The Five Senses
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2007年08月26日(日) |
Her name is Hope Part1 |
久しぶりに母と話す。 他愛もないことを話し,妹の調子を聞くと,あまり良くないらしい
私の妹は,は数ヶ月前にほとんどの視力を失った。 私と彼女は,一歳違い。
まだ私がNYにいるときに,母からメールがあり,その事実をメール上で知り,電話をかけて詳細を聞く。
彼女は生まれつき,水頭症という頭に水泡が入っている病気というか、症状があった。 頭蓋骨表面に,小さな水がたまり,それが脳神経を圧迫し、様々能力に影響を与えるものだ。 見て触る限り,それは本当に水ぶくれの方な直径一センチ程なものなのに, 色々な神経がわたっている脳、頭蓋骨はそんな小さなものも敏感にキャッチしていたのだ。 見かけははっきり言って,足の指にたまにできる水ぶくれ程度にすぎないのだ。 それが頭蓋骨両面にある、それだけ。
ただ、”それだけ”がいかにに細かい神経を圧迫し,人間の身体,心身に影響を与えていることか。
それがあるかないかに寄って,彼女の人生は大きく左右されたことだろう。
その小さくて大きな影響を与える頭の水泡は,不器用さ,言葉の明瞭さ,記憶力, 学習力,等等,彼女自身を代表させる神経、性格,器量さをも左右させるものだった。
ー過去 中学校に入る頃にはそういった施設のととのった学校に入るか,地元の学校に入るか親,教師とともに迷ったが 彼女も小学校のときにそれなりに友人ができてい、さらに施設に入るほどではない、 ということから地元の学校に通うことになる。 もちろん,学びが遅いので,成績は良いとはいえない。私も彼女の宿題や勉強をたまに手伝う。 私は当時人気のある部活にいて,その中でも活発に動いていたので,彼女の引っ込み思案さ,私と正反対な行動力と発言力のなさに,多少なりともイライラしていたのが事実だが, ただ、何も知らない思春期の子供たちはとても残酷で,ひどい言葉を彼女に投げかけることが、私には我慢できず,内の正義心がかりたたさせられた。
更にとても引っ込み思案で何も言わない彼女に対してもとても不甲斐ない思いを抱き,常に何か会ったら言い返せ,もしくは私にいいなさい!と教えたが, 彼女は何かひどいことを言い放った相手にも何も言い返さず,私にもそんなことがあったことは報告して来なかった。
高校時代。 彼女は私立の高校へ通い、そこで友達もでき,多分一番充実したときを過ごしたのではないかと思う。
大学へは行かず,そのまま父のコネである飛行機会社で働き始めるが, 昨年の9月頃に体調がおかしいということをたまに母に訴え,その直後,急に倒れることが多くなったらしい。
こんなこ全然知らされていなかった。
後からそれを聞いて,ぞっとする。
色々と検査をするが何も見つからず、そのままで1ヶ月程いるが頭痛と失神はひどくなるばかりで, 色々調べ,その件に関する有名な医者に見てもらうために東京まで出、調べてもらうと前に手術をしたときの脳のバイパスが脳の血管を圧迫しているのが原因らしく, 手術をしてもらい,両親はその手術のために視力が弱くなる,と聞いていたが,それは回復するものと思っていたもので,結果として彼女の視力は一生回復するものではなく, 盲目に近いものとなってしまった。それを改善すべく,もしくは回復する術を探すべく,彼らは色々とリサーチしてそれに詳しい眼科医師を訪ねて 再び母と本人が東京に1ヶ月程滞在して診断を受けるが,彼らの努力にも関わらず,やはり回復するものではない,と言う結果を下される。
私は,その全てが終わってからニュースを聞いたが,それを聞いた瞬間,ショックで言葉が発せなかった。 愛犬,ろくちゃんの死の報告も劇的だったが,はっきり言って何がそっちで怒っていたのか状況も把握してなかった上に,そんな急な発言をされ, 咄嗟には言葉も何も浮かんで来なく、彼らが彼女に対してやってきたことを話されてもぱっとしなく ようやく”お姉ちゃんがノンちゃんに、ノンちゃんの近くにあるものをさして,”のんチャン,そのタオルとって,いや、もう少し右,もうちょっと。。それ、それ”と言ってようやくわかる程度なのよ” という例を出され,その度合いが分かった。 がわかったとともにそれがいかに深刻かをも認識し,とてもショックを受ける。
なんで彼女ばかりがこんな目に??
ーーー多分彼女も思っていることだろう。
私と彼女は違いすぎて,彼女の保守的すぎる考え方,曖昧な言動に対してイライラすることもあり, 彼女は自分の立場,状況をしってか,昔からとても無口である。私が言われたら言い返すことも,彼女は言い返さず,耐える。耐え続けてきた。 頑固なところもあるが、彼女は強い。
生まれたときから標準とハンディがある生活の境目に生き,25年間見えていたものが急に見えなくなった、その対応力。 多分,私だったらそう簡単には立ち直れないだろう。 闇の中で生きるなんて,どんなに恐ろしいことだろう。。。世界が一気に塞がれてしまうことだろう。。。 健康な人間に伴った五つの感性の一つを急に失うとは,一体そこにはどんな世界があるのか。。 今まで読んでいた本が読めない,メールが読めない,情報が耳にしか入って来ず,景色も、何がその場で起こっているかも、その両目で見ることはできない。
両親も年をそれなりに歳を取ってきたので、彼らに何かあったときに彼女が一人でやっていけるかどうかとても不安らしい。。。。私も不安だ。 私は、多分彼女に何かをしてあげたい,と思う。 何か彼女自身に自信を持たせてあげたい、彼女自身で生きる道を開かせてあげたい。
希望は,まだあるのだ。生きている限り。
こんなに一生懸命やったのに。 一つのことで,土台であったそれが一気に崩れ落ちる。 難関と思っていなかったことが最大の難関だったのは、誰が知る余地があっただろうか?
ある程度の給料をもらえてぬくぬくと生きているよりも、 綱渡りで生きていた方が刺激的だと思う自分が危ういのだろうか?
私は,自分がある程度のプレッシャーを喜んで受け入れるのはわかっているし, ハードな仕事後の疲労感さえも、心地よく思ってしまう人間だ。。。ある程度自分の時間が確保されているのであれば。
もっと自分自身を生かしていける社会に、仕事に就きたい。
今回の出来事は,はっきり言って”裏切り”とも呼べる。 その言葉はとてつもなく強い言葉と意味でもあるが,少なからず,ここまで北今の私には,そう思えて仕方がない。
悲しく,どうしていいのかわからない。
2007年08月24日(金) |
Going back or not? |
エルトンからすぐに返事がなかった時,そう思った。
うまく行き過ぎた。
第4難関は,かなり深刻。 土台そのものに問題があったのだ。
彼らは手を広げすぎたのではないか? アンドリューは3つの仕事をしていて,エルトンは3つの会社をオウンしている。
2007年08月23日(木) |
Lack of... |
私って,本当に協調性がない。
無意味に人を待っていられない。
ああ,疲れた。
朝4時半起床。 納豆卵,シリアル、ソイミルク,シナモン。すごい組み合わせ。 しかも,遅れていた生理がついに来て,頭がもうろうとし、体がしびれている。
そんな中,書類を2、3度確認してから8時過ぎに家を出て,神谷町まで。 朝から炎天下の中、うろうろとさまよいながらたどり着く。 書類提出後,バスルームに入るとソファがどーんと置いてあり,なんでこんなところにソファ?? と思っていたら,赤ちゃんのダイパー替え用のソファらしい。なんだ、こりゃ?
待つこと1時間半,ようやくフィンガープリントで名前を呼ばれ,その後すぐに面接に名前を呼ばれて ものすごい緊張する。 自分で準備していたものよりも仕事のことに聞かれて, 思いついたことを適当に言っていたら,”他の面接官ともめんせつして”と言われる。
ええ、なんで??他の人はさっさとアプルーバルの白い紙をもらっているのに?? 死ぬ程びくびくして,多分呼ばれるであろう他の2里の面接官の一番前の席に座り, 他の人の傾向を観察,耳を澄まして良く聞く。
ブース8番の若くてこざっぱりしている人は見ていると,よく却下を出しているので、 顔は恐くて髪の毛は交代しているのに金髪に染めていた軌跡が見える、ブース10番の面接官にあたりますように。。。!!! とひたすら願う。
ブース10番の面接官の前に座って前のひとのいきさつを聞いていると,彼もややこしいことをやってしまったらしく, 30分程ああだこうだやっていて,その間8番がさっさと仕事を片付け,名前を呼び上げるたびに 私が8番に呼ばれるのではないか,とびくびくしていた。
その10番で手こずっていた一が無事にアクセプトされたらしく,”サンキュー!” と言って去って言った次に手にした彼の書類に集中すると, 私のものらしいくたびれたパスポートが入っている。。!しかも私の写真もちらっと見えたので, 名前を呼ばれる前にしゃしゃり出たかったが,我慢。 1、2分後名前を呼ばれ,それまで日本語でしゃべっていたので疲れたのか, ”英語でいいかい?”とわざわざ聞いてきたのでOK、とこたえる。 ”それにしても,このパスポート,ひどくくたびれているね!”と言われ,少しほっとして, ”弁護士にも同じことを言われたわ,君,このパスポートポケットに入れて洗っちゃったの?って” 今まで旅行した国のことを聞かれ,つらつら述べると, その中でジャマイカが彼も言ったことがあるらしく, ”ジャマイカ!君も行ったのか,いいねー今行きたいよ。。”と疲れモード。 その後仕事のことを少し聞かれ,私は待っている間考えていたことの10分の一を述べ, ”今まで入国で引っかかったことはあるか?”と聞かれたので, 正直に”ヴァージンアイランドに行ったときに既にヴィザが切れていたので引っかかった。ヴァージンアイランドはアメリカ領内だからヴィザは必要ないと聞いていたから言っても良いと思っていたのに。。税関でパスポートを取られた” と言ったら, ”そうなの?ビザが必要なの??”と逆に聞かれる始末。 しかも急に難しい顔になって,一生懸命書類を見直し,終いには”ちょっと待っていて”と席を外す。 どこに行くのかと覗くと,”CHIEF OFFEER"と書かれたオフィスに入っていったので, いよいよか,と思い,緊張して隠してあった書類をカウンターの少し横に準備し, 頭の中で一気に突っ込まれた時のシチュエーションを想定する。
待つこと5分。
戻ってきて,色々とコンピューターで処理をして引っかかったことについて簡単なことを聞かれただけで, 色々想定していたことはいっさい聞かれず。変なところで引っかかって拍子抜け。 でもこれは後々から響くのであろう。
“すぐにここから出してあげるけど,ちょっとノートを書かせて”と言われ, それでこれは済んだのだということがわかって心底ほっとする。
古いパスポートも入国する時に色々聞かれるだろうから持っていった方が言いと言われ, 返してくれたが新しいものも両方返してきたので, ”私,両方今日持って帰ってもいいの?”と聞くと, “ああ,俺は何をやっているんだ。。”と新しいパスポートを引き取る。 ”コーヒーを飲んだ方がいいわね”とアドヴァイスとありったけの”サンキュー”をいって終了!!!!
3時間、緊張しっぱなしは疲れた。。。
はっきり言って,私のケースがややこしいので,二つのシチュエーションを考えていて, もう一つの方にそれは傾いていたのだが,この面接官にあたったのが幸運だった。。
ありがとう、Mr.Kramp!!
おなかが減っていたのでスターバックスへ寄り,アイスコーヒー&チョコチップスコーン。 神谷町から六本木,更に渋谷まで歩いて,原宿近辺にあるMarc Jacobshへ寄ろうとしたが, 無意味に歩いたくせに見つからず。
晴れている割に風邪が強くて帰ってきたら汗でべとべと,埃で真っ黒になっていたので速攻シャワーを浴びる。
2007年08月21日(火) |
The answer is in the future |
多分,結果は出る前からあるのだけれども、ただそれを私は知らないだけ。 それはその結果が未来にあるものだから。
ああ,本当に怖くて,緊張する。
頭の中を,2つの出来事が網羅する。
Kinko'sで書類の作成、プリントアウト。 他のコンピューターが埋まっていて,古いMacを与えられた結果, 2回もフリーズし,肝心のプリントアウトした書類が文字化けしているし、 書類作成途中でフリーズして,もう話しにならない。 怒りながら状況を話して値引いてもらったが,納得いかない。 何もできずに手ぶらで冷房の効いたそこを出て,外をがんがん歩いていたらジンワリと汗がにじみ出てくる。
夜に再び戻り,コンドは新しいコンピューターで最初からやり直す。 書類を作成する点で書いた方が良いのか,悪いのかわからない点が出てきて,どうしても不安要素が拭いきれない。
怖くて,不安で,とても憂鬱。 ここまでうまく来たのがとても恐ろしく,落とし穴のようにさえも感じる。
一週間後の自分を早く見たいと同時に,見たくもない。
2007年08月19日(日) |
Fly Me To The Moon |
Aaliyaを久しぶりに聞く。
昨日の夜は全くいつ寝たか記憶にない。 目を開くと朝になっていて,本当にびっくりした。 たっぷりと夢を見たので眠りは浅く,倦怠感をもったまま4時に起床してしまう。
昨日は昼寝もせずに一日中ばたばたと動き回る。 しかもヒールがある靴で歩き回ったので足が疲れるし,足の裏のヒールダコが痛い。 Kinko'sに寄るが,時間がないのにお姉さんが間違って用紙を入れるものだから, 10枚くらいプリントアウトしたのに3枚しか出て来ないで,イライラする。 今日再び寄って,残りの全てプリントアウト。 エルトンから返事がないので,フェイクのサインを書くしかない。時間がなさ過ぎ。 さっさと結果を出したいのだが,不安でとても躊躇してしまう。 私の選択は正しいものなのか? もしここまできて通らなかったらどうなる? 通ってしまってもどうなる??
この間試着しないで買ったチェーン付きのサスペンダーを家で試してみると, ちょっとハードすぎ。私は甘い顔ではないので,こういうのを付けるとハードコアすぎてしまって 取り替えるのも面倒くさい処理をしなくてはならないらしく,ああー、面倒。
私のMacに入っているCDが出なくなってかれこれ1ヶ月程。 デスクトップのMacが欲しい,今日この頃。 最近,新しいヴァージョンのものが出たらしいが,$1200也。 あれ、そんなお金なかった。。
うーん,金ないなあ。
髪の毛切りたいなあ。 私の髪の毛は,ジャングルになっている。
Destination Lounge: San Francisco Disk1 はインドやミドルイースタンの曲で落ち着く。
Ramsey Lewis Trio Black Orpheu Medleyで、Black Orpheuを無性に見たくなる。 あの映画は多分,60.70年代の映画で,ギリシャ神話の悲恋話ををブラジルのカーニバルに掛けて作ったものである。 白黒だけどもそのモノトーンさがなぜかブラジルの生き生きした部分と, 物語の筋からの不気味さのコントラストがとても良く表現されたものだと思う。
2007年08月18日(土) |
Gas Panic!? |
朝起きて,久しぶりにコーヒーをいれようとエスプレッソマシーンに コーヒーを入れ,水を入れてさあ火をつけようとしたら,点かない。. ???? なぜ?? 他のも点けてみようと試みるが,全て点かず。 ??????
家を出る前にメールボックスをチェックしたらガス会社からもメールがあったので 電車の中で開いてみると,なんと,ここのアパートに入った直後の10化感の支払いを怠っているとのこと。 ううううー,そんなのすっかり忘れていた!っていうか払っていなかったっけ?? 電気も水も電話も払っているのになぜガスだけが?? というか,このシステムは良くない。 毎月の請求書は来るが,先月払われていないものは加算されていないのだ。 加算してくれー。その請求書がどこにあるかわからない。
めんどうくさいなあ。
生理がー遅れているー。予定通りにこないと2、3日遅れているだけでも落ち着かない。
Casandra Wilson Blue Light till Dawn 朝方までの青い光。 低く、なだらかでスムーズな声。
昨日久しぶりに買ったインドのお香。
2007年08月17日(金) |
Short Trip |
木曜日,家から電車で一時間弱の友人の家に行き,そこから少しうだうだして2時頃那須へ出発。 とても暑い日。途中のサービスエリアで冷房が効いていた車から降りるとグわっと熱風が襲う。 ひたすら走り、4時頃到着。 途中の田舎の景色がとてもよく、日本の夏!という感じをぷんぷんだしている。 北海道にはない家,瓦の屋根の家がたくさんあってとても風情。 ああいうところに一週間ぐらい滞在してみたい。
那須に向かうにつれてくもが絨毯のようにそらにはびこってくる。 森林の中を走り,途中でログハウスの輸入家具屋に寄り, 相手が色々と暖炉の説明を受けている傍ら,私もそれを聞く。 なぜなら私の親も前から暖炉を家に付けようとしていたので,説明はなかなか面白かった。 ただ、その家具屋にはアンティークっぽいものしかなく,両親が見ていたモダンなものはあまりなし。 でて、おやつ。車で緑の中を走っている途中で見つけたベーカリー。 まだ新しい。 シンプルなパンとハニーミルク。牛乳なんて何年振りかに飲んだ。 帰る間際にチーズタルトが出来上がっていたので,それを食べる。 ふんわりとした卵とチーズがさくさくのタルトで囲まれていて,お。い。しーー!!
山へ。 ロープウェイは既に閉まっていたのでそこら辺でうろうろ。眺めが最高に美しい。 山の空気もとても澄んでいて胸一杯に取り込む。
温泉へ。 最初行った温泉も,次ぎにいった温泉も日帰り客には門を閉めていた。。6時過ぎ。 温泉の匂いがプンプンする山の麓へ下ると,7時まであいている温泉発見。 そこで白い湯につかる。 人はあまりいず,。裸でぼーっと床に座っている婦人が2、3名ほど。 あんな素朴で良い風呂は初めて。温度で5つぐらい風呂が別れている。 壁に貼付けた板に書いてある温泉の入り方を読み,それに従って入る。 温泉は嫌いだったが、こういうものだったらいい。 つーるつるすーべすべになって出る。 体から温泉の匂いが香っていい感じ。ずっと香っていたらいいのに。。 うーん,今回の温泉は温泉嫌いの私の思いを覆した。
なぜ嫌いかというと、ひとが裸でわらわらといるから。素っ裸。見たくもないのに見てしまう。 しかもたいていの温泉は子供がいたり,おば樣方がくっちゃべりながら入っていたりするので、 そういうのがとても嫌なので,温泉が嫌いになったのだが,それが今回は全くなかった。
心も体もリラックス,リフレッシュしてそこを出る。
ディナー。 車で走っている途中で見つけた最初のイタリアンレストランは何と,1時間待ち。 次に入ったレストランはすぐ入れる。しかもインテリアが日本離れしていながらどこか和。 奥の禁煙席ではなく,林が見える三テラスの喫煙席を選ぶ。といってもタバコを吸っている人はほとんどいなかった。 グリーンサラダ,ロール&バター,スズキのソテー、トマトとツナの冷製パスタ。 どれもとってもおいしくて120%満足。 グリーンサラダにはアルグラがぱらぱらと入っていて,久しぶりに食べたそのほんのり苦い葉っぱはとてもおいしく感じた。 ロールも温められて出てきて(普通はそうだが)、バターをつけて食べると止まらなくなる。 多分,私はおいしいパンとバターとソイミルクがあれば生きていけると思う。 すずきはソースがクリームっぽかったのでどうかと思ったがさすがに白身魚にあわせてあるので 意外にさっぱりとしていて,そのベッドになっているグリルされた野菜がフレッシュでとても美味。 パスタも本当にちょうどいいアルデンテでこしがあり,フレッシュトマトから作ったソースがまたおいしい。。 食後のコーヒーも香りがとても豊かで口の中にアロマがふわっと漂い、味がとても豊かなのに軽い。 もう,おいしすぎるし,雰囲気は最高でまったり、ゆったり。 そこは日本に帰ってきてどのバー,レストランで気になっていたライティングのまぶしさも緩やかで,
しかし,それから地獄の帰路につかなくてはならず。。。 高速に入って2、3キロ走ったあたりで渋滞に巻き込まれ、休憩を頻繁に取りながら一時半東京着。 もちろん,私は運転できないのでただ一人がずっと運転していたので、緊張して眠れず。 姉や母が運転するのにはすぐ寝るのになあ。
2時半頃就寝。。。なんでそんなにパワーがあるのか,不思議でたまらない。
翌日は9時に出て,築地へ。 どこも閉まっていて24時間の寿司屋しかやっていない。 私はいくら手巻きと卵を食べるが、朝からヘビー。
品川で降ろしてもらい,じりじりと日が照る中で急ぎ足で帰宅, とても暑くて家に着くとジンワリと汗をかいている。 ドットのショートパンツとマッスルタンクを脱ぎ,ストライプの黒いパンツと黒いキャミソールを着て新宿まで。 ギリギリ間に合う。
まるまる二日空いていればもっと余裕があったし温泉にはもう一回入れたのになあ! なんせ全ては流れるままに,那須に行くのも出発5分前に決めたこと。 でもこのショートトリップはすばらしかった。。。
でも写真を2、3枚撮った時点でカメラのバッテリーがなくなってしまったことを悔やむ。
あのレストランが近くにあればなあ!
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