思い出の散歩道
こお



 風邪とともに去りぬ。

沈黙の四日間が過ぎた。
あまりにもいろいろなことがおきたと思う。
まず1月30日、神奈川県某所に出張。
1400名を越える来賓に風邪をこうむる。
1月31日、激しい堰と寒気に襲われる。
熱を測ると38.2℃……明日は棚卸前日だというのに、ありえない。
仕方がないので一日中寝ていた。
が、現実とは上手くはいかないもので、夜体温を再度測ると……39.4℃。

……40℃行っちゃいます?

もうどうしろっちゅーねん。
どうにしても寝て、少しでも回復させることしか出来ない。
寝て、寝て、次の日の朝8時…引いた、確かに引いてはいるが38.5℃。
……それでも行こうと決意するが、体が動かず店長に「すみません、熱がどうしても下がらないので、どうにかして(意味不明w)下げていきますので遅刻します」と連絡。
すると店長までもが、「う、Kもか…う、うん、わかった」と死にそうな声……おいおいw
体が動かないけど、店長のあの声を聞いたらどうにかしてでも行きたいと思ったが、この日は3人朝から出勤の予定だったので、11時までは布団に入って、汗をかくことにした。
11時半…予定よりも30分オーバーしていたが、この際動けない体で行っても意味がないということも考慮してこの時間に踏み切った。
熱自体も37.8℃まで落ちていたし、7度台ならば動けるだろうと踏んでみた。
……それが地獄の始まりだった。

12時過ぎ、店の到着。来るまでにかなり足元がおぼつかないことに気付かされ愕然とさせられた。店にはもう店長も来ているのかと思ったがまだその姿は見えず、もう一人の社員さんに尋ねると「え? 二人とも遅番だったと思ってたよ」と言われた。
……図ったな、シャアめ!
……店長が来るまで棚番さえ分からない。
棚卸の前にやる作業さえ行えない状態になってしまった。
だが、13時にやっと店長が来た。
もう二人で堰すると血の味がするのに相手の姿を見て笑ってしまった。
「てんちょ〜、あの台車の上の荷物なんですか〜?」
「昨日倒れてた」
「あのダンボールの山なんですか〜?」
「みなかったことにしよう」
……どうしようもねぇw
でも、抗う体力も精神力も、んなくだらねぇことにつかってらんねぇのさw
16時、棚卸第一陣。
店長と私とでストッカーをやりはじめる。
17時、二人で休憩に入り、「風邪にはプリンだよねぇ」と意気投合、そしてそのあとに肉まんを注文した店長と、飲むヨーグルトを注文した私で肉まんはどうなのかという議論が行われ、18時……。
18時、棚卸第二陣。
社員3、バイト2をつぎ込んでもくもくと行われる。
この作業中に段々と足腰に力が入らなくなってきていることに気付く。
24時、前日作業終了で帰宅。
家に帰り、熱を測ると38℃。
まぁ、下がるわけないので想像よりも下回っていただけ良しとした。
2月2日、朝7時起床。
熱、38.2℃。
……関係なし。
棚卸を始める。
パソコンがフリーズ。
パソコンがフリーズ。
うごけ、うごけ、うごけ、うごけ!
棚卸開始から5時間、パソコンを再起動……死。
18時ごろ、無事かどうかは分からないが棚卸終了。
そして、そのとき店長が私に持ちかけた話。

……明日、病院行ってきて(休んで)いいからさ、今日ラストまでやらない?

まぢですか?
た、大変嬉しいのですが……い、今の体力で……あ、いや、その私なんかで宜しければぜひその大役任されたく存じ上げます(泣)

なんかさ、色々考えた結果、17時間労働選んだw
そうすればヴァナで最後の時間を好きな人たちと過ごせるし、少なくとも一日だけでも母親を心配させないですむし^^;(実はこの4日間、毎日心配させてました)

で、人間って現金なもので、ゴールが見えると体の調子も上がってくるんだよね。
今ね、36.5℃。
一時的なものかもしれないので明日計ってみないと分からないけどね。
つーか、人間って丈夫だねw
心配してくれた人ありがとうです^^
私殺されても死なないくらいしぶといですw
あと3日か……4日間、忘れてたけど思い出してみると短いな。
どれだけの人と最後の思いで作れるのかな。

2004年02月02日(月)



 嫌い。

昨日約束したのに…。
なんとすっぽかされました……。
いや、さすがだな…とw

で、2月3日までFFにこれないことを伝えると、「きらい」と言われてしまいました。自分勝手です、Cさんw
昨日約束してたのにptを先にくんでたのはあなたなのに。
昨日も書いたけど、すごい楽しみにしてたのにね^^;
ああ、でもあと4日しか来れないんですよね。
4日って短いですよね。
さだまさしの解夏、あなたは最後に何を見ていたいですか?っていうやつあるけど、今本当にそんな気持ちです。
最後、何を見ながら消えていきたいだろう。
出来れば夕日の沈むあの海岸で仲間に囲まれながら、賑やかに消えて生きたいな。
静かなのは嫌だからw

昨日まで結構ナーバスだったんだけど今日はもう元気なほうかな。
目が潤むということもなくなりました。

そうそう、母は早期だったらしいです。
1.5cmの腫瘍らしいです。
それがどの程度のものかは私には分かりません。
ただ知り合いに聞いたところ、術後の薬物投与、それとともに手術で体力が一気に落ちるとのこと……。
やっぱり大変そうです。
でも、一番大変なのは本人ですし、体の一部を切ることは…精神的にもかなりの苦痛だと思います。
母は4年前に胆石で腹部を切っています。
なので、温泉とかに連れて行くことも出来なかったです…これでまた本人は行きづらくなっちゃうのかな;
連れてってあげたいです……。
狭いお風呂じゃなくて、でっかい手足を伸ばせるような広い、景色の見渡せるような温泉がいいですね。
体力が戻ってきたら、ぜひそういう場所に行こうと思います。
まぁ、まずは手術ですけどね^^;

今日、前好きだった人にここを教える暴挙をしましたw
こうやってスパイスを加えていくことで、私自身がこの日記を書こうと思えるし、辛いことだけじゃなくなるかなって思えたからかな。
何でと思うかもしれませんが、あの喧嘩のあと不思議な縁で、今も夜中ずっと朝まで話したり、悩みを聞きあったりしてます。
出来るだけ心を開かないようにしてます^^;
気を許すと、また気持ちが揺らぐしね。
だから前は相手のことを思って距離をとったけど、今は自分のことを考えて距離を置いた腐れ縁を続けています。
友達、でもないし。
恋人、でもないし。
なんだろうねw

2004年01月29日(木)



 挨拶。

まだ入院まで日があるので、なにをするわけでもない。
むしろ今はFFで「引退します」と挨拶をするのが日課になっている。
まだ挨拶してないのに、声がかかってくると、世界はどこかで繋がっているんだなって思う。
私の知らないところでこの人とこの人は知り合いだったんだろうとか、そう思うともっと喋れたことがあったんだろうなぁって気付かされる。
一日一日、何をしていくのかさえ分からないけど、精一杯何でもしていこうと思う。
なんかHNMいこうとか誘われるけど、今は無理w
HNMなんかいったら、それだけで時間がなくなっちゃうし、まだレベルの低い知り合いと喋る時間がなくなっちゃうよ。
だから、ぼーっとスキル上げみたいな、なんでもない時間を過ごしたい。
今日はそういう意味ではいい時間を過ごしたと思う。
明日は赤で、30台から60台までずっと一緒に過ごした人とPTを組むことになった。
私が世界で一番信頼しているパートナー。
この世界で誰と最後組みたいかって聞かれたら、この人だろうなって思う。
他の人には申し訳ないけどね^^;
だから、明日は楽しみなんだ……すごく。
精一杯遊びたいな。
がんばんないと^^

2004年01月28日(水)



 花粉症だから、と私は言う。

母が笑いながら言った。
「乳がんで、入院して手術するから」
あまりにも軽い口調だったので、私は理解できないでいた。
ちょうど仕事に行こうとしていたときだったので、気には留めたがそんなに心配していなかった。
家を出て、会社に向かって歩いている間に、段々と実感がわいてきた。
……癌、だろ?
例え早期だったとしても、癌には違いない。
笑っていえるようなものじゃないだろう。
次第に母の笑みが、自分の中で辛くなった。
どんな人間だって自分が何かしらの病気であるといわれたら落ち込むはずだ、それが癌であるならばなおさらだと思った。
はりぼてのような、それでいて強い微笑が悲しく思えて仕方がなくなった。

仕事の間もずっとそのことばかり考えていた。
元々涙もろい人間なので、少しでも気を許すと涙を流しそうになる。
鼻なんかずっとかみっぱなしだ。
自分に何が出来るかといえば、実際たいしたことなんて何一つ出来ない。
見舞いに行って、洗濯物を家から病院に運ぶくらいのことしか思いつかない。それと母のいない間に家の負担を少しでも軽くする必要があった。
そうするとまず最初に考えたのはFFの引退だった。
夜遅くまでやっていれば、午前中の空いている時間に病院にいくこともかなわない。
そのためにやめる決意をした。
なんだか、また涙が出てきた。
元々FFを辞めるときは泣くだろうなぁって思っていたが、ちょっと考えただけで涙が出てきてはもうどうしようもない。
まだたくさんやりたいことが残っていて、たくさん好きな人たちがいて、まだ喋りたりないことがたくさんあって、伝え切れないものがたくさんあって……正直、苦しい。
母の病も嫌だし。
引退も嫌だった。
でも、まずは母の問題に立ち向かわなければならない。
ある種、願掛けのつもりでFFを辞めるのだ。
そう自分に言い聞かせて、LSの掲示板にその旨を書いた。
誰も見ていなくて、ログインしたときに皆きょとんとしていた。
なにを言ってるんだろうって言う感じで。
私はゆっくりと自分の覚悟を確かめながら話を始めた。
皆静かに話を聞いてくれた。
そして、励まし、待ってるって言ってくれた。

辞めたくない。
辞めたくないよ。
まだここにいたい。
ここにいて、皆と…なにもしなくてもいい、ただ一緒にいたい。

この一年、色んな人と出会った。
辛いことも、嬉しいことも、悲しいことも……たくさんの思い出を私はもらった。

どうしてこんなに涙が出るんだろう。
書いている間、ずっと出ている。
そんなに好きだったのかな……。

LSに挨拶をしている間に、母が起きてきて私の部屋を覗いた。
あまり顔を合わしたくはなかった。
だが、私は顔を見られ、鼻の下が赤くなっていることに気付かれた。
「花粉症だから」と私は母におどけて言った。

2004年01月27日(火)



 水溜り踏んで前にすすもう。

4ヶ月間続いた恋も終わりを迎えました。
稚拙な文章でとても見苦しかったと思います。
全て、実際にあったことで、何一つ作り事のない話です。
今は静かに前を向いて歩いています。
転んで、傷ついた足を引きづりながらも、ゆっくりと着実に前に進んでいます。
夏、秋、冬……春には新しい恋が生まれてくれればいいかと。
私の失恋日記を楽しみにしてくださっていた方がいらっしゃったとすれば、申し訳ないですがこれが今回の物語の最後となりました。
次の恋は幸せな恋にしたいです。
同じものを見れる人と、一緒にいたいです。
ああ、あの夏のような甘い文章を書きたい……っていうか、誰か書かして;



2004年01月11日(日)



 色々あったけど私は元気です。

一日、初めてスノボにいく。
七日、エフエフの知り合いと呑み、そのまま宿を拝借w
八日、エフエフの知り合いと呑み、初めてフォアグラを食べ、銀座のスナックに行く。

なんか今年は既にハイテンションだ。
そして、4月には神戸、大阪、名古屋という三都を三日でオフしてくるという計画も立てているw

エフエフはリアルじゃない。
だから、いろいろな人がいる。
リアルで全然関係のない世界に住んでいる人と出会い、友達になれるのだ。
それは中学の同窓会のような気分である。
実はかなり4月が楽しみだったりする。

銀座の連れていってもらったスナックの社長さんが言ってた。
仕事は楽しくなくちゃいけない。
本屋という仕事は、普通の仕事と違って趣味と仕事のハーモニーなのだと。
そんなこと初めて言われた。
…もしかしたら本屋ってすごいのかもなって思った。

好きだった人から、tellが来た。
「ちったぁ元気になった?」
…よくそんなこといえるな。
でも、私は律儀に「もう過去にはこだわらないことにしたから」と答えたら、彼女は言った

「君らしいね」

…簡単に言うな。もう耐え切れずに言ってしまった。
「君のこと忘れようと努力をしているんだ」
「君らしいね、なんて言えるのは俺がどれだけ悩んでそこにたどり着いたのか分かってない証拠だよ」
「もしも君が優しさで声をかけたと思っているのなら間違いだ、ほおっておいてくれるのが優しさってものだろう?」
「君たち二人に俺に話しかける権利があるのか?」
「俺は元気になったけど、君たち二人を許してはいない」
もうなんのためらいもなく、その言葉を彼女にぶつけた。

「ごめん、じゃね」

……多分、これが最後の会話だろう。
かけるべきかどうか迷った。
ただ一言だけ私は最後に声をかけた。

「就職がんばれ」

それだけ言った。
最後にサヨナラを言えない自分は弱いのだろうか。

このことをある人に話したら、その人は悲しんでいた。
「過去はなくしちゃいけない。いい思い出だけじゃないけど」
……今はまだ何も見つけられないから、忘れようと必死になってる。
でも、未来を見てれば、誰かと一緒になって、今日の日を振り返る日が来るのならば、その過去を私は肯定できる日が来るかもしれない。
今は無理だけど。
傍らで。
温かく。
優しく。
微笑んでくれる。
過去を忘れさせるのではなく、一緒にその過去を振り返ることの出来る人を。
私は。


2004年01月10日(土)



 信頼さえも切り刻み。

昨日、好きだった人と一緒に固定ptをしていた人から言われた。
「私たちちゃんとお付き合いしていて、結婚するんです」
え?
私は困惑した。
いきなり何を言い出すのだ?
なにを、言っているのだ?
彼女は、昔の人を忘れられないから私を振ったんじゃなかったのか?
誰とも恋できないって言ったんじゃないのか?
そして、君たちは……女性じゃないか。
ふざけるな…ふざけんじゃねぇ。
すぐさまに好きだった人にtellを入れる。
返事はない……。
返事がない代わりに、私の貸していたアイテムを無言でトレードしてきた。
……は?
何度も何度もtellいれた。
その度に怒りがこみ上げてきた。
彼女の代わりに、その「結婚する人」が私に声をかけ続ける。
なんなんだ!? お前は黙ってろ!
「でも、恋って大変だと思いませんか?」
うるさいよ、お前に人の心ってものはないのか?
お前に今の俺の気持ち何が分かるんだよ!?
勝ち誇って、引導を下して、さぞ気分がいいことだろうな。
そのとき私の中で一番強かった気持ちは、なんでお前から言われなきゃいけないんだということであった。
振られて、それでも大切な人が戻ってくるまで応援するといった私に、彼女以外の誰がこの事実を告げることが許されよう。
それがせめてもの情けというものじゃないのだろうか。
裏切られた。
欺かれた。
そして、心を引き裂かれた。
君たちが踏みにじったのは「恋」ではない。
私が君たちに持っていた「信頼」というものさえ、踏みにじってたのだ。
私は言った「サヨナラ」と。

2003年12月30日(火)
初日 最新 目次 MAIL


My追加