通勤電車の中でよく本を読む私は、一月ほど前から金属製の靴べらのような形の、背に引っかかるところにちょっとしたオーナメントがついている栞を使っています。 ところがこれが結構抜けやすいのです。鞄から出すとき仕舞うとき縁に引っかかったり、思いもよらないときにもぽろっと落ちてしまいます。
今日は準特急から向かいの各駅停車に乗り換える時にいつの間にか落としてしまったようです。 突然後ろから声がかかりました。 「落としましたよ」 振り返れば、大学生くらいの女性でした。私の後を追ってきて下さったのです。準特急は各停に連絡すると、先に出発します。彼女はまだ先に行くらしく、慌しく準特急に戻っていきました。 たかがちっぽけな栞です。そりゃ本屋のレジでご自由にお取り下さいになっている紙っぺらからすれば多少はしますが、どう考えてもご自分の電車と天秤にかけるようなたいしたものじゃないです。気付いても無視するのは簡単です。 そんなものの為にわざわざ電車を降りて追いかけてくれた。だからこそ、嬉しかった。 世の中捨てたものじゃないですね。
お姉さん、ありがとうございました。 貴女にも良いことが溢れるように降りかかりますように。
ある日のこと。
社内便を開封したら………………涼宮ハルヒがふんぞり返っていました………………orz
最近は学校の図書館にもライトノベルが入るんですね。 専門書や学術書の多い中、アンガ・アニメ絵を見るとふっと心が和みます。 ちなみに、涼宮ハルヒがわからない方はこちらに→
今日もこの穏やかな日に、感謝を
2007年05月03日(木) |
あれば便利かもしれないけど |
少し前、新聞の投稿欄に中学生か高校生の文が載った。 三月半ばから首都圏で運用が始まったPASMOが、好評すぎて数が間に合わなくなり、しばらく定期券用のみの販売になってしまったことに関してだった。 彼だか彼女だかはこんなに便利なのに、利用できないのは社会的損失だから早く再会してほしいと切々と訴える。 便利=善、不便=悪という単純明快な溌剌とした若々しい弾力に溢れた論理が眩しい。 きっとこの子には、老いも若きも皆PASMOを持って、颯爽と行き交う明るい未来ばかりが見えるのだろう。 でも実際には単純に便利がよいというものじゃない。自由で便利、いつでもどこでも、と広がっていった携帯電話が今どうなっている? 列車内や車の運転中の通話、犯罪に巻き込まれる子ども。あの夢のようだった、キラキラしていた鉄腕アトムの時代が自分の手の中に納まったというのに、意外とリスクが重い。 PASMOに戻って、私自身もつい最近、ハッとした事があった。 都心に出かけた帰り道、都心のことだから帰宅のルートは無数にある。東京メトロに乗っていた私は、私鉄本線沿線の自宅に帰るのに当初、「Sい」駅で同じ私鉄の支線に乗り換え、更に本線と交わるM駅で本線に乗り換えるつもりだった。 でもふと、それでは座って帰れないのではないか? と気がつき(苦笑)、メトロを「Sい」で降りたらJRに乗り換えて私鉄本線始発駅の「Sろ」駅まで行き、そこから一本で帰るのはどうだろうと考えた。乗り換えは件のPASMOなので、いちいち切符を買う手間はない。 でもそこで更に気がついた。いくら乗換えが簡単になって改札to改札になったからといって、運賃が割り引かれたりタダになるわけじゃない。ちゃんとPASMOの中から差っ引かれている訳ですよ、奥さん? 我に帰って私は、始めの計画通り「Sい」駅で支線、M駅で本線に乗り換えて帰った。
PASMOは『無くちゃ困るもの』ではなく『あれば便利』のひとつに過ぎないと思う。そして『あれば便利』って言うものは、案外持て余されるものだ。私は私鉄を通勤に使っているので早い段階で切り替えていたけど、『便利に使われる』こと無く、こちらでちゃんとコントロールして使っていきたい。
私も投稿者の年だったらきっと同じことを考えていたと思う。少々年を食ってしまったかなと少々寂しいけど、気づいてよかったと思ってもいる。 君に、ありがとう……
時節です。 本屋、しかも学校相手の外商ともなると教科書販売で大わらわな日々です。 普段は内勤事務の私も、今日は現場に借り出されました。 応援に行ったのは職業能力開発センター(旧職業訓練校)。 そういうところですから生徒さんの幅がすごく広い。いかにもバリ伝かイニDか、みたいな自動車コースのお兄さん方から、庭師を目指すリタイア組(渡鬼にそういう登場人物いましたよね・笑)まで。
でもね、教科書なんですから。日取りも金額もわかってるんですから。 その場でお財布まさぐるとか、『お金下ろしてくるの忘れました。どうしたらいいですか』は止めましょうよ(^_^;) (職訓にも個性があって、ちゃんと耳をそろえたお足を握り締めて列を成す学校もあるそうです) かく言う私も新学期。娘の教材費には気をつけないと。
ともあれ、大変有意義な経験をさせていただきました。 今日という日々に、有難うございます。
池田晶子さんが亡くなりました(2月23日)。 この方は「31歳がん漂流」の奥山貴宏さんを評した文が物議を醸したことがありました。私の「がん漂流」のレビューではあえて触れませんでしたが、当時は読んだ感じ、奥山さん本人と会われたことも、著作を読んだこともないのに書いた文章ではないかと思える、あまり読後感のよくないものでした。 その池田さんが奥山さんと同じ病で逝ってしまった。 でも池田さんも最期まできちんとお仕事されていたそうです。 今にしてお二人は似たもの同士ではなかったか、だからこそ池田さんは奥山さんに反発にも似たものを感じ、ああいった文になったのではないかとちらと思うと、多少の澱を胸に感じてしまう訃報でした。
今日もこの拙い文を読んでくださって、ありがとうございます。皆さんに、百万の感謝を。
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