2005年03月01日(火) |
今年も2ヶ月過ぎて。 |
今年に入ってから、どうもピアノが上手くいかない。 テクニック的にどうとかこうとかいうんじゃなくて、どうも、モチベーションが上がらず、自分でもイライラする日が多いのだ。 去年、コンクールなどがあって頑張ってたし、気が抜けてるのかな、とも思っていたのだけど、いつまでたっても、なかなか戻らない。今回、日本に帰って気分転換を図っても、やっぱり去年のような浮き立つような練習の楽しさが戻ってこないのだ。
目標がまだ遠いせいかな、とも思っていた。 夏の卒業とその直前のコンクールに標準を定めているつもりなんだけど、もともと短期集中型の私。まだ時間があると、どこかで思っているから、気が緩んでいるのか、と。
でも、今日、ある友人と話していて、ハッと気がついた。 責任が伴ってないからなんだ、と。 最近、私の周りには、しっかりと自分の持つスキルを生かして、充実した仕事をしている人達が増えてきている。 仕事が楽しく、期待されるぶん頑張るし、それによって向上できる仕事を、生き生きとしている友人達。 もちろん、自分で稼げる、というその一点においてだけでも、うらやましい事に変わりない。それに加えて、やりがいのある仕事。 いつもいつも、いいなぁ。素敵だなぁ。と思いながら、彼らの話を聞く私。 そうやって、周りが変わっていっている今、自分で意識していなかったけれど、心のどこかで焦りが生まれてきているのかもしれない。だから、ピアノを弾いていても「こんなことやっていていいのか」みたいな負の心理が働くのか。
私が今やっているのは、いくら将来に繋がるとはいえ、コンクールだって卒業だって、自分だけのためであって、何かを期待されているわけでも、責任を負っているわけでもない。(もちろん応援してくださる人はたくさんいてくれるけれど) あああ、もう卒業なんてどうでもいいから、早くさっさと日本に帰ってきて、働き始めたいなぁ。 ・・・そう、やけっぱちで思ってしまう自分がいる。
世の中の、いわゆるお茶汲みをやらされているようなOLさんと同じ心理なのかしら。いや、それでも彼女達は、自分で稼いでいるわけだから、すごいですよ。
この、26才の働き盛りのワカモノが、フラフラしているなんて。 ピアノの仕事が出来るだけのスキルはあると思うのに、どこからも求められてない今の状態が、たまらなく嫌になる。 日本に帰って動き出せば、それなりに仕事は出来ると思うけれど、それを夏まで待たなくてはならないのが、もどかしくてならない。
夏までの、この半年が意味するものは何なのだろうか。 私の人生において、この半年は、どんな位置付けがされるのだろう。 このままじゃ、充実した半年にならないことは目に見えている。 なんとか、意識改革しなくては。
たった今観たTVに感動し、考えさせられて、久しぶりにパソコンに向かっています。 ある家族のドキュメンタリー。 双子の女の子が4才の誕生日を迎えるまでの記録。妹はすくすくと育っているのだが、お姉ちゃんは「滑脳症」という難病を持つ。 余命2年、と生まれた直後に宣言されたにもかかわらず、揃って4歳の誕生日を迎える事が出来た二人。 両親は、まだ若い。29才だ。双子を授かったのはまだ彼らが25の頃。今の私よりも、若い。 二人の子供を、分け隔てなく、愛情を込めて育てているその姿は、とてもじゃないが同世代とは思えないほど、なんていうか「豊か」で尊敬の念を抱かざるを得ない。難病に負けず、涙よりも笑顔で、日々命と向き合う若い夫婦。 「この両親なら大丈夫、と思ったから、産まれてきたのかもしれない」というような主旨のナレーションがあったが、確かにそう思った。 福祉関係の仕事をしていたご夫婦。きっと、双子が産まれる前から「命」というものに真摯に向き合い、誠実な生き方をされていたのだろうと想像がつく。自分達の子供の一人が難病で余命少ないことを知ったときに、彼らは「泣くのは、二人きりのときだけにしよう」と誓ったそうだ。そんな前向きな気持ちになれる強さ、たくましさ、お互いへの愛情と優しさ。 「生きる」という事の美しさを知っている人間にしか言えない言葉だと思う。 すごいな。 家庭、というものを持つということ。 それを、キラキラした笑顔とともに、保っていく事。 難病の子が居ても居なくても、きっと、大変なことに違いない。大変だけど、守りたいと思う、その気持ち。美しいと思う。
私のように、自分の事で精一杯な人間には、まだまだとても無理だなー。 ああいう生き方をされている人を知ると、なんだか、自分の悩みとか考えている事とかが、ものすごくチッポケに思える。
最近、思うんだよな。 人間って、名誉とか実績とか結果とか、追い求めてしまうけど、本当はそんなの、要らないんだよねぇ。 「結果に出ないと意味がない」、そう言える人はそれだけ努力しているんだから確かにすごく立派だけど、まあ、言ってしまえば、言葉は悪いけど、全て死ぬまでの暇つぶしなんですよ(ひ〜、頑張っている方、ホントごめんなさい)。だったら、上に立つ事や向上する事に力を注ぐのもいいけれど、もっとゆっくり、周りの小さな幸せや暖かさを感じながら歩いてもいいのではないかと・・。そういう時期も、あっていいんだろう、と。 こんな思考になる私は、そろそろ「若いね、頑張ってるね、青春ね」なんて言われる年代から追い出されつつあるのかもしれません・・。
しばらく日記を書いてなかったここ最近、いろいろありました。 金曜には地元のピアノの先生に、久しぶりにレッスンしてもらい、日本とドイツでの弾き方、音の響かせ方の違い(気候やピアノの作りなどによって、テクニック的にも変えて弾かなければならない・・のかな)を再発見して、いろいろ研究してみたり。 その夜には、去年の年末に共演させていただいた合唱団の練習に参加して、改めて合唱団運営の難しさと楽しさを再確認したり。 日曜には、中学校時代の友人ら5人と飲みまくりました。本当に、いろんな生き方があるのね、と、ここでもしみじみ。
そうこうしているうちに、もうすぐドイツ行きですわ。 ちょっとの期間だったけど、日本に帰ってきて良かった。
富大附属OB合唱団、着々と結成に近付いております! こんなに順調に進むとは、私もビックリ。 練習会場もほぼ確保したも同然だし、何より、後輩の一人が、下の学年を取りしきってくれているようなので、連絡がずいぶんラクになりました。 いやいや、やっぱり、愛されていた部活はいいねぇ。 問題は、中学校時代にまだメールが普及していなかった、私達よりも上の世代との連絡なんだよなぁ。
しかし、こうやって、何か仕事として動くのは(いや無償だけど)、楽しいですわ。 自分一人でピアノに向かっている時間も良いけれど、こういう、目に見えて成果の出る生産的な作業って、ウキウキする。 しかも、もうずいぶん昔の青春時代(?)の再現をしようとするんだから、そりゃウキウキもするわな。
うーん、しかし私ってば、本当に富山が、というか、日本が好きなのねぇ。 ドイツでも、これだけの積極性を持って人と接すれば、また違った生活になるだろうに。 いまだに治らない、ドイツ人恐怖症(笑)。なんとかしなくちゃねぇ。と書きつつ、もう半分以上諦めているんですが。
昨日水曜は、富山の、ある合唱団のミニコンサートを聴きに行きました。 富山の合唱団の中では、上手い人達ばかりが集まった技術的に高レベルの団体なのですが、ベルリンでもっとレベルの高い演奏を聴きなれている身としては、そりゃ、色々と言いたくなる部分もある(笑)。 でも、これから、こういう、音楽が決して盛んとは言えない日本の地方で音楽活動をしていくには、どれだけ地元の人達の演奏の「良い部分」を見つけて、それを重要視するか、それを大切に守っていくか、それをさらに育てていけるか、が、必要なんだろうな、と切に思うわけです。 文句は、いくらでも言えるわけですから。 地元の人への音楽の浸透性の今の状況を、嘆いたり、諦めたりするのではなくて、何が出来るのかを考えなくてはいけないのだ、と。 自分が知っている知識や、ドイツで育てていただいた耳、感性、そういうものを、どれだけ地元で生かしていけるか、ということを考えると、音楽が好きで集まっている合唱団のメンバーや、聴きに来ているお客さんの中にある、音楽を好きだという気持ちを信頼して、大切にしていかなくてはいけないわけで。 そんな事を考えさせられた一日でありました。
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