月曜お昼頃、客先から一旦戻った所長に 「金曜、お願いしていた仕事忘れてませんか」 と言われました。 記憶はないので、メモとも日誌ともつかないものを書き留めているノートを見ましたが、何も書いていません。 私は前の会社で痛い思いをしてますから、メモは極力取るようにしています。指示がメモで渡されれば、そのノートに貼り付けます。 それが記憶も記録もないとなると、恐らくは雑談に紛れて指示と受け止めなかったか、 若しくは指示した側が言ったつもりになってしまっているかだと思うのです。 「社員の言うことをきちんとやって貰わないと……」 と、「社員」と言う一種の権威まで出てきました。 どことなく刺さったので (じゃ、雑談までメモってやろうじゃないの) と意気込み、次の機会にペンを取ったら今度は 「あ、メモはいいです」 ですって……でもメモるけど(ちょっと怒)。 間違いなく指示だったから、コケてから突っ込まれても嫌なんで。
因みに社員はもう一人いますが、バイトが二人になってオーバーフローが解消されてからは、その方とは特に目立つトラブルはありません(魔笑)。
ま、ちょっと気は使うけど、「過ぎてみれば」だろうし、過ぎるのもあっと言う間でしょうから、コツコツメモしながら報告連絡相談しながらやるだけです。
合掌
横断歩道じゃないとこ渡ろうとして車が切れるの待ってたら、逆に車に譲られた。
最後の一台に。
合掌( ̄人 ̄;)
私ってつくづく自信がないんだなぁ いつも一生懸命やっている。でも。何かどこかしら得体の知れない不安が付きまとって、一生懸命やっている「つもり」としか言えない。
職場で時折、仕事が遅い、ミスが多いと言われる。前の会社のときと同じフレーズ。 それだけでも充分萎縮ものなのに、日報。今度はどのタイミングでそのフレーズが出るか、監視されてるような、ものすごい負担。 日報はざっくでいいと言われてる。ノルマはもちろん書き出すけど書ききれない細かいこともいっぱいしている。クルクルと、何かしらしている。はず。 でも文字は絶対だから。 「サボってなんかない。書ききれないこと、忘れてしまうような些細なこと沢山しているんです。行間を読んでください」 嗚呼嗚呼嗚呼、そう胸を張って言えたらどんなにいいことかorz きっとそういう不安やオドオドが透けて相手方の眼鏡を曇らせてるんだろうな、とは思うのだけど。 幸田文の文にもあった。
今日は我ながらおいしそうにお茶がはいった、というときはすっと部屋にはいれ、すっと茶碗が出せ、すっと引上げてこられる。部屋を出るときちらりとみると、父はもう茶碗を手にとり、目だけは本へいっている。(後略) 今のこのメンバーで、そういう境地になれる日は来るのだろうか。 嗚呼……
合掌orz
4月12日朝日新聞生活面 『くらし考−富田玲子さんと』
技術を駆使した超高層でも、貧しい空間が積み重なってできているのなら、それを豊かさと呼べるでしょうか。
この間娘が中学に入学した。おめでとう。 それはそれでよいのだけれど もう私、入学式の会場ではらわた煮えくり返った。 それは私の斜め少し前に座っていた人。新入生保護者席だから、関係者なんだろう。 男性だけど異様に若かったから、もしかしたらカメラマン要員のお兄さんか? でも。写真なんか撮らずに一心不乱にPSP。 受付から式開始まで……いやいや、式半ばまで! しかも入学式と言う改まった席にもかかわらず、洗いざらしのだぼだぼのシャツにジーンズ。まったくもって普段着。 もうワタクシいつ暴れてしまうかと。 どのタイミングで今履いているこのスリッパでそいつの頭叩いてやろうかと。 もうずっと思ってました。
「いつでもどこでも」は、今の世の中美徳のように言われて(考えられて)いる。 でも本当にそうなんだろうか。 けじめとかTPO、もっと真っ平らに言って「していい時(事)」「しちゃいけない時(事)」ってやっぱりあるし、なくちゃならないと思う。 OFF & ON 幸せばかりじゃ幸せのありがたみがわからなくなる。 晴れがあって曇りがある。 昼があって夜がある。 神様だって二つの山の間に谷を作らずにはいられない……って言うのはレイチェル=リンド婦人だっけ。あ、少しずれてきた。 とりあえず、私は弁えられるヒトになりたい。
合掌
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