝つけず、朝は4時に目が覚めて眠れなかった。
今日もやっぱり朝早くに目が覚めてしまった。

仕方がないので早起きして、身支度をすませ、昼食の用意をする。
掃除・洗濯をし、家族の朝食を用意して、9時半に一人で出かける。
旦那様には「このまま帰らないかもよ」と冗談を言ってみたりもしたけど、半分本気なのはわかっているみたい。

出先でシュミレーション。
正月なんだし、久し振りなんだし、喧嘩なんかしないでできるだけ笑顔で接しよう。
旦那様実家敷地内に家を建てることも話さなくちゃいけない。
結婚前から反対していたから(特に美智子が)旦那様から話させるわけには行かない。
私が言わなくちゃ。

頭ぐるぐるのまま、帰宅。
昼食の用意を再び始めていると、いきなりドアがあいて「こんにちは〜〜」
と能天気な声。
心臓がビクンとなった。
晃太朗と花奈乃はうれしそうに出迎えていた。
この人は相変わらずチャイムを鳴らすとか、返事があるまでドアの外で待っているということをしない。
それにイラッとするけど我慢、我慢。
「あけましておめでとう〜〜。こうちゃ〜ん、はなちゃ〜ん」
ああ、この声を気持ち悪いと感じている私は何!?

年末、実家から届いた荷物は、受取人が晃太朗と花奈乃になっていたけど、晃太「朗」は晃太「郎」になってた。
まあこれは許そう。誰もが間違うことだから。
でも花奈乃は「花奈子」になっていた。
これって根本的に違うんじゃない?
さらにカードに、年末歳暮に送ったシンビジウムのお礼が書かれていたけど、シンビジウムが「シンポジウム」になっていた。
娘の事を「貴女」なんて気取って書いているくせに、この間違い。
旦那様は「これは・・・痛いな」と笑ってくれたけど、私はもうあきれて笑えない。

玄関にドカンと置いてあった旦那様実家からの荷物、野菜やらミカンやらを見て「これ、もらってくの?」と美智子。
「あ、これはいらんわ。こっちもいらん。それよりそっちのキウイちょうだい」

この人は変わっていなかった。
というか、磨きがかかってた。
うちは八百屋じゃないのよ。
そりゃ、もともと料理する人じゃないから、野菜もらっても仕方ないんでしょうけど。
隣で祖母(美智子母)が「せっかく用意しといてくれたんやし・・・」と言っているのも耳を貸さない。
私の青筋に気付いたのか、祖母は「○○にあげればいいし、もらっていこう」と気を遣って言ってくれたけど、私は「迷惑やったらいいです」とさっさと美智子がいらないというものを片付けた。

満足そうな美智子は、荷物を旦那様に持たせて父の車に運ばせた。
でも、父の車は離れたところに駐車したから、旦那様はうちの車の荷台にとりあえず入れてくれた。
自分は孫とのご対面に大忙し。
その後「これ持ってきたんやけど」とお肉を出した。
私は「今手が離せないから、そこに置いといて下さい。冷蔵庫は勝手に開けないで」と言ったら「わかった」と冷蔵庫をあけ「どこにいれよう?」

娘家族の家だから自分の家のように振舞うんだよ、と旦那様は言ってくれるけど、旦那様母は出かける前に必ず電話。
チャイムを鳴らし、外で待つ(こんなの当たり前だよね)
しかも旦那様母は私に気を遣って、絶対家にはあがらない。
私が誘っても「お茶しておしゃべりするタイプじゃないから〜〜」とさっさと帰ってしまう。
息子家族の家でも、他人がいればよその家。
親しき仲にも礼儀あり、なんだと美智子に誰か言ってほしい(私は散々言ったけど、意味不明って感じで聞いてもらえなかった)

私はすっかり笑顔をなくし、事務的にお茶をいれた。
もう、作り笑顔もできそうにない。

あきれたことに、美智子は私が7ヶ月間避けていた事を「妊娠のせい」だと思っていた。
お盆に帰らなかったこともかい!
その時は妊娠してなかっただろうが〜〜〜。

確かに、今回の妊娠は、初期に出血が何度もあったりつわりも一番厳しくて大変だったけど。
その事を知っていても「来週遊びに行ってもいい?」とのんきなメールを送ってきてたのは美智子だけど。

もういいや。勘違いしたかったらそれでいい。

結局、家のことは旦那様が話してくれた。
両親は何にも言わなかった。
突然だったし「建てようと思っている」じゃなくて「建てることになった」と言ったので、すぐに反対できなかったんだと思う。

晃太朗のことは話す気がなかったんだけど(母本人が理解していると思っていても、無理解な言葉が出てくると思ったから)旦那様がそれも話してくれた。
内心「それは言うなよー。何言うかわからんぞ、この人は」とヒヤヒヤしてた。
旦那様が晃太朗の事を「アスペっぽい」と言ったので「いや、こだわりはそれほど強くないから、広汎性発達障害に近いのかもってお医者さんは言ってたよ」と付け足したら、美智子はフンフンと頷いて「そう、こうちゃんはこだわりが他の子より強いのかな」だって。
全然人の言葉を聞いてない。

帰り、車の荷台に入れておいた野菜とミカンを旦那様と私に運ばせ、自分は孫とのさよならに大忙し。
「ごめん」も「ありがとう」もなし。
さようなら。もう会いたくない。
赤ん坊が産まれても、私は連絡しない。
ただでさえ産後の不安定な時に、あえて自分が苦しくなるようなことはしない。
私は自分で選んだんだ。
自分の親子関係より、旦那様と子ども達との今の家族のほうが大事なんだ。

父の車を見送りながら、旦那様実家の敷地内に住むようになったら、今以上に会わずにすむようになるのかなあとぼんやり考えてた。

後日、旦那様母に野菜とミカンのお礼を言ったら「もっとゆっくりしていけばいいのにね。晃太朗たちと会いたいだろうに・・・」と言ってくれた。
義母はよくできた人だと思った(今だけかもしれないけどね)




前日、美智子から電話がかかってきて「今から福袋買うんやけど、サイズ教えて」と言われていた。
私はいらないと答えたけど、美智子は持ってきた。
いらないのなら拒否できるんだよね。
相手の好意なんて気にしなくていいんだよね。
拒否したことが相手にわからなきゃそれでいいんだよね。
次の日、私は子ども服の福袋をそのまま押入れにしまいこんだ。


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