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2005年06月14日(火) ■ |
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Vol.580 気持ちの切り替え |
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おはようございます。りょうちんです。
先月あたりから、俺はえらくあわただしい毎日が続いている。仕事はもちろん相変わらず忙しいのだが、それ以上にプライベートでばたばたした日々の連続だ。仕事がとびきり忙しかったGWが終わったらそのすぐあとに相方の引っ越しがあり、月末には家族旅行、そして先日は愛・地球博へ行ってきた。約1ヶ月の間にこんなにもいろんなイベントが重なると、さすがの俺でもキツいと感じてしまう。 引っ越しも家族旅行も愛・地球博も、俺特有の行き当たりばったりのイベントではなかった。前もって計画は立ててあったにもかかわらず、どうしても日程的に譲れないところもあったりで、GWが明けたらあわただしくなるだろうと予測はしていたのだが。実際は予測以上にハードな日々だと感じている。 いや、これらのイベントが、けしてつらくイヤなものだと感じているのではない。むしろ、楽しくて楽しくて仕方ないのだ。でも楽しくて仕方がない分その楽しみを徹底させたいと思うのに、あまりのあわただしさにすべてが中途半端になっている気がするのだ。つまり、ひとつのイベントが終わると次のイベントがすぐ目の前にもうやってきているから、俺の中で気持ちの切り替えが間に合わないのだ。例えば引っ越しの荷物がまだ片付いてないのに、家族旅行の計画ですでに頭はいっぱいだった。家族旅行から帰ってきたら今度は愛・地球博の気分に気持ちを切り替えなきゃいけないのに、家族旅行の余韻に浸ったままなかなか抜け出せないでいた。ホントはそれぞれのイベントを最初から最後までもっと十分に楽しみたいのに、中途半端なまま次へと気持ちを切り替えなくてはならないようで、どうももったいないと思ってしまうのだ。俺は簡単に気持ちの切り替えができるほど、器用じゃない。 暇で暇で何もやることがないよりは、次から次へといろんな出来事を経験していく方が俺は好きだ。でも、それにも限度がある。全速力で駆け抜けるばかりではなく、もう少しスピードを落として自分のペースで進んでいきたい。なんて言っても、次に企んでいるイベントはすぐそこですでに待っている。夏は、もうすぐだ。
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2005年06月12日(日) ■ |
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Vol.579 万博とは |
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おはようございます。りょうちんです。
愛・地球博に行ってきた。この企画、名古屋出身の相方に誘われて、去年からずっと計画していたのだ。とは言うものの、万博とはどんなイベントなのかさっぱり見当がつかなかった俺。中学生の時に隣の茨城県で開催されたつくば博にも、俺は行かなかったし。今年に入って日に日に愛・地球博が話題になってはきたが、それでもいったいどんなものなのか予想もできないまま俺らは愛知へと向かった。 まるまる2日間、広すぎる会場をあちこち見て回る。インターネットで事前に予約を入れていたため、360分待ちだなんて信じられないほどに大行列が出ているパビリオンも楽勝に入ることができた。待つこともほとんどしないまま、世界各国のパビリオンも企業館もスムーズに見て歩く。当選確率が4%だと言われてあきらめかけていた「サツキとメイの家」も、運良く当たっちゃったし。開園から閉園まで、俺らは歩き回り時にはかけずり回り、いくつものパビリオンを楽しんだ。2日間フルにそんなことをしてても、結局は回りきれなかったところもあるし。てか広すぎるよ、長久手会場。 で、結論。万博ってどんなものなのか全然見当がつかなかった俺が、実際に愛・地球博を訪れてわかったこと。万博とは、万国博覧会というように、世界各国の文化や特色を楽しみながら勉強できるイベント。世界旅行なんて時間的にも経済的にも到底無理だから、万博に来て世界中のいろんな国のことをもっと知りましょうよ、みたいな趣旨のお祭りなんだと俺は思った。今回の愛・地球博は「自然の叡智」がメインテーマだから、地球にやさしいとかエコロジーとかそういうコンセプトのパビリオンが多かったけど、名前しか聞いたことのないような国のことをそういう一面からでも知ることができたのはとても興味深かった。 本物のモリゾーとキッコロには最後まで会えなかったけど、今年の目標である「CLEAN大作戦」を展開中の俺にはナイスなイベントだったかも。エコを心がけるモチベーション、さらに上がったもんね。それにしても、疲れた2日間だったなぁ。
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2005年06月05日(日) ■ |
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Vol.578 自己満足の親孝行 |
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おはようございます。りょうちんです。
家族旅行に行ってきた。俺、弟たち、弟の奥さん、それに両親の計7人。大きなワゴン車に乗って、俺たちが両親に旅行を招待したのだ。母の病気が良くなったらみんなで旅行に行こうという口約束が、春になった頃から本格的に準備に入り、ついに実行されたというわけだ。海が見たいとか、きれいな花が見たいとか、おいしいものが食べたいとか、水族館に行きたいとか、関東から脱出したいとか、温泉に入りたいとか、みんなからのリクエストを全部考慮してさんざん悩んであげく。俺らを乗せた車は、福島県のいわき市へと走り出した。 入梅間近の鉛色の空も、北へ進むにつれてだんだんと青空に変わっていく。予報はしっかり雨だったけど、2日間なんとか降らずにもってくれた。久しぶりの家族水入らずで、最初から最後まで俺らはずっとテンションが上がりっぱなし。足の不自由な母がいるため無理な行動はできなかったけれど、ゆっくりのんびりといろんな場所を観光して見て回った。 熱帯植物園で花を見たり、おいしい魚介類に舌鼓を打ったり、小名浜の海を眺めたり、磯遊びに夢中になったり、温泉に浸かって太平洋を一望したり、ちくわ作りを体験したり、かまぼこ工場を見学したり、魚市場でおみやげを迷ったり、水族館で魚を観察したり。そのすべてが楽しくて、俺はずっとはしゃいでばかりだった。 帰りの車中は、みんなもうへとへとだった。普段は家でおとなしくしている母も、母の横でずっと面倒を見ていた父も、相当疲れちゃったに違いない。結局は、俺がいちばん楽しんじゃった旅行だったようだ。それなのに、ふたりは俺らに「ありがとう」と言ってくれた。本当はいつものように家でゆっくりしている方が良かったのかも、余計な遠出をして疲れさせちゃったのかもなんて一瞬だけ不安になったけど。たとえ今回の旅行が俺の自己満足の親孝行だったとしても、いつかはきっとステキな思い出に変わっていくと信じている。父と母を見て、改めて俺はふたりをこれからもずっと大切にしていこうとココロに誓った。
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2005年05月26日(木) ■ |
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Vol.577 困った忘れ物 |
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おはようございます。りょうちんです。
ご来店されたお客様が店内に忘れ物をされることはよくある出来事。傘の忘れ物なんてしょっちゅうだしそんなのはいちいち引取りに来ないお客様も多くて、だからすぐにバックルームには置き傘が溜まっていく。財布や鍵を忘れたまま帰っちゃう人もいて、あとから問い合わせの電話があわててかかってきたりすることもある。 でも今までには、なぜにこんなものを忘れていっちゃたんだろうとびっくりするのと同時に、俺としては困ってしまう忘れ物もあったりする。まずは入れ歯。きれいに紙に包まれた入れ歯が、いすの上にポンと置き忘れてあったのだ。当然ながら入れ歯ってその人専用のものだし、意外と高価だと聞く。でもこの忘れ物はあとで持ち主がちゃんと引き取りに来たから一件落着したんだけど。もっと不可解だったのは、脱ぎ捨てたジーンズ。このお客様は、ズボンを履かないで帰ったのだろうか。今でも取りに来ないところを見ると、きっとパンツ姿で帰ったに違いない。 さて先日、これらの忘れ物に匹敵する困った忘れ物が置き去りにされた。ビニール袋に入ったビデオテープ。市販のビデオテープを編集したものらしく、一見どんな映像が収められてるかわからないが、「及川奈央大全集」とか「××FUCK」なんてタイトルのラベルが貼ってあって、これは明らかにエッチビデオだと判明した。こんな忘れ物、仮に引き取りに来たくても誰だって恥ずかしくて来られないだろ。 この忘れ物を見つけた女子高生のUちゃんは、もうきゃあきゃあ大騒ぎ。「取りにこなかったらどうするんですか?」なんて、エッチビデオの行方に興味津々。結局数日間は店に置いといたが、やっぱり引き取りに来る気配はないようだ。処分するしかないかと考えはじめていた俺は、たまたまそこにやってきた大学生のAくんに「欲しかったら持ってっていいよ!」と言うと、突然彼の目が輝き出した。「マジすか?」と言いつつも、かばんにビデオテープを詰め込む彼。こうしてエッチビデオの行方は無事にAくんの元へ渡っていくことになった。よし、Aくん、エッチビデオを見た感想をレポートにして提出すること! 来週までに10枚以上、厳守な!
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2005年05月23日(月) ■ |
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Vol.576 日本語の難しさ |
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おはようございます。りょうちんです。
パートのAさんは結婚するまでの間、ずっと台湾で暮らしていた。ダンナさんも日本人だし結婚して20年近く日本で暮らしているので、日本語はペラペラだ。ごくたまにイントネーションがおかしかったり変にまちがったコトバの使い方だったりすることはあっても、他の人との意思疎通にはことかかない。むしろそれが彼女の個性にも取れるし、突然難しい慣用句や熟語を言ったりすることもあったりで、彼女の日本語力にはつくづく感心していた。 そんな彼女とお客様の間で、ちょっとしたトラブルが起こってしまった。発端はささいなことなのだが、その説明をするのに彼女のコトバが「いいわけ」に聞こえてしまったらしいのだ。彼女の精一杯の日本語力で懸命にコトバを伝えても、話せば話すだけお客様はご立腹し自分は不利な立場になる。日本語の難しさを痛感した彼女は、もどかしさのあまりついに泣き出してしまった。お客様とのやり取りがうまくいかず悔しかったのか、自分の日本語力の未熟さが悔しかったのか、涙を流した理由は両方にあるのだろう。「コトバではなく、お客様には気持ちを伝えてあげてくださいね」と俺は言ったけど、彼女の精一杯の努力は認めてあげたかった。 その後俺は改めてお客様の元へとうかがい、コトバの行き違いからうまくコミュニケーションが取れなくて不愉快な思いをさせてしまったことについて、再度謝罪して頭を下げた。長い時間こんこんとお説教されたが、「どうせあの人、日本人じゃないんでしょ?」と言い捨てたお客様のひとことが、俺のココロを傷つけた。 うちの店にはAさんのような人もいれば、ドイツ人とのハーフもいる。以前は海外からの留学生も働いていた。一応接客をする仕事なので、日常生活で不都合がない程度の日本語を話せることが条件だが、それさえクリアできていれば誰だってかまわない。目や肌がどんな色だって国籍がどこだって、一生懸命仕事をしてくれるのならばそんなの関係ないのだから。たまたま今回はこういうトラブルが起こってしまったけれど、俺はこのやり方を今後も貫いていこうと思っている。
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2005年05月22日(日) ■ |
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Vol.575 さよなら、俺のポンコツカー |
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おはようございます。りょうちんです。
GWが明けたある晴れた日、いつものように俺は軽快に車に乗っていた。夕方の風が少し冷たくなったと感じたので窓を閉めようと思い、パワーウィンドのボタンを押して半分くらいまで窓が閉まった時に異変は起きた。大きな音とともに、ふと見るとあるべきはずの窓がそこにないのだ。一瞬俺は外に窓が飛んでいっちゃったのかと思いびびったがそうではなく、ドアの隙間に窓枠が落っこちちゃったようだ。あとはパワーウィンドの空回りする音だけが、むなしく響いている。 俺の車は確かにぼろい。今年で13年目の平成4年車、走行距離も13万kmに手が届くくらいの年代ものだから、あちこちにガタが来ている。今までにもライトが点かなくなったりワイパーが取れちゃったりしたこともあったのだが、なんとか修理を重ねて今まで乗ってきた。でも窓が取れちゃったなんて聞いたことない。いくらなんでもぼろすぎる。俺は車に詳しい弟にあわてて電話して、急いで直してもらえるようお願いをしたのだが。パワーウィンドと窓を押し上げる部品の歯車が噛み合わなくなっているとかで、直すにはお金も時間もずいぶんかかると言われてしまった。 さらに数日後。ボンネット下から茶色い液体が大量に漏れ出した。どこのオイルかわからないが、弟に再び見てもらうとガスケットが抜けちゃったんだそうで、このまま走ってるとエンジンから火が出るよなんて言われる始末。これも修理にかなりのお金と時間が必要とかで、ついに俺はこの車と決別することを決めたのだった。 どっちにしろ車検は夏で切れるのでそれまで乗ったら別のに乗り換えようと思ってたからいいんだけど、やっぱり3年も乗ってたら愛着は涌くわけで。この車でいろんなところに行ったよななんて感傷に浸ったり。廃車はいよいよ明日。さよなら、俺のポンコツカー。この車がいなくなると同時に、また別の車が俺の元へとやってくる。代わりに来る車も、またしてもポンコツ。でもそれでいいんだ。俺、高くてかっこいい車になんかには憧れない。キズがあったりガタが来てたり、そういう方が俺に似て親しみを感じれるんだからね。
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2005年05月19日(木) ■ |
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Vol.574 楽しいお引っ越し |
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おはようございます。りょうちんです。
問題。10リットルの水が入る容器に、7リットルの水が入っています。そこに6リットルの水を足すと、どうなりますか? 答えは簡単、3リットル分の水があふれてしまう。今の俺の部屋は、まさにこの状態にある。今日は相方の引っ越し。もともと少なくはない俺の荷物があるこの部屋に、相方の荷物が大量にやってきた。 引っ越し屋さんが来るまでは整理が終わらないかもとあせりながら作業をしていたため、ふたりとも荷物の量までは頭が回らなかったのだが。梱包が終わりはっと我に返ると、20箱以上ものダンボールの山ができていた。必要ないものはできる限り処分したにもかかわらず、さらに冷蔵庫や大きなたんすなども運ぶ予定でいたから、こんな大荷物がはたして俺の部屋に全部入りきるのかとても心配になった。 トラックいっぱいに積んだ荷物は、相方の都内の家から俺の住む千葉の部屋へと運ばれた。玄関まで引っ越し屋のおじさんに持ってきてもらい、そこからは俺が部屋の中へと運び込む。入り切らないかもという不安を抱いて、俺はまるでテトリスのように隙間を見つけては荷物を詰めていった。その甲斐あってか、なんとか荷物は奇跡的に全部部屋に入れることができた。だが、荷物の山は天井に届きそうなくらいにまで高く積みあげられ、奥のTVが置いてある部屋は足を踏み入れる隙間もないほど狭く圧迫感も感じる。手前のパソコンの部屋はかろうじてスペースがあるものの、今夜はどこに眠ればいいのだろうかという状態。お互い、荷物多過ぎだよ。 引っ越し屋さんが帰ったあとは、今度は部屋の片付け。またしてもパズルを組み立てるようにダンボールをあちこちに何度も移動させながら、配置を考えてゆく。気がつけば外は日もすっかりと暮れて、ごはんを食べるのも忘れるほどに没頭していた俺ら。それでも最後にはなんとかベッドまで組み立てることができ、今夜の寝床は確保できたようだ。片付けはまだ10分の1も終わってないし、朝からずっとカラダを動かして疲れたけれど。でも今日はなんだか楽しいお引っ越しだった。引っ越しはめんどうだなんて思ってたけれど、実は意外と楽しいものなのかもしれない。
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2005年05月18日(水) ■ |
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Vol.573 好きになった街 |
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おはようございます。りょうちんです。
いよいよ明日は相方の引っ越し。当初の予定では先週のうちに引っ越しをする予定だったのに、荷物の整理やら片付けの見通しが立たずに今週に延期。そうやってわざわざ日程をずらしたのにもかかわらず、まだ自分の家の片付けも終わらないままタイムリミットはやってきてしまった。そういうわけで今夜、俺は相方の家で最後の荷物をまとめている。 相方の家に初めてやってきたのは、付き合い始めたばかりの2年前の正月。あれから何度も俺はこの家に来るために、この街を訪れ、最寄りの地下鉄を降りた。田舎でのんびりとしている俺の地元とは違って、都会の真ん中にあるこの街は来るたびに風景を変え、常にあわただしく変わりゆくように感じた。それでも何度もこの場所を訪れているうちに、俺はいつのまにかこの街を好きになっていたようだ。地下鉄の長いエスカレーターも、坂のカーブのところにある病院の大きな桜の木も、路地から見上げると見えるきれいな真夜中の超高層ビルの光も。いつのまにか、俺の好きな風景になっていた。今夜限りでこの街に来ることもそんなにないんだななんて考えたら、ほんのちょっとだけ切ない気持ちになった。さよなら、好きになった街。 しょっちゅう訪れていた沖縄料理屋さんに、ふたりで夕食を食べに行った。いつも注文するタコライスと沖縄そばをオーダーしたあとで、この店にもなかなか来れなくなるねなんて話をした。そんなことを知るはずもない店員のお姉さんは、いつもと同じ笑顔で料理を運んでくれた。タコライスも沖縄そばも、相変わらずとてもおいしかった。 相方も俺も、この街でやり残したことがないわけじゃない。だからまたいつの日か、この街を訪れたいと思っている。めまぐるしく変わりゆく都会の街だけど、あの頃が懐かしいと思える時がきっと来るに違いない。 さて、休憩は終わり。そろそろ荷物の整理の続き、はじめなくっちゃ。
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2005年05月15日(日) ■ |
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Vol.572 センチメンタルの原因 |
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おはようございます。りょうちんです。
めずらしく電車で通勤をした日の帰り道。改札を抜けるとタイミング良く快速がやってきて、混み合う電車に俺は飛び乗った。仕事のあとの疲れたカラダをつり革に預けて、ぼんやりと流れていく外の景色を眺めていたその時。ふいに肩を叩かれ振り向くと、高校時代の友人Dくんがあの頃と同じ笑顔でそこに立っていた。 予期せぬ突然の再会に俺は動揺を隠せなかったが、それでもふたりは仕事の話や高校時代の懐かしい話で盛り上がった。やがてだんだんと話題は同級生の話になっていった。Dくんとは3年の時は別のクラスだったので、お互いに消息を知らない同級生の今をいろいろと教え合えたのだが。Yくんも、Tくんも、Sくんも、Uくんも。話に出てくる同級生すべてがすでにみんな結婚していて、俺は驚きを隠せなかった。Yくんなんて高校時代はあんなに寡黙で硬派でカッコ良かったのに、アメリカ人の奥さんをもらって今は3人のお子さんと海外で暮らしているなんて聞いて、俺はあまりにびっくりしてひっくり返ってしまいそうだった。そして何よりもショックだったのは、Dくん本人もすでに結婚していて、2人のお子さんのパパなんだということ。下の女の子は3歳、上の女の子は今年小学校に入学したんだそうだ。 友人が結婚したとか子どもが生まれたとか、33歳にもなればけしてめずらしくはない。気がつけば、俺も含めて結婚をしてない方が少数派になってしまった。今までにも何度も友人の結婚や出産の話を聞いて驚いてきたのだけれど。でもどうしてだろう、今回ばかりはそんな友人のおめでたい話を聞いて、祝福の気持ちは確かにあったのだが、その裏側で胸が久しぶりにキュンと切なくなってしまったのだ。 Dくんとは、高校卒業後も何度か会うことがあった。でも短い時間だったが、こうやってふたりだけでじっくり話すことは今までなかった。だからその分話したいこともたくさんあったし、知らなかったことも教え合えたんだけど。俺のセンチメンタルの原因は、もしかしたらあの頃密かに憧れていたDくんも、すっかり大人になってしまったということなのかもしれない。
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2005年05月09日(月) ■ |
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Vol.571 母の寿命 |
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おはようございます。りょうちんです。
昨日は母の日。電話で母と話をしたにもかかわらず、要件だけを告げるとさっさと電話を切ってしまった俺。母の日の存在を忘れていたわけじゃなかったのに、素直に感謝の気持ちを言うなんてなんだかやっぱりちょっと照れくさい。 母の寿命がそう長くはないと知ったのは、ひょんなことだった。俺が健康診断でひっかかり母と同じ病院で再検査をすることになった際、たまたま診てもらったのが母の担当医だった。その時、なにげに言った先生のひとこと。「あなたのお母さんもあと10年持てば良い方なんだから…」。先生はきっと、「今のままの食生活をしていると、あなたも母親と同じ病気になっちゃうから気をつけなさい!」という意味で言ったのだろうが。俺は自分の診断よりも、母があと数年しか生きられないだろうと宣告されたことの方がよっぽどショックだった。 いや、今思い返してみれば。何かの拍子に、母が「私もあと何年生きられるかわからない…」と口にしているのを何度か聞いたことがある。でもそんなの、俺はずっと冗談だと思っていた。大病を患った母の、悪意のない脅しだと勝手に決めつけていた。母が言っても信じなかったコトバを、母の担当医が言って初めてそれが本当なんだと気がつくなんて。 母は今、実家で穏やかに暮らしている。好きなガーデニングをしたりして、のんびり毎日を過ごしている。病後の経過はいたって順調で、このままどんどん元気になっていくように見えるのだが。突然の発作で次に倒れた時は、母の命はそこで途絶えてしまう可能性が高いのだそうだ。それがいつなのかはわからない。10年先かもしれないし、もしかしたら明日かもしれない。でもきっとあと数年のうちには、その日がやってくるだろうと覚悟しておかなければならないのだ。 さぁ、今のうちに母との思い出をもっともっと作らなくちゃ。俺はさっそく今月末に、家族全員が集まって旅行に行く計画を立てた。希望通り、海の近くで花も見れておいしいものも食べられるステキなところだ。母の喜ぶ顔を、早く見てみたい。
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