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2005年07月19日(火) ■ |
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Vol.590 ゴキブリの存在 |
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おはようございます。りょうちんです。
いきつけのパスタ屋さんがある。季節ごとに変わる旬の食材を取り入れたパスタは毎回当たりはずれがなくて、ものすごくおいしい割には値段もリーズナブル。一緒についてくる焼きたてのバケットも極上に絶品な上に、何よりも上品だが気取っているわけでもない温かいお店の雰囲気がとても居心地が良い。何かにつけて俺と相方はそのパスタ屋さんに行って食事をする。それだけお気に入りの場所なのだ。 先日も俺らは、例のパスタ屋さんを訪れた。休日の夜、とても混み合う時間。活気あふれる満席のフロアに通された俺らは、いつものように楽しく食事をはじめた。食事も終盤にさしかかった頃だろうか。事件は起きた。相方の動きが一瞬止まる。目線は、向き合っている俺を通り越してその後方に注がれたまま。不思議に思った俺も振り返り目をやると、そこにはうごめく黒い物体が。明らかにそれは、この場にいるのが最もふさわしくないゴキブリ。しかもファミリーサイズのでかいヤツ。黒い物体は、柱を上下に元気に動き回っている。ゴキブリの存在に気づいているのは俺らだけのようだが、俺は相方と目で合図してどうするべきか一瞬考えた。 「ゴキブリ!」と店内に響く大きな声を出すべきか。例えばゴキブリが心底嫌いな人だったら、無意識のうちに悲鳴を上げてそう叫んでしまうかもしれない。でも、客席は満席。ここで大声をあげたら店内はパニックになるだろう。それならクレームとして店員さんにこっそり申し出るべきか。でもここは大のお気に入りのパスタ屋さんである。クレームを出してしまったら、再びここに来づらくなってしまわないだろうか。俺らが考えあぐねて黙って見ている間もゴキブリは活発に動き回り、今にも他のお客さんに見つかってしまいそうでずっとヒヤヒヤしていた。 幸にも、次の発見者は店員さんだった。彼はほうきを持ってあわてて飛んできたが、その時にはすでにゴキブリはどこかに姿を消してしまっていた。結局ドキドキしたのは俺らだけで、一件落着に落ち着いた店内はその後はなにごともなかったかのように振る舞われた。でも俺らは知っている、ゴキブリが確かにいたことを。
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2005年07月10日(日) ■ |
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Vol.589 平成の大合併 |
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おはようございます。りょうちんです。
自分の出身地を聞かれた時、その市町村名をちゃんと胸を張って言えますか? 例えば出身地が大都市だったり結構名前の知れた都市ならば、聞いた方も何県にあって何が有名でとかすぐにわかってもらえると思うけれど、知名度も低いマイナーな小さな村が出身地だったりすると、いちいち場所や名産品や名物を説明しなくてはならない。そんな理由からかちょっと前までは、市出身の人に比べて村や町出身の人たちはあまり胸を張って出身地を言えない風潮にあったと俺は思っていた。 現在、平成の大合併が頻繁におこなわれている。各地の自治体で合併や吸収が進められ、市町村の数もどんどん減っている。さまざまな問題解決の手段として政策が進められるのは良いことかもしれないが、でもやり過ぎだと思うところもある。 どの地域にも、それぞれ特色がある。その土地のカラーや独特の風土や風習があり、それがその土地の個性になっている。そこから生み出される名物もあれば有名な観光地もあって、そうやってその土地の色を主張しているのだ。しかしこの平成の大合併により、その色がどんどん曖昧になってきているように俺は感じている。場所が近いからといって、各市町村が持っているカラーが全く同じとは限らない。だからある地名を聞いてその場所の特色を思い浮かべても、実際には大合併でそこからかなり遠く離れた場所だったりすると、考えていたその土地のカラーが全然違ったものだったりすることもあるのだ。これからはそういう固定観念を捨て、その場所の新しいカラーを植え付けていく必要があるのかもしれない。 また合併により各市町村の名前も変わり、それがとてつもなくセンスのないネーミングだったりすることもある。聞きなれない市の名前を言われても、それがどこなのかまだピンと来ないところが多いのだ。そういうことも含めて、昔はマイナーな村や町が出身だということに気が引けた人も、今はどんどん減っている村や町が出身だという方が逆に貴重でかっこいいと聞こえてしまう俺なのだ。 さぁ、あなたは自分の出身地を胸を張って言えますか?
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2005年07月06日(水) ■ |
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Vol.588 日本でいちばん高い場所 |
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おはようございます。りょうちんです。
21歳の夏、俺は富士山に登った。その2年前、富士五湖ひとつである河口湖でキャンプをした俺らは、湖越しにそびえる富士山を見上げ、「今度は日本一高い場所をめざしたいね〜」なんて誰かが何気に言ったコトバを実現させることにしたのだ。 山頂をめざす友人の中に、登山経験者は誰ひとりいなかった。頼りにしたのは直前に買ったガイドブックだけ。そしてそこに載っていた「ハイキング気分で富士登山を楽しもう!」なんてコトバを鵜呑みにしたのが、大間違いだった。はしゃぎながら早朝に山中湖に着いた俺らは、最初にボートに乗る。誰がいちばん早く漕げるか競争してへとへとになったあと、次はサイクリング。アップダウンの続く道を、夏のひざしを浴びながら湖畔を一周。メインは富士登山なのに、この段階ですでに疲れ切ったカラダのまま、ようやく昼過ぎに俺らは5合目から登りはじめた。 登山開始数分後、予想以上の急勾配に驚く俺ら。最初は「結構キツいよね〜」なんてコトバも、登るに連れて無口になっていく。いつしか俺らは話をする余裕さえ忘れ、黙々と急傾斜を進んでいった。「俺らは若いからこんなのいらないよ〜」なんて言いつつも、登山道入り口でみんなで記念に買った杖。この杖が身を支え、どれだけ助かったことか。睡眠不足と山中湖での無茶が追い討ちをかけて、この登山がどんなに厳しかった部活の特訓よりもキツく感じた。薄くなっていく空気の中でぼんやりと思うのは、ガイドブックに書いてあった「ハイキング気分」だなんてあきらかにうそっぱちだということだった。 予定よりも大幅に遅れ、すっかり日も暮れてから俺らは8合5勺の山小屋に着く。疲れたカラダはすぐに泥のように眠りに落ちた。翌朝、雲間からの御来光はすばらしくきれいだった。そしてそこからさらに数時間かけてたどり着いた頂上。達成感はこの上ないもので、想像以上の感動と満足を俺らは噛み締めたのだった。 あれから12年。そして俺はこの夏、再び富士登山を企んでいる。日本でいちばん高い場所に、俺はあの日と同じように立つことができるのだろうか。
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2005年07月01日(金) ■ |
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Vol.587 アクシデントを乗り越えて |
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おはようございます。りょうちんです。
俺がマラソンをしている間、何度もケータイが鳴っていたようだ。帰ってきたらすぐにシャワーを浴びて走り疲れたカラダを癒そうと思ってたのに、誰か俺に急用があるに違いない。着信履歴を見ると、そのすべてが高校生バイトのIさんからだった。留守電に残されたメッセージは、「とんでもないことをしてしまいました、すみません!」という泣きそうな声。これは何か一大事があったのだろう。俺は折り返しIさんに電話をかけた。ワンコールもしないで電話に出た彼女に理由を聞いてみると、どうやら預けておいた店の鍵をなくしてしまったとのことだった。 Iさんはバイトをはじめてまもなく1年になる。部活とバイトを上手に両立させているがんばり屋さんだ。そんな彼女に店の鍵を預けたのは、まだ1ヶ月前。放課後は部活があるし早起きは得意だという彼女に、店をオープンさせるという朝の大事な仕事を任せることにしたのだ。誰もいない早朝の店にいちばん先にやってきて、裏口の鍵を開けて店内に入り、ひとりで準備をはじめる。彼女が来なければその日の仕事の予定はすべて狂ってしまうし、営業自体できなくなるかもしれない。それだけ重要な仕事なのだ。学校がない週末を中心に、彼女の仕事もだんだん慣れてきた頃だったのに、仕事に必要な鍵をなくしてしまったという。 そういや彼女に鍵を渡す時、「これは店の大切な鍵だから、どんなことがあっても絶対になくさないでね!」と何度も念を押した俺。そのコトバが頭をかすめ、店や俺にとてつもない迷惑をかけてしまったと思ったのだろう。確かに鍵をなくしたらかなり面倒なことにはなるが、でも泣きべそをかきながら謝る彼女の声を聞いて、俺は怒ることなんて最初から最後までできなかった。 数日後、無事鍵は発見され彼女の元へ戻ってきた。俺は彼女のことをまったく咎めなかったけど、彼女は相当反省したようだ。これでもう二度と鍵をなくすことはないだろう。そうやっていろんなハプニングやアクシデントを乗り越えて、バイトくんたちは育っていくものだ。Iさんもこの一件で、さらにたくましくなったかな。
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2005年06月30日(木) ■ |
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Vol.586 ブライダルフェアに憧れる |
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おはようございます。りょうちんです。
結婚1周年を迎えた弟夫婦の元に、結婚式を挙げたホテルから食事の招待券が送られてきたそうだ。フランス料理のフルコースを腹いっぱい食べてとっても良かったよ、なんて言う弟をちょっとだけうらやましく思った俺。そんなおいしい思いができるのは結婚式を挙げた人だけの特権なのかもしれない、と俺は考えていた。 しかし、そうとは限らないらしいということが判明した。目をつけたのは、いろんなホテルでおこなわれているブライダルフェア。モデルさんがおこなう模擬結婚式に、俺も参加してみようと企んでみた。弟の話では、ブライダルフェアの模擬披露宴で出される料理を無料で試食できるホテルもあるらしい。帰りには記念品をもらえたりもできるそうで、このご時世になんと太っ腹なイベントなのだろうとびっくりしてしまった。結婚前、弟たちのデートはもっぱらブライダルフェア巡りだったようで、毎週のようにいろんなホテルで食べまくったと言っていた。おっ、これはなんとも魅力的ではないか。さらに話を聞くと、男女のカップルであれば特に婚約していなくても参加できるようで、そのあとにダイレクトメールなどで資料の送付などはあるにしろ、当たり前だがブライダルフェアに参加したからってそこで結婚式を挙げなくちゃならなくなるなんてことは絶対にないそうだ。 これはぜひとも一度ブライダルフェアに参加してみたいと、強く思ってしまった俺。しかし、問題があることに気がついた。通常、ブライダルフェアが開催されるのは週末の土曜か日曜。俺の場合、大概仕事が入っている日だ。休みを取ってまで、ブライダルフェアに参加すべきなのかどうか。また、参加条件が男女のカップルだということ。付き合っている必要はないのだから俺の女友達の中から探すのが妥当だが、こんなバカげた企画に乗ってくれる友達がはたしているのかどうか。 明日から7月。ジューンブライドの季節は今年も終わってしまった。だが、ブライダルフェアは今後もいろんなホテルでおこなわれるはずだ。ブライダルフェアに憧れる俺と一緒に参加してもいいよという女の子、もしもいたら至急連絡ください!
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2005年06月28日(火) ■ |
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Vol.585 恥ずかしい宝物 |
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おはようございます。りょうちんです。
まだ6月なのにこの暑さ。体温並みに上昇した記録的な暑さを、いったいどうしのげばいいのか。うちわも扇風機もクーラーも風鈴も冷麦も怪談話も、他にも涼を取るアイテムは数多くあるけれど。どんなに暑い真夏の炎天下でも、一瞬にして身の毛もよだつほどの涼しさ、というか極上の寒さを体感できるものが俺にはある。 学生時代、ずっと俺は空想少年だった。空想といえば聞こえは良いが、どちらかといえば妄想に近かったと思う。100%ありえない架空の世界を俺のココロに描き、その中でいろんな事件が起こっていった。超能力を使ってみんなを驚かせたり、誰もがうらやむほどのかっこいい少年になって素敵なロマンスに落ちてみたり、時には悲劇の主人公を演じてみたり。都合の良いように自分で話を進めながら、つまらない授業もそうやって現実逃避することで退屈な時間をつぶしていた俺だった。 当時、俺は密かにもの書きにも憧れていた。だから俺の中の妄想は、頭の中で描かれるだけでなく必然的にコトバとしてカタチに変わっていった。時にそれは教科書の端に書き留めたポエムだったり、ノートに綴った小説だったり。どこかで使い回したような安いポエムや、ストーリーなんて稚拙で矛盾だらけの小説なんて、作品と呼ぶにはとてもおこがましいのだが。できあがったものを友人たちに強制的に見せてよろこんでいたのだから、俺も相当たちが悪い。高校2年の時に書いた長編小説は、学園モノのラブコメディ。当時は笑いあり涙ありの甘酸っぱい青春を描いた最高傑作だなんて思ってたけど、今考えてみればあまりのくだらなさと質の低さで、とてもじゃないが人に見せられるものじゃない。あの頃の俺、身の程知らずもはなはだしいったらありゃしない。バカバカ、俺。バカバカ、もっと恥じを知れ! あれから時は過ぎ、今は「ひとりごと」を書いている俺ではあるが。当時作ったポエムや小説は、実はまだ残してある。相方も知らない秘密の引き出しに封印したまま、時々思い出すだけで恥ずかしさの嵐で信じられないほどの寒さに襲われる。俺の最強に恥ずかしい宝物は、今では他人には絶対見せられない青春の証なのだ。
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2005年06月26日(日) ■ |
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Vol.584 本末転倒 |
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おはようございます。りょうちんです。
俺の住んでる部屋と駐車場とは、ちょっと離れている。歩いてもほんの2分程度の距離なのだが、でもこのわずかな距離が実は結構面倒に思えたりする。特に雨が降ってる日や重い荷物を運ばなきゃならない時は、わざわざ駐車場まで行ってから逆戻りして部屋まで歩くのがすごく億劫なのだ。だから俺以外の住人も、部屋の前に路上駐車している人がたくさんいる。住宅地とはいえ、偶然にも部屋の前は空き地なので駐車禁止区域ではない。俺も含めて、交通の邪魔にならないようぎりぎりまで路肩に近づけて車を止めておくことがよくあるのだ。 ある日、いつものように路上駐車した車に、「迷惑駐車禁止」と書かれた張り紙があった。町内会だか自治会だかか独自で作ったもののようで、よく見るとどの車にも張ってある。その時は俺もすごすごと自分の車を駐車場に戻したが、よく考えてみると、あの場所に駐車しても誰にも迷惑をかけているわけじゃないことに気がついた。前は空き地、他の車の出入りはまったくない。道幅も、車が止まっていても十分な広さは確保できている。緊急時に必要な防火設備もマンホールもない。あの場所に車を止めることが、誰に迷惑がかかるというのか。 俺らは再び同じ場所に路上駐車をはじめたが、それから何度も張り紙攻撃を食らった。それでも懲りずに繰り返し車を止める。それは明らかに姿を見せない誰かと俺らとのいたちごっこだった。そしてその張り紙は、ある日突然コーンに変わった。いつも車を止めている道の隅に、工事現場などで見かける三角形の朱色のトンガリが現れたのだ。でもそんなの、片手でひょいと動かしちゃえば同じこと。少し離れた場所にコーンを移動して、いつもの場所に車を止めた。 翌日。道の隅にあったコーンは、道の中央にどーんと居座っていた。誰が動かしたか知らないが、これじゃ路上駐車どころか車の通行さえも不可能だ。迷惑だと言われて置かれたコーンそのものが、今まさに道の真ん中で堂々と迷惑な存在になっている。あれ、これって矛盾してない? こういうの、本末転倒っていうんだよね?
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2005年06月21日(火) ■ |
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Vol.583 息子を想う気持ち |
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おはようございます。りょうちんです。
実家を離れて暮らしている俺だが、両親にしてみれば息子が帰ってくるのはやはりうれしいことらしい。俺が実家に帰った時も、父はそっけない素振りを通してはいるが、何時頃やってくるのかとか夕食は食べていくのかとか母に何度も聞いたりして、来る前からそわそわしているのが手に取るようにわかると言っていた。いちばんの親孝行とは、ちょくちょく帰って元気な顔を見せることなのかもしれない。 朝から天気も良く父と俺の休日が重なった今日、遠出をしようと俺は両親をドライブに誘った。先月の家族旅行がとても楽しかったせいか、俺の誘いに父も母も大いに賛成してくれた。梅雨晴れの強いひざしの中、俺らは県境の川辺に咲くあやめを見に行くことにした。紫色やクリーム色に咲くあやめの遊歩道を歩きながら、川面を過ぎていくさわやかな風を感じて夏が近いことを知る。こうやって穏やかに家族と一緒に時間を刻むことが、今の父と母にとって最高の幸せなのかもしれない。 帰りに道の駅で朝取りの新鮮な野菜とスーパーで食材を買いこんで、今夜の夕食は俺が作ることになった。母のために薄味に仕上げた肉じゃがと野菜サラダは思った以上に好評で、団欒にも花が咲く。できあがった家族旅行の写真を見て笑ったり、俺が小さかった頃の話で懐かしんだり。食事が終わっても話題は尽きることなく、気つけば夜もかなり更けるまで話し込んでしまった。そろそろ俺も、帰らなきゃ。 俺が席を立とうとすると、母は家にあるいろんなものを持って帰れと勧めてくる。「米はまだある?」とか「肉じゃがも持ってけば?」とか、そんなの毎回だ。息子を想う気持ちはよくわかるが、母の勧めるものを全部もらってもとてもじゃないが食べきれない。だから今日もタマネギとじゃがいもと父が今朝採ってきたわらびはお断りして、多めに作ってしまった肉じゃがと米と餅と桃の缶詰を遠慮なくいただいてきた。そして帰りの車の中で、俺は気がついた。あれ、これじゃ親孝行をしに帰ったつもりが、逆に俺がお世話になってるじゃん。こんなにいろいろくれなくても、俺はまたすぐに顔を見せに帰るのに。そう思いつつ、父と母に感謝をした。
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2005年06月20日(月) ■ |
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Vol.582 いちばん最初の記憶 |
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おはようございます。りょうちんです。
ちびっこだった頃の記憶を思い返してみる。どんどん時間をさかのぼっていき、自分が覚えているいちばん最初の記憶をよみがえらせてみる。俺がこの世に存在してから、いちばん最初に覚えていることは何なのか。 俺のいちばん最初の記憶は、おそらく1974年の暮れのこと。今になって考えてみれば、もしかしたら大晦日だったかもしれない。当時、俺は2歳。玄関から店に続くドアのところで、仕事中の父と母を待っている記憶である。年の瀬でいつもよりも遅くまで仕事をしている両親を、俺は退屈をもてあましながら少し不機嫌なまま、自分の背よりも高い位置にあったドアのノブにぶら下がって遊んでいる風景。ドアのノブが金色のちょっとおしゃれな丸いものだったこと、店の床がこげ茶色の剥げた板張りだったこと、映りの悪いTVから歌番組が流れていたこと、外はすっかり闇に包まれていたこと、もうじき今年が終わるという緊迫感みたいなもの、それらを俺はぼんやりと覚えている。記憶の塗り替えがひょっとしたらあるかもしれないが、これが俺の覚えているいちばん最初の記憶である。 記憶の整理、つまり、これは俺がいくつの時の記憶だったのかを頭の中で年代順に並べていく作業を、俺はちびっこの頃から無意識のうちにやっていた。2歳の時の記憶は、座布団に寝かせられて天井を見ていたことや、祖母の背中におんぶされて泣いていることや、まもなく入園する保育園のかばんを買ってもらって喜んでいることなどいくつかあるのだが、たぶん店の入り口で両親を待っている記憶がやはりいちばん最初の記憶だと思う。 あの旅行に行ったのは何年前だっけななんて最近の記憶はあいまいだったりするのに、逆に小さかった頃の記憶はずっと忘れないで俺のココロに残っている。そしてそれを時々思い出して、あの頃の記憶を大切にしていきたいと思う俺なのだ。
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2005年06月17日(金) ■ |
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Vol.581 ゴミの分別 |
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おはようございます。りょうちんです。
6月も後半にさしかかり今年もまもなく上半期が終わろうとしているが、年の初めに目標として掲げた俺の「CLEAN大作戦」は、今のところいたって順調に進んでいる。引っ越しの荷物がまだ全部片付いていないので部屋の中が完全に整頓されているとは言いきれないのだが、特にゴミの分別に関して言えば我が家では100%と言っていいほどしっかりおこなっている。というか、分別していくことが楽しいとさえ感じてしまっている俺だったりするのだ。 ちゃんとゴミを分別していくと、多くの驚きを目の当たりにする。まず分別をいいかげんにやっていた去年に比べると、明らかに処分するゴミの量が減った。去年までは牛乳パックもお肉のトレーも包み紙もビニール袋も、カンとビン以外は全部一緒くたにして燃えるゴミとして出していた俺だったが、それらをそれぞれちゃんと分別してやると、燃えるゴミなんてほとんど出てきやしないのだ。 逆に、リサイクルとして生まれ変わる紙製品やプラスチック製品の多いこと多いこと。特にプラスチック製品のゴミ袋はすぐにいっぱいになっちゃうくらい多くて、日本はこんなにまでにプラスチックで包まれたものがあふれている国だったんだなと驚いてしまう。俺の住む市も数年前からゴミの回収はこうやっていくつもの分別をすることが決められてはいるのだが、いまだに徹底されているわけではなく、去年までの俺のように何でもかんでも一緒にして燃えるゴミとして大量にゴミ置き場に置かれているのを見かけたりすることもよくあって、なんだかもったいないなぁと感じてしまうのだ。店で出てくるゴミもホントはしっかり分別したいと考えているのだが、実際そこまではまだまだできてなくて、それが俺の今の課題なのだ。 さてそんな中、レジ袋の有料化が検討されている。買い物に行く時は常にエコバッグを持つのが当たり前になった俺にしてみれば、大いに賛成だ。この案が決まれば、誰もがゴミの量を減らすことができるに違いない。自分だけじゃなく、地球規模でゴミを減らしていきたい。大げさだが、それも俺の「CLEAN大作戦」なのだ。
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